標的:女帝
ダイナーで朝食を
夢中の光景は闇だった。
魔王に破壊され尽くした街には街灯ひとつなく、指先も見えない夜闇が広がっていた。
そして、ヴァンダもその闇に溶け込む黒一色を纏っていた。闇討ちに向き、返り血も目立たない黒は暗殺者として最適だと思っていた。
ヴァンダが山刀の刃を拭ったとき、目の前に炎より眩しい赤が現れた。
「ヴァンダ、何してたんだよ」
勇者ワヤンは今まで見たことがないほど険しい目つきをしていた。ヴァンダは今でもそのときの感情を覚えている。軽蔑された。それに傷つくほど自分に人間味が残っていたことに驚いた。
「何でもねえよ」
「ひとを殺してきたんだろ」
「……ああ、奴らは金目当てに魔族に加担してやがった。お前のことも売るつもりだったぜ」
「だったら、相談してくれれば……!」
「お前にひとを殺せるか?」
勇者が言葉を飲み込んだ隙に、ヴァンダは踵を返す。
「安心しな。お前の手まで汚す気はねえよ。全部終わったら俺は消える。それまで辛抱しな」
瓦礫を蹴る音が響き、駆け寄った勇者がヴァンダの腕を掴んだ。
「何でそんなこと言うんだよ!」
「俺みてえなクズは勇者の作った平和な世界に生きられねえ。それだけだ」
「クズでも何でもいいよ! 生きてていいかどうか勝手に決めるなんて、魔王のやってることと同じだ」
震える怒声に、ヴァンダは息を呑む。
「おれはヴァンダをクズなんて思わない。今だっておれのためにやってくれたことだし。ひと殺しはよくないけど、やめてほしいけど……」
ワヤンは泣きそうな顔で俯いた。
「おれは生きるために魔族に味方したひとをたくさん見た。魔族に味方しそうだって理由でひとが殺されるところも……平和って良いひとだけの世界じゃないんだ。クズでも生きてていい、何度間違ってもやり直せることなんだよ」
金の瞳がヴァンダを見据える。光ひとつない闇の中で、双眸の眩しさにヴァンダは息を呑んだ。
***
目覚めたのは、最早廃ホテルの一室だった。
「クズでも生きてていい世界か……」
ヴァンダは深く息を吐き、ベッドから立ち上がる。煙草を手に取り、窓を開けると、寒々しい森と錆びたメリーゴーランドが目に入った。
「勇者、お望み通り今の世界は割とクズばっかりだぜ」
「何の話ですか?」
隣室のベランダからエレンシアが顔を覗かせる。
「早起きだな」
「誰かの性分が移ったようです」
ヴァンダは面食らいつつ、煙草を歯に挟んだ。室外機に腰書けるエレンシアの手元に、いつもの本はない。
王族の末裔と吸血鬼の少女を殺してから勇者物語を読んでいないことをヴァンダは気づいていた。
「さっきのは、昔勇者が言ってたんだよ。平和ってのは善人だけの世界じゃなく、クズでも生きてていい世界だってな」
「……勇者は悪意を知らない訳ではない、知った上で他人を信じるひとだったのですね」
「賢いな」
「……私は伝聞と物語でしか勇者を知りません。本当は父から直接聞きたかった」
エレンシアは空を見上げ、寝癖の残る髪を弄んだ。光の粒が赤毛に絡んだ。ヴァンダが何か言う前に、彼女は手を差し出した。
「一本寄越しなさい」
「煙草をか?」
「他に何がありますか」
ヴァンダは渋々煙草を差し出す。エレンシアが唇に挟むと、ヴァンダはライターの火を近づけた。
「細く息を吸えよ。じゃないと火がつかねえ」
「なるほど……」
エレンシアは音を立てた息を吸い、盛大に噎せた。ヴァンダは柵から手を伸ばして背中を摩る。
「大丈夫かよ。何だって急に……」
「せめて煙草くらいは直接誰かに教わってもいいでしょう?」
「勇者が生きてたらぶん殴られそうだ」
ヴァンダは目を伏せる。エレンシアは涙目で微笑んだ。
「今日はダイナーに生きますよ。戦勝祝いと情報交換です」
「好きにしてくれ」
二筋の煙が朝霞に溶けた。
ロクシーとシモスが合流し、ダイナー"勇者の胃袋"に着いた頃には、陽は高く昇っていた。
ガラス窓に映る赤の客席は無人だった。
ヴァンダが扉を押すなり、出刃包丁が弾丸のような速度で飛来した。ヴァンダは中指と薬指で刃を受け止める。
「何て店だよ」
「避けるな、一度死ね……」
厨房から真っ白な料理人服の男が現れる。料理人にしては長い髪をひとつに纏め、鼻に横一文字の傷跡のある壮年。ダイナーの店主、ヘンケルだった。
「"赤い霜"、俺の名前を騙ったな……」
「そういやそうだったな」
不安げに目を泳がせたシモスにエレンシアが囁く。
「先の劇場での戦いでヴァンダが偽名として彼の名を使ったんですよ」
「そんな……」
ロクシーは呆れてサングラスを押し上げた。
「命知らずだな」
ヘンケルは大股でヴァンダに歩み寄り、出刃包丁を奪った。
「妻に殺し屋稼業からは足を洗うと約束したんだ。お前のせいで誤解されたらどう責任を取る?」
「悪かった、勘弁してくれ」
「……"赤い霜"に名前を使われるのは殺し屋の名誉だろうな。それに免じて許してやるが」
ヘンケルは手にした包丁を翻す。
「それも想定済みなら気に食わん」
「想定してねえよ……」
ヴァンダが仰け反ると、ヘンケルは背を向けて厨房に帰っていった。
四人はいつも通り奥の座席に座る。ジュークボックスから陰鬱な音楽が流れ出した。
シモスは声を潜めた。
「ここの店主さんってすごく強そうですよね……」
ヴァンダは灰皿を引き寄せる。
「そりゃ強えさ。あいつがいるから血の気の多い殺し屋どもが店で暴れねえんだ。何たって元四騎士だからな」
「四騎士って……」
エレンシアが頷いた。
「各ギルドから選出された殺し屋界最強の四柱です。魔王禍狩りの要って訳だ」
「すごいひとだったんですね……」
ヴァンダは煙草片手に言う。
「四騎士の歴史は勇者時代からだ。魔王の進撃で生存圏が縮小した人類は王都、今の統京に集まった。だが、王都の辺境にも土地があるだろ? シモスなら学校で習ったか」
「少し……淵南とか淵東とかの四淵ですよね」
「そうだ。防衛線の要になる四淵の国境にはそれぞれ最強の四淵騎士が選出されて守護を任されたんだよ」
ロクシーはヴァンダが煙草に火をつけるのを待って灰皿を自分に寄せた。
「今でも四騎士は全てのギルドがお手上げの案件に召集される。今の業界トップの連中だ」
「頭のおかしさも最高レベルだけどな。異常者揃いの殺し屋でトップってのはそういうことだ」
「そういうアンタもお声がかかったんじゃないか、"赤い霜"?」
「かかったが、断ってたな」
エレンシアが眉を顰める。
「何故です? 元四騎士が入れば保勇機関にも箔がついたというのに」
「パーティなんぞ組むのは二度と御免だと思ってたんだよ」
ヴァンダは煙を吐いた。
「しつこい勧誘で家に乗り込まれたこともあったがな」
「大丈夫でしたか?」
「組織に入れる精神状態じゃないって証明するために、勇者との出会いから旅の終わりまで延々と話し続けたら二時間で帰って行った」
「呆けを悪用していますね、お爺ちゃん……」
シモスは座席で身を縮めてながら聞いた。
「でも、普通四騎士って殺し屋の憧れじゃないですか? 今の四騎士を倒して入れ替わろうとしたひともいるって聞きます」
「なりたいなんて奴は憧れの線を超えられねえ。四騎士になるようなイカレ共は気づいたらなってたって奴だ。執着もねえ。そうだろ?」
ヴァンダはちょうど料理を盆に乗せて現れたヘンケルを仰ぎ見た。
「お前は何で辞めた、"黒飛魚"ヘンケル?」
彼は接客業とは思えない表情で卓上を睥睨した。
「……『マダムの味方』を知っているか?」
男たちが黙り込む中、エレンシアが答える。
「主婦向けの情報誌ですね」
「ああ、その創刊三十周年記念号に載っていた。料理ができない男は熟年離婚率が高いと」
「だから、料理人に?」
「そうだ」
ロクシーがサングラスの奥の目を細める。
「それは嫁さんに任せっきりがマズいって意味で、調理師免許を取れってことじゃないだろ」
「黙れ、これだから独身貴族どもは」
ヘンケルは叩きつけるように皿を置いた。
「他にもだ。家族の時間を取れない、仕事が不定期、全て殺し屋に当て嵌まる。だから、辞めた。クソ名誉如きのために妻子を失ってたまるか。俺は普通の幸せを築く」
ヴァンダは肩を竦めた。
「四騎士と結婚する女が普通か?」
「流石"赤い霜"だ。俺の妻は普通じゃない。統京一の良妻だ」
ヘンケルはそう言い残して去った。
「ほらな、まともじゃねえだろ……」
「よくわかりました……」
厨房の奥から横一文字に飛んできた包丁がヴァンダを掠めて壁に突き刺さった。
「ダーツバーに変えたらどうだ?」
湯気の奥からヘンケルが目だけを覗かせる。
「お前ら、食ったらとっとと聖騎士庁に行け。さっき電話がかかってきた。保勇機関の連中を呼んでほしいとな」
エレンシアが訝しげな顔をする。
「何故です?」
「ある殺し屋ギルドから極秘の案件が入ったそうだ。そこのギルドマスターは次期四騎士候補。殺し屋がいた方が話がスムーズに進むと言うんだろう」
「面倒事の予感しかしねえや」
ヴァンダは深く溜息をついた。
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