鬱くしき人々のうた
翌日も聖騎士庁には兵士たちの怒号が轟いていた。
襲撃犯の捜査は難航しているらしい。兵士たちは焦燥を振り払うように一層激しく打ち合っていた。
ヴァンダは中庭のベンチに座り、傍のエレンシアを小突いた。
「浮かねえ面すんなや。情報が出揃うまで待つのも殺し屋の仕事だ」
「わかっていますよ……この時間でシモスが立ち直っただけでも僥倖ですね」
隣のベンチにはロクシーとシモスが腰掛けている。ロクシーはサングラスを押し上げた。
「見て楽しいか、シモス? オレはああいう泥臭いのはどうにも……」
「学ぶべきだと思っています。僕には力が足りないから……」
シモスは真剣な眼差しで鍛錬を見つめていた。
鐘の音が響き、兵士たちが武器を下ろす。
リデリックと打ち合っていたジェサは、真っ先に殺し屋たちの元へ駆けてきた。
「見たか、エレンシア! 昨日とは見違えただろう!」
「全く違いがわかりません」
「先生、何とか言ってやってください!」
リデリックはくたびれた笑みを返しただけだった。
エレンシアは揶揄うように口角を上げる。
「随分仲良しですね?」
ジェサは上気した頰を更に赤くした。
「先生と私はそんな不埒な仲ではない!互いを高め合う師弟であり、戦友だ!」
ヴァンダは溜息混じりに脚を組んだ。
「高めてねえよ。お前の世話を始めてから明らかにリデリックが疲れ果ててんだよ。どうしてくれんだ」
「私は大丈夫だよ……」
「ほら見ろ、死にそうじゃねえか」
ジェサは鼻息を荒くした。
「とにかく誤解するな。第一、私は自分より強い男としか結婚しないと決めてるんだ」
「じゃあ、アライグマでも貴女の夫になれますね」
「何だと!」
エレンシアは向こうから歩いてくるグレイヴに視線をやった。
「貴女には彼の厳しい訓練も必要では?」
青ざめたジェサに代わって、グレイヴが答えた。
「俺の指導からは半日で逃げ出した。本人の希望があれば再開するつもりだがな」
シモスが俯きがちに口を開いた。
「グレイヴさん……僕でも稽古をつけてもらえますか?」
「俺がか?」
「とても強い剣士だと伺っています。僕は剣の扱いが得意じゃなくて……弱いままじゃまた誰かを看取ることになる。それはもう嫌なんです……」
グレイヴは息を吐くと、シモスの隣に腰を下ろした。
「強ければ、全てを守れると思うか?」
「違うんですか?」
「俺もそう思っていた。だが、続けるほどにわからなくなった」
彼は褐色の手で剣をなぞった。冷たい風が吹き抜け、鋼を鳴らした。
「最初は孤児院で共に育った義妹を守るために剣を取った。凡ゆる剣を学べば凡ゆる死に対抗できると思った。硬い敵を殺せる剣、柔らかい敵を殺せる剣……師匠には浮気者だと詰られたがな」
シモスは小さく笑みを返した。
「俺は警察に入って数えきれないほど兵士を育てた。凡ゆる敵から身を守る術を教えた。その中で、最も優秀な戦士がいた。だが、そいつは死んだ。何故だと思う?」
「魔王禍ですか?」
「違う。南方の辺境遠征で、奴は万一の為、木の下で遺書を書いていた。そのとき、上から木の実が降ってきたんだ。頭蓋を砕かれて奴は死んだ」
「そんな……」
「俺は木の実から身を守る術は教えなかった。最も優秀な戦士を殺した木の実はあいつより強いのか? そう思ったら何が強さかわからなくなった。それが転職のきっかけだ」
シモスは言葉を失った。
「強くなるほど自分の無力を思い知るぞ。それでもいいのか」
「今でも充分思い知っています。だったら、せめて強くなりたい」
グレイヴはシモスの肩を叩き、ロクシーを見遣った。
「お前の弟は随分高潔だな、車上荒らし?」
「覚えてたのかよ……」
「警察がお前の面を忘れるか。パトカーまで盗みやがって」
「兄さん、そんな話聞いていませんよ」
弟の鋭い視線にロクシーが呻く。エレンシアが微笑を浮かべた。
寒風が芝生を巻き上げ、中庭に吹き渡る。
ジェサが呟いた。
「先生は何故強くなろうと思ったのですか?」
「私かい? グレイヴほど崇高な理念はないよ」
リデリックは軽薄に笑う。
「私は気が多くてね。どんな人間でもすぐ好きになってしまう。もし誰かを見捨てたら、あのひとは私が知らないだけでものすごく魅力的な人物だったんじゃないかと後悔して夜も眠れなくなる。そんなのは御免だ。夜は楽しいものでなくちゃ」
彼は照れ隠しのように煙草を咥え、火をつけた。微笑んだ歯の間から煙が漏れる。
「だったら、最初から全人類を守ってしまった方が楽なのさ」
ヴァンダは肩を竦めた。
「お前は勇者級の馬鹿だよ」
「光栄だね」
そのとき、スターンが蒼白な顔で駆けてきた。
「皆、大変ですよ!」
彼は一同の前で立ち止まると、ゼエゼエと息をしてえづいた。ヴァンダは苦々しく見返す。
「おい、吐くなよ」
「吐きそうですよ! 例の
リデリックは靴の裏で煙草を揉み消しながら言った。
「長官、グレイヴは君の召喚獣ではないんだよ」
グレイヴは沈鬱に首を振る。
「殆どそんなようなもんだ。で、何があったんです?」
「言ったら現実になるような気がして言いたくないんですが、もう現実なんで言いますね……襲撃犯から聖騎士庁に犯行予告が届きました!」
スターンの悲痛な声を北風が掻き消した。
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