ブラッドサーキュレーター

 伸縮した刃がグレイヴの手元に戻る。鋒には鮮血が付着していた。


 オスカルは脇腹を抑えて呻く。

「勇者の欠片は忌々しいな……!」

 傷口を塞ぐ手の隙間から、赤い腫瘍のような肉が溢れた。ごぼ、と音を立て肉腫が膨れ上がる。


 グレイヴは目を見開いた。

「お前も血魔ダンピールか!」

 放った刺突が紙一重でオスカルを逸れる。オスカルは錆びた手すりを破壊し、真下に身を躍らせた。

「俺の相手はあんたじゃない。あんたの相手も俺じゃないだろ」


 暗闇に声が反響する。グレイヴは背後をかえりみた。

 無数の赤い眼光が煌めいていた。首筋から血を流す劇場スタッフの群れが口々に呻きを上げる。

「助けてください……私は魔物では……」

「外道が」

 グレイヴは唾を吐き捨て、剣を握った。



 ***



 劇は間もなく第二幕に入る。


 特別席のデッカーは独り豪奢な椅子に座し、対岸の都知事夫妻を見つめた。幼い姉弟は両親の膝の上で舞台を眺めている。

 デッカーは染め上げた白髪を掻いた。

「ここからが正念場だな。頼むぜ、ダイル……」


 辺りが闇に包まれた。観客席が期待の沈黙で満ちる。

 静寂を足音が破った。

暗殺者アサシン"赤い霜"ヴァンダか?」


 デッカーは椅子を蹴って振り返った。黒衣のオスカルが血魔の群れを連れて佇んでいた。デッカーは唾を呑み、足の震えを隠して頷く。

「だったら?」

「王家に刃を向けた国賊を処刑する」


 剣を振りかぶったオスカルを強烈な光が襲った。真上から直射した白い閃光にオスカルは爛れた腕で顔を庇った。

「何を……!」

 特別席の上から、照明を操るダイルが現れた。

「超高性能ライトだ! 強化されていても血魔は光に弱いだろ!」


 光が血魔の表皮を焼いて煙を上げる。階下の観客席がざわつき始めた。

「あれは何?」

「今まであんな演出なかったぞ」

「わかった、暗殺者ヴァンダと黒騎士ダークナイトの一騎討ちだ!」

「でも、ヴァンダは老人じゃないか!」

「奴だけは戦後も生き残ったんだよ。悠久を生きる魔物と、栄光を忘れられない人間を象徴してるんだ」


 焼かれた血魔たちが塵に変わる。デッカーは唇を歪め、懐から暗器を取り出した。

「好きに言いやがれ。これで終いだ!」


 閃いたのは白銀のナイフだった。オスカルは咄嗟に身を引き、剣を投擲する。砕けた照明が硝子の雨を降らせた。再び闇が戻った。


「先輩、危ない!」

 デッカーの注意が逸れた隙をつき、オスカルは落下した剣を掴んで振りかぶった。

 刃がデッカーの肩を裂く。目標を逸れたナイフはオスカルの手の甲を掻いただけだった。

「くそ……」

 デッカーは飛び退いて距離を取る。



 観客の喧騒を掻き消す、禍々しい羽音が響いた。オスカルが凶暴に笑う。

「来たか!」

 暗闇に亀裂が入り、二階席の窓が砕け散った。突如差し込んだ光に、黒い両翼が広がった。

「イエリー!」

 吸血鬼ヴァンパイアの少女は血塗れの微笑を浮かべる。

「間に合った……褒めてくれる?」



 観客が再び騒ぎ出す。デッカーは冷汗で滑る手で無線を掴んだ。

「まずい、本命が来た! 聖騎士庁で動ける奴は……」

 イエリーが窓枠を蹴る。巨影が舞い降りた瞬間、特別席の扉が開け放たれた。傷だらけのジェサが剣と盾を掲げ、高らかに叫ぶ。

Fiat justitia天が堕ちようと,ruat caelum正義を執行せよ!」



 劇場が一寸先も見えない闇に塗り潰され、轟音が響き渡った。

 闇中の襲撃犯を膨大な質量が襲い、絡みつき、巻き上げる。それは無数の鎖のようだった。



 オスカルとイエリーは叩きつけられた地面の硬さに呻く。

 肌にひりつく陽の熱さと風の冷たさを感じた。鋼が擦れ合う音が微かに聞こえた。オスカルは盲目のまま叫ぶ。

「イエリー、上だ!」


 視界が開け、黒の両翼を切り裂く二双の刃が翻った。イエリーは翼で山刀を弾き飛ばし、威嚇の咆哮を上げる。


 オスカルは自分が這いつくばる地面を見下ろした。気が遠くなりそうな高度に、オスカルは思わず立ち上がる。

 真下に広がるのは煉瓦造りの屋根。そして、破壊された屋台通りから煙が伸びる地上だった。

「統京劇場の屋根か……!」



 オスカルとイエリーの前にふたりの殺し屋が立っていた。黒いスーツを纏い、山刀を携える男と、燃えるような赤髪を風に靡かせる女だった。


 エレンシアは慇懃に微笑を浮かべる。

「正式に挨拶するのは初めてですね。私が貴方たちの仇敵、勇者の娘で保勇機関の開設者です。そして、こちらが……」

 ヴァンダは口角を上げた。

「新入り、操刀師スライサーヘンケルだ。ヴァンダのところには行かせねえぞ」

「お前らが……」

 オスカルは憎悪の視線を向けた。


 破れた窓から劇場の歓声が溢れ、風に溶ける。

「すごい演出だったね!」

「やっぱり千秋楽は違うな!」

 ヴァンダは肩を竦める。

「呑気な連中だ。修理費は聖騎士庁が持つんだろうな」



 言い終わる前にヴァンダの姿が霞んだ。

 残像が消えるより早く、オスカルを山刀が襲う。咄嗟に凌いだ剣が軋み、青年の肩に刃が食い込んだ。

「くそ、雑魚に構ってる暇は……」

「オスカル!」


 翼をはためかせたイエリーを二発の銃弾が襲った。

 一発が白い頰を掠め、二発目が襤褸のような翼に風穴を開ける。

 エレンシアは銀色のリボルバー銃を構えていた。


 オスカルはヴァンダの刃から逃れながら叫んだ。

「イエリー、気をつけろ! 銀の弾丸を持ってるかもしれない!」

「どうでしょうね」

 エレンシアの放った銃弾が、オスカルの剣を弾いた。彼は煉瓦造りの屋根を蹴り、空中で剣を掴む。



「身体強化だけじゃねえな。血魔になったのかよ」

 オスカルの上に影が振った。彼を凌ぐ高度で跳躍したヴァンダは手首に山刀を滑らせる。

 結晶化した鮮血が刃となって降り注いだ。


 結晶はオスカルの身体を裂き、肉を焼いた。

「≪勇者の血≫か……!」

「ああ、俺は欠片持ちじゃねえ下っ端だがな。特別にボスに分けてもらった」

 ヴァンダは反転し、勢いを乗せてオスカルの喉元に斬り込む。紅い脈の走った翼が山刀を受け止めた。



 魔族と殺し屋は互いに距離を空ける。イエリーが身を震わせて叫んだ。

「人間は、いつも私たちを虐める!」

「そりゃお前らが人間を襲うからな」

「違う、私は殺し屋ギルドで捕まって、血を抜かれてた……オスカルが助けてくれるまでずっと!」

「お気の毒」

 エレンシアは間髪を入れず引鉄を引いた。銃弾がイエリーの右腕に紅を差す。



「ジェサは、お前が襲った聖騎士庁の金髪の娘は、十五歳まで魔王禍のカルト教団に捕らえられていましたよ。彼女を救ったのがリデリックです。そっくりな境遇ですね」

 エレンシアは皮肉の笑みを浮かべ、空の薬莢を捨てた。

「もう言い訳は不要でしょう? 勇者物語も千秋楽。これは正義の戦いじゃない。悪人どうし、弱い方が死ぬだけの、殺し屋と魔族の殺し合いですよ」

 オスカルは鋭く彼女を睨む。ヴァンダは牽制するように視線を返した。



 エレンシアは吹き荒ぶ風に絡めるように溜息をついた。

「ずっと考えていました。王家が勇者を殺したとしても、貴方に罪はない。それなのに排斥されれば、恨みにも思うでしょうね」

「ああ、勇者は人間を救うと言いながら俺たちを不幸にした。勇者の欺瞞の表れだ」

 山刀に手をかけたヴァンダをエレンシアが微笑みで制する。


「ですが、その迷いは先日まで。私は勇者の娘ではなく保勇機関のボスとしてお前たちに復讐します」



 オスカルとイエリーが同時に動いた。

 吸血鬼の翼が旋風を起こし、エレンシアはたたらを踏む。

 ヴァンダは地に鎖を這わせ、散らばった薬莢を巻き上げた。跳ね上がった薬莢がイエリーの翼を打つ。

「熱っ……」


 悲鳴を上げた少女の前にオスカルが飛び出した。

 渦巻く暴風を突っ切り、彼はヴァンダに体当たりした。

 何の衒いもない攻撃に、ヴァンダの身体が浮く

 ヴァンダはエレンシアと一瞬視線を交錯させ、屋根の下へ消えた。



「ヘンケル!」

 エレンシアの隙を突き、吸血鬼イエリーが彼女の細い喉に喰らい付いた。

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