お前の燃える左手で
青とオレンジのコンテナが波を描く隘路を駆けながら、ヴァンダは無線に手をやった。
「フレイアンが
エレンシアが彼の肩を小突く。
「感心している場合ですか。四騎士に手柄を取られてばかりです。我々にも強い殺し屋がいるとアピールしなくては」
「商魂逞しいな」
「保勇機関の名を売るチャンスですよ。ヴァンダも功績をあげなさい」
「四騎士に入る方がずっと楽だったかもな」
ヴァンダはエレンシアを抱えて血の鎖をコンテナにかけ、遮蔽物を乗り越える。前輪を上げたバイクがふたりに続いた。
ロクシーはハンドルを操りながら笑う。
「奴らが露払いしてくれたお陰で、オレたちは本命まで駆け抜ければいいだけだ。"赤い霜"、敵将は殺れるんだろうな?」
「勝算はある。フレイアンが土傀を殺ってからダンジョンが動いてねえ。魔王禍ミリアムは目視できる範囲しか動かせねえらしいな」
「勝つ前から油断しないように。報告にあった土傀は四体ですよ。残り一体の討伐報告がまだありません」
兄の背にしがみついていたシモスが叫んだ。
「ヴァンダさん、前!」
コンテナの防壁が陽炎で揺らぐ。獣のような業火がヴァンダの眼前を駆け抜けた。
「くそ、早速かよ」
ヴァンダはエレンシアの腰を掴み、斜めに傾いた電信柱に血の鎖をかけ、大きく身を振った。
崩れかけたアパートのバルコニーに着地したふたりの眼下を炎が焼き払う。
「最後の一体が来ましたね……」
エレンシアは炎で分断されたロクシーとシモスを見遣った。紅蓮の火は渦巻き、中から人型が現れた。
「殺し屋……」
土傀イグニスは全身に炎を纏い、焼ける息を吐いた。勇者物語の劇団俳優のような精悍な顔は、憎悪に歪んでいた。
「
ロクシーは弟を背に庇いながら眉を吊り上げる。
「何だって?」
「俺の部下を嬲り殺しにした狙撃手はどこだって聞いてるんだ!」
「そりゃあ四騎士だ。オレたちにに言われても困るぜ」
「四騎士……あいつら!」
イグニスの唇から炎が溢れる。息が詰まるほどの炎熱がロクシーの額をひりつかせた。乾いた空気が爆ぜ、積み上がった木造のバラックが燃え落ちる。
ヴァンダは山刀に手をかけた。
「本陣に行く前に仕事ができちまったな。殺るか」
ヴァンダが靴底でコンテナを踏み締めたとき、炎の幕の向こうからシモスの声が響いた。
「おふたりは先へ行ってください!」
ロクシーが弟を顧みる。シモスは煌々と光る炎の塊を睨んだ。
「ここでヴァンダさんたちを消耗させる訳にはいかない。兄さん、僕たちでやりましょう」
「マジかよ、四騎士が相手取るレベルだぜ?」
「わかってます。でも、ここでやらなきゃ……」
シモスの血豆のできた手が大剣の柄を掴む。ロクシーは溜息をつき、上方のふたりを仰いだ。
「という訳らしい。言ってくれ」
エレンシアは逡巡するように俯いてから顔を上げ、黒い球体を放り投げた。ロクシーが空中でそれを掴む。黒いガムテープで巻かれた球体には短い導火線がついていた。
「ボス、これは爆弾か?」
「クドの置き土産です。ひとつきりですから大切に使うように。ヴァンダ、案内なさい」
「じゃあな。死ぬなよ、馬鹿兄弟」
ヴァンダとエレンシアは陽炎の向こうに消える。シモスは目を伏せた。
「クドさん……」
「シモス、悼むのは帰ってからだ。気抜いたらオレたちが死ぬぜ」
炎の土傀は兄弟に一歩ずつ近づいていた。
「俺の大事な部下を殺しやがって……ちくしょう……」
熱で歪んだ風が吹きつける。シモスはイグニスを見上げた。
「うるさい」
イグニスはたじろいだ。怒りの表情が傷ついた少年の顔に変わる。
「何だって? お前らは見てないからそんなことが言えるんだ! 四騎士の奴、俺の部下を遊びみたいに次々殺して、仲間をわざと傷付けて、助けに来た奴を撃って……」
「それがどうした。僕は裁判官でもお前の母親でもない。同情を買えると思うな」
「お前は……」
「保勇機関の
ロクシーがハンドルに身体を預けて苦笑する。
「何て弟だ。こんな子に育てた覚えは……だいぶあるな」
シモスは大剣を抜き去った。
炎でコンテナが融解し、塗装の溶ける不快な匂いと黒煙が立ち上る。四方から焼けた鉄が滴り落ちた。
「殺し屋!」
イグニスが吠えた。放たれた炎の矢がロクシーに伸びる。
「兄さん!」
シモスは大剣を振るった。削ぎ落とされたコンテナが盾となり、炎の矢を弾く。鉄塊が一瞬で炎上した。
それを合図に、ロクシーは全速力でバイクを発進させた。マフラーが赤い煙を噴き、炎と混じり合う。
馬のように跳ね上がった前輪が、融解するコンテナの上を駆け抜けた。
「逃すか!」
炎の刃がふたりの頭上を旋回する。違法建築の家々に垂れ下がる綿織物が燃え上がった。ロクシーは火花を散らす炎の幕の中を切り抜ける。
シモスは大剣を構え、譫言のように呟いた。
「考えろ……グレイヴさんなら火を消す魔剣を持っているはずだ。僕にはない。だったら!」
武骨な鉄の刃が壁に張り巡らされた配管を叩く。熱で脆くなった繋ぎ目が裂け、灰色の水が噴出した。
汚水を吸った綿布が、絡みつく炎を打ち消した。
「いいぞ、シモス!」
「これじゃ足止めにしかなりません。すぐに追ってくるはず……」
ごう、と重たい風が駆け抜けた。焼け焦げた木造バラックの残骸が猛火を纏った波となって押し寄せる。
「シモス、掴まれ!」
ロクシーはバイクを大振りに旋回させる。溶けたアスファルトが後輪に絡みつき、悲鳴じみた音を上げた。黒い轍を炎が掻き消す。
バイクは大きく振動しながら捻れた細道へ進んだ。
視界を塞ぐコンテナの群れは歪み、土台の鉄骨もかしいでいる。
「今にも崩れそうだな。いっそ爆破するか?」
「クドさんの形見をこんなことには使えません」
「そうは言ったってな……ボスも厄介なものをくれたな。爆弾で火は消せないだろ」
「いや、できます。炎が燃えるための酸素を奪えば……そうか!」
シモスは弾かれたように顔を上げた。
「兄さん、全力で飛ばしてください!」
加速を待たずにシモスは無造作に大剣を振るう。刃の先端が、コンテナを支える支柱に噛み付いた。
「そんなことしたら崩れるぞ!」
「崩すんです!」
ロクシーはかぶりを振ってアクセルを回す。支柱に齧りついた刃が錆びた鋸を引くような異音を立てた。シモスは青筋の浮いた腕に力を込める。
「落ちろぉ!」
咆哮と共にコンテナが一斉に崩落した。焼けた鉄塊が隕石のように降り注ぐ。
激しい音が断続的に続く。
バイクを走らせながらロクシーは背後を見た。潰れたコンテナに絡む炎は勢いを失い、溶剤の匂いのする黒煙に変わりつつあった。
「本当に命知らずだな」
「トツカさんがコンテナを斬り伏せて地形の変動を止めたのを覚えていたんです。僕にできるとは思わなかったけど……」
「四騎士の真似事とは更に命知らずだ」
ロクシーは犬歯を覗かせる。
炎は追ってこない。赤い照り返しが遠のき、路地は闇に包まれた。
ロクシーはバイク一台通れるほどの細道へ進む。
「兄さん、ここで襲撃されたら逃げ場が……」
「問題ない。貧民窟で仕事してた時期があるって言っただろ。多少変わってようが道はわかってる」
「何の仕事かは聞かないでおきます」
「それがいい。この先、貧民街には珍しい立体駐車場付きのデカいマンションがあった。中の防火扉を活かせば有利に戦えるはずだ」
路地を抜けて視界が開ける。ロクシーは息を呑んだ。
異様な建造物が聳えていた。
マンションはあった。縦ではなく横に生えている。
そそり立つ土壁の双方に橋を渡すように、鉄筋のマンションが横たわっている。
橋の巨影の真下には歪んだ立体駐車場があり、マンションの屋上から垂れる給水塔が癒着していた。
「何でもありかよ……」
ロクシーは唇を歪めた。
「作戦変更だ。あの建物の真下に……」
言葉の途中で、土壁を火花が駆け抜けた。
「逃さないって言っただろ!」
炎を纏ったイグニスが降下する。闇を炎が塗り潰した。ロクシーはバイクを旋回させる。
「くそっ、振り落とされるなよ!」
「……兄さん、ごめんなさい」
シモスは大剣を握り、立ち上がった。
「逃すかは、こっちの台詞だ!」
シモスは手を伸ばし、燃え盛るイグニスの胸ぐらを素手で掴んだ。炎がシモスの腕を包む。
「お前……!」
土傀が目を見張った。
「シモス、何考えてる!」
バイクの旋回と共に跳躍したシモスは、イグニスと共に投げ出され、歪んだ立体駐車場に吸い込まれた。
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