標的:復讐者

Wonderous Stories

 夢の中は霧雨だった。


 冷気の満ちた洞窟は焚火もすぐに消える。

 ヴァンダは湿った壁に背を押しつけた。

 柔らかな闇に包まれる勇者の髪は、埋み火のように赤かった。


「寒いね……」

 勇者は木枝で焚火を突きながら呟いた。

「ヴァンダは眠れる?」

「スラム育ちは何処でも眠れるさ。お姫様だって雑魚寝してるくらいだからな」

 洞窟の奥には、華奢な少女が蹲って眠っていた。陶器のような肌は泥で汚れ、豊かな金髪も汚れた雨水に濡れている。


 勇者は白い息を吐いた。

「王様はちょっとひどいや。ルシアリアは女の子なのに、布団もテントも持たせないなんて」

姫騎士プリンセスだって戦士だろ」

「でも、寝床までおれたちと一緒で嫌じゃないのかな」

「男だと思われてないんじゃねえか?」


 勇者は木の枝を落とした。

「やっぱり? そうだよな。王室には上品でカッコいい王子様がたくさんいただろうし……おれみたいな剣しか知らない田舎者なんて、カエルみたいなもんかな?」

「知らねえよ。何でお前ら俺に聞くんだよ」

「お前らって?」


 ヴァンダは濡れた煙草を熾火に押しつける。

「ルシアリアもこの前聞いてきたぜ。お前と酒場の看板娘は本当にただの幼馴染なのかって。高飛車なお姫様より素朴で可愛いな方が好きなのかってよ」

「そうなんだ……」


 勇者は暗がりでもわかるほど顔を赤くした。

「それを聞くってことはさ、カエルよりはマシだと思われてるのかな……」

「知るか。いいからお前も寝ておけよ。賢者たちが戻ったら見張りの交代だ」


 煙より細い火を眺め、ヴァンダはこれは立志から間もない頃の光景だと思った。

 貧弱な装備と粗末な待遇、あの頃は勇者が魔王を倒すなど信じないなかった。勇者とすら呼ばれていなかった。あの頃は。


 ヴァンダは顔を上げ、勇者の名前を呼ぶ。

「ワヤン」



 ***



 開いた目に広がったのは、廃ホテルの朽ちかけた天井だった。雨垂れと黴が紋様のようだ。


「随分とまあ……黴の生えた夢だな……」

 ヴァンダはかぶりを振って身を起こす。


 窓を開けてベランダに出ると、隣室のエレンシアが室外機に腰掛けていた。


「おはようございます、私まで早起きになってしまいましたよ」

「悪かったな。部屋を変えるか?」

「まさか」


 ヴァンダは煙草を取り出しながら、彼女の膝の上に載った本を見下ろした。

「それ何だ?」

「女流劇作家ザヴィエの本ですよ。我々のパトロンです」

「そんなこと言ってたな。勇者物語か?」

「ええ、妻ルシアリアとの恋愛ものです」

 ヴァンダは肩を竦めた。

「実際はロマンスと程遠いボンクラどもだったけどな」

「貴方から直接聞く方が楽しそうですね」



 エレンシアは室外機の上で身を反転させ、ヴァンダに向き直った。

「質問がたくさんあります。まず私の母は王女だったのでしょう。何故魔王との戦いに参加したのですか?」

「王女ルシアリア・フェ・ドゥーラは末子で、王室での重要度は最下位に近かった。無意味に城に縛られるより王族として民の役に立ちたかったんだとさ」

「王族が参加する意味はあるのですか?」



 ヴァンダは煙草を歯に挟んで呻いた。

「……王族の話は今じゃタブーだからな。知らねえのも当然か。王家には神秘の力があったんだよ」


 エレンシアは小さく息を呑んだ。

「神秘ですか」

「ああ、魔王禍の魔力に近い類だ。魔力ってのは水脈みたいなもんで、この世界に流れちゃいるが、水道の蛇口を捻れるのは魔族だけだ。だが、王家の血筋だけは人間の身でそれができた」

「それで長い間国を統治できたのですね」

「魔力を意のままにできる魔王が現れてから、王族が使える分はほとんどなくなったらしいがな。だから、民衆でも討ちとれたんだろうよ」


 エレンシアが目を伏せたのを見て、ヴァンダは煙を吐いた。

「他にご質問は?」

「では、勇者物語に彼本人の名前が出てこないのは何故ですか?」

「単純に勇者としてあまりに有名になりすぎたからだ。個人としてのあいつを見てる奴なんかほぼいなかった」

「貴方は知っているんですよね」

「そりゃあな」


 ヴァンダは顎を上げ、朝焼けに煙の橋をかける。

「ワヤンだ。勇者の名前はワヤン。お前は覚えておいてやれ」

「ちゃんと覚えておきますよ」

 エレンシアは髪を掻き上げて微笑んだ。


「では、父と母の馴れ初めは?」

「本に書いてねえのか?」

「作り話などいくらでも脚色できます」

「それもそうか。まず……」


 ヴァンダの言葉を遮るように、携帯の着信が鳴った。エレンシアは不機嫌そうに電話を取り、二、三言交わして切った。

「聖騎士庁から仕事です。死霊術師ネクロマンサークリゼールの護送ですよ」

「しょうがねえ」

 ヴァンダは手すりで煙草の火を揉み消す。

「続きはまた明日聞きますよ」

 エレンシアは薄明の光に赤毛を透かして笑った。




 統京の大通りを、聖騎士庁のパトカーが白波のように埋め尽くしていた。


「大所帯だな」

 ヴァンダは呆れながら呟く。

「聖騎士庁が初めて生捕にした魔王禍ですからね。然るべき場所まで護送し、≪勇者の欠片≫を切除するそうです」

「然るべき場所を知られてもマズい。他の魔王禍の襲撃にも備えなきゃならねえってことか」


 車体の波を超えて、クドとベールが現れた。

「おはようー。二日酔いだよー」

「今日も仕事があることは予測できていたはずだ」

「説教やめて! 頭痛がひどくなる!」

「心因的な問題だ。病状との相関はない」

 エレンシアが苦笑した。

「ふたりはいつも通りですね」


 殺し屋たちの前に三台の護送車が停まる。

 一様にかけられた遮光性の幌の下から、武骨に輝く鉄格子が覗いた。


「二台はカモフラージュか」

「その通り」

 ヴァンダの呟きに、明朗な声が答えた。先頭の車から聖騎士庁のリデリックとジェサが降りる。


 ジェサはエレンシアを見るなり声を上げた。

「不本意だが、今回の保勇機関の働きは見事だったと褒めてやろう! だが、我々の尊い犠牲ありきのものであったことは忘れないように!」

「尻拭いをさせてすみませんでしたというのにそれほどの言い訳が必要ですか?」

「何だと!」


 リデリックは軽薄な笑みを浮かべてふたりを取り成した。

「まあ、お互いの協力あってこそということでいいじゃないか」

 彼はヴァンダに向き直って微笑む。

「鮮やかな手際だったね。君ならやると信じていたよ」

「胡散くせえ奴だな。本心だから手に負えねえ」


 ヴァンダは肩を竦める。

「今回の件で話がある。時間あるよな?」

「勿論。今夜は空いているよ。積もる話は部屋を取っていくらでも」

「殺すぞ。護送車で済ませるからな」

「仕方ないな。うちの輸送兵ポーターも紹介しておこう」



 リデリックが指で示すと、運転席と助手席からふたりの男が出ていた。そばかすのある年若い青年と、全身に傷跡のある年嵩の男だった。


 青年が慌てて敬礼する。

「はじめまして! 聖騎士庁のダイルと申します。こっちの厳つい方はデッカーさん。よろしくお願いします!」

 顔を背けたデッカーに反して、ダイルは目を輝かせた。


「"赤い霜"や"残花"のおふたりと仕事できるなんて光栄です! 自分、元は殺し屋志望だったんですよ。クドさんもいるじゃないですか!」

「おっ、ボクのこと知ってる?」

 クドが八重歯を見せた。

「はい! クドさんがオカルト雑誌に寄稿した心霊写真集の切り抜きも持ってます! 後でサインもらえますか?」

「いいよ! 一緒に写真撮ろう。笑って!」


 肩を組むクドとダイルを横目に、デッカーが苦々しい表情をした。

「聖騎士庁が殺し屋に擦り寄りやがって。面子が丸潰れだ」

 彼は腕組みして顎をしゃくる。

「俺は殺し屋なんて信用してねえからな。"残花の"リデリックだって元四騎士だか知らねえが、そんな細腕で本当に強いのかね」


 リデリックはデッカーに歩み寄り、硬く組まれた腕を解いた。

「確かに君の腕は逞しいね。その傷も人々を守ってきた証だ。美しいと思うよ」

「おお……?」


 ヴァンダはリデリックの尻を蹴り飛ばす。

「口説いてんじゃねえ、殺すぞ。真面目な仕事じゃねえのかよ」

「おっと、そろそろ時間だね」



 リデリックはスーツの下から懐中時計を出し、笑みを打ち消した。

「護送は三台体制で統京を螺旋状に巡回しながら行うよ。先頭は索敵に長けるクドとベール。最も警備が強固な中間はジェサとエレンシア。殿しんがりは私と君でいいかな?」

「悪くない。警戒しといて損はねえからな」


 リデリックは声を潜める。

「君も感じてるかい?」

「ああ、殺し屋の勘だろ。ろくでもねえことが起きそうだ」

 ヴァンダは晴天の空を睨んだ。

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