たかが戦の終わり
地下空洞に警笛が鳴り響いた。
錆びついた列車からロクシーが顔を覗かせる。
「終わったみたいだな。いざとなったら列車でぶっこむつもりだったが……シモス!?」
シモスは血反吐まみれの手で顔を拭った。
「大丈夫です。返り血ですから」
ベールが無感情に口を挟む。
「全てではない。首と左頬と左脇腹、右肩の血痕は彼本人のものだ。満身創痍と言える」
「何が大丈夫だ、馬鹿野郎! 」
ロクシーが運転席から飛び出す。
遅れてエレンシアが車両から降りた。
「お疲れ様でした。全員無事で何よりです。それと、ヴァンダ」
彼女は指先でヴァンダを呼び寄せる。近寄ると、脇腹に軽く肘が打ち込まれた。
「何だよ」
「聞いていましたよ。人質などと言って、結局シモスに絆されているではありませんが」
「別にいいだろ。あいつらは内通してなかったんだ」
「問題はそこではありません。また雑に勇者の精神性を感じていましたね。いつか敵に利用されますよ」
「雑に感じてねえし、利用されねえよ」
「いいえ、ヴァンダは自己犠牲心の強い若者が弱点だと魔王禍の間で共有されているはずです」
「されてねえよ」
クドが八重歯を見せて笑う。
「ボスがそんな感じなの珍しー。親子みたいだね」
「親子ではありません。百歩譲って私が親です。こうして戒めているのですから」
エレンシアは咳払いし、屍の山を見渡した。
「魔王禍の処遇は一旦保留ですね」
「処遇って、死んだんじゃないの?」
クドの問いにヴァンダはかぶりを振る。
「
「後のことは依頼主の聖騎士庁に押しつけましょう。ひとまず勝利の祝いにしましょうか」
「いいね、ボスの奢り?」
「勿論です」
ベールは半歩退いた。
「それは今回の任務内容に含まれていません」
エレンシアは機械的に返す。
「三時間二十六分」
「何のことでしょうか」
「任務開始から今までの時間です。まだ勤務時間内ですよ」
ベールは息を漏らした。
「八時間で直帰しますので」
殺し屋たちを乗せた車はダイナーの"勇者の胃袋"に滑り込んだ。
「結局ここかよ」
「ヴァンダ、雇用主に口答えは許しません」
エレンシアは車を停めながら満足げに微笑む。
「親子か……」
ヴァンダは独り呟き、シートベルトを外した。
ダイナーのドアを開けた瞬間、鋭く細い風がヴァンダの頭上を掠め、鴨居に包丁が突き刺さった。クドが目を剥く。
「何? 敵がいるの?」
「違えよ、店主だ」
ヴァンダは包丁を引き抜き、厨房へ投げ返す。店主は二本の指で刃を挟んで受け止めた。
「お前ら飲食店に血塗れで入るな……死にたいのか……保健所の監査が入ったら命で責任を取ってもらうぞ……」
厨房の湯気の奥から双眸がギラつく。殺し屋たちは上着を脱いで、返り血を絞った。
奥の席に押し込められたヴァンダたち六人の前に次々と料理が運ばれる。
「相変わらず注文を聞かない店主だな」
呆れるヴァンダの傍らで、エレンシアは干し葡萄の入った皿に手を伸ばした。
「いいではないですか。ここの料理は外れなしですよ」
ロクシーは布巾で何度も弟の顔を拭っていた。
「傷は本当に大丈夫か?」
「大丈夫です。僕が兄さんにやった方が酷いですから……」
「気にするな。オレは頑丈だ」
クドが食前酒を煽って八重歯を見せる。
「家族愛だね、あ、それだとクリゼールみたいか」
「どういうことですか?」
「ボスは聞いてなかったか。クリゼールは人類皆家族だと思ってるんだって。『子どもたち!』って呼びかけられたよ」
「イカれていますね」
ベールはバーガーからピンを抜きながら無表情に答えた。
「正気の沙汰ではないが彼なりの理論はありました。ひとはいずれ皆死に、
「死なずに、家族として、ですか……」
エレンシアが表情を曇らせたのを悟り、ヴァンダは煙草に火をつけた。
「勝利の祝いで敵の話なんかよせよ。クドの怪談の方がまだマシだ」
「おっ、話せってこと?」
クドも灰皿を引き寄せ、煙草を取り出す。
「じゃあ、とっておきのやつね」
「飯が不味くなる話じゃねえだろうな」
「このハンバーガーのケチャップを見て思い出した話!」
「不味くなるに決まってるじゃねえか」
クドは構わず咥え煙草で続けた。
「ある町医者が魔王禍絡みの事件の関与を疑われてね。彼はその場で採血して自分の血を警察に渡したんだ。検査の結果、現場に残った血痕とは全く合わなかった」
「それで?」
「十年後、再び事件が起こって、また病院に警察が来て、医者は不承不承また自分の血を抜いて預けたの。結果は……」
クドは声を潜めた。
「その血液は明らかに死後十年経ってたんだって! 幽霊が医者をやってたんだよ!」
シモスが身を震わせ、手からフォークを取り落とす。店主の鋭い視線が飛んだ。
「やっぱりシモスが一番いい反応!」
クドは満足げに手を叩く。ヴァンダは灰を落としながら、エレンシアを盗み見た。苦笑を浮かべる彼女に先ほどの憂いがないのを確かめて、ヴァンダは煙草を自分の唇に押し当てた。
「お前、何でそんなに怪談ばっかり集めてるんだ?」
「だって、面白いでしょ」
「殺し屋が幽霊を信じてるのも妙な話だろ。いるならとっくに取り殺されてる」
「その逆かな。信じたくないからいないって証明を求めてるのかも」
クドは吐き出した煙をテーブルに這わせた。
「親友がいてね。ボクが殺し屋になる前からそいつは殺し屋だった。そんな仕事してたらいつか死んじゃうぜ、挨拶もできずにお別れなんて嫌だよって言ったら『死んだら幽霊になって挨拶しに行くよ』って」
「……それで?」
「親友は死んだけど音沙汰なし。鏡にメッセージが書かれることも、消したはずの電気がつくこともなかった」
クドは肩を竦める。
「親友はいっぱい友達がいてさ。ボクの一番はそいつだったけど、親友の一番はボクじゃなかったかも。最後のお別れの機会はもっと大事な奴に使ったのかなって」
エレンシアが伏し目がちに見つめると、クドは八重歯を見せた。
「そう思いたくないんだよ。だから、親友は来なかったんじゃなく幽霊なんか最初からいないって証明するために心霊写真を撮りまくってる」
「それは、いつになれば納得できるのですか?」
「どうだろうね。一生かかるかも」
クドは慌てて炭酸水を煽った。
「あーあ、暗い話しちゃった。今のなし! 怪談に戻ろうよ」
「怪談も明るくねえよ」
「ひとつ言うなら、クドの先程の話は怪談ではない」
冷徹に口を挟んだのはベールだった。
「医者は自身が疑われないよう、詐欺を行ったのだろう。血管の下に他人の血液を入れた管を入れれば可能だ。しかし、十年後再び必要になり、やむなく古い血液を使った。それが真相だ」
「詳しいんだな」
「父が医者だったからだ。一通り医学の知識はある」
ベールはナイフで切り分けたハンバーガーを口に運んだ。
「父は非合理性の塊だった。収入の見込めない貧民の治療も率先して行い、常に貧しかった。父のようにならないために私は銀行員になったが、結局、人間を守る仕事に就いてしまった。これでは父のことを言えないと自覚している」
彼は自嘲するように肩を竦めた。
「ついでだが、シモス、肩を脱臼しているな」
シモスはあからさまに目を逸らす。
「何故そう思うんですか?」
「左腕より僅かに右腕の方が下がっている。先程フォークを拾うときも敢えて遠いはずの左手で拾っただろう」
ロクシーが目を見張る。
「隠していたのか?」
「だって、兄さんが心配するから……放っておけば治るので……」
「脱臼は骨折と違って自然治癒しない」
ベールは立ち上がり、シモスを見下ろした。巨躯の影に兄弟ふたりがすっぽりと収まる。
「何するんですか?」
「肩をはめる。ロクシー、彼を抑えてもらいたい」
「わかった。手荒にするなよ」
「兄さん、離してください! 本当に大丈夫ですから!」
クドが空のグラスを放り捨てた。
「勝手に面白いことしないで! 写真撮るから!」
カメラを構えると同時に悲鳴と鈍い音が響く。
エレンシアは呆れた苦笑を浮かべていた。
ヴァンダは彼女の皿に干し葡萄の盛り合わせを流し込んだ。
「屍魔になったら、永遠に家族でいられても、こうやって一緒に飯は食えねえぞ」
「羨ましいなんて思っていませんよ。邪推しないように」
「悪かったな」
エレンシアは溜息を吐いた。
「ヴァンダは死があるからこそ人生が輝くと思う方ですか」
「そんな訳ねえだろ。死なないならそれが一番に決まってる」
「殺し屋らしからぬ発言ですね」
ヴァンダは煙草に二本目の煙草に火をつけた。
「殺された奴のことを考えちまうのは当たり前だ。だが、後悔で人生を奪われたら、生きてるはずの自分まで犯人に殺されたようなもんだ。俺はそうだった。お前はそうなるなよ」
エレンシアは小さく微笑んでヴァンダの手から煙草を奪った。
「私が第二の人生をあげましょう。寿命は大切にするように」
ヴァンダは空になった手を見下ろし、食べかけのハンバーガーに伸ばした。
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