聖者の行進

 千秋楽を迎える統京劇場は、気が遠くなるほどの人だかりだった。



 入口から煉瓦造りの劇場までの通りは所狭しと屋台がひしめいている。

「笛飴が再入荷したよ! クライマックスに皆で鳴らそう!」

「観劇のお供に勇者焼きはいかがですか!」


 呼び込みの声にヴァンダは顔を顰めた。

「勇者焼きって何だよ……」

 エレンシアは携帯を見つめながら、器用に群衆を避けて歩く。

「勇者の一行の姿を模したお菓子ですよ。貴方のもあるでしょうか?」

「要らねえよ」


 ヴァンダは視線を上げ、風に戦ぐ旗を見上げた。「その心臓に鋼を」。劇の題名と共に、髪を赤く染めた青年が剣を構えた姿が印刷されている。

「似てねえや……」

 エレンシアが顔を上げた。

「どうかしましたか?」

「何でもねえよ。それより、さっきからずっと何してんだ?」

 彼女は携帯の画面を見せた。

「殺し屋マッチングサイトですよ。襲撃犯が閲覧することを見越して貴方の情報を偽造してるんです。偽名と役職は何にしますか?」

「……操刀師スライサー、ヘンケル」

「由来は?」

「ダイナーの店主の殺し屋時代の名前だ」

「また包丁を投げられますよ」



 天鵞絨の幕が垂れる劇場は聖騎士庁が強固な警備を敷いていた。

 ひとの輪の中から騒がしい声が聞こえる。

「先輩、もっと老人らしくしょぼくれて! でも、確かな威厳を出してください!」

「無茶言うんじゃねえ!」


 揉み合っていたダイルとデッカーは、殺し屋たちに気づいて身を乗り出した。

「皆さん、どうですか? 先輩は八十歳に見えますか?」

 ダイルに押し出されたデッカーは髪を白く染め、わざと大きなスーツに身を包んでいた。腰にはわざとらしいほど巨大な模造刀が二振り垂れている。


 ヴァンダは曖昧に頷いた。

「遠目ならバレねえだろ」

「よかったですね! 立派な老人ですよ!」

「嬉しかねえ!」


 天鵞絨の幕を跳ね上げ、劇場から聖騎士庁の面々が現れた。中央のスターンが手を振る。

「おはようございます……痛っ、髪を引っ張らないでください!」

 彼は上品な身なりの幼い姉弟にたかられていた。紙製の兜を被った少年がスターンの肩に乗り、王冠の髪飾りをつけた少女が嗜める。


「そいつらは?」

「統京都知事の御子息と御息女です。ご両親が遅れてくるそうで我々が警護に……」

 グレイヴが深く溜息をついた。

「長官と都知事一家は特別席での観覧となったそうだ」

「はい、兄が手を回してくれて助かりました……」

「助かってませんよ。聖騎士庁は劇場周辺の警備に駆り出される。有事の際は長官ひとりで対応することになるんですよ」

「そうなんですか!?まあ、何とか……本当に痛いのでやめてください!」


 幼い姉はスターンにのしかかる弟を軽く叩いた。

「おやめなさい。勇者の兜に不似合いよ」

 少女はスカートの裾を摘み、恭しく一礼した。

「ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」

 リデリックは華やかに微笑む。

「とんでもない。レディを守るのは騎士の本懐さ」


 彼は少女の頭を撫でてから、ヴァンダに囁いた。

「君の予想を聞きたい。≪勇者の目≫は召喚士サモナー吸血鬼ヴァンパイア、どちらが持っていると思う?」

 ヴァンダは一拍置いて答える。

血魔ダンピールを活用できる吸血鬼に与えるのがセオリーだが、俺の見立てじゃ野郎が持ってる」

「何故?」

「奴はクリゼールの面が爛れてるのを見たはずだ。≪勇者の欠片≫は魔族に毒と気づいただろ。ツレには持たせねえ」

「いい予測だ。相手の情を非情に見切るのか殺し屋だからね」



 劇場へ向かう観客の波が流れる。

 グレイヴは顔を上げた。

「シモス」

「は、はい」

 駆け寄ったシモスに、グレイヴは一振りの剣を押し付けた。

「これは……?」

「魔剣だ。稽古をつける時間はなかったが、代わりにお前に貸す」

 シモスは慌てて身を引く。

「受け取れません! ……魔剣士グリムリパーはひとり一振りしか魔剣を所持できないんでしょう?」

「凡ゆる死に抗う術を身につけたと言っただろ。他に手札はある」


 グレイヴに見据えられ、シモスはおずおずと剣を受け取った。柄も鞘もグレイヴの肌に似た赤銅色の剣だった。鞘を抜くと、薄い紅を纏った刀身が現れる。

「刀身そのものが熱を持つ魔剣、名残紅なごりべにだ。未成年に貸すには扇情的な名前だがな」

「ありがとうございます……」

 グレイヴは僅かに口角を上げた。

「ロクシー、弟を守れよ」

「言われなくてもな」

 ロクシーはサングラスの下の目を伏せた。



 ヴァンダは子供の世話に追われるスターンを横目に、グレイヴに問いかけた。

「他人の組織に口出すのも何だが、あいつが護衛で大丈夫か?」

「確かなのは、あのひとは他人の想像より遥かに臆病ってことだ」

「駄目じゃねえか、っていうのは野暮だな。お前らにしかわからないもんがあるんだろ」

 グレイヴが首肯を返す。



 リデリックが手を鳴らした。

「そろそろ別行動と行こうか」

 エレンシアはジェサに視線を送った。

「無理をしないように」

「お前たちがすべき心配は我々に手柄を奪われることだけだ!」

 威勢のいい声に、エレンシアは小さく微笑む。


 ジェサは跳ねるようにリデリックの元に向かった。

「先生、今日は全身黒一色ですね!」

 彼は黒いシャツの襟から花の刺青を覗かせていた。

「好みではなかったかな?」

「いえ、素敵ですが……先生は髪と同じ淡い色もお似合いかと!」

「私も自覚はあるんだけどね」

 リデリックは照れたようにはにかんだ。

「殺し屋といえば黒だろう?」



 そのとき、リデリックの胸から着信音が響いた。

 彼は電話を耳に押し当てる。


「保勇機関の皆、止まってくれ」

 張り詰めた声に全員が振り返った。エレンシアは眉を顰める。

「どうかしたですか?」

狙撃手スナイパーから連絡だ。奇襲を仕掛ける予定のギルド"黎明"がもぬけの殻らしい。見抜かれていたようだ」


 鼻白むエレンシアの肩をヴァンダが叩いた。

「想定の範囲内だろ。血魔たちの移動先は?」

 リデリックは表情を曇らせた。

「劇場東側の廃倉庫だよ。すぐそばに舞台の大道具の搬入先がある」

「スタッフを襲って成り代わり、劇場に侵入するって魂胆か。開演までどれだけ時間がある」

「一時間だ」


 ヴァンダはエレンシアと視線を交わした。

「行くぜ」

「私に命令させなさい。行きますよ」

 雑踏に飛び込んだふたりを追って、ロクシーとシモスも消えた。


 リデリックは携帯電話を強く握る。

「キーダ、約束の三発だ。信頼してるよ」

 電話の向こうの声が答える。

「あと二発だよ。一発はもう撃った」

「何だって?」

 リデリックは雲ひとつない快晴の空を見上げた。



 喧騒が風にさらわれていく。

 殺し屋たちは簡素な囲いに四輪をつけただけのトレーラーを走らせ、劇場の裏を駆けていた。


 シモスが風に煽られながら尋ねる。

「兄さん、盗んでないですよね?」

「許可は取った。安心しろ」

 ロクシーはサングラスを下げ、エレンシアにウィンクした。

「事後承諾も承諾のうちだろ、ボス?」

「今だけは聞かなかったことにしてあげましょう」


 等間隔で並ぶ赤煉瓦の建物の向こうに、蔦の張った廃倉庫が見えた。エレンシアは懐に隠した銃を睨む。

「会場前に血魔たちが動くかもしれません、急いで」

 ヴァンダは囲いから身を乗り出し、薄く笑った。

「まだ余裕はありそうだぜ」

「何故?」

 視線の先には古びた時計塔が聳えていた。



 ロクシーがトレーラーを急停止させた。

 廃倉庫からふたりの男が駆け寄ってくる。

「随分早いな。開演までまだ一時間半あるだろ」

「何かあったのか?」

 ヴァンダは短く言う。

「ロクシー」

「おう」

 山刀がひとりの首を切り飛ばし、銃弾がもうひとりの眉間を撃ち抜いた。男たちは倒れる間もなく塵に変わる。


 廃倉庫の奥がざわついた。

 甲高い銃声が響き、トレーラーの囲いに風穴が開いた。

「エレンシア!」

 彼女が手を伸ばすと、廃倉庫の錆びたシャッターが圧縮されて落下した。跳弾と悲鳴が響き渡る。


「さて、行くか」

 ヴァンダはトレーラーから飛び降りた。魔剣を握りしめたシモスが呟く。

「さっき血魔たちがまだ開演まで時間があるって……」

「狙撃手が時計を撃ち抜いてた。一時間半前で止まってんだよ」

「そんなことまで計算してるんですか……」

「それが四騎士だ。俺たちも負けてられねえぞ」


 ヴァンダは刃の血を手で拭った。

「仕事の時間だ」

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