好き好き大好き超殺してる。
ヴァンダとエレンシアが辿り着いた頃には、白亜の聖騎士庁が夕陽で深紅に染まっていた。
奥の応接間へと進みながら、エレンシアがヴァンダに囁く。
「次期四騎士候補と目される殺し屋といえば……」
「何人か思い当たるが、ギルドマスターなら"荊の鉤"ムエルだろうな。鞭使いのイカれたサディスト女だ」
「確かにまともではなさそうですね」
分厚い扉の先からスターンのくぐもった悲鳴が聞こえた。ふたりは視線を交わし、真鍮の戸を押す。
「スターン、何故悲鳴を上げるの?」
「そ、それは君が首を絞めるから……」
椅子から転げ落ちそうなほど仰け反ったスターンの膝に女がのしかかっていた。暗褐色の髪を緩く巻いた上品な容姿とは裏腹に、彼女の手には鋼鉄の鞭が握られている。
「許嫁と会えたなら嬉しいでしょう? 何故笑わないの?」
「そんな、婚約自体が子どもの頃の冗談で……」
鉄の鞭が真空を打った。
「笑いなさい、五秒以内に」
スターンは頰を引き攣らせる。
「助けてください、グレイヴさん!」
「その男誰よ!」
ヴァンダとエレンシアは扉の前で立ち尽くしていた。
「帰っていいと思いますか?」
「思う」
ふたりに気づいたスターンが震える声を上げた。
「帰らないでください!」
女は漸くスターンの膝から降りて隣に座ると、相対するヴァンダとエレンシアに向けて咳払いした。
「保勇機関の皆様、お待ちしていましたわ。私は
「外堀から固めるのやめてください……」
スターンはムエルの鋭い視線を食らって身を竦める。
エレンシアは差し出された茶のカップを片手に言った。
「我々にどういう御用でしょうか」
「お恥ずかしい話だけど、困っているの」
ムエルは端正な顔を曇らせた。
「ここ半月、私の部下たちが相次いで失踪しているのよ。既に九人が帰っていないわ」
ヴァンダは眉間に皺を寄せた。
「失踪? 離脱でも殺された訳でもなく?」
「ええ。私の鍛えた部下が誘拐されるとは思えない。私に対する叛逆や、対立するギルドか魔王禍の宣戦布告でもなかったわ」
「何故そう言える?」
「調査の結果、最近の統京では謎の失踪事件が頻発していることがわかったの。最も被害が多いのは私の部下だけど」
エレンシアはカップに唇をつける。
「事態の深刻さを考えるに、四騎士に頼るべき案件では?」
「私もそう言ってるんですけどね……」
項垂れるスターンの脇腹をムエルが小突く。
「聖騎士庁ができたのにいつまで四騎士に頼るつもり? 貴方の功績にできるよう話を持ってきてあげたのよ」
応接間の扉が開き、グレイヴが姿を現した。
「それなら早急に動くべきだな。既に四騎士のひとりが動いている」
「グレイヴさん!」
嬉しげなスターンをムエルが再び睨む。
エレンシアは片眉を吊り上げた。
「確かな情報ですか?」
「ああ、何せ本人からの報せだ」
「四騎士が聖騎士に連絡を? どういうことです」
グレイヴはなめし革のような褐色の顔に沈鬱な色を浮かべた。
「現四騎士の一柱と私的な繋がりがある。詳しい話は外でする」
「いいでしょう」
ヴァンダとエレンシアが腰を上げる。ムエルは陰険な目つきでグレイヴを見上げた。
「貴方にだけは負けなくてよ……」
「何の話だ……」
スターンも席を立とうとしたが、許嫁に腕を掴まれて叶わなかった。
庭に出ると、模擬戦用の鎧に夕空を映した兵士たちが隊舎へ戻っていくところだった。
稽古を終えたばかりのジェサが人波を抜けて駆けてくる。
「殺し屋ども、来たのか!」
エレンシアは微笑を返した。
「攻撃を受けても目を瞑らないようになりましたか?」
「いつの話だ! 私は先生と日々進歩しているんだぞ!」
彼女の背後からリデリックが手を振った。先の戦いで負った傷は跡形もなく、左目の下には新しい花の刺青があった。
「リデリック、もう動けるのか?」
「勿論。元通りさ」
「……笑うと左目蓋が引き攣るな。麻痺が残ってるだろ」
ジェサが驚きと悲しみの表情を同時に浮かべる。
「先生、そうなのですか」
リデリックは苦笑した。
「敵わないな。気づいたのはヴァンダだけだよ」
「言ってもしょうがねえな。どんだけ怪我してもまた戦うんだろ」
ヴァンダは氷のように冷えたベンチに腰を下ろした。
「それより、グレイヴ。何でわざわざ場所を移した」
「聖騎士庁の内部で四騎士との繋がりが広まるとよくないからな。スターン長官の兄上が最近ひりついてる。彼の手駒も多い部署の中より庭の方が安全だ」
グレイヴは寒風に顔を顰め、手で覆いを作って煙草に火をつけた。エレンシアは肩を竦める。
「で、私的な繋がりとは?」
「四騎士の一柱、"錆切り"は俺と同じ
「あの"錆切り"が?」
ヴァンダが僅かに目を見張る。
ジェサが呻きを上げた。
「高潔なグレイヴ殿と悪辣な殺し屋との繋がりがあったとは……先生はご存知でしたか?」
「初耳だ。でも、"錆切り"も剣の道に生きる、高潔で美しいひとだよ」
「物は言いようだな。師匠は剣以外の人間に必要な諸々が抜け落ちてる」
グレイヴは靡く煙に目を細めた。
「前も少し話したが、俺は淵南で魔王禍に焼け出された孤児だった。統京の同じように淵東から逃げてきたサラサという少女と会った」
エレンシアが言葉を挟む。
「淵東というと、独自の剣術が発展した国ですね」
「そうだ。当時、殺し屋も社会福祉に貢献すべきという動きがあってな。その一環で孤児を引き取ることもあった。師匠は弟子として育成するつもりでサラサを選んだ」
「ですが、貴方が弟子に?」
「サラサが俺がいなきゃ行かないと泣きついて、一緒に引き取られたんだ。サラサは蟲も殺せない娘だった。代わりに俺が剣を学んだ」
ジェサが目を輝かせた。
「先生と私のような関係ですね!」
「いや……俺はあのひとに鍛えられたというより、あのひとのせいで強くならざるを得なかった」
グレイヴは渋い顔をする。
「学生の頃は出自のせいで揶揄われることもあってな。俺は気に留めなかったがサラサが師匠に相談したんだ。すると、師匠は俺に録音機を渡した」
「証拠を残すのですね!」
「違う。あのひとはその後、模擬刀を押しつけてこれで全員ぶちのめせと言った」
「録音機の意味は?」
「奴らの命乞いを録音して自分に聞かせろと」
「犯罪者ではありませんか!」
ヴァンダはかぶりを振った。
「四騎士ってのはそういう連中だ。それで、お師さんは何て言ってきた、グレイヴ?」
「電報が届いた。要約すると、『何をぐずぐずしている、聖騎士庁だ何だとほざくなら早く解決してこい、殺すぞ』とのことだ」
ジェサが「鬼のようですね……」と唇を曲げる。グレイヴは靴底で煙草の火を揉み消した。
「どの道俺が出向くつもりだった。リデリックとジェサはまだ休養が必要だからな。今夜から調査にあたる」
ヴァンダはエレンシアにだけ聞こえるように囁いた。
「きな臭い話になってきたな」
「どの陣営が、ですか?」
「……全部だよ」
凍てつく風が落ち葉を巻き上げ、グレイヴの足跡を消した。夜の帳が下りる。
グレイヴが消息を絶ったとの知らせが保勇機関に舞い込んだのは、二日後のことだった。
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