ダンジョンより愛を込めて

 鉄格子の前に椅子を並べて相対すると、クリゼールは口火を切った。


土傀ゴーレムだね、私も手を焼いたよ!」

「うるせえよ、声量落とせ。響くんだよ」

 クリゼールに膝の上で囚人が目を泳がせる。

「俺はいつまでここにいればいいんだ……?」

「忘れてたな、今すぐ出て行け」


 看守が囚人を連れ去り、クリゼールは咳払いした。

「土傀は私から子どもたちを奪うんだ。あの子の教育方針には同意できないよ。子の自主性を無視している。だから、親権争いをしていたのさ!」


 エレンシアは横目でリデリックを見た。

「炉心にされた人間は土傀と同化するため、死霊術の妨げになるから、両者は敵対関係にあった……と言ってるのかな」

「翻訳をどうも。ですが、クリゼールの捕縛から一月も経っていません。敵対者が消えたとはいえ急に兵力を増強できるでしょうか」

「≪勇者の欠片≫を手に入れたのかもしれないな」



 ヴァンダは鉄格子ににじり寄る。

「土傀遣いについて知ってること全部吐け」

「ヴァンダ、そんな言い方をして! ロクシーを見習わなくちゃいけないよ!」

「だとよ、お兄ちゃん」

「悪ノリするなよ……リトル・ダディ、頼む」


 クリゼールは元気よく答える。

「土傀遣いのことは何も知らないよ!」

 ヴァンダが鉄格子を蹴った。

「ふざけんなよ、さっきからほざいてただろうが」

「私が言ったのは土傀だよ!」

「イカれてんのかてめえ……」


 シモスが小声で言った。

「もしかして、土傀が意志を持って活動していたということですか?」

「賢いね、その通りだよ!」


 エレンシアが目を瞬かせる。

「有り得るのですか?」

「ねえよ。バイクが自分で旅するか? 命令者と原動力がいなきゃ動かねえ」

「両方あるさ!」

 クリゼールは胸を張った。

「あの土傀は魔王陛下のダンジョンだからね! 魔術式と魔力が未だに残っているんだよ!」


 全員が言葉を失った。リデリックが口元を抑える。

「ヴァンダ、どう思う。魔王を目撃したことがあるのは君だけだ」

「……魔王の力が染み渡った土なら理論上は有り得る。考えたくもねえがな」

「もし、そうだとしたら全体の規模は……」



 しばらく黙っていたエレンシアが顔を上げた。

「それでも、勇者の時代の遺物が何故今活動を始めたのですか。流石に敵の動向や情勢を読むほど複雑な思考ができるとは思えません」

「いい読みだ。人間の協力者がいると思っていい」

 ヴァンダの言葉に彼女は小さく微笑む。


 クリゼールは鉄格子の向こうで唸った。

「去年から土傀の周りに子どもたちが集まっていたんだよ。数人は保護したけれど……うん、そこから土傀との親権争いが複雑化したんだ」

「人間が出入りしてたってことか。神秘主義者かもな」


 リデリックが立ち上がり、携帯電話を開いた。

「グレイヴからだ。当たりを引いたらしい。聖騎士庁へ向かおう」

 クリゼールの見送りを背に、彼らは暗い牢獄を抜けた。



 聖騎士庁の談話室にはキーダを除く四騎士が集結していた。

 鋼線の如く張り詰めた空気の中で、スターンが身を震わせていた。


「あ、あの、流石に聖騎士庁に四騎士の皆さんを呼んだことがバレるとまずいので……リデリックくんが偶々旧友に会ってここで話をしていた体にしてもらえますか?」

 トツカが鋭く睨む。

「我々に泣いて縋りながら邪険に扱うとは厚顔ですね」

「いや、そんな……グレイヴさん!」

 壁にもたれて腕を組んだグレイヴが首を振る。

「師匠、脅さないでください。保勇機関も全員揃ったな」

「ジェサはどうしました?」

「休養中だ。後で伝達する」



 彼は全員の顔を確認すると、机上に資料の山を載せた。

「師匠に強要……要請されて淵西の貴族を全て洗い出した。その中にミリアムという名があったが、問題がひとつ」

「何です?」

「故人だ。記録では去年病死している」

「グレイヴ、ふざているのですか」

「あくまで記録です。死亡届に不審な点が多い。ミリアムは当主の前妻の子で、家は後妻とその娘が実権を握っていた」

「ゴシップは不要です」

「急かさないでください。彼女の家は神秘主義に傾倒していた。ミリアムの死亡日と同日、一族が貧民窟を訪れた渡航記録がある。彼女は神秘の研究の実験台として、土傀の炉心にされたんだろう」


 フレイアンが酒缶を片手に眉を顰める。

「ひどい、逮捕すべきだ……」

「館内で飲酒はやめろ。逮捕するのは無理だ。一族は正体不明の魔王禍に襲撃され、全滅している」

「まさか、ミリアムが……?」

「何らかのきっかけで土傀を駆動させ、反撃した恐れがあるな」


 ルーシオが黒子の散った顔で笑った。

「人間に虐げられた娘が生贄の儀式で魔族に見初められ、復讐を果たしたか。少女小説でよくある話だ」

「これは創作じゃなく現実だ。ひとが死んでる。そんな言い方はよくない……」



 リデリックが一呼吸置いて言った。

「これで、協力者はわかったね。続いて土傀の規模だ。フレイアン?」

「測量士と連絡が取れた。彼、役所で働いていた……知らなかったのか」

「噂には聞いていたけど、顔を合わせにくくてね」

「お前にそんな感情があるのですか」

「寝たのか……」

「どうかな」

「否定しなさい」


 ロクシーが手を振った。

「弟の教育に悪い話はよしてくれ。本題に戻れよ」

「ごめん……貧民窟の誘致の際に彼が作った公共測量記録をもらった。見てくれ……」


 褐色の指が黄ばんだ地図を広げる。細かな線の連なりを覆うように、赤いペンで円が描かれていた。

「第九区から第十三区まで……おい、貧民窟全土じゃないか?」

「うん。というより、地下のダンジョンを覆い隠すように貧民窟が造られてる……」



 机が跳ね上がり、資料が宙に舞う。スターンが震える膝を押さえた。額からは脂汗が流れ、眼鏡のレンズが濡れていた。

「す、すみません、震えが止まらなくて机を蹴ってしまいました……」

「グレイヴ、お前の上司は脆弱すぎます。鼠の心臓を移植されているのですか」


 地図を見つめていたヴァンダが低く呻いた。

「いや、そんぐらい怯えるべきだ。だいぶマズいぜ。こいつは魔王の螺殿迷宮だ」

「螺殿迷宮?」

「螺旋状の複雑な構造を持つダンジョンだ。東西南北の門が土傀ができて、全部の核を潰さねえ限り無限に構造が変わり続ける。昔、王都の一師団が丸ごと呑み込まれて全滅した。勇者と攻略したが、仲間が大勢死んだ……」


 ヴァンダの言葉に全員が息を呑む。机から落ちた紙束が擦れる音が響くほどの静寂だった。



 エレンシアが肩に落ちる赤髪を払った。

「と、いうことはヴァンダは螺殿迷宮を攻略した経験があるのですね」

「勇者がいたからな」

「勇者がいなくともここには数多の殺し屋がいます。一度倒した敵に何を怯えるのですか」

「簡単に言うけどな……」

 ヴァンダは頭を振った。

「ボスが言うんじゃやるしかねえか」


 フレイアンが微かに口角を上げる。

「皆、いい戦士だ……私たちも戦おう。四騎士と門の数が合う。私たちひとりずつ壊せば問題ない……」

 トツカとルーシオが無言で頷いた。


 リデリックが机を叩く。

「勿論、聖騎士庁も協力するよ。スターン長官、貧民窟に住む二万人の疎開プランを立てられるかい?」

「ええと、時間によりますが……猶予は?」

「ヴァンダ、螺殿迷宮は展開にどれだけかかる?」

「三日だ。トツカに土傀をやられてから奴らも動き出したと想定して、猶予は一日半だな」

「充分さ」

「いや、全然充分じゃないですよ! ど、どうしましょう……」


 慌てふためくスターンを横目に、ヴァンダはエレンシアに囁いた。

「親子だな」

「何の話です?」

「勇者も尻込みする連中を焚きつけて螺殿迷宮に乗り込んだ」

「私は勇者のその先を行きます。今回はひとりも犠牲者を出しませんよ」

 彼女は不敵に微笑んだ。



 ***



 土壁に覆われた巨大な空洞には、駆動音と蒸気が充満していた。


 その中央に座すのは、禍々しい空間に不似合いな、深窓の令嬢然とした儚げな女だった。


「ウェントゥスは駄目だったわ。何度も試したけど核が破壊されて……」

 娘は細腕で震える自分の身体を抱きしめる。令嬢の背後には三つの影があった。


 一際小柄で華奢な影が娘を支えた。

「ミリアム、気を確かに。貴女のせいじゃない」

「ありがとう、テッラ。でも、私がいると皆が不幸になるの。いつも御父様も言われたわ」


 威勢のいい声が響く。

「あんな家族に言われたことなんか気にするな! 奴らはもういないんだ」

「そうね、イグニスが消してくれたんだもの」

「悪いのは四騎士だ。奴らが来なければウェントゥスが死ぬことはなかった」

 筋肉質な青年が快活な笑顔を返した。


 怪しげな艶のある細身の青年が視線を奥に向ける。

「僕は彼にも責任があると思うな。傭兵マークスマン"埋み火の"ジハル、お前がついていて四騎士の何故侵入を許したの?」



 少し離れた場所に男がいた。ジハルは華麗な三人とは毛色の違う、粗野な佇まいだった。

 日に焼けた顔には干魃地帯の土のようなひび割れた傷痕がある。赤いシャツを留めるサスペンダーには数多の武器が提がっていた。


「俺の仕事は万一の際、証拠を持ち帰って女帝殿に伝えることだ。それ以上は追加料金だな」

「馬鹿にしてるの? 僕のミリアムを悲しませて……」

「やめてちょうだい、アクァ。彼の言う通りよ」


 女がふたりの間に割って入る。アクァと呼ばれた青年がたじろいだ。

「ミリアムが言うなら仕方ないけど……」

 白刃が蒸気を切り裂き、ジハルの胸から血煙が噴き上がった。

「アクァ!」

「どうせ死なないさ」


 ジハルは血を吐きながら胸を押さえると、コートの襟を閉じるように傷口を掻き合わせた。皮膚が泡立ち、瞬く間に傷が塞がった。

「ひでえや、痛みがない訳じゃないだぜ?」

「もう一撃ほしいの?」

 アクァが血塗れのナイフを構えたとき、重厚な靴音が響いた。


「騒がしいな」

 白い蒸気から漆黒が滲む。黒い長髪と黒い外套を纏った、彫刻じみた無機質な美丈夫が現れた。

 三人の配下が一斉に膝をついた。


「エーテル……」

 男はミリアムの肩を抱き寄せる。

「私の妻が何か?」

 傭兵は肩を竦めた。

万事異常オールライトなしだ。お前さんの様子を見に来たが、そっちも問題なさそうだな」

「それならば早く去れ。久方ぶりの夫婦の時間だ」


 傭兵が音もなく消える。

 ミリアムは細い肩を震わせた。

「大丈夫かしら。殺し屋たちが来るわ」

「任せておけ。もう二度とお前を不幸にしない。私には魔王の遺物がある」


 夫婦は蒸気に溶け込むように抱き合った。

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