SWORD SUMMIT

 劇は幕間に入り、観客席がざわつき始めた。


 スターンは両手で耳を塞ぎ、頭を抱えて荒い息を吐く。彼の背に小さな手が触れた。


「大変、とっても顔色が悪いわ」

 少女がスターンを見上げていた。

「だ、大丈夫ですよ」

「隠さないでちょうだい。お父様とお母様が危ないんでしょう? 私たちも……」

 少女は泣きそうに顔を顰めた。大きな瞳に溜まった涙が照明を反射していた。

 彼女の弟が駆け寄る。

「姉上、泣かないで。敵が来たら僕がやっつけるから」

 幼い姉弟が啜り泣き始めた。スターンは立ち上がり、ふたりの肩に触れる。

「御両親の所へ行きましょうか」



 スターンは姉弟を連れて、廊下に出ると最奥の扉を押した。

「ここは旧劇場の中二階だった場所です。通路が狭いので気をつけて……」


 内部はひどく暗く、埃の匂いが充満していた。

 通路を囲う手すりの向こうに、シャンデリアと客席が浮かび上がり、全体を鍾乳洞のように見せていた。


 スターンは姉弟の手を引いて狭い道を進む。

「何故こんな場所を通るの?」

「観客に魔物が紛れ込んでいるかもしれないので、こちらの方が安全なんですよ……」

「姉上、怖いよ」

「大丈夫よ。長官がついているんだから」

 幼い声が暗がりに反響する。スターンは足を早めた。


 通路の果てに、錆びた鉄扉があった。スターンは姉弟の手を離す。

「ここを抜ければ御両親の席に着きます」

「貴方は来ないの?」

 少女が不安げに尋ねる。

「まだ仕事がありますので……」


 スターンが扉を押すと、姉弟は戸惑いながら素直に進んだ。悲鳴じみた音を立て鉄扉が閉まる。


「あの子たちを売れば私は助かる、か……」

 スターンは眼鏡を外し、乾いた笑みを漏らした。

「できる訳ない……私は臆病だから、自分より弱い存在がどれだけ怖い思いをしているか、わかってしまうんだ……」



 足音がスターンの背後で止まった。振り返ると、黒衣を纏ったオスカルが立っていた。

「オスカル・イザウラ・フェ=ドゥーラ……」

 彼はスターンを睥睨した。

「臆病者の汚職政治家だと聞いていたがな、何故子どもたちを逃した?」

「聖騎士庁長官が、テロリストと取引をした前例は作れませんので……」

 スターンは足を震わせながら、手すりに縋って立つ。


「長官、俺が誰か知っているか?」

「最後の王族ですよね……」

「そうだ。俺はテロリストじゃない。王都をあるべき状態に戻したいだけだ」

 オスカルは薄く笑った


「俺が持つ神秘の力と召喚士サモナーの俺の能力を合わせれば、人間は魔族と共生できる。人間が害されることも、魔族だからと虐げられることもない。誰も怯えなくて済む王都が造れるんだ」

「怯えてますよ……」


 スターンの上ずった声が反響する。

「何故私が貴方を出し抜けたかわかりますか? 貴方に血魔ダンピールにされたひとたちが皆、怯えて助けを求めていたからです」

 スターンは錆びた手すりを握った。

「私の持つ≪勇者の鼓膜≫は効果の範囲内にいる、助けを求める人間の声が聞こえる異能ですから……!」

 悲鳴じみた声が響いた。



「どこまでも勇者は厄介だな……」

 オスカルは天井を仰ぎ、再びスターンを見下ろした。

「じゃあ、改めて交渉だ。保勇機関との連携を止めるなら聖騎士庁と王都の人間には手を出さない。俺の敵は勇者の末裔だけだ」

「いや、おかしいですよね?」

「何?」


 スターンは一息に言った。

「それなら都知事一家を巻き込む以外に方法ありますよね? 彼らを殺したら、民衆は保勇機関ではなく貴方たちを恨みますよ。というか、それって昔六十年前貴方の先祖がやったことと同じですよね。王族の復権が狙いなら、何で同じ失敗を繰り返すんですか?」


 オスカルの笑みが凍った。スターンは慌てて口を押さえる。

「いえ、これは批判ではなく条件の擦り合わせとしてですね……?」

「つまり、無益な殺しをするなと言いたいんだな。一理ある」

「ですよね……!」


 オスカルは黒衣の下からナイフを出し、天井に投擲した。

「俺が殺す価値もない」



 銃声に似た響きと共に火花が散り、シャンデリアの軸が砕ける。金属とガラスの塊がスターンに向けて落下した。



すばる

 鮮烈な青の流線が煌めき、細指のようにシャンデリアを絡めった。

 重厚な金属の塊が天高く打ち上がる。蒼光が閃き、シャンデリアが果実のように空中で細断された。


 オスカルは飛び退って距離を取る。

「誰だ!」

 低い声が響いた。

「真下に被害を出さず、落下物を砕くだけの魔剣。使うときが来るとはな……」

 スターンはその場にへたり込んだ。


「グレイヴさん!」

「聖騎士庁戦術名誉顧問、魔剣士グリムリパーグレイヴ。遅くなりました」

 グレイヴは先端が光の鞭のように蠢く異形の剣を構えていた。


「長官、眼鏡はどうしたんです」

「直視したら怖くて動けなくなりそうだったので……」

 スターンは泣き笑いを浮かべる。グレイヴは溜息をついた。

「とっとと退避してください。都知事夫婦がお待ちです」

 スターンは這うように駆け出した。



 身じろぎしたオスカルの前にグレイヴが立ちはだかる。暗闇の中、相対するふたりが剣に手をかけた。

「次から次へと……」

「魔王禍に裁判は不要。殺らせてもらうぞ」


 言い終わる前に、グレイヴは地を蹴った。

 オスカルの剣に青い光条が絡みつく。踏み込んだグレイヴの次撃が鋼の剣を軋ませる。


 オスカルはグレイヴの鳩尾に踵を打ち込んだ。衝撃が響く前に、グレイヴは反転して躱す。激音と火花が闇に散った。



 距離を置いたふたりの間を息遣いだけが埋めた。グレイヴは泥がついたシャツの胸を見下ろす。

「身体強化……王族の神秘か」

 オスカルは荒い息を吐いた。

「ああ、自力じゃあんたに敵わなかっただろう」

「悪いが、場数が違う」


 蒼光が闇を切り裂いた。オスカルは中二階から宙に身を躍らせた。

 落下を待ったグレイヴの斬撃が空中で躱される。


 オスカルは錆びた手すりを掴んで再び着地する。

「あんたのそれ、魔剣じゃないだろう」

「何?」

「知っているさ。統京は王族の力を恐れているからな。同じ神秘を持つ魔剣は剣士ひとりにつき、ひと振りしか所持を許されない」

 グレイヴは小さく眉を動かした。

「血魔の視界を見た。金髪の殺し屋に魔剣を貸してるだろ。今使ってるのがどんな小細工か知らないが、あんたは今魔剣を持っていない!」



 オスカルが跳躍した。吊り昴の波状の斬撃を掻い潜り、グレイヴに肉薄する。

「そのハッタリ見切ったぞ!」

 グレイヴは短く言った。

砥風とぎかぜ


 衝撃波がオスカルの身体を弾いた。斬撃と共に放たれた暴風が、オスカルを吹き飛ばし、錆びた手すりを破砕する。天井のシャンデリアが戦慄いて落下した。


 ガラスの砕け散る音が風の残響に重なる。オスカルは突っ込んだガラクタの山に埋もれながら呻いた。

「何を……」


「統京における魔剣の定義は杜撰でな。異能を持つ棒状の武器は全て認可される」

 グレイヴは左手に携えた二振り目の魔剣を収め、首筋に手をやった。

吾這宝剣わがこのほうけん祖佛共殺そぶつきょうさつ


 オスカルは目を見開いた。

「詠唱、まさか……!」

 駆け出そうとしたオスカルを突風が阻む。鈍色の光が閃いた。

「俺が登録した魔剣は、一定重量までの武器を体内に収納する≪勇者の背骨≫だ」

 渦巻く空気の波の中、グレイヴは錫杖に似た長剣を鞘から抜いた。

「あと何振りあると思う?」


 オスカルは歯噛みした。

「"蒼穹の"グレイヴ……強欲だな。王でもないのに、天上の全てを欲したか!」

「買いかぶりだな。強欲だけは合ってるが」

 グレイヴは自嘲の笑みを浮かべる。


「俺の二つ名は蔑称だ。凡ゆる死に抗う、天に手を伸ばすような愚行。殺し屋どもは嘲笑を込めて俺を蒼穹と呼んだ!」

 錫杖に似た剣の先端が虚空を削るように、独りでに鳴る。

「魔剣、昊齧そらかじり」


 瞬きする許さぬ速度で横一文字の銀が暗闇を裂く。

 長距離を駆け抜けて放たれた刺突が、オスカルの脇腹を貫いた。

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