ロックお礼参り

 会議室に駆け込むなり、ジェサが叫ぶ。

「長官殿、例の犯行予告は?」

「たぶんそこに……」

「たぶん!?」

「怖いので見返したくないんですよ! うわ、ありました……」


 スターンは紙を摘んで身体から遠ざけながら読む。

「オスカル・イザウラ・フェ・ドゥーラとイエリー・ディオミーラから告ぐ……」

 ヴァンダはエレンシアに囁く。

「ディオミーラは王家が民間から娶った妃に与える名だ」

「……馬鹿馬鹿しいですね」


 リデリックはスターンの背を軽く叩いた。

「長官、続きを」

「嫌だな、あの、ええと……」

 ヴァンダが声を荒げる。

「本題だけ言え!」

「はい、言います! 彼らは統京都知事を一家の暗殺するそうです!」

「馬鹿かよ、省略しすぎだ!」


 ヴァンダは怒鳴ってから口元を抑えた。重い沈黙が会議室に染み渡る。ロクシーが苦笑混じりに言った。

「大きく出たな。確かか?」

 スターンは半泣きの声で答える。

「はい……今、統京劇場で女流劇作家ザヴィエの勇者物語『心臓に鋼を』が上演されているんですよ。明日が千秋楽で、統京都知事の御一家が観劇なさる予定なんですが、そこを襲撃すると……」


 グレイヴは鋭い視線を投げた。

「至急上演を取りやめるべきだ」

「無理なんです……統京都公認事業で億単位のお金が動いていますし、これ以上下手を打ったら聖騎士庁の存続が……」

「人命が第一でしょう!」

「私も都議の兄に掛け合ったんですが、襲撃犯を逮捕すれば済む話だと却下されました」

「簡単に言いやがって……」

 グレイヴの舌打ちが響く。


 エレンシアが手を挙げた。

「犯行予告は暗殺のみですか。我々への要求があるのでは?」

 スターンは視線を泳がせ、観念したように告げた。

「はい、犯人の要求はふたつ……ひとつは保勇機関を解体し、勇者の娘が正式に王家へ謝罪することです」

 ジェサが机を叩いた。

「何故謝罪する必要がある! エレンシア、聞かなくていいぞ!」

「ありがとう、ジェサ」

「騎士として当然……え、今、私に礼を……?」


 目を瞬かせるジェサを無視して、エレンシアは首を傾げた。

「もうひとつは?」

「待て、エレンシア、もう一度!」

「ジェサ、うるさい。スターン長官、続きをお願いします」

「ああ、はい。それがちょっと不思議で……ヴァンダさんは彼らと交戦したんですよね?」

「それがどうした」


 スターンはずり落ちた眼鏡を押し上げた。

「ふたつめの要求は、勇者の一味にして王家狩りに参加した忌まわしき暗殺者アサシンヴァンダが姿を現し、首を差し出すことだと……」

「姿ならとっくに現しただろうが。何考えてんだ……」


 怪訝に眉を顰めるヴァンダの横で、シモスが声を上げた。

「わかった! ヴァンダさんを老人だと思っているから、会っても気づかなかったんじゃないですか?」

「そういうことかよ……」

 リデリックが不敵に微笑む。

「だから、私はあの少年の前で一度も君の名前を呼ばなかったよ。ヴァンダ」

「これも予想の範疇かよ。流石元四騎士だな」

 エレンシアは吐息を漏らした。

「使えるかもしれませんね」

「替え玉を用意する気か? だが、誰に……」



 会議室の扉が忙しなく叩かれた。グレイヴが厳しく告げる。

「会議中だ!」

「存じていますが、失礼します!」

 開け放たれた扉から現れたのは、満身創痍の兵士ふたりだった。エレンシアが呟く。

「デッカー、ダイル……」

 彼らは恭しく頭を下げた。ふたりの身体にはクリゼールの最中に負った傷が生々しく残っていた。年嵩のデッカーは折れた腕を吊り、若いダイルの頭の包帯には血が滲んでいる。


 リデリックが眉を下げた。

「ダイル、まだ動いちゃいけないだろう。一体どうしたんだい?」

「申し訳ありません。ですが、犯行予告が届いたと聞いていても立ってもいられず……」


 グレイヴが険しい表情でふたりを睨む。

「お前ら、規則を破った自覚はあるのか?」

 唇を噛むダイルを庇うように、デッカーが立ちはだかった。

「責任なら全部俺が負う。どうか奴らとの戦いに参加させてくれ。部下がごまんと殺された」

 デッカーは殺し屋たちに向き直り、深く身を折った。

「前は馬鹿にして申し訳なかった。あんたらに救われた恩を返したい。できることなら何でもする」


 エレンシアは彼の白髪混じりのつむじを見つめ、ヴァンダの脇腹を小突いた。

「どう思います?」

「八十には見えねえだろ……」

「髪を全部白く染めて、顔半分隠せばいけるのでは? デッカーさん、今おいくつです?」

「六十だが……」

 デッカーは困惑気味に顔を上げる。エレンシアは満面の笑みを浮かべた。

「何でもすると言いましたね?」

「おう……」

「あと二十歳老けられますか?」

 彼に代わってダイルが元気よく答えた。

「いけます! 先輩は不摂生ですから!」

「おい、ダイル!」


 リデリックが喉を鳴らして笑った。

「これで問題解決かな? ついでにいい知らせがあってね」

 スターンが目を泳がせた。

「私は聞いていませんが……」

「極秘だったのさ。元四騎士のツテでオスカルが所属していた殺し屋ギルド暁光の基地が割れた。血魔ダンピールが大量にいたそうだ」

 ヴァンダは目を細める。

「確かか?」

「"黄一閃"キーダがその目で見たんだ。間違いないよ」

「あの狙撃手スナイパーの視力なら違いねえか」


 ヴァンダは頷き、机の縁をなぞった。

「正々堂々戦うのは聖騎士の役目だ。俺たち殺し屋の戦いは裏のかき合い。そうだな?」

 エレンシアは強く頷く。

「ええ、明日の千秋楽に伴い、彼らが動くはずです。最初は恐らく陽動。その隙をつき、暁光の基地に配備された血魔を一掃します。そして、戦力を削いだ後、劇場へ直行し、襲撃犯を殺す。よろしいですね?」


 スターンは頷いた。

「あ、助かります。そんな感じで全部決めていただけると……」

 グレイヴが苦い表情で唸った。

「部外者に主導権を握らせてどうするんです」

「そ、そうですか?」

「わかっていますか? 陽動の対応と都知事一家の護衛両方を押し付けられた状態ですよ。我々が保持する≪勇者の欠片≫の使用許可も降りていないのに、戦力が足りないでしょう!」


 スターンはグレイヴに詰め寄られて仰け反った。

「あ、それは大丈夫です……欠片の使用許可は取ったので……」

「何?」

「議会の有力者が父の釣り仲間でして……私に使えるのはコネくらいですから」

 スターンは卑屈な笑みを浮かべる。


 ヴァンダの指を鳴らす音が空気を締め上げた。

「決まりだな。明日、奴らを殺すぞ」

 騎士と殺し屋は同時に頷いた。



 夜半、基地に戻った殺し屋たちを廃ホテルの鈍い光が受け入れた。


 ヴァンダたちは屋上から遠い統京の夜光を見下ろした。

 目を凝らさなければ消えそうな光のひとつひとつに、人間の営みがある。視線を下ろすと、古びたメリーゴーランドの幌を月が細くなぞっていた。



 エレンシアは屋上の手すりにもたれ、隣のヴァンダに言った。

「四騎士のフレイアンから香典が送られてきましたよ。以前、ベールと仕事をしたそうです」

「あの借金苦の女が? 律儀だな」

「資金は弔い合戦に当てましょう」


 ロクシーは座り込み、咥え煙草で呟いた。

「明日の奇襲はシモスも参加する気だ。オレとしては行かせたくないがな」

「弱気ですね。弟を守るために頑張りなさい」

「弟のためなら誰だって殺せるさ。だが、それは敵も同じだろう? 襲撃犯は恋人同士だ」


 ロクシーは歯を見せて笑う。

「世界には何億人ものオレがいて、その全員にシモスがいるようなもんさ。守るべき誰かがいれば無敵なんてのは幻想。結局より強い方が勝つだけだ。オレは現実的な男でね」

 ヴァンダは地上を見下ろしたまま言った。

「なら、現実を見ろ。俺たちの方が強えよ」

「頼りにしてるぜ、"赤い霜"」


 ロクシーは吸殻を真下に投げ捨てて立ち去った。

 エレンシアは冷たい夜風に赤髪を靡かせ、深く俯いた。

「落ちるぞ」

「受け止めてくれるでしょう?」

「爺の心臓を労れよ」

 彼女は小さく微笑んだ。ヴァンダがつけた煙草の火が、星のない夜闇に灯る。


「貴方は王族の残党を殺したんですよね?」

「何が知りたい? 隠れ住んでいた王族がどんな暮らしだったか。女子どもはいたか。俺がどう殺したか」

「質問はひとつです。正しかったと思いますか?」

「……正しかねえだろうな」

 エレンシアは目を閉じる。ヴァンダは深く煙を吸い、吐いた。


「だが、何度やり直せても俺は奴らを殺す。勇者の仇だからな」

 彼の声に、エレンシアは目を開けた。

「そうですね……私も明日同じことをします」



 上空では、夜を押し流して明日が来るのを急かすように雲が速く流れていた。

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