タナトフォビア

 爆破の残響が慟哭のように響き続けた。


「クド……」

 エレンシアは爆風に揺さぶられたように瞳孔を震わせた。ヴァンダは彼女の肩を強く掴む。

「しっかりしろ、エレンシア……勇者が、何人看取ったと思ってる」

「ヴァンダ……」


 エレンシアは蒼白な顔に垂れる赤髪を払った。金の瞳がヴァンダを見据える。

「では、命令します。奴らを殺しなさい!」

「応」


 ヴァンダは振り返り、指先から血の円環を飛ばした。≪勇者の血≫がベールの首にまとわりつく。

「抑えられるかわからねえがな」

 ベールは慇懃に首肯を返した。

「非合理的ですが、気持ちには感謝します」

 ヴァンダは歯を見せた。

「行くぞ、エレンシア!」



 辺りから悲鳴が聞こえる。爆発を逃れた血魔ダンピールが再び蠢き出していた。瓦礫を超えて包囲の外へ侵攻しようとする魔物たちをリデリックが単騎で凌いでいる。

 路肩に片目を抉られたクリゼールが倒れていた。吸血鬼ヴァンパイアと少年の姿は魔物の隊列に隠されて見えない。


 エレンシアは足を早めた。

「雑兵は私が。ヴァンダは奴らを頼みます」

「引き受けた」

 左右のビルが歪に捩れ、瓦礫が降り注ぐ。上空からの奇襲に抵抗する間もなく血魔たちが圧砕された。



 ヴァンダは山刀を水平に構えて、重心を落とす。切り込む寸前、突如真横から吹き込んだ突風が視界を掠めた。


 ヴァンダは身を退いて躱す。白い突風がビルに衝突した。聖騎士庁のパトカーがタイヤを空回ししながらビルから抜けようともがいている。ヴァンダは眉間に皺を寄せた。

「援軍……じゃねえな」


 パトカーの扉が開くのと、ヴァンダが山刀を振り抜いたのはほぼ同時だった。半壊した車から現れた男が山刀の刃を盾で受け止める。

「容赦ないな。人間だったらどうするんだよ」

 男の目は血のように赤く、爛々と輝いていた。

「じゃねえだろ」

 ヴァンダは蹴撃で男の盾を弾き、ガラ空きの腹を両断した。男の上体が塵となって消し飛ぶ。ヴァンダは運転席に座る女を鎖で引き摺り下ろし、抗う隙も与えず首を切り落とした。



 駆けつけたエレンシアが叫ぶ。

「彼らは?」

「血魔だ……今までのは即席で作った粗悪品。本来の血魔は人間とほぼ同格の知能を持ってんだよ。気をつけろ」

 瓦礫を超えて次々と車が現れ、赤い目の血魔たちが降車する。ヴァンダは山刀を構え、エレンシアが手を翳した。



 激戦の最中、ベールは避けた喉を押さえながら足を引きずって進んだ。

 彼は斧に縋って路傍に向かい、血の海に倒れるクリゼールを爪先で蹴った。

「君は……ベールだね。生きていてよかった……」


 クリゼールは残った片目を開いて呻く。

「吸血鬼は何てことを……血魔は屍兵グールにできないじゃないか。私から子どもを奪うなんて……」

「正気の沙汰ではないが、子への愛情は本物らしいな」

 ベールは表情を変えずに膝をついた。

「≪勇者の血≫でも血魔になるのは止められないようだ。死霊術師ネクロマンサー、私を使え。早く」

 クリゼールは血で凝固した目蓋を擦り、身を起こした。

「君も戦いたいんだね?」


 ベールは答える代わりに首筋に斧を押し当てた。血魔と切り結ぶ最中のエレンシアが振り返り、視線が交錯する。ベールは初めて口の端を吊り上げる笑みを浮かべた。

守門オスティアリーの務めは果たします。まだ勤務時間内ですので」

 ベールの首筋を滑った刃が鮮血を迸らせた。



 ≪勇者の目≫を手にした黒衣の少年は、魔物犇く大路を一瞥する。

「露払いはこれで充分だな。保勇機関の連中を仕留めておきたかったが……」


 少年の声を掻き消すように、禍々しい咆哮が轟いた。吸血鬼の少女が威嚇するように牙を剥き出す。

「オスカル、今の何?」

「まさか……」


 怒涛の黒波に襲われ、血魔の隊列が崩壊した。

「力を借りるよ……子どもたち!」

 クリゼールが吠えた。

 切り裂かれ、焼け焦げた亡者の集団が血魔たちに喰らい付く。先頭で虚な目をしたベールが片手の斧で血魔を砕いた。少年が呻き声を上げる。

「死霊術師……!」

 屍兵は自身が寸断されるのにも構わず、血魔たちを塵に変えていく。


 穴の空いた包囲にヴァンダとエレンシアが突入した。

「そこまでです。≪勇者の目≫は我々が奪還します」

 エレンシアが手を翳す。周囲に衝撃波が走り、飛来したガラスの破片が吸血鬼の両翼を切り刻んだ。


「イエリー!」

「ツレの心配してる場合か?」

 ヴァンダは少年の腕に山刀を滑らせた。少年が絶叫した。切断された右手が宙を舞い、≪勇者の目≫が落下する。

「エレンシア!」

 彼女が≪勇者の目≫を掴む寸前、黒い翼が彼女の手を弾いた。

 ヴァンダは咄嗟にエレンシアを引き寄せ、周囲のビルに鎖を走らせる。


 吸血鬼の翼が打ち鳴らされた。鎖を振り抜いて回避したふたりを風圧が襲う。

 ヴァンダとエレンシアが着地した瞬間、ビルが倒壊した。


「≪勇者の目≫が……」

 少年は傷口を抑えながら、残る腕で≪勇者の目≫を握っていた。吸血鬼は肩で息をしながら、声と翼を怒りに震わせる。

「許さない……」

 少年は憎悪の視線でエレンシアを睨んだ。

「お前が勇者の娘だな?」

 エレンシアは冷たい一瞥を返す。

「それが何か」

「お前だけは……」


 少年は奥歯を噛み締め、左手を振るった。

 倒壊したビルの向こうから武器を携えた血魔たちが現れる。吸血鬼が少年を抱きかかえて飛んだ。


 ヴァンダはエレンシアを離し、両手に山刀を構えた。

「奴らを逃すな」

「わかっています、ですが……!」

 エレンシアは胸を抑えた。


 一体の血魔がボウガンを構えていた。ヴァンダは飛来した矢を素早く弾く。その間に接近した血魔の男が短槍を振り抜いた。

「くそっ……」

 槍がヴァンダを貫く前に、血魔が動きを止めた。男の胸からは清廉な銀の刃が突出していた。


「待たせたね!」

 リデリックが剣の柄を捻り、血魔の心臓を抉り抜く。ヴァンダは正面の魔物を切り伏せ、デリックと背中合わせに構えた。

「守備はどうだ!」

「血魔が多すぎるな。それより、奴らが……」


 吸血鬼は血塗れの羽でふらつきながら飛行していた。地上には接近を阻むように血魔たちが構えている。

「鎖を伸ばせりゃ止められるが、血魔どもが邪魔くせえ……」



 ヴァンダがほぞを噛んだとき、騒がしいエンジン音が響いた。リデリックが振り返る。

「まだ来るのか!」

「いや、違う。あれは……」


 駿馬のように前輪を浮かせた改造バイクが瓦礫の山を飛び越えた。エレンシアが息を切らせながら口角を上げた。

「ロクシー、シモス!」


 ロクシーが金髪を靡かせて地獄に進み出る。彼の後ろには大剣を背負ったシモスが乗っていた。

 シモスは兄の腰にしがみつきながら悲痛に呟いた。

「クドさん、ベールさん……!」

「悼むのは後だ。突っ切るぞ!」


 ロクシーは速度を上げた。血魔たちがふたりに踊りかかる。

 旋回して避け、ロクシーはサングラスを押し上げた。バイクの進路にガソリンを湛えた黒い水溜まりが光っている。

「シモス、頭を打つなよ」


 ロクシーは横転せんばかりにバイクを傾けた。ミラーがアスファルトを擦り、火花を上げる。

「火力が足りないな!」

 シモスは鞘から剣を抜き去り、鋒で地面を掻いた。摩擦で弾けた火花が引火し、ガソリンが燃え上がる。血魔たちが炎の渦に巻き取られた。



 断末魔と共に上がった黒煙が、上空の吸血鬼の視界を奪った。

「よくやった!」

 ヴァンダは失踪し、燃え盛る魔物たちを飛び越える。手首から伸びた鎖が吸血鬼の羽根に絡んだ。

「お前ら、邪魔するな!」

 少女はもがくほど鎖が絡みつく。


 シモスがバイクから飛び降りた。

「シモス!」

 兄の制止を振り切り、シモスは横転した護送車を足場に跳躍した。大剣が吸血鬼の翼を裂く。少女が鋭い悲鳴を上げた。


「お前らがクドさんたちを殺ったのか!」

 シモスは怒りに肩を震わせた。

「だったら、僕が殺す!」

 少年が目を見開いた。

「お前らに正義があるとでも!」

 吸血鬼の翼が赤い光を纏い、傷が修復する。


 ヴァンダが鋭く言った。

「シモス、退がれ!」

 旋風が渦を巻き、血の鎖が弾け飛んだ。吸血鬼が宙高く舞い上がる。風に煽られながらヴァンダは空を睨んだ。


 吸血鬼に抱かれた少年が殺し屋たちを見下ろした。

「覚えておけ。俺はオスカル・イザウラ・フェ・ドゥーラ」

「フェ・ドゥーラ……?」

 ヴァンダは繰り返す。

「勇者の名の下に滅ぼされた、最後の王族だ!」


 エレンシアは息を呑んだ。

 吸血鬼たちは黒煙で染まった空に消えた。

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