勇者のデスロード.1

 ダイナーを出ると、エレンシアは急に足を止めた。

「失礼、携帯を席に忘れました。ここで待っていてください」

 彼女はヴァンダを置いて再びドアを潜る。


 ヴァンダは葡萄色に染まった空を見上げ、スーツの下から煙草を取り出した。

 呼吸が辛くなってからは吸わないでいたが、捨てる機会も渡す相手もいなかったものだ。煙を吐くと、懐かしい微かな酩酊感が蘇った。


「火、借りていいか?」

 ヴァンダは声の方を振り返る。

 長い金髪をひとつに纏めた、サングラスの男がいた。男は煙草を咥えた歯で笑って見せた。


 ヴァンダは無言でライターを投げる。

「どうも」

 彼は煙草に火をつけてからライターを投げ返した。

 ヴァンダは紫煙の向こうの男を眺める。

 シャツの臍まで開け、ボタンが取れたら脱げそうだ。首筋と胸に蝶の刺青が覗いていた。


「すげえな……」

 ヴァンダが呟くと、男は「これか?」と背後を指した。半分カバーをかけた改造バイクが夕陽を反射して輝いていた。

「そっちじゃねえが、いや、そっちもすげえな」

「オレの弟が乗り物に目がなくてね。喜ばせるために改造してたらこんな調子だ」

「なるほどね……」


 男はサングラスを押し下げた。

「アンタここの常連か?」

「いや、初めて来た」

「そうか。ひとを探してるんだが、伝説の殺し屋、"赤い霜"を知らないか?」

 ヴァンダは努めて素気なく答える。

「爺さんはハンバーガーを食いに来ねえだろ」

 男は肩を竦めて踵を返した。


 入れ替わるようにエレンシアが戻ってくる。

「お待たせしました……誰かと話してたんですか?」

「何というか、セクシーで馬鹿みたいな男がいた」

「よくわかりませんが災難でしたね。行きましょう」

「おう」

 ヴァンダは靴の底で吸殻を潰した。



 ふたりを乗せた車は、統京を帯状に巻く高速道路を走り出した。

 ヴァンダは車窓からジャンクションを見上げる。三首の竜を石で固めたようだ。


 エレンシアはハンドル握って呟いた。

「まさか貴方が免許を持っていないとは。殺し屋を増やす前に運転手を雇うべきかもしれませんね」

「悪かったな。今は保勇機関の基地に向かってんのか?」

「ええ。もう貴方も一員ですから。そうだ」


 エレンシアは左手で携帯電話をヴァンダに手渡した。

「貴方の情報をホームページに登録しておいてください」

「情報って何だよ」

「まずは役職ジョブです。依頼人が任務に合った殺し屋とマッチングできるシステムですよ」

「本当に便利になったもんだ。俺はよくわかんねえぞ……」



 ヴァンダが携帯電話を開いた瞬間、バツンと風を切る音が響いた。小さな画面の液晶が砕け、丸く開いた穴から火花が散った。


「伏せろ!」

 ヴァンダはエレンシアの頭を抱えて上体を下げた。

「何するんですか!」

 悲鳴と共に、車が大きく尻を振って旋回した。激しい銃声が鳴り渡り、フロントガラスが砕け散る。細かい破片がざっと車内に流れ込んだ。


 警報のブザーが鳴り、辺りに白煙が満ちる。

 ヴァンダはエレンシアを押さえつけながら、僅かにダッシュボードから顔を出す。


 フロントガラスの残りには無数の弾痕が花咲いていた。眼筋に≪勇者の血≫を巡らせて強化する。

 烟る視界に赤い線が像を結び、車の前方で待ち構える改造バイクを浮かび上がらせた。



「あの野郎か……エレンシア、動けるか?」

「貴方が手を離してくれれば」

「大した肝っ玉だな」

 ヴァンダは苦笑して手を離す。エレンシアは細く息を吐いた。

「襲撃は覚悟していましたが、こんなに早いとは」

「とにかく車動かしてくれ。このままじゃ蜂の巣だ」


 彼女は乱れた赤髪を払い、ハンドルを握った。

「揺れますよ。気をつけて」

 ヴァンダの答えを待たず、エレンシアはアクセルを踏み込んだ。


 銀のワンボックスカーは弾丸のように発車し、一瞬で改造バイクの脇をすり抜ける。

 濛々と煙を噴き上げ、破裂するようなエンジン音を鳴らしながら、車は高速道路を再び走り出す。


 辺りは逃げ惑う車で騒然とし始めた。

 対向車線に逃げる車がぶつかり合って激音を鳴らす。重なるクラクションがファンファーレのように反響した。



 エレンシアは半分に千切れたルームミラーを睨む。

「追ってきましたか?」

 ヴァンダの代わりに銃声が答えた。

「みたいだな!」

 ヴァンダは助手席から仰け反り、強化した視力で後方を確認した。


 ダイナーで見た男だ。駐車場ではカバーがかけれられて見えなかったが、改造バイクの両脇にはガトリングガンが取り付けられていた。銃弾が発射されるたび、衝撃に負けじとマフラーが炎を噴き上げる。


「あんなのアリかよ……」

 ヴァンダは舌打ちした。

「ダイナーで会った奴だ。俺を探してた」

「セクシーで馬鹿みたいな男……金髪にサングラス、蝶の刺青の奴ですか?」

「何で通じるんだよ!」

 銃弾が右のサイドミラーを抉り取る。エレンシアはハンドルを切って追撃を避けた。


「彼は夜盗ローグ・ロクシー。一部では有名ですよ」

「有名な殺し屋か?」

「殺し屋に転職したのは最近です。それまでは車上荒らしでした」

「それ職業じゃねえだろ」

「高級車を見ると盗まずにはいられない病気だと話題でしたよ。その技能を活かして、今のように道中での襲撃を得意としています」



 ヴァンダは溜息をついた。

「奴に会ったこと、伝えておくべきだったな。悪い」

「襲撃は覚悟の上と言ったでしょう。それに対抗手段はあります」


 エレンシアは左手でハンドルを操りながら、右手で服の胸元を握りしめた。黒いレースの下から赤い輝きが渦巻く。

「……≪勇者の心臓≫か?」

「はい。心臓の機能はポンプと同じ、伸縮です」

 エレンシアは唄うように告げた

Tu fui ego eris私は貴方に、貴方は私に



 背後で爆発音が響いた。

 ヴァンダが振り向くと、改造バイクの一部が黒煙を上げていた。強化した視界に、一本のマフラーが捻れて粉砕されているのが映る。


「潰したのか?」

「ええ、まだありますよ」

 車は高速道路の案内看板の下を潜る。エレンシアは右手に力を込めた。

 標識の根元がひしゃげる。看板は断頭台の刃のように落下した。ロクシーのバイクが間一髪でそれを避けた。



「しぶといですね」

 気丈に言うエレンシアの頰を冷や汗が伝った。そう多くは使えないのだろう。


 ヴァンダは靴を脱いで裸足になった。山刀を腰に帯び、シートベルトを外す。

「そのまま運転してくれ。あとは俺がやる」

「どうする気ですか?」

「免許はなくても殺しのライセンスならあるんでね」



 ヴァンダは助手席のドアを蹴り上ける。

 押し寄せる風圧に構わず、身体を押し上げて車の上に飛び乗った。

 爪先に血を巡らせる。足裏の皮膚を突き破った血が結晶と化し、車のルーフにヴァンダを繋ぎ止める。


 バイクは距離を保って車の真後ろをついてくる。

 ヴァンダは風に煽られながら、鞘のついた山刀を携えた。


「夜盗ロクシー、狙いは≪勇者の血≫だな。誰の依頼だ?」

 車上の男が声を張り上げる。

「"赤い霜"がお見知り置きとは。だが、言う気はないぜ」

「諦める気もねえか?」

「ああ、弟の治療費を稼がなきゃならないんでね」

「見かけによらねえな。俺と戦ったら、お前の治療費も必要になるぜ」

「≪勇者の血≫を持ち帰ればお釣りがくるさ」


 ロクシーが銃を構えた。ヴァンダは風で乱れた頭を掻く。

「お兄ちゃん、キリのいいところで諦めな。治療費が葬式代になるぞ」


 抜き放った山刀の鞘を風が攫った。

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