殺し屋調査録:軽騎士"残花の"リデリック
私の母は美しいひとだった。
いつも笑っている、優しくて明るいひとだった。
そして、私の父は五人いた。
「リデリック、貴方の好きな白薔薇のケーキを焼いたわ! パパたちが来たらパーティを始めましょう。パパが五人いると、プレゼントもケーキも五倍ね! それって、普通の五倍素敵なパーティになると思わない?」
私の誕生日のたび、毎年母はそう言ったし、その通りだと思った。
父たちは皆、花束とプレゼントを抱えて私の家を訪れた。
航海士の父は統京では手に入らない本や菓子をくれた。教師の父は教本だけでなく、勉強を教えてくれるまでがプレゼントだった。画家の父はその場で私と母を描き、一年毎の肖像を作った。医者の父はほしいものを何でもくれたが、健康に悪い着色料を使ったケーキだけは断られた。
最後のひとりの父はパーティに決して現れなかった。毎年名前のないメッセージカードと商品券や図書券を贈り、「好きなものを買うように」と付け加えた。
父たちは皆、プレゼントを渡すとき、決まって私に耳打ちした。
「ここだけの話、君の本当のお父さんは自分なんだよ」と。
真偽はわからない。皆、当時の母の恋人だった。女性の恋人は三人いたらしいが、四人の母親がいることにはならなくて済んだ。
父たちは私のことを愛してくれたし、母のことも愛していた。母が私と五人の父を平等に愛していることを知っていたから、皆不平を言うものはいなかった。
母は私たちだけではなく、全てのひとを愛していた。
「ママはすぐにひとを好きになっちゃうの。誰が特別なんてない、みんな特別よ。だから、家族を守るように見ず知らずのひとも守りたいの。だって、今は知らなくても、将来家族と同じくらい大好きになるひとかもしれないものね?」
母は必ずその後に付け加えた。
「リデリックは特別中の特別よ」
母は殺し屋だった。
私と同じ銀の髪と、花籠に無数の花を彩るように全ての人間を腕に抱いて守り抜く意志からつけられた二つ名だった。
母は愛に溢れたひとだった。
私が何かに成功したら「貴方は天才よ」と抱きしめくれた。何かに失敗したときは「誰でもあることだわ。それに、挫折を知らないより知っている方が、いつか同じように悲しんでいるひとの慰め方がわかると思わない?」と微笑んだ。
母は赤の他人でも私にするのと同じように愛した。
見ず知らずの子どもも我が子のように守り抜いた。
自分の命を賭けて。
私が十四歳のとき、魔王禍が操る
毒の息で全てを蝕む災厄だった。民間人の被害が予想の半数で済んだのは奇跡だと言われた。
それは、母が最後まで戦場に残り、都民を逃したからだと知った。
私は学校の帰り、病院に駆けつけた。
白い病棟は毒に蝕まれて紫色に変色したひとびとで溢れていた。息を切らせて走るたび、満ちる瘴気が喉を焼いた。
私は最初、母の寝台の前を素通りしかけた。母の白い肌は赤紫色に爛れ、細かった腕や指は二倍に膨れ上がっていたから。
母の病室には毎日無数のひとが訪れた。
父たちや母の恋人たちから見ず知らずのひとまで。あの日守られたという赤子を抱いた女性は、母の寝台に縋って泣いた。母は膨れた指でふたりの頭を撫でた。
皆、病室を出て扉を閉めてから、あんなに変わり果ててと嘆いた。母の銀髪は半分抜け落ちていたが、それでも私は綺麗だと思った。
「リデリック、誰のことも恨まないでね。ママはみんなもこの世界も大好きよ。だから、守りたかったの。世界は大きすぎて私の手から零れ落ちてしまっただけなのよ」
母は寝台に横たわってそう言った。私は見舞いの果物をナイフで剥きながら、母に今でもこの世界が好きかと聞いた。
「勿論よ!」
母はほとんど開かない目蓋を痙攣させて笑った。
「でも、リデリック。貴方の成長が見届けられないのは残念だわ」
母は窓を眺めながら言った。見舞いの花籠で埋め尽くされた窓枠は彼女の人生そのものだった。
「リデリック、たくさんのひとに囲まれて愛して愛されてね。そうしたら、天国からも貴方を見つけやすいもの」
私は頷くので精一杯だった。
「ああ、ママは殺し屋だから天国には行けないかしら」
そんなことはないと言ったつもりだったが、声が詰まって出なかった。
「地獄でも構わないわ。ママはとっても強いから、この世が一番よく見える特等席をぶん取ってやるの。そして、貴方のことをずっと見守ってるから」
母は震える手で私の涙を拭い、最期にいつもの言葉を遺した。
「愛してるわ、リデリック。貴方は特別中の特別よ」
微笑む母の顔は焼け爛れて膨れ上がっていたが、いつものように美しかった。
母の葬儀にはたくさんのひとが訪れた。その後、皆去っていった。
四人の父は私を引き取らなかった。
航海士の父は海の果てにいて、教師の父には既に家庭があった。医者の父は毒龍の襲撃の際に落命していた。画家の父は便りひとつなかった。
私は母と暮らした家で独り住んでいた。母に恩があるひとびとがときどき面倒を見てくれた。学校には行かなくなっていた。
弔問でもらった色とりどりの花が枯れ、皆薄茶色に変わる頃、私の家をひとりの男性が訪れた。
今まで見たことがない五人目の父だった。
そのとき初めてメッセージカードにはなかった父の名を知った。
禿げあがった頭頂部と、鳶茶色の瞳と、顔半分を埋め尽くす濃い髭が思慮深そうな壮年だった。
ウァレリーはキャンプに行くような荷物を抱えて家の扉を潜ると、今日からここに住むと言った。
「未成年が保護者もなく暮らすのは不健全だ。学校にも行け。私は庭にテントを張るから君と母親の思い出の家を汚すことはない。飯の支度のときだけ厨房に入る」
彼はそう畳み掛けた。私はさっそくテントを張り始めたウァレリーを引き留め、家に招いた。
母の遺した陶磁器で花茶を淹れてから、私はウァレリーに言った。貴方の息子ではないかもしれないと。彼はまた無表情に捲し立てた。
「そんなことはどうでもいい。父どうしの意地の張り合いが鬱陶しくて誕生パーティにも行かなかったのだ。私が君の世話をする理由はふたつ。ひとつ目はカトレアへの恩。ふたつ目は君が毎年返してくれるメッセージカードが興味深かったから。それだけだ」
ウァレリーとの共同生活は奇妙だった。
私が学校での評価を伝えると、弔辞でも読むような表情で短く返事をした。
こう言ったことではあまり喜ばないのかと思えば、殺し屋の仕事から帰った後、大量の褒美を買って来た。そのひとつひとつに、私の功績を認めるカードがついていた。
私が学校で恋人を四人作ったと報告したときは苦々しい顔で「そういう形でひとに囲まれるのは如何なものか」と言った。その後、わずかに眉を上げて「母親に似てきた」と言った。
私が殺し屋になると告げたとき、ウァレリーは今まで見たことがないほど辛い顔をした。その頃、彼は左膝に負った怪我でほとんど殺し屋を引退していた。
「私は君を守ってやれない。それでもなるのか」と言った。私は頷いた。
「カトレアに似るのはいい。ただし、最期だけは似るな」
ウァレリーは短くそう告げた。
殺し屋になってから、母の強さが改めてわかった。
私は何度も負けて、何度も傷ついた。
傷を隠すための刺青を増やして帰るたび、ウァレリーは自分が痛みを受けたような顔をした。
それでも、やめることはできなかった。
私は皆が好きだったから。守りたいと思ったから。
殺し屋の中には勇者に憧れる者も多かった。世界を守り抜いた彼には尊敬を覚えた。生きていれば同衾したいと思った。
でも、私の憧れは見たことがない勇者ではなく、母と父だった。
それが変わったのは、私が"残花"の名で呼ばれ始めた頃だった。
戦場に散った血の跡が花弁のように見えるから。私はその名の通り、自分の血溜まりに倒れていた。
赤く塞がった視界で、街は半分しか見えなかった。悲鳴が聞こえていた。まだ逃げていないひとが残っている。
ざり、と土を踏む足音が聞こえた。霞んだ目の中でも鮮明に見える、黒い後ろ姿が映った。全身黒づくめのスーツで髪だけは白い。両手に鈍く光る刃を携えている。殺し屋だが、老人だとわかった。
誰でもいい。私は土に爪を立てて、そのひとの元に這った。
「助け……」
喉が掠れて言葉が出ない。老人は微動だにしなかった。私は声を振り絞った。
「街のひとを助けてほしい……まだ逃げ遅れたひとが……」
老人が初めて振り返った。
「てめえ、そんなズタボロで他人の心配してんのかよ」
研ぎ澄まされた刃のような眼差しが美しいと思った。
「だったら、見捨てられねえな」
老人の振るった山刀が敵を切り刻んだ。細かく寸断された敵の死骸が降り注いだ。まるで赤い霜のように。
彼が勇者と共にあった、生きる伝説、
彼は何度も私の窮地に訪れた。街の勇者像とは似ても似つかない、呆れ果てたような表情で。私の中の勇者の顔だった。
勇者とはどんなひとだったのか。それとなく尋ねるとヴァンダは言った。
「一言で言うと……馬鹿だな」
それから、ヴァンダはいつもの呆れたような顔で口角を上げた。
「だから、お前は向いてるってことだ」
そうありたいと思った。
私に与えられた≪勇者の欠片≫、その力を使うための詠唱を知ったとき、やっと勇者のことがわかった気がした。
彼が世界を守ったのは、ただひたすらに好きでたまらなかったからだろう。私もそうだ。
母と五人の父と、私の中の勇者と、四騎士と、聖騎士庁の面々、それ以外の未だ会ったことのない者も含めた全て。愛され、愛そう。
軽騎士"残花の"リデリック。
保有する欠片は≪勇者の博愛≫。
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