うつけ論争

 統京の大路を焼いた炎は半日後に消し止められた。



 保勇機関の基地、廃ホテルのロビーに設置されたテレビが青白く光り、殺し屋たちの横顔を染めていた。ヒビの入った液晶には、折れた鉄塔を取り囲む報道陣と燻る黒煙が映っている。


「死者十四名、負傷者二十三名。襲撃者の正体は未だ捜査中。聖騎士庁の大失態だな……クリゼールが無事なことだけが救いか。≪勇者の欠片≫が簒奪されたことがバレてたらもっと大騒ぎだっただろうが」


 ヴァンダはテレビの電源を落とし、ウレタンの飛び出たソファに腰掛けた。

「死者の中にクドとベールは数えられてねえ。俺たちの任務は非公認だったからな」


 暗い画面を見つめていたシモスがしゃくり上げた。

「すみません、僕と兄が警備に参加していれば……」

「馬鹿言えよ」

 ヴァンダが鋭く遮った。

「あのふたりはベテランだ。お前らがいたところでどうにもならねえよ」

「でも、納得できません……昨日まで一緒に食事してた仲間ふたりが亡くなって……」

「俺たちは殺し屋だぞ。魔王禍に認定された奴は人間でも殺す汚れ仕事だ。正しい死なんかねえ。敵より弱かったら死ぬってだけだ」


 ヴァンダは煙草に火をつけ、煙と共に吐き出す。

「お前もひとを殺す覚悟がねえなら辞めろ。邪魔になるだけだ」

 シモスは唇を噛み締め、震える声で言った。

「殺しますよ……クドさんとベールさんの敵なら誰だろうと」


 シモスは踵を返して、ロビーから立ち去った。背後で腕を組んでいたロクシーが苦笑する。

「あまり弟を虐めないでくれ」

「知るか。クソジジイを近づけるとガキの教育に悪いぜ」

 ロクシーは歯を覗かせた。

「まあ、感謝してる。シモスは怒り狂ってないと潰れちまうタイプだからな。わかって煽ったんだろ?」

「都合よく捉えすぎだ。詐欺に遭うぞ」

「優しい嘘には騙されるのが漢の甲斐性だ」

 ヴァンダは肩を竦める。ロクシーは弟の後を追って消えた。



 明かりの乏しいロビーには、空の水槽が暗く聳えていた。闇に染まったガラスが、ソファに座り込むエレンシアを反射した。彼女とヴァンダの間を一筋の煙が流れる。


「何も言わないでください」

 エレンシアは正面を見つめたまま言った。

「私は大丈夫。仲間の死には慣れています。勇者は何人も看取ったのでしょう?」

 ヴァンダは僅かに頷いた。

「数え切れないほどな。その度に泣いて、その度に自分の弱さを呪ってた」

 エレンシアが顔を上げた。

「お前もそうすりゃいいさ。勇者はそうして魔王に勝ったんだからな」


 エレンシアは微かに口角を上げた。

「私は泣きませんよ。勇者とは違う、殺し屋ですから」

「そうかよ」

「でも、肩を借りてもいいですか」

 ヴァンダは少しの間戸惑い、答える代わりに煙草を灰皿に捨てた。赤い髪がヴァンダの膝に垂れたとき、騒がしいベルの音が鳴った。


 エレンシアは発条のように飛び退き、乱れた髪を直す。

「来客ですね。出ましょう」

 ヴァンダは呆れて呟いた。

「前から思ってたが、基地の警備を改善した方がいいんじゃねえかな……」



 ヴァンダとエレンシアが扉を開けると、鉄柵の向こうにリデリックとジェサがいた。

「やあ、息災だったかい?」

「半日前ぶりだろうが。どうした?」

「ジェサが会いたいと言ってね」


 頬と額に絆創膏を貼ったジェサはロビーに押し入るなり、エレンシアに小箱を突き出した。

「これは何です?」

「ドーナッツだ。どうせみっともなく落ち込んでいるだろうと思って差し入れに来たんだ!」

 箱を開くと、色とりどりのチョコレートでコーティングされたドーナッツがぎっしりと詰まっていた。


「……絶交していたのでは?」

 ジェサは仏頂面で答える。

「絶交した奴にも慈悲を垂れるのが聖騎士だからな! お前に助けられたお礼じゃないぞ! 私ひとりでも何とかなった!」

 エレンシアは微笑した。

「聖騎士庁から賄賂を受けたと帳簿に書いておきましょう」

「素直に感謝ができないのか!」

 ジェサは肩を怒らせる。


 リデリックはふたりに優しく微笑むと、ヴァンダに向き直った。

「実際賄賂も送りたいくらいでね。ご存知の通り聖騎士庁は批判の矢面に立っている。襲撃犯を仕留めなければ名誉が回復できないだろう」

「俺たちに頼らなくても何とかならねえのか」

「その前にうちの長官が心労で倒れてしまうよ。ほら来た……」


 リデリックの胸ポケットから着信音が鳴った。携帯電話を開くなり、上ずった男の声がロビーに響き渡った。

「リデリックくん、どこに行ったんですか! 今すぐ戻ってきてください! 大変なことになってるんですよ!」


 ヴァンダは眉間に皺を寄せる。

「誰だそいつ……」

「聖騎士庁の長官、スターン殿さ……どうしたんだい?」

「各議会で早急に襲撃犯を逮捕せよと決定しました! あの、どうしましょう?」

「それは長官が判断すべきだね」

「できる訳ないじゃないですか! 長官なんて名ばかりです! 私は汚職しかしたことがないんですよ!」

 エレンシアは小声で囁いた。

「ジェサ、貴女の組織のトップは……」

「言うな。私も困っているんだ……」


 電話の向こうの男は半泣きで叫ぶ。

「とにかく、今すぐ帰ってください! じゃないと……泣きますよ! 統京駅の前で泣きます! 聖騎士庁の長官がこんなに情けないとバレてもいいんですか!」

「よくないね。すぐ戻ろう」


 リデリックは苦笑して電話を切った。ヴァンダは溜息をつく。

「お前も大変だな」

「まあ、可愛らしいじゃないか」

「大した奴だよ、お前は……」


 ヴァンダはエレンシアの肩を叩いた。

「行こうぜ。馬鹿と仕事するメリットは落ち込む暇がないことだ」

「デメリットは?」

「それ以外全部だ」

「釣り合いませんね」

 エレンシアはドーナッツの箱を机の中央に大切に置いた。



 統京の街は厳戒態勢が敷かれ、人通りも少ない。武器を携えた殺し屋たちだけが、往来で目を光らせていた。

 ヴァンダはロクシーの運転する車の窓から通りを眺める。ビルの隙間から折れた鉄塔が無惨な姿を見せていた。助手席のシモスは黙ったままだ。


「あれが聖騎士庁ですね」

 エレンシアの声に、車が停止する。窓外を見ると、古風な白亜の建物が剣と翼のシンボルを掲げていた。



 ヴァンダたちは兵士が左右を固める門を潜る。

 敷地に踏み入った矢先、眼鏡をかけた男が栗色の髪を振り乱して駆けてきた。周りの屈強な兵士とは対照的に、棒のように痩せた色白な青年だった。


「リデリックくん、どこで何をしていたんですか!」

 声は先程の電話と同じだった。

「お待たせ。件の襲撃犯と戦闘した貴重な存在を連れてきたよ」


 男は目を瞬かせてヴァンダたちを見る。エレンシアが慎ましく一礼すると、彼も慌てて身を折った。

「ご足労いただき……あ、私は聖騎士庁長官の侍祭アコライトスターンと申します。お飾りのようなものですが……」

 リデリックが進み出た。

「長官、紹介するよ。保勇機関の創設者エレンシアと伝説の暗殺者アサシンヴァンダだ」

「貴方が……」


 スターンは呟くと同時に、急にヴァンダに縋りついた。

「何だよ!」

「貴方"赤い霜"ですよね? すごく強いんですよね! 是非助けてください!」

「長官殿!」


 割り込んだジェサがスターンを引き剥がした。

「いい加減にしてください! 恥ずかしくないのですか!」

「死ぬよりマシです! 各議会の方々も本気で怒っていましたし、殺されるかと……」

「長官殿の兄上は統京都議ですよね。便宜を図ってもらえたのでは?」

「わかりません……」

「わからない!?」

 スターンは身を竦め、泣きそうな声を漏らした。

「すみません、最初にすごい剣幕で詰め寄られた時点で頭が真っ白になってしまって、後はもう全てのことに適当に頷いてしまいました!」


 ジェサの言葉にならない怒号が響き渡った。警備の兵士たちが振り返る。リデリックは彼らをいなしてから、手を打ち鳴らした。

「さあ、後の話は中でしようか。過ぎたことより未来の問題を片付けなければね」

 スターンはズレた眼鏡を押し上げる。

「そうですね。では、保勇機関の皆さんもこちらに……」



 ヴァンダは彼らを横目に呟いた。

「一旦統京ごとその組織を滅ぼした方がマシかもな……」

「自棄はおやめなさい。行きますよ」

 エレンシアに促され、ヴァンダは見かけだけは荘厳な白亜の建物を仰いだ。

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