殺し屋調査録:狙撃手"黄一閃"キーダ
僕は頑張りたくない。
働くなんて冗談じゃない。必死になってまでほしいものなんてひとつもない。
誰だって楽して暮らしたいと思うだろうけど、僕の働きたくなさはちょっと異常だった。
母子家庭の子なら普通は母親を支えるために頑張ろうと思うし、兄さんは実際そうだった。
でも、僕は「うーん、大変そうだし、そこまでしなくていいかな」と思った。
僕が生まれた頃には父さんは蒸発していて、母さんは毎日父さんを呪って暮らした。
可哀想だけど、まともな男を選ばなかった母さんにも非があるし、まともな男は母さんを選ばないだろうから、半分くらい自業自得かなと思った。
母さんと兄さんは感情的で、僕はだいぶ疲れた。でも、ひとつだけ最高のことを教えてくれた。
「お前は父さんに似て顔だけは可愛らしいから、年上の女を騙して生きていくんだろうね」
母さんは呪詛のつもりで言ったんだろうけど、僕にとっては祝福だ。働かずに生きる術を教えてくれるなんて。
一生養ってくれそうなお金持ちの女ってどんなひとだろうと聞くと、兄さんは呆れたように言った。
「知るかよ。上流階級の女はお前に見向きもしないだろうし、あとは殺し屋くらいじゃないか。四騎士なら相当稼ぐ」
四騎士と出逢うには殺し屋になるのが一番手っ取り早い。そのための努力なら嫌だけど仕方ない。後で怠けるための先行投資だ。
僕は母さんと兄さんに一生分のお礼を言って家を出た。
僕が
刃物で魔物をギコギコやってドロドロの返り血を浴びるなんて冗談じゃない。皆と離れた高台から撃つだけなら仲間のいざこざにも巻き込まれなくて済む。銃火器の発達と共に生まれた最新の役職だから、派閥争いや師弟関係なんかとも無縁だ。
僕は今まで気づかなかったけど、すごく目がいいらしい。何時間も標的を待っていても全く焦らない気性にも合ってる。
僕は当時業界に八人しかいなかった狙撃手の中で一番の戦果を上げてしまった。他の七人が僕にアドバイスを聞こうと押し寄せてきた。本当に面倒だなと思って、車に撥ねられた振りをして三ヶ月は逃げ回ったけど、結局捕まった。
七人の話を聞いて思ったのは、皆頑張り屋のくせに努力が下手なんだなということ。
読唇術を覚えればスコープで標的を見たときすぐに会話の内容がわかるのに、諜報の伝達を待つ。
陽炎の曲がり方で風速がわかるのに、計算機に頼る。
気温と湿度の高低で弾がどう飛ぶかを全部頭に入れればいいのに、いちいちその場で計算する。
ひとりは「天才って呼ばれる奴はその実努力家なんだな」と言ってきた。
「あとで一生楽をするための努力ならするよ」
冗談だと思ったらしく、彼は笑った。
「でも、ときどき嫌にならないか?」
「何で?」
「狙撃手って孤独じゃないか。勝利の喜びも仲間の死の哀しみも周りと分かち合えない。自分との戦いだろ?」
「全然、僕は感情を揺さぶられるのが嫌いなんだ」
狙撃手は天職だと思っていたのに、ちょっと厄介なことがあった。というより、厄介な子が来た。
業界九人目のスナイパー、パブリーだ。
狙撃手界のアイドルと呼ばれる新星が現れたと聞いて、ちょっとヤバそうだしあんまり近づかないでおこうと思った。新星どころか超新星のように向こうから突っ込んできた。
「ちょっと、キーダさんですよね! 私に興味を持たないってどういうことですか?」
パブリーは猫の子のように僕の襟首を掴んで聞いた。
「今持ったよ。熊に襲われてるひとが対処方法に興味を持つような感じで」
「そうじゃありません! むさ苦しい男ばっかりの狙撃手界にこんな可愛い子が来たのに何の反応もなしですか!」
「すごい自信だね」
「生まれたときから可愛い顔をしてるって言われてきましたから」
「僕も母親に言われたよ」
彼女は不満気に僕を睨んだ。
パブリーはすごく非合理的だった。
隠密が基本の狙撃手にとって無意味なのに、見た目に拘りまくっていた。
黒髪をツインテールにして前髪は飴のコーティングみたいにガチガチに固めた。黒と白のレースの服を何着も持っていた。化粧は人形みたいに真っ白に塗って、アイシャドウと口紅はいつもピンクだ。
それでも任務に支障を出さない程度の実力はあった。
彼女は何故か僕に付き纏った。
「キーダさんってうざいですよね!」
「認識にズレがあるのかな。僕が付き纏われてる側だと思ってたんだけど」
「だって、私に一度も可愛いって言わないくせに、リップやポシェットを変えたことに毎回気づいてくれるんですもん!」
「狙撃手だからね。観察眼はあるよ」
「そこに関しては尊敬してます。私は狙撃手としてはキーダさんに敵いませんから」
パブリーはふんと鼻息を吐いた。
「でも、私は特別な狙撃手になりたいんです。仲間を一度も死なせない狙撃手に」
確かに彼女は狙撃だけじゃなく短剣も扱って前線に出ることが多かった。理由を聞くとパブリーは言った。
「みんなが私を愛してくれるから私も愛を返すんですよ。それに、接近戦もできる狙撃手なんてすごいでしょ?」
「ひとつを極める方が先だと思うけどね。ヘッドショットだけできるようになりなよ。君は無駄撃ちが多すぎる」
「ほんとうざいですね! 絶対超えてみせますから! あと、可愛いって言わせます!」
パブリーがそれを達成する機会は訪れなかった。
人体に寄生して死体を操る魔王禍モルグに負けたらしい。戦況が膠着して、彼女は仲間を救うために前線に飛び出した。
狙撃手として適切な距離を保っていれば死ななかったのに。
パブリーの葬儀は霧雨の降る寒い日だった。
彼女に救われた大勢が参列した。僕は葬儀には参加しなかった。
式場の向かいのビルの屋上で、全身を冷やす雨に耐えながら、奪われた体温が湯気になって空気中に溶けていくのを感じていた。
出棺の時間が訪れ、喪服の群れが式場から現れた。
きっと皆、不在の僕を冷淡だとか詰っただろう。どうでもいい。
僕は機会を待っていた。
そのときが来た。
彼らの担ぐ棺がガタンと落下した。蓋が開いて中身が飛び出したからだ。つまり、死んだはずのパブリーが。
彼女の肌はいつもの化粧より真っ白で、虚な目をして棺から這い出した。やっぱり、モルグは彼女に寄生していた。
参列者は青ざめて蜘蛛の子のように散った。パブリーはそれに狙いを定め、低く身を屈めた。
僕はスコープを覗く。
「哀れだね、パブリー。赤い口紅なんか塗られちゃってさ」
レンズの中の彼女と目が合った。僕は引鉄を引く。パブリーの白い胸に赤い花が咲いた。僕は初めて標的の頭以外を撃った。
冷え切った身体を摩りながら僕は帰路についた。
こんな面倒くさいことは二度と御免だ。
僕は誰とも関わらず、独りで撃って、適当に稼いで、金持ちの殺し屋に養ってもらうんだ。
でも、魔王禍がいる限り、またこんなことが起こるんじゃないだろうか。
だったら、魔王禍を絶滅させてしまえばいい。まるで勇者みたいだけど、そんなことはどうでもいい。
僕は怠けるための努力なら惜しまない。
狙撃手"黄一閃"キーダ。
保有する欠片は≪勇者の膵臓≫。
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