馬鹿兄弟.2
「どういうことだ、てめえ……」
身を乗り出したヴァンダの袖を、エレンシアが引いた。
「冷静に、と言われたでしょう」
「キレちゃいねえよ」
彼女は視線で机の下を指す。ヴァンダは無意識に山刀の柄に伸ばした手を引いた。エレンシアは微笑んで兄弟に向き直った。
「言っておきますが、私の
「しねえよ……」
ロクシーは息を吐いた。
「オレも最初からわかってた訳じゃない。藁にも縋る思いで弟の治療方法を探して、ちょうどいい案件に飛びついたらこのザマだ」
「貴方を雇った魔王禍とは?」
「
「
ヴァンダは口元に手を当てて呻く。
「知ってるのか、"赤い霜"?」
「ああ、俺が≪勇者の血≫を得たダンジョンに屍魔が蠢いていた。四騎士に壊滅させられたと聞いてたが……」
「壊滅したのは屍魔の軍団だろ。大将のクリゼールが生きてりゃいくらでも復活するさ」
エレンシアはバーガーを口に運びながら言った。
「クリゼールは貴方にどんな取引を持ちかけたんです」
「弟に取り憑く≪勇者の義憤≫の切除だ。知っての通り、欠片は死ぬまで外せない。だが、死霊術師なら?」
「仮死状態にして欠片を切り離してから復活させる、ということですか」
「ご明答」
ロクシーは指を鳴らす。エレンシアは首を横に振った。
「可能とは思えませんね」
「僅かでも可能性があればそれに賭けるさ。欠片を持つ限り弟は人間からも魔族からも狙われる」
「身内可愛さに魔王禍に味方したと?」
「違うんです!」
沈黙を貫いていたシモスが叫んだ。
「兄はすぐ離反しようとしました。ですが、見張られてできなかったんです。死霊術師は≪勇者の耳≫を持っているから……
「耳?」
ヴァンダは瞳孔を細めた。
「異常なほど発達した聴覚で、遠くの声も音も聞きつけるんです。統京から逃げようとしてもすぐ見つかって連れ戻されました」
シモスは細い肩を震わせる。
「僕が馬鹿だったのが悪いんです。僕が消えれば魔王禍と兄の縁は切れます。おふたりは兄の仲間なんですよね。僕のことはいいですから、どうか兄を助けてください」
ロクシーが遮った。
「馬鹿言うな。見捨てる訳ないだろ」
「これ以上兄さんの荷物になりたくないんです。今日だって……」
「辛気くせえな!」
ヴァンダは机を叩いた。エレンシアは含みのある笑みで彼を見る。
「キレる老人は恐ろしいですね」
「ああ、そうだよ。ボケ老人に複雑な話はよせ。もっと単純に済むだろ」
シモスが身を竦める。
「じゃあ、どうすれば……」
「俺たちは殺し屋だぞ。死霊術師をぶっ殺せば悪縁も切れて、奴が持ってる≪勇者の欠片≫も手に入る。一石二鳥じゃねえか」
「ヴァンダ、そういう話は」
エレンシアは微笑んだ。
「雇い主に言わせなさい」
ロクシーはふたりと弟を見比べ、目を伏せた。
「正気か? 欠片持ちの魔王禍だぞ。生半可な相手じゃないぜ」
「そうですよ! 僕なんかのためにおふたりが危険な目に遭うなんて……」
エレンシアは不敵な笑みで答えた。
「保勇機関は全ての≪勇者の欠片≫の蒐集を掲げています。これはほんの足がかりですよ」
「ああ、俺たちの専門は魔族殺しだ。人間を見殺しにすることじゃねえ」
「それに、貴方の弟に取り憑いた≪勇者の義憤≫も蒐集対象に含まれています。私たちの目の届くところに置いておくのは当然でしょう?」
「それじゃあ、僕は……」
怯えた視線を向けるシモスに、ヴァンダは肩を竦める。
「馬鹿兄弟まとめて保護してやるって言ってんだよ」
しばしの沈黙の後、ロクシーは外したサングラスを脇に置き、裸眼でふたりを見つめた。
「交渉成立だ。アンタらが弟を守ってくれる限り、オレは命を預ける」
シモスもおずおずと頭を下げる。
「よろしくお願いします……」
エレンシアは力強く頷いた。
「私は勇者とは違います。敵味方構わず博愛を向けたりしませんよ。二度と魔族に手を貸そうなど思わないように」
「恐ろしい雇い主に捕まったな」
ロクシーが歯を見せたとき、奥からダイナーの店主が現れ、凶器のように何かを机に叩きつけた。
唖然とする四人の中央に、湯気を上げる紙袋が置かれていた。
「持ち帰りなんて頼んでねえぞ」
店主は壮絶な表情でヴァンダを睨みつけた。
「古い油と賞味期限が今日までの食材を使った。捨てると店の裏に鴉が集る。持っていけ。それから、今度怪我したまま店に来たら殺す。不衛生は保健所の監査に引っかかる」
ロクシーの額を一瞥し、店主は店の奥に消えた。
「何だ、あの店主は。本当に客商売の人間か?」
「あれでも常連客への気遣いのつもりなのでしょう」
呆れるヴァンダにエレンシアが肩を竦めた。
「土産もできたことですし、食べ終わったら帰りましょうか。これから貴方たちの基地になる場所へ」
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