ノット・キリング・ゲーム

 豪速で地面に叩きつけられたトラックがガラクタのように潰れる。


 ルーシオは緩衝材代わりの段ボールを蹴り、荷台から脱出した。

 四騎士の到来を迎えるように、羅列された等間隔の光が次々と闇を照らした。

「ここは……スーパーマーケットか?」


 トラックが突き刺さった床には果実や菓子の袋が散乱していた。

 宵の入りのような青白い光に映る店内は斜めに傾けたような有様だった。清涼飲料水を詰めたショーケースの波濤のように押し迫り、天井にあるはずの安売りの吊り広告は左の壁に垂れている。


 ルーシオは周囲を見渡す。

土傀ゴーレムは潰れて死んだ……」

 ひゅっと風を切る音が鳴り、吊り広告が上下に分かれた。

「訳はないな」

 ルーシオは棚の影から仕掛けたアクァの奇襲を振り返りもせず受け止める。ダガーナイフの柄を回転させて攻撃をいなすと、アクァの腹に膝頭を叩き込んだ。


 衝撃に突かれたアクァが棚にぶつかり、黄色の果実が雪崩れ落ちる。ルーシオは無表情に果実を拾って投擲した。アクァが咄嗟に突き出したナイフが果実を貫き、飛散した汁が彼の目を焼いた。


「流石目がいい奴は反応も早い。災難だな」

 ルーシオはダガーナイフ片手に接近し、躊躇なくアクァの心臓めがけて刺突する。アクァの身体が液体のように弾け、ナイフの鋒が商品棚を突き抜けた。


 透明な水が逆巻き、天井へと昇る。一瞬狼狽えたルーシオを水流が襲った。


 水は蛇の如くルーシオを取り巻いた。視界と呼吸を奪われた彼は喉元を押さえて喘ぐ。

 意志を持った水に絡みつかれながら、ルーシオはもがくように右脚を振り上げた。

 商品棚から落下した瓶を左脚で蹴り上げる。瓶の口が砕け、飛び散った赤いソースが水に溶けた。


 赤く染まった液体の中で微かに蠢く丸い塊があった。ルーシオは不明瞭な視界でナイフを振るう。水の塊が危険を察知したように彼から離れた。


 ルーシオは水を吐いて咳き込みながら、目の前で色を取り戻していく液体を見据えた。

「……変態能力があるとはな。土傀ではなく水傀か」

 手足を液体化させたままのアクァが眉を顰める。

「エーテルにもらった能力なんか使いたくなかったけど、ミリアムのためだから」



 アクァの姿が再び透過した。水は傾いた壁を這い、露出したスプリンクラーの配管に飛び込む。

 ルーシオが体勢を立て直す前に真後ろから射出された水が踊りかかった。


 ルーシオは大きく跳躍して避ける。水流に追われながら並列された棚の間を抜け、試食販売の台に駆け上がった。

 ルーシオは放置されたホットプレートの下に敷かれたテーブルクロスを広げる。棚を乗り越えた水流が布地に吸われ、アクァの姿が滲み出した。

 ルーシオはナイフを一閃し、クロスを切り裂く。アクァは布地から脱出し、配管に逃げ込んだ。


 そこかしこから挑発するように水が駆け巡る音が響く。

「小賢しい」

 ルーシオは胸ポケットから煙草を出し、濡れていないのを確かめてライターで火をつける。


 斜めの天井から露出した火災報知器に煙を吹きかけると、青白い店内が非常灯の赤で染まった。サイレンと共に壁面のスプリンクラーが一斉に水を噴き出す。

 マーケットに霧散した雨が徐々に形を帯び、アクァが憎悪の声を上げた。


「クソ野郎、名前は?」

神託騎士クルセイダー"常夜"ルーシオ」

「お前か……一般人の振りして魔族を殺しまくってた最悪のカス。そんなことして楽しい訳?」

「俺の望みはお前らじゃないが、気は晴れたな」

「信じられない」

「俺ほどのヘビーユーザーが言うんだ。真理だろ。消費者の声は受け入れろ」


 ルーシオは傍のアンケートボックスを投げた。消費者の声を求める紙片が床に広がり、水分を吸い上げる。アクァは頰を引き攣らせながら笑った。

「最低……」

「つまらない奴だな。キーダなら『殺人鬼を生命のヘビーユーザーと捉えてるの?』くらい言っただろうに」

「……お前の話は聞いたことあるよ。統京を守った影の騎士って呼ばれてた。だから、二つ名も"常夜"なの?」

「どうだか」

「へえ……じゃあ、こういうのは?」


 アクァが視線を脇に振る。

 ガラスのショーケースが自重で倒れ、隠れていたエプロン姿の女が現れた。女は口元を押さえて必死に息を殺していた。


「逃げ遅れた奴がいたのか……」

 ルーシオが動く前に、水と化したアクァが疾走する。人間の形に戻ったアクァは震える女の喉にナイフを突きつけていた。

「動いたら女の喉を掻っ切るよ。影の騎士様が人殺しになっちゃうね」


 女は真っ青な顔で助けを求めるようにルーシオを見る。ルーシオは微笑を返し、身を屈めた。

「気が効くな」

 ルーシオは女に構わずダガーナイフを突き出した。刃は彼女の身体を避けるように首の間を縫い、アクァの腕を突き刺した。

「だが、俺はひとを殺せない。呪いのようなものだ」


 アクァの腕が欠片となって散る。女が悲鳴を上げて倒れ込んだ。アクァは腕の切断面を押さえて飛び退った。

「どうなってんだよ、お前!」

 ルーシオは床上で蠢く欠片を靴先で踏み潰し、店の奥へと目を向けた。

「市場なら"あれ"もあるか」


 呟くと同時に、ルーシオは人質も顧みず、身を翻して駆け出す。

「逃すか!」

 波濤が追いかけてくるのを確かめつつ、ルーシオは店の奥へと進んだ。


 透明なカーテンを潜り、散乱したカートを背後に押す。アクァの呻きと金属のぶつかり合う音。ルーシオは積み上がった箱からペットボトルを一本抜き取り、鉄の扉を肩で押した。



「往生際が悪いんだよ!」

 彼を追って飛び込んだアクァは息を呑む。辿り着いたのは、壮絶な冷気が白霧となって立ち込める冷凍室だった。

 天井からぶら下がる凍りついた肉塊の間からルーシオが姿を現す。


「寒いだろうな。氷点下の世界だ。少し温めてやろうか?」

 彼はダガーナイフでペットボトルの口を切り、アクァに水をかけた。瞬く間に液体が氷に変わり、アクァの身体が白くひび割れる。


「お前……!」

 逃げ出そうとしたアクァを張りつく霜が縫い止める。ルーシオはひとつの肉塊を蹴落とし、ぶらついたフックを掴んでアクァの心臓に叩きつけた。

 鉄の鉤針が氷の身体を貫く。


「核は……少し上か?」

 ルーシオは凍てつくアクァの顎を持ち上げ、ナイフの背で首筋から胸をなぞると、垂直に刃を下ろした。

 アクァが氷の塊を吐き、細い身体が見る間にひび割れる。

「くそ、畜生、お前らなんかに……」


 ガラスのように砕ける喉でアクァは呻いた。

「僕は、ミリアムを、あいつなんかに渡さな……」

「話が長い」

 ルーシオは無表情に刃を薙ぎ、アクァの首を切断した。

「魔族の断末魔なんぞに興味はないんだ」

 絶望の表情のまま落下したアクァの首が壊れし、身体も崩れ落ちた。



 ルーシオは冷凍室を出て身体を震わせる。

「キーダ、厄介な仕事を押し付けてくれたな。俺は体脂肪率が低いから寒さに弱いんだ」


 ぼやきながら霜を払うと、物陰からエプロン姿の女が顔を覗かせた。

「ルーシオさん……ですよね?」

「知ってるのか?」

「助けてくれてありがとうございます! 前も私の職場に潜んでいた魔族を貴方が殺してくれたんです!」

 女は目を輝かせる。

「殺人鬼なんて言われてるけど、貴方がみんなを守るために影で戦ってくれたこと、知ってますから!」

「どうも……」


 ルーシオは目を伏せ、出口を示した。女は何度も礼をして去る。


 非常灯が消えて闇に包まれる店内で、ルーシオはナイフを握った。

 女の背に刃を向けてから下ろし、ナイフをしまって二本目の煙草に火をつけた。小さな炎が濡れた床に湖月のように映る。


「影の騎士、か……」

 ルーシオの二つ名は彼の愛する劇作家の著作から取られている。

 正統な勇者物語を描くザヴィエとは対極に、陰惨な物語を綴るドルトーニの代表作が『常夜』だった。理想を掲げながらついぞ叶うことなく生涯を終えた名もなき騎士の悲劇。


 ルーシオは自嘲の笑みを漏らす。

「また殺せなかった」

 彼は溜息に変えて、長く煙を吐き出した。

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