殺し屋会議にうってつけの日
白い湖に一滴の藍を混ぜたような未明の空だった。駅前の喫煙所で、トツカは溜息と共に紫煙を吐く。
「四騎士は全員集合と言ったはずですが……何故私以外誰もいない上にリストラされたお前がいるのですか」
傍のリデリックは細巻きの煙草を片手に微笑んだ。
「誰も来ないだろうと思ってね」
トツカは頭痛を堪えるようにこめかみを擦った。
「まったく……フレイアンは何処です。腐っても四騎士の最古参でしょう」
「返信がなかった。また泥酔しているんだろうね」
「あの女の暮らしぶりは悍ましいものです。酒浸りでいつ吐いてもいいようにユニットバスに住んでいるとか」
「合理的じゃないか」
「どこがですか。浴槽で酒缶の巨壁ができているのですよ。夫が死んでから何年経ったのやら。いい加減立ち直るべきです」
トツカは苛立ち混じりに煙草を揉む。
「キーダは?」
「手紙すら届かなかったよ」
「また結婚して住所を変えましたね。大方女の家でしょう。殴って引き摺り出さなければ」
リデリックは苦笑した。
「ルーシオはどうしました。お前と入れ替わりに入った男です。真面目だと思っていましたが」
「真っ先に駆けつけてくれたけど道中で通り魔をして今勾留されているよ」
「何ですって?」
「返信があってね。『すまない。衝動を抑えられなかった』と」
「殺し屋が依頼なしに殺したらただの快楽殺人鬼ではないですか」
「プライベートでも仕事熱心と言えるね」
「言えません。刺しますよ」
「彼ならすぐ出てくるさ。他の皆を迎えに行こうじゃないか」
トツカは灰皿を蹴ってから吸殻を捩じ込んだ。
正午、保勇機関の四人はダイナー"勇者の胃袋"の前で立ち尽くしていた。
駐車場には一台の車もなく、窓ガラスは黒と白のタイル床を反射するだけだ。
「貸切か?」
ヴァンダが呟いたとき、扉が開き、店主のヘンケルが不機嫌な顔を出した。
「違う。奴らに怯えて寄り付かないだけだ」
「奴ら?」
「いいから入って金を落とせ。商売あがったりだ」
言われるがまま扉を潜り、エレンシアが眉を顰める。
「命知らずの殺し屋が何に怯えると?」
「そりゃ業界一の命知らずだろうよ」
ヴァンダが奥の座席を指す。赤いビニールのソファの先からリデリックが手を挙げた。
「やあ、おいでよ。今席をくっつけるから」
彼の隣にはトツカが、向かいの席にもうひとつ人影があった。
シモスが慌てて会釈する。
「トツカさん、先日はありがとうございました……」
トツカと向かい合う青年が身を乗り出した。
「シモスくんとお兄さんだよね?」
ロクシーが肩を竦める。
「オレに四騎士の知り合いはいないぜ」
「そっか、君たちからは見えてなかったね。統京劇場で支援した
「ってことは、四騎士のキーダか!」
「そう。"黄一閃"なんて呼ばれてるけどね。よろしく」
キーダは栗色の髪の小柄な男だった。シャツの代わりにタートルネックのセーターを着込んでいる。中性的で幼い顔立ちの右目には薄い青痣があった。
シモスがおずおずと尋ねた。
「その痣は……」
「トツカちゃんにやられたんだよ」
「ちゃんを付けるのはやめなさい。また殴られたいのですか」
「僕が誰と結婚しようが自由じゃないか」
リデリックがふたりを取りなす。
「殺し屋は一般人と結婚した場合家族の安全のために三ヶ月の休暇をもらえる制度があってね」
「このヒモ男はそれを悪用して結婚と離婚を繰り返し、仕事から逃げ続けているのです。何度目ですか」
「バツ七かな?」
「バツ七……」
シモスは呆然と呟き、かぶりを振った。
「四騎士の皆さんが集まってるんですよね? 残りは……」
「今ひとり来ました。案の定酒気帯びです」
トツカが入口を指すと、扉が開き、嗚咽するような女の声が聞こえた。
「ごめん、遅れた……」
左目には武骨な黒眼帯を巻いた女はうっと呻いて屈み込む。店主のヘンケルが大股で歩み寄った。
「吐くな、フレイアン。いくらお前でも追い出すぞ」
女はヘンケルに引き摺られていき、ソファに倒れ込んだ。エレンシアが目を見張る。
「殺し屋界最強と名高い
トツカが小さく舌打ちした。
淵南の出身らしい褐色の肌と灰色の髪を持つフレイアンは、リデリックよりも長身だった。スーツの下の胸元が空いたキャミソールは酒で汚れている。
ヘンケルはテーブルに水のグラスを置いた。
「フレイアンは文字通りの最強だ。俺の代から四騎士を続けている。酒癖は最悪だがな」
「旦那の月命日なんだ……」
「気持ちはわかる。俺も妻に先立たれるなど想像もしたくない」
フレイアンは水を煽って目を瞬かせた。
「ヘンケル、元気だった……? 奥さんと娘さんも……」
「ああ。今は娘を私立の女子校に入れるために稼いでいる。共学では悪い虫がつくからな」
キーダが咥え煙草で口を挟む。
「どうかな。免疫がない方が二十歳超えてろくでもない男に引っかかるよ」
飛来した包丁がテーブルに突き刺さった。
「悪い虫の見本がほざくな」
「喧嘩は良くない……」
フレイアンは震える手で酒のボトルを開けた。トツカが冷たく睨む。
「いい加減呑むのをおやめなさい。最後のひとりが来ましたよ」
扉が開き、長い黒髪をひとつに結んだ青年が姿を現した。
「遅れて失礼、たった今釈放された」
キーダが煙草を挟んだ手を振る。
「ルーシオくん、お疲れ。また不起訴?」
「勿論」
ルーシオの黒子が散った顔は青白く、光のない紫の瞳がどこか病的だった。スーツにカマーベストを纏った身体はひどく痩せていた。
彼が着席すると、リデリックが彼の手をとった。
「会うのは初めてだね。君のことを知りたいな」
ルーシオは微かに笑って手を振り解く。
「"残花"のリデリック、噂はかねがね。だが、生きている人間は俺の守備範囲外だ」
「それは残念、死んだら訃報を届けるよ」
ルーシオは隣席に固まるヴァンダたちに視線を移した。
「保勇機関だな。伝説の"赤い霜"に会えるとは」
「勇者伝説に興味があるのか?」
「俺の前職は図書館司書だからな。ザヴィエの勇者物語は入るたび三桁の予約が来た。俺はドルトーニの戯曲の方が好みだが」
「虐殺や負け戦の陰惨な話ばっかり書く老作家が?」
「そこがいい」
エレンシアが目を細めた。
「
ルーシオが首肯を返す。
シモスが腰を浮かせた。
「僕も知ってます。統京を騒がせた連続猟奇殺人事件の犯人。でも、殺したのは全部人間に擬態した魔王禍だった。影の英雄として四騎士に取り立てられたんですよね」
「そう言われているな」
「違うんですか?」
「俺はただ趣味でひとを殺していただけだ。だが、偶然にも俺の標的は全て魔族だった」
「そんなことがあり得るんですか」
ルーシオは指先でこめかみを叩いた。
「≪勇者の直感≫、無意識に魔族を探知する異能を持つ。これのせいで俺はまだ一度もひとを殺せたことがない」
「でも、殺し屋として統京を守って……」
「本当は魔王禍に就こうかと思ったが、魔族を殺しすぎて叶わなかったんだ。気づいたら四騎士に任命されていた」
ロクシーが絶句するシモスの袖を引く。
「奴に近寄るなよ」
「大丈夫だよ。ルーシオくんは見境があるだから」
「キーダ、アンタは快楽殺人鬼が近くにいていいのか?」
「別に? よく仕事帰り一緒に食事したり本屋に行ったりするよね」
唖然としていたエレンシアの肩をヴァンダが叩く。
「言ったろ。四騎士は異常者の塊だ」
厨房から規則的な刃物の音が響き、油の匂いと湯気が流れ出した。
リデリックが手を打つ。
「全員揃ったことだし、始めようか。作戦会議だ」
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