銃の部品

 ヴァンダはリデリックを見下ろした。

「優男で売り出すのに飽きたか? 雰囲気が変わったな」

「こっちも似合ってるだろう……?」


 リデリックは血塗れの顔で笑った。

 ヴァンダは指を噛み、彼の頰に血を零す。凄惨な傷が赤い結晶で覆われた。

「これが終わったらとっとと治せよ。統京中の奴らが泣くぞ」



 ヴァンダはリデリックを横たわらせ、吸血鬼ヴァンパイアイエリーを見据える。聳え立つ巨人は、従順に主の指示を待っていた。

「あれがやったのか……」


 ヴァンダが山刀に手をかけたとき、イエリーが手を翳した。巨人が両の拳を振り下ろす。轟音とともに土煙が巻き起こった。

 ヴァンダは視界を強化し、手首から真紅の鎖を放つ。円環は黄土色の幕を掻いただけだった。


 エレンシアが声を上げる。

「ヴァンダ! 吸血鬼は?」

「今の隙に飛び立ちやがった。劇場に向かったな……」

 ヴァンダは霞む空と、無数の目と腕を生やした巨人を睨んだ。

「我々も急行しなくては」

「わかってる。ロクシー、シモス!」

 砂塵の中ふたりが頷いた。


 ヴァンダは山刀の刃を手首に滑らせる。

「餞だ!」

 飛び散った血が空中で硬化し、赤色の鞭となる。血の縄が巨人を絡め取り、緊縛した。代表の口が一斉に咆哮を上げる。

 残業を背に、ヴァンダとエレンシアは駆け出した。



 土煙が退き、破壊された大通りが露わになる。中央の時計塔より巨大な集合体は、鎖を千切ろうともがいていた。ロクシーはサングラスを押し上げる。

「シモス、勝算はあるか?」

「はい……心臓に杭を打てばいいんですよね。僕の剣なら代わりに……」

 シモスは名残紅を鞘に収め、自身の武骨な大剣を抜いた。

「なら、やるぞ」


 ロクシーはアクセルを回した。ブースターが火を噴く。バイクは木材の山を飛び越え、前輪を持ち上げた。

「シモス、落ちるなよ!」

 ギャリ、と瓦礫を蹴立ててバイクが時計塔の壁面を駆け上がった。塔の先端で、白銀の勇者像が揺れる。


 鎖に締め上げられた巨人が蠢いた。

「そこだ!」

 シモスの投擲した剣が鎖の合間を縫い、巨人の中央を刺し貫いた。体表の口がどす黒い血を噴出する。

「やったか?」


 ロクシーの問いを嘲笑うように、血染めの唇が一斉に捲れ上がった。赤く濡れた歯の隙間から現れたのは、無数の心臓だった。

 巨人の身体中から大量の臓器が禍々しい果実のように垂れている。

「心臓まで大量にあるのかよ……」 


 肉の果実が脈動し、膨れ上がる。鎖が耐えきれずに弾け飛んだ。

「兄さん!」


 兄弟の真横を赤い奔流が掠めた。拘束を解かれた巨人が無数の腕を時計塔に打ち込む。轟音と崩落。一撃で煉瓦造りの塔がひしゃげた。

 間一髪で躱した兄弟に、煙と砕片が降りかかる。


 ロクシーは着地と同時にバイクを旋回させ、迫り来る粉塵を回避した。

 パラパラと破片の雨が降る。巨人の心臓が一斉に脈打ち、シモスの剣を吐き出した。



 瓦礫の山に突き刺さった剣を睨み、シモスは奥歯を噛み締めた。

「あれを全部潰さなきゃいけないなんて……」

 ロクシーは苦々しく呻く。

「作戦変更しかないな。ヴァンダが銀を持ってるはずだ」

「駄目です! 吸血鬼にとっておかないと!」

「じゃあ、あれをどうする?」


 シモスは濛々と立ち上る煙を見つめる。

 霞の中で何かがキラリと光った。時計塔の先端の勇者像が鈍い光を放っている。


「そうか、あれも銀か!」

 シモスは兄の背にしがみつく。

「兄さん、時計塔を倒して巨人に勇者像を打ち込めば勝てるかもしれません!」

「マジで言ってんのかよ……」


 ロクシーはサングラスの下の目を閉じ、息を吐いた。掌に滲んだ汗が、アクセルを握る手を滑らせる。

「英雄なんて望んじゃいないが、弟の頼みは断れないな」

 ロクシーは手汗を拭って目を開けた。

「絶対に死ぬなよ」

「はい!」


 シモスがバイクから降りると同時に、ロクシーはバイクを走らせた。

 屋台の残骸にテントの幌を結ぶロープが散乱している。ロクシーは速度を落とさず、その先端を掴んだ。

 バイクが旋回し、ロープが時計塔を巻いていく。



 シモスの頭上を巨大な拳撃が掠めた。巨人は煙を掻き分け、無数の目をぎらつかせる。

「≪勇者の目≫か……」


 シモスが呻いたとき、瓦礫から掠れた声が聞こえた。

「殺し屋ども……」

 額から血を流したジェサが立ち上がる。

「ジェサさん、傷が開きます! 安静に……」

「一瞬なら奴の視界を奪える……でも、お前たちも何も見えなくなるぞ……」

 ジェサは震える瞳を向けた。シモスは一拍置いて頷く。

「頼みます!」


「シモス、準備が整ったぞ!」

 ロクシーが叫ぶ。


 シモスは脇目も振らずに駆けた。無数の目がシモスを捉える。巨人を引きつけながら、シモスは崩落しかけた時計塔を駆け上がった。


 エンジン音が煙を突き破る。塔に巻かれたロープがぴんと張り詰めた。ロクシーは紐の先端を括ったバイクを発進させる。轟音とともに、塔が傾き出した。


 シモスは砕けた煉瓦にしがみつく。

「あと、少しで……」

 塔の傾斜がぴたりと止まった。シモスは地上を見下ろす。ロープが過重に耐え切れず、徐々に千切れ始めていた。エンジン音が弱くなり、完全に止まる。時計塔は傾いたまま静止した。


「そんな……!」

 塔に迫っていた巨人は動きを止め、ぎょろりと目を動かす。シモスは震える手を大剣に伸ばした。



 膠着した戦況を見下ろす影があった。

「危なっかしいなあ。勇者像に気づくの遅すぎるよ。ずっとスコープ反射させてあげてたのにさ」

 狙撃手スナイパーキーダは引鉄に指をかける。

「さあ、最後の一発だ。僕はとっとと帰って昼間から風呂に入って寝るんだよ」



 銃声すら届かない距離から放たれた弾丸が、煙を貫き、勇者像の根本を砕く。


 視界が暗転した。

 シモスは闇の中で勇者像を掴み、塔を蹴って跳躍した。自由落下の圧力がシモスを襲う。


 視界が開けた瞬間、眼前に赤く禍々しい巨人の姿が広がった。

「一瞬の目眩し、それで充分だ……」

 シモスは両手で勇者像を振り下ろした。

「お前の死に様が見たいからな!」


 分厚い肉壁を白銀の像が突き破り、鮮血が間欠泉のように噴き出す。

 大地を揺るがす巨人の絶叫が鳴り渡った。


 シモスが血の雨を浴びながら着地する間に、聳える肉塊は膨大な塵となり、風に攫われた。



 ***



 スターンの無線にグレイヴの声が届いた。

「伝達です。屋台通りの巨人が消滅しました」

「え!?いえ、ありがたいんですが、何故……?」

「保勇機関がやったようです。ジェサとリデリックも貢献しました。民間人の被害は零です」

「すごいですね……あ、ふたりの怪我は?」

「リデリックは重傷ですが、既に搬送しました。ジェサは衛生兵の制止を振り切って劇場に向かったと」


 グレイヴは低く息を吐いた。

「長官、都知事夫妻が今入場しました。この隙に血魔ダンピールが紛れ込んだかもしれない。引き続き警戒を」

「そんな、困りますよ!」


 スターンは大声を漏らし、慌てて口を抑えた。幼い姉弟が咎めるような目で彼を見上げている。

「な、何でもありませんよ」


 スターンは作り笑いを浮かべて席に座り直した。舞台上では、黒い鎧姿の役者が独白を続けている。


 少女が眉を下げた。

黒騎士ダークナイトって可哀想だわ。人間に恋人を殺されたなんて……彼は魔族だから勇者に斬られてしまうの?」

「まあ、魔族は危険ですから……」

 少年が身を乗り出す。

「そうだ、やっつけろ!」

「落ちたら大変です、静かに……」



 突然背後から影が挿し、スターンは咄嗟に振り返る。

 立っていたのは、劇場スタッフの青年だった。


「失礼いたしました。お飲物は如何でしょうか?」

 スターンは目を泳がせながらずれた眼鏡を直す。

「あ、スタッフさんでしたか……いえ、大丈夫です……」


 青年は彼の真後ろに歩み寄り、囁いた。

「聖騎士庁長官だな」

 スターンは息を呑んだ。青年の目は赤く輝いていた。

「血魔……」

「マスターは既に劇場内にいる。交渉だ。その子どもふたりを連れて来い。従えば、お前は見逃してやる」


 血魔が足音も立てずに去る。

 スターンは全身を震わせながら、幼い姉弟を見つめた。

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