IMAGINARY LIKE THE JUSTICE

 一時間後、拍手と共に統京劇場の幕が上がった。


 中二階の豪奢な観覧席は迫り出すように設置され、舞台だけでなく下の客席も見下ろせる。


 スターンは無線の通信機を握りしめた。

「開場です……グレイヴさん、状況は?」

「入口は異常なし。保勇機関が廃倉庫に突入したようです」

「大丈夫ですよね……?」

血魔ダンピールの別働隊が動くのを見越して、リデリックとジェサが巡回しています。召喚士サモナー吸血鬼ヴァンパイアがまだ見えない。警戒してください」

「そ、そんな……」


 通信が切れた。スターンは対岸を見つめる。

 最も目立つ特別観覧席には、白髪に染めたデッカーが座していた。



 周囲が急に暗くなった。幼い姉弟がはしゃぐ。

「始まったわ!」


 舞台の中央で、鎧を纏った赤髪の俳優が照らし出された。

「敵は魔王の臣下、黒騎士ダークナイトライバーグ! 今宵、奴の根城に討ち入る!」


 スターンの傍らで少年が身を乗り出し、少女が眉を下げる。

「勇者だ、かっけー!」

「静かになさい」

 勇者役の青年の後ろから男女が現れた。

「姉上、あれは?」

「きっと姫騎士プリンセスルシアリアと暗殺者アサシンヴァンダよ」


 壇上の勇者がふたりと言葉を交わす。

「勇者、何か迷っているのかしら?」

「……黒騎士は非道だけど、そうなった理由があると思うんだ」

「彼を倒さなくてはまた街が滅ぶわ」

「でも、この剣を託されたとき言われたんだ。『心に曇りなき鋼を持て』と。何も知らずに彼を殺したら、その曇りは拭えないと思う」

「そのときは俺が代わりに奴を殺す。暗殺者の役目だからな」


 少年は身を震わせた。

「おお、ヴァンダかっけー!」

 スターンは作り笑いを浮かべた。

「そ、そうですね。実は私、ヴァンダさんと会ったことがあるんですよ」

「本当? すげえ!」

「無事に終わったら会いに行きましょうか……」

「うん!」

 スターンは劇場の小窓を見つめた。

「……無事に終わりますよね?」



 ***



 開演後も劇場周辺はひとがごった返していた。

「千秋楽に間に合わなかった皆、原作の戯曲が売り出し中だぞ! これを読んで観た気になろう!」


 リデリックは人混みを掻き分けながらジェサに囁いた。

「気づいているかい?つけられている」

「何と! 襲撃犯の一味ですか?」

「恐らくね。背後に二体、右の屋台の向こうに一体だ」

「先生、師弟の団結を見せるときです。共に戦いましょう!」

「いや、君の力は隠しておきたい。ここは私に任せてくれ。幸い混戦は得意でね」

 リデリックは微笑んで、人波に紛れた。



 大路にひしめく屋台から湯気と活気に満ちた声が絶えず溢れている。

 リデリックは背後に視線を巡らせ、人通りの多い方に向かった。


「リデリック様!」

 色とりどりの飴を並べた屋台から、素朴な少女が手を振っていた。リデリックは微笑を浮かべて近づく。

「シェリー、久しぶりだね」

「覚えていてくれたんですね!」

「美人は忘れないさ」

 少女は頬を赤らめ、砂糖で固めた果実飴の串を差し出した。

「これ新作です。よかったら……」

「ありがとう。御礼はまた今度でいいかい?」

 リデリックは彼女の手の甲に口づけし、串を受け取る。


 屋台から離れ、彼は果実飴を串から抜くと背後に向けて弾いた。くぐもった呻きが聞こえた。

 リデリックは身を翻し、顔を覆う男の喉を串で刺し貫いた。

「まずい、"残花"がいるぞ!」

 群衆の間から女の声が響いた。リデリックは歩行者の間を縫って駆け出した。


「本格蒸留酒はいかがですかー?」

 リデリックは屋台の店主に金を握らせる。

「お釣りは結構」

 彼は酒の入ったコップを投擲した。コップが群衆を突き飛ばして駆ける女の顔を直撃し、酒の飛沫が散る。リデリックは女の肩を掴み、首を折り曲げた。ごりっと骨の砕ける音が響く。


「君、何をしているんだ!」

 肉焼きの屋台から若い男がリデリックの腕を掴む。男の目は血の赤色だった。

 リデリックは屋台の隅に置かれた肉切り包丁を取り、男の喉を掻き切った。焼けた鉄板に血が流れ、濛々と湯気を立てた。


「パパ、美味しそう!」

「本当だ。すごい湯気だな」

 親子連れが屋台を指差す。リデリックは返り血を拭い、彼らに歩み寄った。

「生憎店主が急病らしい。あちらの屋台がお勧めだよ」


 リデリックは再び人混みに向かう。

「剣を振り回せる道幅はないか」

 背後から刃物が閃いた。リデリックは紙一重で避け、片手で男の手首を折り曲げる。もう片方の手で近場の屋台の幌を下ろし、奪ったナイフで男の心臓を貫いた。青と白の幌に血飛沫が散った。



 リデリックは周囲を見回す。

「目視だけで五体、予想より多いな……」

「"残花の"リデリックだな」

 星占いを喧伝する屋台から低い声が聞こえた。一組の男女が占い師の老婆に刃物を突きつけている。

「動いたらこの婆さんを殺すよ」

 老婆が悲鳴を上げた。リデリックは無言で足を止める。背後から足音が迫っていた。


 女はナイフを構えて言った。

「よし、そのまま伏せるだ」

「願ってもないことだね」

「何?」

 リデリックは身を屈める。次の瞬間、飛来した巨大な円盤が屋台を破壊し、男女を薙ぎ倒した。熱された鉄板が宙を切り、リデリックの背後にいた血魔を押し潰す。


 屋台の残骸を飛び越え、ジェサが盾と剣を掲げた。

「先生、修行の成果です!」

「こんなことを教えた覚えはないな。でも、よくやった!」

 リデリックは破顔した。



 当然の出来事に群衆たちが逃げ惑う。ジェサは不安げに言った。

「何かまずかったでしょうか!」

「いや、そろそろ大詰めにしたかったところでね。ちょうどいい」


 破壊された屋台を中心に人波が退いていく。空いた穴を埋めるように、無数の影が現れた。血魔たちは各々の武器を手に、ふたりを取り囲む。


「ジェサ、合図をしたら頼むよ」

 リデリックは片手剣を抜き、言った。

Ut ameris, ama愛され、愛そう!」


 先頭の血魔が短槍を抜いて駆け出す。槍が振り抜かれるより早く、リデリックの刺突が血魔の脇腹を抉った。次の瞬間、血魔たちの腹から鮮血が噴き出す。

「何だ!?」

 リデリックは動揺する魔物の群れに飛び込み、一体の喉笛を裂く。並んだ血魔たちが揃って塵と化した。


「何が起きてるんだ!」

 女の血魔が闇雲に斧を振るった。ジェサは盾でそれを防ぎ、高らかに答える。

「先生の持つ≪勇者の博愛≫は群れの一体に与えた傷を全体に適用する力だ! お前たちにこれ以上ない脅威だろう!」

「ジェサ、それは解説しなくていいんだ!」


 魔物の群れから一体の若い血魔が離脱する。

「オスカル様、ご覧ですか? ご指示を!」

 リデリックが彼の進路を塞ぎ、一撃で仕留める。

「ジェサ、今だ。≪勇者の正義≫を使うんだ!」

「待っていました!」

 ジェサは勢いよく盾と剣を掲げる。

Fiat justitia天が堕ちようと,ruat caelum正義を為せ!」



 突如、暗幕が降りたような闇が辺りを染めた。

 夜の帷よりも暗く深く、完全な闇だった。

 指先すら見えない黒の霧中に、血魔たちの声だけが響く。


「今度は何だ、どういう細工……」

 声は途中で途切れた。くぐもった呻き、血の泡が爆ぜる音、塵が風に攫われる音。

 混乱する魔物の上に甲高い声が響いた。

「驚いたか! ≪勇者の正義≫は周囲にいる全ての者の視界を奪う能力だ!」

「ジェサ。だから、解説しなくてもいいんだよ」


 巨体の血魔が咆哮を上げた。

「見えねえならまとめて押し潰しちまえばいいんだよ!」

 武骨な鉄塊が風を切る。弾指の間に咆哮が悲鳴に変わった。

「どうした!」

「俺の腕が……」

 暗闇の中、次々と血魔の断末魔が上がる。


 群れの一体が叫んだ。

「聖騎士庁の奴らは見えてるんだ! 奴の視界を奪えば……」

 リデリックはそれを斬り伏せ、微笑んだ。

「残念、我々も見えていないさ」

 逃げ出そうとした血魔の頭蓋をジェサの盾が粉砕する。

「よし、当たった! これが師弟の絆の力だ!」


 ジェサが闇雲に剣を振るい、リデリックは微かな足音と衣擦れを頼りに刺突する。肉を貫く刺突と武器が落ちる音、殺戮の響きだけがこだまする。



 間断ない死闘に紛れて、風の音が響いた。

 リデリックが咄嗟に顔を上げる。

「ジェサ、≪勇者の正義≫を解除するんだ! 上に何かいる!」


 周囲に光が戻った。夥しい血痕と倒れた魔物たちが地面に広がっている。上空から巨大な影が挿した。

 ジェサが声を震わせる。

「吸血鬼……!」

 少女は黒い翼を広げ、喉を鳴らして笑う。

「オスカルの言った通り……お前ら、終わりだよ」



 一発の銃声が響いた。

 急降下する少女の片翼に穴が開き、血の雨が降り注いだ。

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