グール特急地獄行き

 破れた窓から生温い風と轟音が吹き込む。吊り革と中吊り広告が音を立ててはためいた。

 クドとベールは既に飛び移る準備をしていた。


 ヴァンダはエレンシアに手を差し出す。

「エスコートとは感心ですね」

 彼女は迷わず手を取った。ヴァンダは後方で青ざめているシモスを見遣る。

「お前もだ。戦う気があるなら来い」

 シモスは弾かれたように顔を上げ、控えめに手を伸ばした。

「ありがとうございます……」


 ヴァンダの腕の紋様が輝き、赤銅色の鎖がエレンシアとシモスに絡みついた。ヴァンダは先達のふたりが飛び移ったのを確かめてから、窓枠を蹴った。



 空気の抵抗を感じる間もなく、ヴァンダたちは錆びついた列車に雪崩れ込んだ。

 尻餅をついたシモスとは対照的に、エレンシアは何なく着地する。

「前言撤回です。粗雑なエスコートですね」

「悪かったな」


 ヴァンダは明かりのない車内を見回した。座席は取り外され、照明も壊れている。

「こんなにオンボロでよく動くな」

 仕切りの壊れた運転席からロクシーが顔を覗かせた。

「オレに盗めない車はないのさ」

 床に座り込んでいたシモスが急に立ち上がる。

「兄さん、また盗んだんですか……」

「いや、違う。言葉の綾だ。聞け、これはエレンシアの指示だ。ちゃんと買い取ってる。なあ?」


 にじり寄る弟を制しながら、ロクシーが裏返った声を上げた。ベールは鉄仮面のような無表情でふたりを眺める。

「額を強化した方が合理的では? ≪勇者の頭蓋≫を探すといい」

「殴られる前提かよ」

「兄さんが犯罪をしなければいいんですよ……」



 喧騒を横目に、ヴァンダはエレンシアだけに聞こえるように囁いた。

「襲撃が読まれることは想定内だったが、早すぎる。情報が漏れてねえか」

「というと?」

「あの馬鹿兄弟だ。ロクシーはクリゼールの配下だったんだろ。まだ繋がってても不思議はねえ」


 エレンシアは少し考えてから言った。

「私はロクシーと車内に残ります。貴方はシモスと行動するように」

「片割れを残して人質にするって訳か」

「あくまで監視ですよ。人間不信ですね。職業病ですか」

 ヴァンダは肩を竦めた。



 ロクシーが警笛を鳴らす。

「もうすぐ到着だ。線路が途切れるから揺れるぜ」

「ブレーキは効くんだろうな?」

 ヴァンダの問いに彼はサングラスを押し上げた。

「そんな贅沢品はない」

「だろうと思ったよ」


 車内が大きく振動し、衝撃が車内を駆け巡る。

 横転する寸前、赤銅色の鎖が列車を絡め取り、線路に縫いつけた。

 列車が錆びと火花を撒き散らしながら静止する。



「とっとと降りるぞ」

 ヴァンダは傾いだ車両の窓から飛び降りた。クドとベール、シモスがそれに続く。


 途切れた線路の向こうには、ねじくれた空洞が広がっていた。

 熱気と湿気、壁の凹凸が巨大な食道を思わせる。轟音に混じって吹く風には死臭が絡んでいた。



 クドがカメラを取り出し、途切れた線路を写す。

「ヤバい、絶対ひと死にまくってるじゃん。これは写っちゃうなー?」

「フラッシュ焚くんじゃねえよ。気づかれるだろ」


 ヴァンダは何度もシャッターを切るクドの頭を小突く。現像したばかりの写真が落下した。ヴァンダは咄嗟に山刀を構える。

「何何、どうしたの?」

「落ちたもの見てみろ」

 クドは写真を拾い、顔の前にぶら下げ、息を呑んだ。


 肉眼では暗闇に見える光景を写した写真には、無数の鉄格子と、人型のものが入り込んでいた。

 殺し屋たちが一斉に構えたとき、道の先から一条の明かりが差した。それと同時に、朗らかな声が響いた。


「おかえり、子どもたち!」

 ヴァンダは視力を強化し、声の方向を見る。老人じみた白髪を編んだ少年がランプを片手に立っていた。

死霊術師ネクロマンサークリゼールか……!」


 クリゼールは破顔する。

「そうだよ、急に帰ってくるから驚いたよ! でも、よかった! 多めにクッキーを焼いておいたからね!」


 クドとベールが目を瞬かせる。

「今おかえりって言わなかった? 子どもたちって言ったよね?」

「彼はどう考えても我々の親になる年ではない」


「確認しておくが、魔王禍だよな?」

「リトル・ダディと呼んでほしいな! 人間は私の子どもだからね! 人間は皆死ぬ、死体は屍魔グールになる、屍魔は死霊術師たる私の元に集う! 我が子同然だよ!」


 ヴァンダは目眩を堪えながらこめかみを押さえた。

「言葉は通じるが、話は通じねえ。クドと同じタイプだな」

「ボクが? 失礼な!」



 クリゼールはふとシモスに目を留めた。

「君が≪勇者の義憤≫だね!」

 シモスはびくりと肩を震わせる。

「何故僕を……」

「君の兄から聞いているよ! 大変だったね! 大丈夫、私が欠片を取り外してあげるよ!」


 ベールが珍しく眉間に皺を寄せた。

「虚言だ。≪勇者の欠片≫は死ぬまで外れない」

「死ねばいいのさ!」

 クリゼールは明朗に答えた。

「そして、私が屍魔に変えてあげるよ! ロクシーにもすぐに会わせてあげるし、ここには他にもたくさんの兄弟がいるからね!」


 シモスは唇を震わせた。

「そんなやり方で僕たちを助けると言ったんですか……?」

「そうだよ?」

 クリゼールは教師のように胸に手を当てる。

「勇者も死は乗り越えられなかったし、魔王の統治では終焉から逃れられなかった。でも、私なら全人類を死から解放して、永遠に仲良く生きさせてあげられるんだよ!」



 響いた声に、しゅるりと鎖の擦れる音が重なった。


 ヴァンダは血が滴る指を擦る。クリゼールが語り出した瞬間に、自ら傷つけた指から飛んだ血は、地下空洞の天井に付着していた。


 殺し屋たちが沈黙する中、ヴァンダは囁いた。

A chuisle mo chroi我が鼓動、愛しき血よ


 クリゼールの頭上から一条の鎖が矢のように突き出した。

 彼が身を振って避けた瞬間、ヴァンダは鎖を引き寄せて跳躍する。


 誰ひとり反応する間もなかった。ヴァンダが片手で抜いた山刀の刃がクリゼールの細首に迫る。風圧で長い前髪が上がり、顔の焼け爛れた右半面が露わに

 なった。


 刺突の寸前、山刀の先端が別のものに食い込んだ。

 クリゼールの前に立ちはだかった屍魔が、刃を歯で食い止めていた。貫かれた頬から膿と死肉を滴らせ、屍魔は唸りを上げる。


「くそっ……」

 ヴァンダは横薙ぎに屍魔の顎ごと歯を抉り取り、肩を蹴って身を翻す。

 着地と同時にヴァンダは低く唸る。


「悪いな、奇襲は失敗だ。来るぞ」

 前方のクリゼールは屍魔を抱えて目を伏せた。

「最近の子たちは反抗期が激しくて困るよ。兄弟喧嘩でここまでするなんて……」

 彼はすぐに笑みを取り戻した。

「でも、怒ってないよ! 皆ちゃんと話し合えば仲良くなれるからね! 彼らもそうさ!」


 左右から這うような呻き声が漏れ出す。脆い金属が崩れる音が響き、鉄格子から黒い影が蠢き出した。

 クドが軽薄な笑みを打ち消す。

「うわ、最悪」


 現れた十体の屍魔の胸には銀色のピンバッジが輝いていた。意匠は剣と翼だった。ヴァンダは苦々しく呟く。

「聖騎士庁の斥候か……」



 屍魔たちは白濁した目でヴァンダたちを眺める。避けた唇から唾液が滴り落ちた。雫が地面を打つより早く、亡者たちが疾走した。

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