勇者のデスロード.2

 ロクシーはバイクのバーハンドルを握った。

 残りのマフラーから煙と炎が噴き出し、流星のように弾丸が振り注ぐ。


 ヴァンダは結晶の棘を食い込ませたルーフを斬り上げた。壁の如くそそり立った鋼鉄が弾丸を防ぎ、無数の穴が開く。

 ヴァンダは盾代わりのルーフに身を隠して辺りを伺った。



 対向車線を一台の青い車が逆走している。

 ヴァンダはルーフを手放し、大きく身を振った。

 ちょうど真横をすり抜けた青い車に裸足で飛び移る。

「うわ、何だ!?」

 運転手の悲鳴を聞きながら、ヴァンダは対向車線を見据える。車上のロクシーがピストルを向けていた。

「逃げる気かい?」

「そんな訳ねえだろ」


 ヴァンダは逆風を受けながら眼筋に血を巡らせる。あと二秒。ひと呼吸置いて山刀を薙いだ。

 切っ先が路傍の標識を切断する。法定速度を告げる看板がブーメランのようにロクシーへ飛んだ。

「何でもアリかよ!」


 改造バイクは横転するように倒れ、標識を躱した。タイヤから火花が散り、ロクシーの金髪の毛先が焦げる。標識は囲いのコンクリートを削って地上へ消えた。

 ヴァンダは青の車から飛び降り、勢いに任せて山刀を斬り込んだ。地面スレスレに頭をもたげたロクシーが笑う。

「裸足でバイクとやり合おうって?」


 バイクのマフラーが火を噴いた。ヴァンダは熱と噴射の勢いに一瞬怯み、身を逸らす。

 体勢を立て直したロクシーの銃口が額に突きつけられていた。


 ヴァンダは手首を返し、山刀を振った。刃の側面が零距離で放たれた銃弾を弾く。

「ヴァンダ!」

 屋根を失った車からエレンシアの声が響いた。


 ヴァンダは弾けるように後退し、身を翻す。脚に血を巡らせ、エレンシアの車へと疾走した。

 強化した脚力で三歩、ヴァンダはミラーを足がかりに飛び、助手席に戻った。



「オープンカーになってしまいました」

 エレンシアは苦笑する。

「悪かったな」

 ヴァンダは後ろを見遣った。ロクシーとの距離は先程より開いていたが、依然追走を続けていた。後ろからパトカーのサイレンが聞こえる。


「早いとこケリつけねえとな」

「殺しはナシですよ。保勇機関は魔王禍と標的以外の殺人は禁止です」

 ハンドルを握る彼女の顔色はまだ青白い。


「具合悪そうだな」

「大したことありませんよ。≪勇者の心臓≫を使った反動です」

「あのバイクのマフラーを破裂させたやつか」

「ええ、貴方も使えるでしょう?」

「何だそれ。知らねえぞ」

「では、ほぼ自力だけで戦っていたんですか?」


 ヴァンダは頷く。エレンシアは目を丸くしてから声を上げて笑った。

「さすが生きる伝説。規格外ですね」

「笑わねえで教えてくれよ」

「≪勇者の欠片≫には固有の力があります。発動させるには私がやったような詠唱が必要です」

「同じことを言えばいいのか?」

「欠片ごとに詠唱は違います」

「じゃあ、どうする」

「貴方が呼びかけば応えてくれますよ」


 ヴァンダは赤い紋様が走る腕を見下ろした。

「俺に応えてくれるかね」

「勇者の娘が保証します」

 エレンシアは力強く頷いた。


 左側のミラーに映るロクシーの影が近づいている。ヴァンダは失った屋根の上に広がるジャンクションを見上げた。点検作業用の鉄橋が空を横断している。


 ––––策はある。だが、エレンシアに無理をさせなきゃならねえ。

 苦々しく呻いたヴァンダの喉をエレンシアが小突いた。


「痛えな、年寄りの気道を塞ぐなよ」

「今いらない気遣いをしたでしょう」

 エレンシアは赤髪を風に踊らせながら言う。

「私は父とは違います。生き残りますよ」


 ヴァンダは息を漏らし、かぶりを振った。

「頼みがある。三十秒後、もう一度心臓を使ってくれ」

「いいでしょう」

 彼女が答える。ヴァンダは再び助手席から身を乗り出した。



「ようやく出てきたか」

 ロクシーは眉を顰める。車のルーフの残り半分に掴まるヴァンダは山刀を持っていない。

「爺さん、何を企んでる?」


 ロクシーはバイクの速度を上げた。パトカーの波が彼を追う。

「止まりなさい! 銃を捨てて……」

「漢の決闘だ。邪魔するなよ」

 ロクシーは振り返らず肩越しに二度発砲した。パトカーのフロントガラスに二輪の赤い花が咲く。


 ロクシーは前方に銃口を向けた。ヴァンダはルーフを蹴って跳躍した。そして、ロクシーには向かわず、対向車線の渋滞に飛び込む。

 車の波を駆け抜け、ヴァンダは蛇行する高速道路から身を投げるように消けた。


「見損なったぞ。ツレを捨てて逃げるのかよ」

 ロクシーは更に速度を上げ、エレンシアの車を失った車に横付けした。


「お嬢さん、降りてくれ。女を殺したくない」

 エレンシアは突きつけられた銃口を無言で見下ろす。

「何とか言ってくれよ」

「二十九、三十……」

 彼女は唇を動かし、視線をロクシーからジャンクションに移した。

Tu fui ego eris私は貴方に、貴方は私に



 ロクシーの頭上で軋む音が響いた。

 空を遮る鉄橋が心臓が脈打つように縮み、膨らむ。巨大な鉄塊が崩落した。


「こっちも欠片持ちか!」

 ロクシーはバーハンドルを握り、降り注ぐ瓦礫の間を縫って避ける。

 鉄橋が彼の頭上に迫っていた。バイクを加速させたロクシーの前方にひとりの殺し屋が立っている。



 交差するジャンクションの下方で、ヴァンダは薄く目を閉じた。

 思い返すのは、勇者の言葉だった。


「剣以外の武器? 考えたことなかったな」

 鍛錬を終えた後の勇者に問いかけたことがある。血豆の潰れた手を広げながら、勇者は首を傾げた。


「おれは器用じゃないし、ひとつを極める方が向いてるよ。でも、前に面白い武器を使う戦士に会ったんだ。あれはちょっと憧れたな」

 それは何だとヴァンダは尋ねた。勇者は真っ赤な髪を風に靡かせて笑った。

「鎖だよ。それなら、誰も傷つけなくて済むだろ?」


 ––––勇者、頼む。応えてくれ。お前の遺志を継いでみせる。



 ヴァンダは目を開いた。赤い紋様が波打つ手を虚空にかざす。

A chuisle mo chroi我が鼓動、愛しき血よ!」


 ヴァンダの腕から燃え盛るような赤銅色の鎖が噴き出した。

 無数の連環が宙泳ぎ、落下する鉄橋に絡みつく。ヴァンダは叫んだ。

「引き上げろ!」


 縦横無尽に巡った鎖が、鉄橋を交差するジャンクションの境目に縛り付ける。錆びた鉄の塊は空に渡る吊り橋となった。

ヴァンダは地を蹴り、鉄橋に飛び移った。無数の鎖が彼に倣って乱れ飛ぶ。


 ヴァンダが手を翳した先は、黒煙を上げるバイクに縋るロクシーだった。


「縛れ! 俺はあいつを殺さない」

 鎖の先端が頷くように揺蕩う。全ての鎖が一斉にロクシーを襲った。


 赤銅色の大波が彼をバイクから捥ぎ取り、宙へ投げ出す。ヴァンダは手首を引いた。鎖はロクシーを宙で抱きとめ、傾いだ鉄橋に縛りつけた。



 強風とパトカーのサイレンが渦巻いている。

 ヴァンダはロクシーの前に屈み、彼が握る銃を蹴落とした。黒鉄の塊が音すら立てず遥か下の地上へ落ちた。


 ロクシーは鉄橋に縫いつけれながら歯を見せた。

「次はオレがこうなるってか?」

「阿呆か。殺すつもりならこんなまどろっこしいことしねえよ」

 ヴァンダは錆びた鉄橋に座り込み、額に手をやった。


「ああ、くそ、貧血だ。この橋も長く保たねえぞ。ロクシー、一緒に落っこちる前に腹括れ」

「……何が狙いだ?」

「お前に≪勇者の血≫の回収を命じた奴を吐け。情報と交換で助けてやるよ」


 ロクシーは鎖に巻かれた首を横に振った。

「同業者ならわかるだろ。殺し屋は信用第一だ。命惜しさに寝返ったらオレだけじゃなく家族も殺される」

「その心配は要らねえよ。ちょうど来た」


 鉄橋の麓に鉄屑のような車が停まり、エレンシアが顔を覗かせた。ヴァンダは身を起こし、鎖ごとロクシーを吊り上げて見せた。


「エレンシア、運転手が手に入ったぜ」

「いいでしょう。この車の修理費は初任給から引いておきます」


 ロクシーは心底呆れたように首を振る。

「正気か? 俺はお前らを殺しに来たんだぞ」

 エレンシアは微笑んだ。

「保勇機関はあらゆる勇者の遺物を保管する機関です。勇者の精神を引き継がずにどうします。自分を殺しに来た相手でも助けますよ」


 鎖が解け、ヴァンダの手首に戻る。彼は風を頰に受けながら言った。

「パトカーが山ほど来てやがる。お前の運転技術で巻いてくれよ」

 ロクシーはヒビの入ったサングラスを押し上げた。

「随分と勇者的な初仕事だな」



 空の夕陽と、高速道路を埋め尽くすパトランプが、全てを赤く染め上げていた。

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