殺し屋たちの宿木
深夜の道路は閑散としていた。
まばらな街灯が延々と続く道を黒い大河のように照らす。半壊した車で走っていても、目を留める者はいない。
後部座席の兄弟は肩を寄せ合って眠っていた。ヴァンダは助手席から車窓を眺める。
「随分街外れに向かうんだな」
「殺し屋の基地ですから。もうすぐ着きますよ」
闇の中に煌々と光る塔が出現した。
ピンクと白の外観は、かつて統京が王都だった頃の城塞にも見える。雨垂れに汚れて廃墟染みた壁に次々と明かりが灯った。いくつもの束ねた蝋燭に火がついたようだった。
「随分派手だな。元はホテルか?」
「ええ、廃業になった観光ホテルです。中にはメリーゴーランドも水族館もあったんですよ。今はどちらも動いていませんが、いずれはね」
エレンシアが頰に笑みを浮かべる。その横顔に寂しげな色を感じ、ヴァンダは目を背けた。
−−−−勇者、ガキを旅行に連れて行きもしないまま死んじまったのかよ。
敷地内に入り、車を降りると、エレンシアの言った通り回転木馬があった。
馬の鼻や足は欠け、赤と白の幌には雨水が溜まって月光を映していた。夢の終わりの光景だとヴァンダは思う。
エレンシアは三人を導きながらドアを押した。
廃ホテルのロビーは仄暗く、赤い絨毯も煤けている。無人のカウンターに棒状の鍵がいくつもかかっていた。エレンシアはその中の一本を抜いてロクシーに投げる。
「詳しい説明と手続きは明日。もう休んでいいですよ。貴方たちは二人部屋ですね」
「お言葉に甘えさせてもらおう。シモス、お前は?」
「僕はもう少ししてから行きます」
「早く休めよ」
ロクシーは傷が残る額を抑えて立ち去った。
シモスはロビーの片隅で、ウレタンが飛び出したソファに座りながらぼんやりとしていた。ヴァンダは彼の隣に腰を下ろす。
「お前は寝ねえのか?」
「まだ頭が混乱していて……おふたりとも、本当にありがとうございました」
エレンシアは肩を竦めた。
「感謝は結構。利益がなければやりませんよ」
シモスは小さくはにかんだ。彼の膝の上にはダイナーでもらった、湯気で萎びた紙袋が乗っていた。
「それ何だった?」
シモスは紙袋を開く。中から古い油でベタついた白身魚と芋の揚げ物が出てきた。エレンシアが袋を覗き込む。
「フィッシュ&チップスですね」
「これ、昔から好きだったんです」
「じゃあ、食えよ。不味そうだけどな」
ヴァンダが言うと、シモスは僅かに目を伏せた。
「よく兄が作ってくれたんです。うちは両親が早死にして兄が親代わりでしたから。でも、兄さんは芋の皮を剥くのが下手でよく怪我してました」
「案外不器用なんだな」
ヴァンダは歯を見せる。
「僕には危ないからって作らせてくれなくて。兄さんにばかりやらせるのが申し訳なくて。だから、少しお金を稼いで、外に食べに行けるくらいになりたいなって……それだったんです……」
「で、≪勇者の欠片≫を?」
「はい、馬鹿だったと思ってます」
肩を落とす少年に、エレンシアが微笑んだ。
「いいじゃないですか。私に雇われている間は不味い揚げ物くらいいつでも買いに行かせてあげましょう」
シモスは初めて年相応の屈託のない笑顔を見せた。
シモスが兄の後を追って去ると、ロビーは静寂に包まれた。
客室へと続く廊下は仄暗い。等間隔に並ぶ灯りが絨毯の上を揺蕩い、水中から太陽を見上げたようだった。
ヴァンダがソファの傍の灰皿を引き寄せて煙草に火をつけると、エレンシアが隣に座った。
「悪い、今消す」
「お気遣いなく」
エレンシアはしばらく解ける紫煙を見守ってから呟いた。
「あのカウンターの向こう、何だと思います?」
ヴァンダは目を細める。黒曜石のような闇が広がっているだけだ。
「壁じゃねえのか?」
「水槽ですよ。昔はたくさんの魚がいたそうです。私が買い取った頃にはもういませんでしたが」
「そういや、水族館があったって言ってたな」
「いつか≪勇者の欠片≫を全て集めて平和になったら、あの水槽をいっぱいの魚で満たして、メリーゴーランドも動かして、ホテルとして運営するのが私の夢です」
エレンシアは薄く微笑む。
ヴァンダは煙に燻された目元を擦った。
「やっぱり似てるな。勇者も、平和になったら宿屋の親父になりたいって言ってた。嫁さんと一緒に、狭くてボロいけど飯は美味い宿屋をやって、昔の俺たちみたいな戦士を安く泊めてやりたいって」
エレンシアは唇を曲げた。
「また勇者の話。私に雇われてるのだから私の話もしなさい」
彼女は父親を詰る子どものようにヴァンダの脇腹を小突いた。
「お前の話っつったって、会ったばかりだろ」
「それでもしなさい」
「無茶言うなよ」
「情報は殺し屋の命綱です。なくても捻り出しなさい」
「それ、命乞いするときじゃねえか」
脇腹に追撃を食らったヴァンダは呻く。彼にエレンシアは向き直った。
「情報といえば、あの兄弟に易々と話し過ぎです。我々に有利な契約のためにもう少し制限すればいいものを」
「悪どい奴だな。そんなに喋ってもねえだろ」
「喋っていましたよ。大方、自分を犠牲にしてでも兄弟を思いやる姿を見て、『ああ、勇者の精神を感じるな』とでも思ったのでしょう」
「思ってねえよ!」
「ごまかしても無駄です」
ヴァンダは咳き込みながら煙を吐いた。エレンシアは胸の前で不満げに腕を組む。
「これから有益な情報はまず私にだけ教えるように」
「わかったよ……」
ヴァンダは煙草の灰を落とす。先端の赤い炎が輝いた。
「有益かどうかは知らんが」
ヴァンダの声にエレンシアが眉を動かす。
「お前、自分の名前の由来も知らないって言ってたよな」
「ええ、それが何か?」
「遺産って意味だよ。勇者の故郷の方言だ」
彼女は一瞬目を丸くし、寂しげに笑った。
「まるで死期を悟っていたようですね」
「いや、違う。戦後、あいつは昔の自分は死んだってよく言ってたんだ。魔王を倒すことしか考えてなかった自分を捨てて、これから未来に生きようって。英雄時代の自分の最後の宝がお前だ」
「複雑な話ですね」
「いいんじゃねえか。さっきホテルを再建したいつってただろ。お前は戦いが終わった後のことも見越してる。勇者が望んだ生き方だ」
エレンシアは深く息を吐き、ヴァンダに屈託のない笑みを向けた。
「有益な情報でしたよ」
「そりゃどうも」
吐き出した紫煙が空の水槽に反射し、魚影のように揺らいだ。
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