餓狼剣
背中の鈍痛とと不快な熱で、シモスは意識を取り戻した。
「起きてくださいまし……」
肩に硬い感触を覚えた。シモスが目を開くと、サラサが不安げに覗き込んでいた。彼女の手は鉄を入れた手袋のように硬かった。
「よかった、目が覚めなかったらどうしようかと……」
シモスは痺れの走る頭を抱える。辺りは暗闇だった。
「……サラサさん、手袋か何かしていますか?」
「いえ、何故……?」
「何を寝ぼけているのだ!」
ジェサの大声がシモスの頭蓋を揺らした。
「ここは……」
身を起こしたシモスの後頭部を天井が打った。ひどく狭い洞窟のような場所に閉じ込められているらしい。
暗闇に目が慣れると、ジェサの姿が見えた。
「何があったんですか」
「貧民窟のコンテナが急に動き出し、巻き込まれたと思ったらこの様だ。拘束されてはいないが、武器は奪われている」
「
「サラサさんのせいじゃありませんよ。ここは地下でしょうか」
「そのようが、何も見えん」
獣臭に似た熱が立ち込め、土の匂いが際立つ。
サラサが慎ましく言った。
「私、マッチを持っております。明かりをつけましょう」
燐の香りと共に、楕円の灯りが闇を照らす。サラサはマッチを取り落として叫んだ。
「ひどい……」
仄明かりに鉄格子が浮かび上がった。蟻の巣のような土製の牢に、無数の人々が囚われている。皆、青ざめて虚な目で膝を抱えていた。
ジェサが吠える。
「失踪者は皆ここにいたのか!」
「こんな大規模な地下牢、どうやって……」
へたり込んでいたサラサが呟いた。
「
「それは何だ?」
「お師匠様が仰っていました。魔族に使役される土の傀儡です。とても力が強く、建物に紛れ込んだり、内部に人間を捕らえることもできると……」
シモスは乾いた唇を舐める。
「ヴィカス通りの壁に土傀が紛れていたんですね。コンテナに擬態して近づく人間を捕まえたんだ。ルービックキューブのように道を組み替えてしまえば跡形も残らない」
「まさに人喰い横丁だな。土傀を操っている奴の目的は何だ?」
「そこまでは……」
マッチが燃え尽き、暗闇が押し寄せた。静寂の中、荒い息や啜り泣きの声が反響する。
サラサが声を震わせる。
「義兄様はご無事でしょうか」
「グレイヴ殿が死ぬ訳ないだろう! シモスも言ってやれ!」
「僕もそう思います。犯人が誰であれ、聖騎士庁の戦術顧問は生かしておいた方が有利に運びますから……」
「言い方を考えろ! 思考回路が犯罪者だぞ!」
ギンッと、背骨を打たれたような鋭い音に三人は身を竦ませる。
鉄格子の向こうに闇に溶け込む影があった。
「お前さんたち、グレイヴと知り合いか?」
砂漠で何年も過ごしたような、掠れた男の声だった。姿は見えないが、爛々と輝く両目と咥え煙草の火が、三点の赤い光を作っていた。
男は鉄格子に腕をかけて中を覗き込んだ。
「奴に会わせてやろうと思ったんだがな」
「グレイヴ殿に何をした!」
ジェサが猛然と掴みかかる。男は噛みつかれる寸前に腕を引いた。
「おっかねえな。あいつは生きてる、安心しな」
「本当か?」
「どの道三人のうち誰かしら来てもらうぜ。女王様のご命令だ」
「
新たに現れた別の男の声に、シモスが目を見張る。
「その声、コンテナの上にいた奴か……」
「そういうお前は切り掛かってきたイカレ野郎か」
闇中に火花が散り、シモスは呻きを上げた。鞘付きの刀で打たれた額に新鮮な痛みが走る。
「シモス、大丈夫か!」
ジェサはシモスを庇って鉄格子を睨んだ。
「連れて行くなら私にしろ!」
「お待ちください」
サラサが蚊の鳴くような声で遮った。彼女は震えながら男たちを見据える。
「私はグレイヴの義妹です。私が行きます。だから、ジェサ様に手を出さないで……」
「サラサ、馬鹿なことを言うな!」
傭兵と呼ばれた男は乾いた声で笑った。
「仲が良いんだな。だったらこうしよう。全員だ」
両手を縛られた三人は、軽微な武装で固めた兵士たちに囲まれて歩き出した。
真っ暗な道は壁も床も凹凸が多く、空気は湿って蒸し暑い。獣に呑まれて喉を下っている錯覚すら覚てるようだ。時折、鼓動の音と共に赤い光が脈動し、道をよけいに禍々しく見せる。
ジェサが怯えを隠して声を張り上げた。
「我々に何をするつもりだ!」
「乱暴はしねえさ。その辺は女王様が厳しいからな」
傭兵が軽く答えた。
「一箇所小さい穴が空いちまって、修復するには女子どもがちょうどいいんだよ」
「何の話だ!」
「お前さんたちの読みは正解だ。うちは土傀を使役してる。土傀の動力、炉心の部分に人間が必要なんだよ」
「攫ったひとを取り込ませていたのか!」
先程シモスを殴りつけた男が嘲笑った。彼が腰に佩びた薄刃刀がガチャガチャ鳴った。
「聖騎士庁はお人好しの馬鹿ばかりだな」
「何だと?」
「グレイヴって男も同じようにキレたよ。奴が調査に来たときは焦ったが、あいつ、貧民どもを助けるために自分から土傀に飛び込んだんだぜ」
「義兄様が……」
サラサが俯く。シモスは兵士に引きずられながら呻き声を漏らした。
先頭を歩く傭兵が道を開けた。
「着いたぜ。と言っても、俺は雇われ人だから中には入れねえんだよな。ここからは企業秘密だとよ」
前方には土砂を堰き止めたような土の扉が聳え、重厚な駆動音と熱が漏れていた。
傭兵が闇に消え、薄刃刀を帯びた男がサラサの肩を掴む。
「お前から来い」
「サラサに触るな!」
叫んだジェサが両脇から抑え込まれて沈む。
「お前が逆らったらグレイヴの骨を折る。グレイヴが逆らったらお前の骨を折る。いい条件だろ」
サラサは身を竦めた直後、妙な動きをした。縛られた手首を口元に持っていき、荒縄を舐めるような動作だった。彼女の口腔の奥が鈍く光った。
「義妹が人質ならグレイヴも従うだろう。役に立てよ」
「この先に義兄様がいるのですね……」
サラサは背筋を伸ばし、肩を掴む男の手を払った。
「案内御苦労、下がってよろしい」
鋼のような冷たく硬い声だった。
「何?」
男が困惑混じりの嘲笑を浮かべる。サラサは低い溜息を吐いた。
「下がれませんか。では、……」
サラサが手首を翻し、銀の風が虚空を斬り裂いた。
「首だけ置いて下がりなさい」
男の身体がその場に崩れ落ちる。
その場にいた全員が目視できたのは、サラサが右手に携えた刀に男の首が乗っていることだけだった。
彼女の手首から縄が解けたのも、男の腰から薄刃刀を抜き取り、返す刃で首を一閃したのも、誰も見えなかった。
「てめえ!」
兵士のひとりが叫びながらボウガンを向ける。女は素早く刀を鞘に収め、再び抜き去ると同時に刀身で矢を弾いた。木矢の破片が兵士の目を貫く。
奥から槍を持った兵士が駆けてきた。女は地に落ちた首を一瞥し、爪先で蹴り上げた。
兵士が突き出した短槍は、女に届く前に生首に刺さる。女は重心を落とし、槍兵の腹を両断した。
シモスは咄嗟に叫んだ。
「後ろ!」
女の背後に拳銃を構える男がいた。女は振り向きもせず刀を後ろに突き出す。刃は男の手首と引鉄にかけた指を切断し、喉笛を裂いた。
女は刀を下ろし、血の海に唾を吐く。小さな剃刀の刃が地面に落ちた。
「武器を奪って満足し、口内も調べないとは……」
女は服の袂からマッチを取り出し、煙草に火をつける。炎が血塗れの横顔を照らす。女は深く煙を吐いてから、シモスとジェサを見た。
「ああ、忘れていました」
刃が翻り、ふたりの手首を縛る縄が切れた。
シモスは呆然と彼女を見返す。
「サラサ、さん……ですよね?」
「違います」
女は冷淡に告げ、吸殻を地面に捨てた。
彼女はシモスたちに構わず土の扉を何度か叩いて見聞する。
「兵はひとり。この程度ならなまくらでも充分ですね」
女は刀を背負い、叩きつけるように振り下ろした。
土の巨壁がぬるりと傾いた。
扉と共に内側に構えていた兵士が真っ二つに斬り裂かれ、土砂と血と臓物が左右に飛び散る。
視界が切り開かれた。
兵士たちが突然の乱入者に慌てふためく中、縛られたグレイヴが目を見開く。
「師匠……!」
ジェサが叫んだ。
「グレイヴ殿! ご無事で……師匠!?」
「まったく、愚かな弟子を持つと苦労します」
女は警備の兵を一瞬で斬り伏せ、剣より鋭い瞳でグレイヴを見下ろした。
「慮外者め。人助けだ何だと胡乱なことにかまけているからこうなるのですよ。私のように敵を斬り、剣の道を極めればよいものを」
「普通は逆です」
グレイヴは暗澹たる声で返した。
駆けつけた兵士たちが女を取り囲む。
「誰だお前は……」
「
女は壮絶な笑みを浮かべた。
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