震撼線 ファイナル・メトロ
息苦しい熱気が立ち込める地下鉄のホームで、クドだけは上機嫌だった。
「ねえ、地下鉄の怖い話していい?するね」
「結果が確定しているなら質問は無意味だ」
無表情に答えるベールに構わず、クドは指を鳴らした。
「深夜の地下鉄は人喰い列車なんだよ。統京駅の四番線ホームから終電に乗って、ある廃駅を通過したら、別世界に連れて行かれちゃうんだって。終点一個前の駅で乗ってた人数に比べて、終点で降りる人数が減ってるんだよ」
シモスが青ざめる。
「列車に喰われたってことですか……」
「いい反応だね! 君話し甲斐があるなあ」
はしゃぐクドを横目に、ヴァンダが呟いた。
「魔王禍だな。目撃者も少ない終電に合わせて人間を攫ってるんだろ」
「私もそう考えています。廃駅というのもリデリックからの情報と一致していますから」
エレンシアが首肯を返す。
「ですが、前提として、彼は信用に足りますか? どうにも胡散くさいのですが」
「そう見えるだろうが、信用していい。あいつは頭のネジが五十本くらい抜けてるが、根っこは善だ」
「信頼しているのですね」
「案外長い付き合いだからな」
クドが横から首を伸ばす。
「"残花の"リデリックと? ってことは、寝たの?」
「殺すぞ。お前の家を心霊スポットにしてやろうか」
「ちょっと魅力的だけど、ボクが死んだら撮影できないから駄目!」
ヴァンダはかぶりを振った。
「ロクシーはいつ来るんだ? 現地集合って話だが、まさかバイクで線路走って廃駅に突っ込む気じゃねえだろ。シモス、お前の兄貴は……どうした?」
シモスは釘付けになったように、ホームの先を凝視していた。
視線の先にはベンチに座り込み、堂々と煙草を蒸す男がいた。シモスの目が爛々と輝く。
「駅構内は禁煙ですよ……」
彼は背負った大剣の柄に手をかけ、男の方へ歩き出した。
「くそ、マズい!」
ベールが片眉だけを動かす。
「ヴァンダ、どうかしたのですが」
「あいつは犯罪を見るとイカれるんだよ。それで兄貴を撲殺しかけてる!」
クドは嬉々としてカメラを構えた。
「マジ?面白いことになりそう」
「心霊写真と関係なく野次馬じゃねえか! おい、シモス! 待て! 仕事前だぞ!」
ヴァンダが止めるより早く、シモスは鞘に包んだ剣の先で男の煙草を薙ぎ払った。
吸殻が弧を描いてホームに飛び、男がシモスを睨み上げる。
「何すんだよ」
「構内での喫煙は違法行為です。やめなさい」
「ガキが年上に意見するんじゃねえ!」
いきりたってシモスの肩を掴んだ男の手を、ヴァンダが振り解いた。
「年功序列なら、俺の言うことは聞くんだよな?」
男は勢いを失って困惑気味に目を泳がせた。シモスも我に返って戸惑い始める。
「たぶん同い年くらいかと……」
ヴァンダは舌打ちした。
「くそ、忘れてた! いいか、俺はこれでも八十だぞ」
「そう思うんだな……」
「ヴァンダさん、やめましょう。おかしなひとだと思われてます……」
いつの間にか隣にいたエレンシアが苦笑した。
「本当にお爺さんですよ。だって、ほら、こんなにボケてる……」
「うるせえ!」
ホームに突風が吹き、轟音と共に鉄道が滑り込んだ。
ヴァンダはエレンシアとシモスの肩を押して向き直らせる。
「仕事の始まりだ、とっとと行くぞ!」
彼らが列車に乗り込んでから、男は携帯電話を耳に押し当てた。
「リトル・ダディ、アマンドだ。読み通り、≪勇者の義憤≫が引っかかったぜ。仲間も居る。ああ、"種"も確認済みだ」
駅のアナウンスが男の声を掻き消した。
殺し屋たちが無機質な座席に腰を下ろすと、列車が走り出した。
窓外を流れる暗闇に、等間隔に並んだライトの橙が尾を引く。
ヴァンダの隣に座るクドが身を寄せた。
「ねえ、八十歳って本当? 何で若いの?」
「本当だよ。≪勇者の血≫でこうなってるけどな」
「ヴァンダって勇者から追放されたんでしょ? ほの欠片を持つのってどんな気分? 嫌じゃない?」
「嫌じゃねえよ。他の奴からしたら人間からも魔族からも狙われるから厄介だろうがな。俺にとっては形見みたいなもんだ」
ヴァンダは赤い紋様が走る手の平を見下ろした。シモスが僅かに目を伏せた。
列車が停まり、開いたドアから大勢の客が雪崩れ込んだ。
沈黙を貫いていたベールが口を開く。
「素人ではないな。足音がしなかった」
ヴァンダは素早く視線を走らせた。屈強な男から十代に見える少女までいる。皆、席に座らずヴァンダたちの様子を伺っていた。
ヴァンダはエレンシアに囁く、
「早えな」
「リデリックの言う通り、読まれていたようですね」
ドアが閉まり、列車が揺れる。乗客たちは吊り革に捕まりもしないのに、誰ひとり体幹を崩さなかった。
殺し屋たちが席を立つと同時に、乗客は一斉に武器を取り出した。肉切り包丁や小型ナイフの光が暗い車内を泳ぐ。
先頭の男が包丁を構えた。
クドが八重歯を覗かせる。
「ボス、やっちゃっていい?」
「どうぞ」
クドはアロハシャツの下から球体を取り出し、そっと落とした。球体は慣性の法則に独りでに転がる。包丁を持った男が踏み出した瞬間、光と音が炸裂した。
「閃光弾か!」
強烈な光に乗客たちは顔を庇う。その間をついてベールが駆け出した。
彼は揺れる床を蹴って跳躍し、両側の吊革に手をかける。電車の振動に合わせて振り抜かれたベールの両脚が、包丁を持つ男の首を挟む。頚椎の折れる鈍い音が響いた。
「クド、今後は使用の前に一言告げるように」
「敵にもバレちゃうじゃん!」
光の波が引き、床に倒れる首の曲がった死体が現れる。乗客だけでなく、シモスも息を呑んだ。
「彼、人間ですか……」
「ああ、≪魔王禍≫だ」
ヴァンダは答えながら山刀を構える。
「殺れないなら座ってろ。エレンシアの護衛は任せた」
「紳士的ですね」
皮肉めいた笑みを漏らすエレンシアに肩を竦め、ヴァンダは山刀を抜いた。
乗客が亡者のように押し寄せた。
ベールが左右から襲いかかった学生の頭を同時に潰す。クドが懐から取っ手のついた筒状の武器を出した。
後方で距離を取りながらボウガンを構える女がいる。クドが取っ手を引くと、筒から飛び出した鎖付きの銛が女の心臓を貫いた。
前方に短槍を構えた男が立つ。
ヴァンダは彼の腹に肘を打ち込んで弾き、抜き放った刀で天井を薙いだ。
照明が砕け、火花の破片が降り注ぐ。車内が闇で満ちる。ヴァンダは一瞬の狼狽を見逃さず、男の胸を一閃した。
横から飛び出した男が闇雲に斧を振りかぶった。ヴァンダは間一髪で避け、すれ違いざまに首を切り裂く。中吊り広告に飛んだ血飛沫が上から滴り落ちた。
車内に呻きがこだまする。
非常灯が灯った頃には、床は血の海になり、屍の山が築かれていた。
ヴァンダは返り血を拭った。
「このまま敵の本拠地に向かうか?」
エレンシアは座席に座したまま頷いた。
「ええ、もうすぐ廃駅の前を通過します」
「途中下車して線路の上を歩けってか?」
「迎えが来ましたよ」
暗い車内に眩い光が差し込んだ。
窓に巨大なライトが映る。到底動くと思えない錆びついた電車がヴァンダたちの乗る列車に並走していた。
「あれ! 人喰い列車?」
クドがカメラを構えたとき、錆びた電車の運転席にロクシーの姿が反射した。
「兄さん!?」
シモスが叫ぶ。エレンシアは平然と頷いた。
「夜盗ロクシーに盗めない車はないと言うので、ひとつ廃駅から盗ってきてもらいました」
「そんなんありかよ……だが、どうやって向こうに移る? まだこっちは止まらねえぞ」
擦り切れた車輪から火花を散らして廃電車には扉がない。エレンシアが含みのある笑みを向けた。
「飛び移ります」
「そんなことだと思ったよ」
ベールの拳とクドの爆薬が列車の窓ガラスを破砕した。
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