悪魔の逆襲

 三台の護送車は複雑なパッチワークを縫うように統京の路地を進み出した。


 窓から射す陽光が鉄格子にぶつかって車内に乱反射する。


 ヴァンダは固い座席に腰掛けた。相対するリデリックは前方に視線を向ける。

「ジェサとエレンシア嬢か。少々心配だね」

「戦力が?」

「車内の空気さ」

「そうでもねえだろ。エレンシアは気を許した相手ほど態度が雑になるだけだ」

「なるほど」


 ヴァンダは柔らかく笑ったリデリックを見据え、足を組んだ。

「本題に入ろうぜ。俺たち保勇機関を頼った理由は何だ」

「ふたつある」

 リデリックは花の刺青が絡んだ指を立てた。


「ひとつは≪勇者の欠片≫に関してさ。ここ一、二年で奪い合われた欠片の数に反して、所有者が少なすぎるんだ」

「何?」

 ヴァンダは眉間に皺を寄せる。

「何者かに奪われて以来行方の知れない欠片が多数ある」

「俺たちみたいに保管を目的としてる奴がいるってことか?」

「どうかな。個人が使わずに所有するには危険が大きすぎる」

「で、俺らが隠してると思った訳か?」

「いや、大量の私兵を有するクリゼールが所持していると踏んでいた。でも、アジトは空だったね」

「妙な話だな……もうひとつは?」


 リデリックは表情を曇らせた。

「言うべきか迷ったけれど、君たちに敵意を持った存在がいるようだ」

「俺たちに?」

「ああ、記名付きの投書があってね。保勇機関は統京が掲げる治安維持に反する卑劣な組織だ。聖騎士庁が対応しないならば我々が実力行使を行う、と」

「大層な文書だな。他の殺し屋ギルドはごまんとあるのに何でうちだけ?」

「それより引っかかったのは投書の内容より名前なんだ」

「何?」

「名字があったんだ。この意味がわかるだろう?」

 ヴァンダは眉間の皺を濃くした。

「名字……王族か?」

 リデリックは答えずに目を伏せた。

「質の悪い悪ふざけだろ。王族は六十年前の革命で残らずくたばった」

「勿論。ただの愉快犯だろう。しかし、気がかりだったから君たちを目につくところで保護しておきたかったんだ」

 ヴァンダは腕を組み、自分の爪先を睨むように俯いた。



 沈黙を無線のノイズが破った。リデリックが通信機を手に取る。

「どうかしたかい?」

 聖騎士の若い男が困り果てた声をあげる。

「ダイルです。すみません、死霊術師ネクロマンサークリゼールが急に暴れ出して……猿轡を外してもいいでしょうか」

「わかった、許可しよう」

「リデリックさんが仰るなら……今外しますね」


 無線から断続的な物音が続いた後、クリゼールの甲高い声が響いた。

「車を止めるんだ、子どもたち!」

「子どもたち?」

 ヴァンダが口を挟んだ

「奴は全人類を我が子だと思ってる。本気でな」

「それはすごいね」


 無線の向こうからダイルの怒声が聞こえた。

「暴れるな! さっきまで大人しかったのに……」

「いいから、早く逃げるんだ! このまま進んじゃいけない!」

 リデリックはヴァンダに視線を投げる。

「どう思う?」

「どっかに仲間を隠して逃げる算段でも立ててるのかもな。一応警戒させとけ」


 クリゼールが無線越しに割り込んだ。

「そこにいるのはヴァンダかい?」

「聞こえてんのか。馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえよ」

「勇者の仲間だった君ならわかるだろ! ≪勇者の目≫が捉えたんだ! あの先の鉄塔に何かいる!」


 ヴァンダは小さく目を見開いた。

 窓外を睨むと、三台の護送車の進路に赤い電波塔が聳えていた。遠近感を失うほどの高さに軽い眩暈が襲う。尖った先端に視線を這わせると、塵のような黒点がひとつぶら下がっていた。

「……確かに何かいるな」

 ヴァンダは視力を強化し、鉄塔を睨んだ。黒点は徐々に楕円状に広がっている。リデリックがヴァンダの横に並び、身を乗り出した。

「見えないな。あの先端かい?」

「ああ、だんだん横にデカくなってる。いや、あれは羽根か……?」


 ≪勇者の血≫で強化された視覚が、一対の黒い翼を捉えた。危険を知らせるように視界が明滅する。

 ヴァンダは立ち上がり、護送車の窓に手をかけた。

「リデリック、出るぞ!」

 弾指の間に脚力を強化し、鉄格子に塞がれた窓を蹴破る。風圧が全身を押すのに構わず、ヴァンダは窓外に飛び出した。


A chuisle mo chroi我が鼓動、愛しき血よ!」

 空中に投げ出されたヴァンダの手首から赤銅の鎖が伸び、鉄塔の根元に絡みつく。護送車の運転手の怒声が背後で聞こえた。

 ヴァンダは車の側面を蹴って跳躍し、反動に任せて風を切る。左右の視界が剛速で流れ、靴底が鉄塔の支柱を踏んだ。


 ヴァンダは鎖を頼りに鉄塔にぶら下がり、上空を睨んだ。黒点は視力の強化をやめても目視できるほど肥大化している。

「あそこか……」


 ヴァンダは拳を握りしめた。呼応するように無数の鎖が上へと這い上がり、鉄塔に絡みつく。

 ヴァンダは一度大通りを見下ろした。三台の護送車は速度を落としながらも走行を続けている。ヴァンダは再び上へ視線を向け、鉄塔を駆け上がった。


 幾何学状に組み合わされた支柱を踏みしだき、標的に接近する。≪勇者の血≫を巡らせた瞳孔が影を捉えた。

 鉄塔の先端に腰掛けるのは、人間味を感じさせない白髪と、同系色のワンピースを纏った少女だった。

 毛先とスカートの裾を風に遊ばせる少女の背には、横幅が彼女の背丈の倍以上ある、蝙蝠じみた羽根が生えている。


 ––––屍兵グールじゃねえ。だが、魔族であることは確かだ。

 ヴァンダは鎖を手繰り寄せ、少女の背後の支柱に足を止めた。音を立てず山刀を鞘から抜く。刃に反射する少女が振り返った。

「お前、誰?」

 鋼を叩いたような冷たく涼やかな声だった。ヴァンダは答えず、一瞬で少女に接近した。


 振り抜いた山刀の鋒が少女の首を刎ねる寸前、刃が止まった。彼女は身じろぎひとつせず左右の羽でヴァンダの山刀を食い止めていた。瞬きした少女の瞳は、血を湛えた杯のように赤かった。

 ––––この馬鹿力、目の色と翼。

吸血鬼ヴァンパイアか!」


 少女は表情を変えずに呟く。

「お前、邪魔」

 黒い翼が山刀を弾く。ヴァンダはたじろいで後退した。


 少女は獣のように四肢で鉄塔の先端にしがみつき、翼を打ち合わせた。旋風が渦巻き、鋼鉄の支柱が軋む音が響く。風圧がヴァンダを襲い、鉄塔がぐらつく。

 一瞬の間断の後、漆黒の翼に挟まれた塔の先端が飴細工のように捻じ切れた。


 ヴァンダを繋ぎ止める鎖ごと鉄塔が逆さに傾ぐ。

「くそっ……」

 切断された鉄骨と弾けたネジが降り注ぐ。落下するヴァンダの視界に、逆さまの少女が牙を剥くのが映った。

 ––––鎖の防御、いや、この距離なら討てるか。駄目だ、それより、このまま塔が落ちれば護送車に被害が出る。


 そのとき、視界の端を痩躯の影が駆け抜けた。

「ヴァンダ、塔は頼んだよ。魔族は私が」

 リデリックは傾いだ鉄塔の側面を蹴り、細身の片手剣を構えた。

 幾何学状の支柱の隙間を縫い、性格無比な刺突が少女の喉を貫く。鮮血が暴風に舞い散り、鋭い悲鳴が上がった。


「よくやった!」

 ヴァンダは手首の鎖を宙に拡げた。円環が折れかけた尖塔を縫い止め、逆さのまま食い止める。ヴァンダとリデリックは鉄塔の中央に着地した。

「リデリック、殺ったか!?」

「いや、どうかな。手応えが硬かった」


 リデリックは紫紺の瞳で敵を睨む。少女は喉を抑えながら細い声を上げた。

「オスカル、やって!」

 ヴァンダは少女の視線の先を見る。鉄塔の真下に黒衣の少年がいた。遥か下の地上で、少年が憎悪に顔を歪めるのがわかる。彼は虚空に手を翳し、握りつぶすように右手の拳を握った。吸血鬼が虚ろに微笑んだ。


 漆黒の翼が夜闇のように広がる。

 ヴァンダとリデリックが動くより早く、少女は再び羽根を打ち鳴らした。二条の黒い閃光が走り、鉄塔を破壊する。


 鋼鉄が弾け飛び、ヴァンダたちの足場が消え去った。

「リデリック!」

 ヴァンダは鎖を伸ばし、リデリックの全身を絡め取って間近のビルに飛び移る。硬い屋上に投げ出されたふたりを轟音が襲った。


 濛々たる粉塵と鉄の破片が降り注ぐ。

 ヴァンダとリデリックは屋上の手すりから地上を見下ろした。

「ヴァンダ……」

 リデリックが僅かに青ざめる。ヴァンダは唇を噛み締めた。

「くそったれ……」


 煙が風に払われ、地上が顕になる。鉄塔は跡形もなく破壊されていた。

 倒壊した先端は道路に突き刺さっている。周りには横転した二台の護送車が黒煙を上げていた。

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