血みどろ臓物ボーリングレーン

 そこはボーリング場だった。

 仄暗い無人のレーンに汚れたシューズと瓦礫が散らばり、汗と洗剤の匂いが満ちている。


 フレイアンの真後ろで緑の扉が音を立てて傾げ、退路を塞ぐように捻れた。

「やる気なら、来い……」



 きゅっと、ニスの剥げた床を踏み締める音が鳴る。テッラは腕を組んでフレイアンを見定めた。

「切り抜けたか。あの人間たちはどうした」

「全員生きてる。土傀ゴーレムは人間を炉心にすると聞いていたが、お前はそうしなかったのか……」

「私の権能は土を操ることだけだ。土傀の精製はミリアムにしかできない」

「そうか……」

「それに、非戦闘員の命を無闇に奪うのは趣味ではないんだ。アクァのように悪趣味な者もいるが、私は彼女を守る騎士として戦いたい」

「愛する者を守るためか……気持ちはわかる。私にも夫がいた」

「わかるならば退いてくれないか」

「できない……」


 フレイアンは焦げついた武器と火傷で癒着した指を見下ろした。

「夫は魔族に殺された」

「君が戦う動機は魔族への復讐か」

「違う。ただ、私のような思いをする人間がいてほしくないだけだ。魔族がいる限り、人間は殺される」

「逆も然りだ。戦うしかないようだな」



 テッラに応えるように、ボーリングのレーンが隆起し、押し寄せた。球を排出する機械がひび割れ、ボールが宙に飛び散る。


 フレイアンは片足を引き、足首をしならせて球を蹴り上げた。ぶんと唸った鉄球はカーブを描いて飛び、風圧で舞ったテッラの髪を貫く。


 フレイアンはその隙に接近し、右の拳を振り抜いた。拳が宙を掻く。フレイアンが空中で制した肘に、テッラが片手を当てていた。

 少女のような細腕がフレイアンの手を払う。衝撃で仰反った彼女の胸を、土の掌底が一突きした。


 車に撥ねられたような衝撃に、フレイアンは吹き飛び、壁に衝突した。自動菓子売り機から溢れたストーンチョコやひまわりチョコが降り注ぐ。


 フレイアンは機械を蹴り上げ、色とりどりの菓子でテッラの視界を眩ませた。立ち上がると同時に、重心を低くしたまま一気に駆ける。

 テッラが身を屈め、彼女の脚を払う構えをとる。


 硬質な土の踵が脚を抉る前にフレイアンは跳躍した。テッラの僅かに上がった顎を目掛け、太腿で蹴り込む。激震がレーンを揺らした。


 フレイアンはたじろぐテッラの肩を押さえ、宙に両脚を投げ出す。震動で勢いよく飛んだボーリングボールをふくらはぎで挟み、テッラの頭上に叩きつける。

 鉄球は鈍い音を立てて、テッラの頭蓋を潰し、胸までを抉り抜いた。



 フレイアンは受け身を取って着地する。瞬きの間にテッラの身体が泡立つ泥で覆われ、元通りに復元した。

「核を潰さないと駄目か……」

「左様」

 テッラがひび割れた頬を引き攣らせた。再びレーンが波打ち、縦横無尽に走り回る。白いボーリングピンの雪崩れがフレイアンを襲った。


 彼女は雷管銃槍を叩きつけて土の波を食い止め、爆発でピンを撒き散らす。硝煙と炎がフレイアンの手を更に焼いた。

「大した自己犠牲心だな。だが、いつまで保つか!」


 フレイアンはテッラと破壊されたボーリング場を見比べ、武器を持ったまま駆け出した。非常階段に通じる扉を蹴破り、ボーリング場を飛び出す。


 真っ暗な中、錆びた階段を駆け上る音だけが反響する。真下から巨大な質量が鉄板を踏みしだく音が聞こえた。


 フレイアンは屋上に続く扉の前に積まれた大量のビールケースや資材を見定める。雷管銃槍で歪んだ手摺をバットのように叩き、ガラクタの山ごと破壊する。

 ビールケースやボーリングのピン、何かの看板が一斉に階下へと降り注ぐ。暗闇に唖然とするテッラの顔が一瞬浮かび、白煙が全てを掻き消した。


 ガラガラと鼓膜を破るような大騒音の後、辺りが静まり返った。フレイアンは非常階段の下を覗き込む。静かな滔々たる闇だった。



 微かな風が吹き、闇に白い花が咲いたように、五本の指が煙を突き破る。

「それで殺したつもりか、四騎士!」


 非常階段の手摺を蹴って飛んだテッラが手を広げる。指が鍾乳洞の氷柱の如く伸び、彼女の肩を抉った。

 フレイアンは呻きもせず、ガタつく手摺に力を込め、引き抜く。錆びた支柱が突進するテッラの首を枷のように食い止め、壁に縫い付けた。



 両者は膠着した状態で睨み合った。

「その傷で私の核が潰せるとでも」

「やってみなければわからない……いけると思う」


 テッラは喉を震わせる。

「戦っていてわかった。君は殺し屋たちにはない潔い魂を持っている。他の四騎士とは違う」

「私の仲間を馬鹿にするな……確かに問題児ばかりだが……有名な殺し屋と見れば斬りつける娘も、仕事をサボるために結婚と離婚を繰り返す男も、何故人間の味方をしているのかわからない殺人鬼もいるが……」

 フレイアンは目を伏せた。テッラは呆れ混じりの息を漏らし、真っ直ぐに彼女を見つめた。


「まあいい、その上で聞きたい。何故ミリアムを殺そうとする。彼女は被害者だ。家族に虐げられ、覚醒しなければ自分が殺されていた」

「知ってる……殺人は褒められたことじゃないが、そうしなければ生き残れなかったことも……でも、今無辜の人々を巻き込んでいるのは違う」

「そうさせたのは君たちだろう!」

 テッラは声を荒げた。

「ミリアムは魔族ではなかった。人間が誰も彼女を救わなかったから、魔族に頼るしかなかったんだ。私は彼女の想いに応えたい。お前たち人間がそうしなかったからだ。四騎士が人々を守るなら、何故ミリアムを救わなかった!」


 フレイアンは銀髪で顔を覆うように俯いた。

「申し訳ないと思っている。あと少し早く知っていたら、必ず助けに行った。でも、そうできなかった。不甲斐ないと思う……」

「ならば、今からでも退くことだ」

「できない。彼女は被害者だったけれど、今はもう加害者だから……彼女を救えなかった罰は受け入れたいと思う……」

「その傷が報いだと言うつもりか。浅はかだな。一生背負う気もないくせに」

「そう。私の傷はすぐ治る。でも、痛みは忘れない……」



 フレイアンは細く息を吸い、吐いた。

Tacitum vivit sub傷は胸の奥でectore vulnusp静かに息づく.」

 彼女の身体が赤く光る。

「詠唱、勇者の欠片か!」

 テッラは身を捩り、自身の身体を捻じ切って手すりの首枷から逃れた。雷管銃槍がテッラの真横の壁を穿ち、外から月光が射し込んだ。


「≪勇者の皮膚≫……自己治癒能力だけに特化した欠片。これが私の力だ」

 武骨な槍を握るフレイアンの身体から、火傷は跡形もなく消えていた。焦げ跡も血の滴る傷もない。ただ、眼帯を取り除いた左目だけは魚卵のように白濁していた。


「……その目は治さないのか」

「治らないんだ。これは欠片を得るずっと前に負ったものだから……」

 テッラは唇を歪めた。

「醜いな。身も心も。美しく気高い女帝たるミリアムとは大違いだ」

「好きに言えばいい。私を綺麗だと言ったのは、この世にただひとりだけでいい……」


 フレイアンは祈るように武器を掲げた。

「私はフレイアン。英雄だ。そう望まれたんだ!」


 暴風を巻き上げ、雷管銃槍が振り下ろされた。真正面からの刺突がテッラの胸の中央を穿ち、壁ごと突き崩す。尖塔が崩れたような圧倒的な破壊だった。


 テッラは貫かれたまま、瓦礫を砕いて落下する。非常階段が、天井が、ボーリングレーンが、次々と視界を過り、摩擦熱がテッラの全身を炎で包む。

「殺し屋が!」


 フレイアンは爛れる身体を瞬時に修復しながら、雷管銃槍の尻を蹴った。爆破がテッラを核ごと破壊し、土の欠片に帰る。

 着地と同時に爆破の衝撃がレーンを駆け抜けた。ボーリングのピンが散らばり、上の電光掲示板がピンクの花火を上げる。



「ストライク……違うか」

 フレイアンは血みどろの身体を摩り、ピンの山に紛れた酒瓶を抜き取って、喉に流し込んだ。

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