The Dying Song
エレンシアとジェサの乗る護送車は腹を見せて道路に転げ、至る所から煙を上げていた。
先頭を走っていた車には折れた鉄柱が突き刺さり、標本のように地面に縫い止められている。
リデリックが無線に怒鳴った。
「生きている者は応答を!」
砂嵐に似たノイズの後、聞こえたのはクリゼールの掠れた声だった。
「逃げるんだ……奴らがすぐそこまで……」
ヴァンダは視力を強化する。
少し離れた場所にガソリンと血の混じった染みが道路に広がっていた。黒く燻る血溜まりに、車外に投げ出されたクドとベールが倒れている。
「あいつら……! 降りるぞ!」
ヴァンダとリデリックは同時に屋上から飛び降りた。
着地する寸前、地面から無数の真空の棘が突出した。山刀と片手剣が棘を薙ぎ払い、ふたりは数歩後退して着地する。棘は血管のように脈動し、ヴァンダの身の丈ほど伸びた。
「これも
「こんな芸当やらかす個体は知らねえな……リデリック、何秒かかる?」
「一分、いや、三十秒で払う!」
リデリックは重心を落とし、剣を刺突した。棘の柵が螺旋状に抉れる。ヴァンダはその空洞を押し広げるように斬撃を放った。
三十秒後、ふたりの視界を塞ぐ赤い棘が砕け散った。
広がる大通りは地獄と化していた。
横転した車から漏れたガソリンが引火し、大蛇のような焔が道端を這っている。周囲に散乱した瓦礫は火炎を纏って燃える要塞と化していた。
逆さに突き刺さった鉄塔の周りには屍の山が積み重なっていた。聖騎士庁の兵士たちだ。
ヴァンダは煮えたぎる道路を睨み、エレンシアの影を探した。
「ヴァンダ、行こう! 襲撃の目的がクリゼールなら同乗しているジェサとエレンシア嬢が危ない」
駆け出そうとしたリデリックの肩をヴァンダが押し留める。
「待て。お前らあんなに数が多かったか?」
リデリックは息を呑み、地獄絵図を見つめた。
「いや、明らかに最初より増えている……道路の各所に警備の兵は配置していたが、それより多いな」
ヴァンダは視力を強化した。血と焦げ跡で黒と赤に染まった屍は判別がつきにくいが、聖騎士庁の制服を纏っていない者が混じっていた。
「民間人か?」
「道路は封鎖している。入れるはずがないよ」
突如、屍の山が隆起した。
血塗れの人間たちが何事もなかったように立ち上がり、一斉に歩き出す。彼らは倒れた兵士たちの前に屈み込むと、ゴミを漁るように手足を掴んで見聞し、首筋に噛み付いた。リデリックが頬に汗を浮かべて囁く。
「これは、クリゼールの
「違う」
ヴァンダは奥歯を軋ませた。
「吸血鬼の異能だ。血を吸った人間を眷属の
ヴァンダは一瞬で跳躍し、兵士たちに群がる血魔に斬り込んだ。唇から鮮血を垂らした一体の首が宙を舞い、兵士を抱きかかえていた一体の肩から胸骨までを抉り取る。
「ヴァンダ、後ろだ!」
リデリックの声に振り返ると、ヴァンダの背後で陽炎が揺らいだ。ふらりと立ち上がったのは、先程まで瀕死だった聖騎士庁の兵士たちだ。
「遅かったか!」
ヴァンダは山刀で兵士たちの両腕を薙ぎ払う。駆けつけたリデリックの刺突がふたりの兵士を刺し貫いた。
「すまない、守れなかった」
リデリックは引き抜いた刃の背を手で拭う。炎の先に、横転した護送車が見えた。
ひしゃげたボンネットに切断された人間の手が乗っている。フロントガラスから窓ガラスは砕け散り、運転席にいたダイルとデッカーが項垂れている。
空が暗く翳った。黒の両翼が羽ばたきながら現れる。吸血鬼の少女と、彼女に肩を抱かれる黒衣の少年は、護送車の上に降り立った。
リデリックがヴァンダに視線を送った。ヴァンダは首を横に振る。
「行くな」
「何故!?」
「あいつの邪魔になる」
ヴァンダは道端に積み上がった瓦礫を見つめた。
吸血鬼は少年を優しく地上に降ろした。
「ありがとう、イエリー」
彼は少女愛おしげな眼差しを送ると、デッカーとダイルを冷たく見下ろした。
「お前らに用はない」
少年は両手でふたりを引き摺り出し、路傍に打ち捨てる。デッカーとダイルが呻き声を漏らした。
「オスカル、殺す?」
「生かしておくんだ。後で血魔にできる。それより、≪勇者の目≫が最優先だ」
吸血鬼は羽ばたいて車上から離れ、いとも簡単に護送車を裏返した。少女が指示を待つように首を傾げる。
「入ろう」
少年が割れたフロントガラスを蹴破り、吸血鬼がそれに続く。そのとき、護送車が宙に浮き上がった。
「何だ!?」
中から少年の上ずった声が響いた。護送車がビシリと音を立てて軋む。車の両端が紙屑を丸めるように折れ曲がった。護送車は独りでに収縮し、侵入者を閉じ込めていく。
ヴァンダが吠えるように叫んだ。
「やれ、エレンシア!」
瓦礫の山から傷だらけの手が突き出した。炎より赤い髪を逆立たせ、左手でジェサを抱えたエレンシアが右腕を伸ばす。
「
脈動と共に護送車が一瞬で圧縮される。歪な鉄塊と化した車から血煙が噴出した。
跡形もなく潰れた護送車が転げ、間近のビルに突っ込んだ。中から魔物が現れる気配はない。
ヴァンダとリデリックはエレンシアたちに駆け寄った。
「無事か、エレンシア」
エレンシアは擦り傷だらけの顔で頷く。
「ええ、咄嗟に車から飛び出したので。ジェサも気絶しているだけです」
リデリックが安堵の息を漏らした。エレンシアはヴァンダの手を借りて姿勢を正す。
「……あれは吸血鬼ですね。もうひとりの人間は?」
「わからねえが、魔王禍だろうな」
エレンシアははっと顔を上げた。
「先頭車のクドとベールが!」
ヴァンダは首肯を返す。燃える大通りには血魔と化した聖騎士庁の兵士たちが蠢いていた。何体かは瓦礫の山を突破し、包囲を超えて街に出ようとしている。
ヴァンダが口を開く前にリデリックが言った。
「血魔は私がやろう。君たちは仲間のところへ」
「悪いな」
「これは聖騎士庁の責任さ」
リデリックはジェサを物陰に寝かせる。彼が血魔の群れへ向かったのを確かめ、ヴァンダとエレンシアは駆け出した。
鉄塔が貫いた護送車の周りには血魔たちが集っている。その中心で誰かが魔物たちと切り結んでいた。
「ベール!」
ベールが顔を覗かせる。固めた前髪は血と埃で乱れていた。
ベールの斧が血魔の頭蓋を叩き割る。
エレンシアが手を伸ばすと、周囲のビルから窓ガラスが弾けて降り注いだ。血魔たちが怯んだ隙をつき、ヴァンダは魔物の群れに飛び込む。
山刀の刃が血魔を切り刻み、地面に赤い霜を降らせた。
「無事か……」
塵と化していく魔物を蹴散らしたヴァンダは途中で言葉を区切った。
ベールの右腕は千切れ、脇腹は抉れていた。首筋に空いた小さな穴からは間断なく血が溢れている。ベールは重傷を負いながら無表情を崩さず言った。
「申し訳ない。噛まれました」
エレンシアが息を漏らす。
「ベール……」
「ご心配なく。血魔と化す前に自分でケリをつけます。それより……」
ベールは傍に視線をやる。
クドは両断された護送車に背をつけて倒れていた。彼女の胸には折れた鉄の支柱が刺さり、アロハシャツを深紅に染めていた。
「クド!」
駆け寄ったエレンシアにクドが力無く笑みを返す。
「しくじった……カッコ悪いね……」
「喋らないで、ヴァンダ、止血を!」
ヴァンダは指を噛み、零れた血をクドの傷口に押し当てようとした。クドは震える手でそれを払う。
「やだ、変態……」
「ふざけてる場合か!」
「ボクはもう駄目、わかるんだ……その血はベールに使って。血魔になる前に食い止められるかも……」
彼女の胸が上下するたび、唇から血が溢れ、息が細くなる。
ヴァンダがクドとベールを見比べた瞬間、背後で轟音が響いた。
倒壊しかけたビルから黒い翼が突き出していた。瓦礫を蹴破り、少女と少年が姿を表す。
「生きてやがったか!」
「ヴァンダ! あれを……」
エレンシアが指をさす。ビルから現れた少年はクリゼールの髪を掴んで引きずっていた。クリゼールの焼け爛れた顔は血に塗れ、眼窩が陥没していた。
「大丈夫、オスカル?」
「ああ、これで……≪勇者の目≫が手に入った」
少年の手には、クリゼールから抉り出したばかりの眼球が握られていた。吸血鬼は羽ばたいて大通りへ出る。
「血魔を増やす?」
「そうだな、さっき逃した奴を使う」
彼らの視線の先には大柄なデッカーを引きずって逃げるダイルの姿があった。
「エレンシア、やるしかねえ」
「しかし、クドとベールが……!」
血魔が四方から現れ、デッカーとダイルを包囲する。ヴァンダが山刀の柄に手をかけたとき、クドが笑みを漏らした。
「あの子、ボクの写真見てくれてた子だ……」
クドは全身を震わせて立ち上がる。エレンシアが叫んだ。
「駄目です、動かないで!」
「ごめんね、ボス……」
クドの片手には爆弾が握られていた。彼女は虚な目で血魔たちを見定める。ヴァンダは引き止めようとしたエレンシアの肩を抑えた。
「ヴァンダ、離しなさい! 命令ですよ!」
ヴァンダは目を伏せた。
「行ってこい。お前の怪談悪くなかったぜ」
「マジで? ありがと……」
クドは血の滲んだ歯を見せて笑った。
「さあ、死後の証明しに行こうか!」
エレンシアが目を覆う。クドは駆け出した。
血魔たちがダイルとデッカーを襲う寸前、彼女は爆弾を抱えたまま飛び込んだ。
業火と爆音が大路を染めた。
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