人喰い横丁でつかまえて

 シモスとジェサは貧民窟の巨壁を見つめた。

「何だこれは……」


 ジェサが唖然として呟く。積み上がった色とりどりのコンテナは扉が開け放たれ、衣服や植木鉢が垂れている。

「倉庫ではないのか?」

「コンテナを家屋に改造するひともいるんです。アパートを借りるより安いので……」

「違法だろう! あんなに積んで崩れたらどうする!」

「いつかの事故より今日の寝床が大事なひともいるんですよ」

 ジェサは考え込み、やがて顔を上げた。

「事情があるのだな……報告は後回しだ! 行くぞ、殺し屋!」

「待ってください……」



 ふたりは複雑な路地を曲がり、裏通りの娼館に出た。

 空に女の脚を模した猥雑な看板と、翼を生やした馬のネオンが突き出している。娼館らしい。

「あの看板、聖騎士庁のモチーフに似ているな。無許可で真似をしたのか? 報告しなくては!」

「誰が描いてもあんな感じになりますよ」

「些事にかまっても仕方ないか。早速調査を……」



 ジェサの真上に、棒に括り付けられたバケツが垂れた。

「ジェサさん、上!」

 シモスが叫ぶより早く、遥か上のコンテナから汚水が降り注いだ。灰色に濁った飛沫を浴びたジェサが唸る。


「何て街だ!」

「こういうところは気をつけなきゃ駄目です。使ってください」

 ハンカチを取り出すシモスに、ジェサは目を瞬かせた。

「……殺し屋にもお前のような奴がいるのだな」

「どういうことですか?」

「紳士的だと褒めてやったんだ。先生には遠く及ばないがな!」

「ありがとうございます……あっ!」



 シモスは急に目の色を変え、大剣を振り抜いた。刃がジェサの真横を掠め、娼館の前に積まれた木箱が砕ける。

「何をするんだ!」

「非常口の前に物を置くのは消防法違法です……」

「お前の怒りの沸点がわからないぞ……」


 シモスは我に返り、大剣を収めた。

「すみません、いつもこうなんです。犯罪を見かけると我を見失ってしまって……」

「昔からか?」

「≪勇者の欠片≫の影響ですが、僕自身の問題です」

 踵を返したシモスをジェサが慌てて追う。



「急に歩き出すな! 足が早い!」

「すみません。でも、一緒にいない方がいいです。ここは犯罪の巣窟だから、また僕がおかしくなるかも……」

「何故恥じる? 犯罪を許さないのは正義だろう!」

「僕に正義なんてありませんよ」


 シモスは足を止める。踵が水溜りに浸かり、汚水を吸った毛布と割れた酒瓶が波紋で揺れた。


「ジェサさんは皆を守るために戦ってるんですよね」

聖女セイントとして当然だ!」

「僕は違う。怒りが抑えられないだけだ。犯罪も、敵も、見たら頭が真っ赤になって……これじゃ魔族と同じです」

「どこが魔族だ! 悪を滅ぼし、仲間を守るのが騎士道だぞ!疚しいことなどないだろう!」

 シモスは伏し目がちに笑う。

「貴女は優しいんですね。強くて、真っ直ぐで、羨ましいです」


 ジェサは火がついたように顔を赤くし、慌てて手を振った。

「……お前は見る目があるな! エレンシアにも見習わせたい!そうだ、お前は善人だから殺し屋なんて向いてないぞ! 聖騎士庁に来い! 私の弟子にしてやる!」

「考えておきます……」

 シモスは苦笑する。



 針金のような階段と雨除けのパラソルが生えた壁が、傾き出した陽を反射していた。

「でも、グレイヴさんの手がかりがまるでないですね」

「そうだな。怪しい連中も罠も見かけない。グレイヴ殿が生半可な奴に負けると思えないが……」



 会話を遮るように、細い声が響いた。

「もし、お二方……」

 シモスとジェサは剣に手をかける。


 コンテナの影から現れたのは、見たことのない女だった。彼女は不安げにふたりを伺う。


「グレイヴを、義兄様にいさまをご存知なのですか?」

「私は聖騎士庁の兵士だ! お前は何者だ!」

「聖騎士庁……まあ、よかった……!」

 女は憂いを帯びた顔を綻ばせ、ふたりに歩み寄った。

わたくし、淵東から参りました。グレイヴの義妹、サラサと申します!」

「グレイヴさんの……」


 シモスは彼女を眺める。嫋やかな振る舞いに反して、漆黒の長い黒髪も、熱した鋼のような輝きの瞳も、どこか硬質な印象だった。

 薄いローブのような服を幅広な布状のベルトで締めた服装も、淵東の民族衣装に相違ない。


 サラサと名乗った女ははっとして身を引いた。

「私ったら、はしたないですね。ごめんなさい。統京に来るのは初めてで、恐ろしい場所で、ずっと不安で……」

 ジェサは涙ぐむサラサの肩を叩く。

「安心しろ! 私はグレイヴ殿の戦友だ! お前を守り抜き、義兄の元に届けてやろう!」

「まあ、頼もしい」


 シモスがジェサに囁いた。

「信用していいんでしょうか」

「こんなにか弱い娘が何を企むというのだ!」

「でも……」

「疑い深い奴だな! 私が確かめる!」


 ジェサは路地の向こうにサラサを連れ出した。

 ふたりが言葉を交わす間、シモスはコンテナの巨壁を見つめていた。目を凝らすと、それぞれの側面に歪な短い線が引かれているのがわかった。

「何だこれ……」



 シモスが呟いたとき、ジェサとサラサが戻ってきた。

「確かめてきたぞ。どの情報もグレイヴ殿の話と相違ない」

「そうですか……疑ってすみません」

「お構いなく。誰も私を知らないのですもの。義兄様は危険だからと統京に呼んでくださらないのです」


 サラサは控えめに微笑む。彼女は布に包んだ棒状の何かを携えていた。

「それは?」

「……魔剣です。義兄様のお師匠様から託されたのです」

「師匠って、四騎士の?」

「はい。義兄様が失踪したと聞いて、お師匠様がこれを渡して来いと」

「それだけか? 薄情だな!」

「サラサさんは剣を使ったことは?」

「ございません……」


 サラサは剣を抱きしめて俯く。ジェサが鼻息を荒くした。

「非戦闘要員に魔剣を持たせてこんな場所に送るなど、何て非道な! きっと悪鬼のような偏屈爺さんなのだろう! グレイヴ殿が語りたがらない訳だ!」

「まあ、義兄様がそんなことを……?」

 サラサは微かに微笑んだ。



 三人は連れ立って歩きながら、更に入り組んだ区画に向かった。

 テントを歪に張った寝台がコンテナから突き出し、いよいよ住居と壁の境がない。


「シモス、深入りしすぎだぞ。何か当てがあるのか?」

「気になることが……あ、ここもだ。たまにコンテナに変な線が引いてあるんです」

 シモスは錆びついたコンテナを指した。ジェサとサラサが仰ぎ見る。


「やけに短くて不揃いだな」

「……私にはまるで一列に並んだコンテナに直線を引いて、バラバラに置き直したように見えます」

「確かにそう見えます。でも、どうして……」



 そのとき、四方から地鳴りのような音が響き出した。

 突如コンテナの群れが戦慄き、震え出す。上から鉢植えが落下し、泥を撒き散らして砕けた。次いで、パラソルや寝台代わりのボードが次々とぬかるんだ土に突き刺さる。


 三人は転がるように壁から距離を取った。

「コンテナが崩れる! 私の言った通りじゃないか!」

「お二方、あれを!」


 サラサが悲鳴を上げた。彼女の震える指の先は、コンテナの上部に蠢く人影を指していた。

「奴らが揺らしているのか!」

「わかりません、でも、何故……」

 シモスは奥歯を軋ませた。

「理由なら……腕一二本落としてからでも聞ける!」



 泥道が爆ぜるような跳躍だった。シモスは歪に迫り出したコンテナを一気に駆け上がる。

 落下した看板の残骸を蹴り抜き、シモスはコンテナの上に舞い上がった。


 隠れていた男が叫ぶ。

「やべえ、早く動かせ!」

 シモスが大剣を振り上げた瞬間、周囲から闇が迫った。

「何が……!」


 状況を理解する間もなく、シモスの周りを何かが取り囲む。それは、意志を持ったように自動したコンテナの群れだった。

「シモス!」


 ジェサの叫びが掻き消され、シモスは堅牢な闇に閉ざされた。

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