馬鹿兄弟.1
屋根もミラーも欠けた悲惨な車は、ヴァンダたちを乗せて高速道路を降りた。
後部座席のヴァンダは上から流れ込む風に顔を顰めた。
「しかし、本当に警察を撒くとはな」
「
ロクシーはハンドルを切り、細道へと車を進めた。
「そういや、あのパトカー馬鹿みたいなロゴをつけてなかったか。剣と翼を合わせたような」
「あれが聖騎士庁ですよ」
ヴァンダの隣のエレンシアが答える。
「魔王禍と同様に殺し屋を取り締まると言った、鼻息の荒い政府新設の部隊です。私の知り合いの馬鹿が所属しているとか。馬鹿みたいなロゴも彼女の考案でしょう」
彼女は先の銃撃で穴の空いた携帯電話を弄っていらた。
「ロクシー、車だけでなく携帯電話の修理費と故障中に入る予定だった依頼の報酬も初任給から引きますよ」
「携帯はいいが、この車は俺を運んできた奴らが乗ってたものだよな?」
「余計なことを言わないように」
エレンシアは口を挟んだヴァンダの脇腹を小突く。
「持ち主が死んでいるのだから拾った私のものです。獲れる金は残さず獲るのが心情ですから」
ロクシーは破れたサングラスを押し上げた。
「横暴なお嬢さんだ。"赤い霜"も苦労するな」
「どうでもいいが、今何処に向かってる?」
「オレの家だ。任務に失敗した以上弟に被害が及びかねないんでね。拾っていかせてくれ」
「ロクシー、雇い主に事前の許可を取りなさい」
「オレの新車を貸すから勘弁してくれよ」
車は捻じ曲がった細道へと進んだ。
違法増築された建物が左右から迫り出し、頭上に張り巡らされた洗濯物干の縄が夕空を埋め尽くしている。
錆びた鉄柵に囲まれたマンションの前で車が停まった。ロクシーは運転席のドアを開き、難しい表情をする。
「じゃあ、行ってくるが……俺が三分経っても戻らなかったら勝手に入ってくれ」
「家に帰るだけだよな?」
「中から何が聞こえても気にしなくていい。だが、ドアの隙間から血が流れてきたらドアを蹴破ってくれ」
「弟に会うんだよな?」
ロクシーはかぶりを振って降車した。ドアにかかった黒い幌を押し上げ、彼は姿を消した。
車内に取り残されたヴァンダとエレンシアは顔を見合わせる。
「何か警戒しているようでしたが……」
「奴の依頼人が手を回してるのかもな」
「罠の恐れも捨てきれませんが、様子を見に行くべきでしょうね」
ヴァンダはエレンシアに促されて車を降りた。
固く閉ざされた扉にはロクシーの刺青と同じ蝶の柄の黒い幌がかかっている。
そのとき、中から鈍い音がした。ヴァンダは一拍おいてドアを蹴破った。
ひび割れた玄関にロクシーが倒れていた。床に広がる金髪には鮮血が絡んでいる。ヴァンダは咄嗟に山刀に手を伸ばし、途中で止めた。
「てめえ、誰だ……」
昏倒したロクシーの足元に、彼によく似た金髪の少年が佇んでいた。細身で気弱そうだが、手には血染めの鈍器を握っている。
「兄さん、また犯罪をしたんですね……」
「兄さん?」
ヴァンダの後ろからエレンシアが顔を覗かせた。
「一体何が……!」
彼女は突然の光景に息を呑み、ヴァンダに囁いた。
「敵ですか?」
「いや、兄さんって言ってたぞ」
「何故弟が兄を撲殺しかけているのですか?」
「知らねえよ……」
少年は爛々と目を光らせた。
「兄さんが悪いんですよ。次はどうなるかわからないと言ったのに……」
言葉を区切り、少年は急に青ざめた。目から妖しい光が消え、糸が切れたように膝から崩れ落ちる。
「兄さん!? 嘘だ、僕はまたやったのか! どうしよう……兄さん、起きてください!」
少年はロクシーに縋りつく。ヴァンダとエレンシアは呆然と見守った。
「どうします?」
「どうって、医者に見せるしかねえよ」
「どちらをですか?」
「それは……両方だろ……」
ヴァンダはロクシーを抱えて家を出た。
エレンシアが車の後部座席にロクシーを押し込む。
「私が運転します。ヴァンダ、彼を頼みますよ」
「わかってる。くそ、どうなってんだ」
後ろから先程の少年が駆けつけ、ほとんど欠けた窓ガラスに取りついた。
「兄のお知り合いですか? すみません、僕が兄さんの額を割ってしまったんです!」
「見りゃわかるよ! 何でやった」
「それは……」
少年は俯いて口籠った。ヴァンダはかぶりを振る。
「お前は助手席に乗れ。病院の後は警察だ。殺し屋が公的機関を行脚するとはな」
「警察は勘弁してくれ……」
呻きと共に血塗れのロクシーが身を起こした。
「兄さん、よかった!」
「よくねえよ。兄弟揃ってどうなってんだ」
ロクシーは鮮血が流れる額を抑えて唸った。
「頑丈なのが取り柄でね。弟をサツに突き出すのはよしてくれ。病院も駄目だ、理由を聞かれる…….」
震える指で手首を掴まれ、ヴァンダは溜息をついた。
「途中でくたばっても知らねえぞ」
四人を車に乗せ、エレンシアはアクセルを踏んだ。
無数の色紙を貼ったような違法建築の群れが高速で車窓を流れる。エレンシアは言った。
「ヴァンダ、病院も警察も駄目ならどうします?」
「≪勇者の血≫を使ってみる。俺の体内の血を硬化できたんだ。ロクシーの傷に混ぜれば止血くらいはできるだろ」
ヴァンダは横たわるロクシーの頭を膝に乗せた。
「それに、勇者なら人助けに手を貸すはずだ」
山刀の先端で自分の手を切りつけ、ロクシーの額を指でなぞる。赤い氷が張るように、結晶が傷口を覆った。
「こういうの、訳のわからん仲間割れじゃなく戦場で気付きたかったな」
ヴァンダはぼやきながらロクシーの頭を膝から押し退けた。助手席の少年がおずおずと身を乗り出す。
「ありがとうございます。あの、兄さんは……」
「この通りだ。気に病むなよ、シモス」
頰に血色が戻ったロクシーが身を起こす。少年が安堵の息を吐いた。
「お前らで勝手に納得してんじゃねえ。説明してもらうぞ。何から聞くべきかわからねえが」
「アンタに助けられたから出し惜しみする気はないさ。ただ、他人に聞かれちゃまずい。安全なところはあるか? ついでに貧血も何とかしたい」
「図々しいんだよ」
エレンシアがくすりと笑う。
「貧血は食べれば治るでしょう。会員制のダイナーなら機密保持も問題ありません」
『勇者の胃袋』は赤い看板を光らせ、夜の色に沈む駐車場を血の海のように見せていた。
店主は血塗れで来店した四人にも、外のガラクタ同線の車にも構わず、顎で奥の席を指す。
ヴァンダとエレンシアは隣に座り、弟の手を借りながらロクシーが向かいに腰を降ろした。
頭部への打撃で完全に割れたサングラスを机に置き、ロクシーは髪をかけ上げた。
「まず、こいつはシモス。オレの弟だ」
シモスは会釈した。内気な表情に兄を撲殺しかけたときの面影はない。
ヴァンダとエレンシアは眉根を寄せる。
「名前よりも聞きたいことがあるのですが」
「弟は病気じゃなかったのかよ。殺し屋を殺しかけるくらい元気じゃねえか」
「治療が必要なのは本当だ。だが、病気じゃない」
ロクシーは弟の肩を引き寄せ、こめかみを指で叩いた。
「シモスの脳にはみんなが欲しがる≪勇者の欠片≫、≪勇者の義憤≫が埋め込まれてる」
ヴァンダは目を見開いた。
「義憤? 身体の一部じゃねえのか」
「≪勇者の欠片≫は身体だけじゃなく、精神もあるのさ。お嬢さんならご存知だろう」
エレンシアは真剣な眼差しで頷いた。
「ええ、身体の欠片に比べて精神の欠片はほぼ流通することがありませんから、ヴァンダは知らなかったのでしょう」
「何故流通しない? 数が少ないのか?」
「それもありますが、精神を移植するのは極めてリスクが高いからですよ。人格が豹変し、日常生活が営めないこともあります」
「それで……」
ヴァンダはシモスに視線をやった。
「だいたい予想がつくが、義憤ってのは?」
「端的に言うと、あらゆる悪事や犯罪行為を許せなくなる。目に映った瞬間排除せずにはいられないのさ」
「それで殺されかけた訳か」
「車上荒らしとの同居には向かない精神ですね」
シモスは無言で肩を落とした。
「弟は売人に騙されて≪勇者の義憤≫の移植を受けちまった。責めないでやってくれ。オレの力になろうとしたんだ」
「馬鹿兄弟め」
ロクシーは肩を竦める。
店主が陰鬱な顔で注文してもいないハンバーガーを四つテーブルに並べた。エレンシアは湯気を睨みながら言う。
「それより気になることがあります。貴方は治療と言いましたね。≪勇者の欠片≫を切り離す術があるのですか」
ヴァンダは言葉を受け継いだ。
「それは俺も引っ掛かってた。≪勇者の欠片≫は一度くっついたら死ぬまで外れないはずだぜ」
ロクシーはまた前髪を上げ、赤い結晶が覆う傷口を覗かせた。
「オレたち人間の常識じゃそうだろうな」
「含みのある言い方ですね」
「ああ、冷静に聞いてほしいんだが……」
ヴァンダは眉間に皺を寄せる。ロクシーは低く囁いた。
「オレの雇い主は人間じゃない。魔王禍だ」
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