標的:車上荒らし
ダイナー
風が吹いている。
旅の初めの頃、勇者たちと歩んだ森の小道だと思った。
勇者と姫騎士が言い争い、剣士が呆れ顔で宥め、賢者は勝手に道を逸れて草花を採集する。穏やかな思い出だ。
先頭の勇者が振り返って名前を呼んだ。
「ヴァンダ」
**
響いたのは女の声だった。
車の助手席で崩れるように眠っていたヴァンダは目を覚ます。運転席からエレンシアが身を乗り出した。
「着きましたよ。車に乗った瞬間に寝るなんて、本当にお爺ちゃんなんですね」
「悪かったな。代わりに寝起きは早いぞ。朝五時には起きる」
「何て傍迷惑な。散歩して近所のひとまで起こしていないでしょうね」
エレンシアはくすくすと笑う。
言葉遣いも話の内容も勇者とは程遠いが、笑顔だけは同じだった。ヴァンダはルームミラーに映る自分の顔を見た。勇者の娘が隣にいて、勇者と共にあった頃の若い自分がいる。
「慣れねえな……」
ヴァンダはミラーを傾けた。
車から降りると、駐車場の先に平たいプレハブ式のダイナーが建っていた。
真っ赤な看板には「勇者の胃袋」と記されている。
「間違って襲撃されそうな店名だな」
「ご心配なく。ここは殺し屋専用の会員制ダイナーです。私も行きつけですよ」
エレンシアはヴァンダに手招きして扉を押した。
白と黒のタイルが猥雑なネオンを反射し、ジュークボックスから流れる音楽が五感を刺激する。
陰鬱な顔の店主が挨拶もなくこちらを見た。店内の人影はまばらだ。赤いスツールにスキンヘッドの男と、黒髪長髪の男が金属バットを立てかけて座っていた。
エレンシアは慣れた様子で奥の席に座った。彼女はヴァンダが着席する前にメニューを開き、現れた店員に注文する。
「ハンバーガーでいいですね。若いから脂っこいものも大丈夫でしょう?」
「だといいがな」
「ここの付け合わせのサラダは干し葡萄が入っているですよ」
「勇者も干し葡萄入りのパンが好きだったよ」
エレンシアは小さく目を丸くし、溜息をついた。
「生前の父を知っているんですよね。羨ましいです。私はどこまで本当だからわからない勇者伝説で聞いただけですから」
ヴァンダは僅かに目を伏せてから言った。
「聞かせてくれ。お前は勇者の娘なんだよな。どうして生きてる。今まで何してた」
「物心ついていない段階の話ですが……」
エレンシアは声を低くした。
「父と母が殺された後、赤子だった私は暗殺を企てた王家の人間に連れ去られたそうです。洗脳して利用するか、生かしておけば勇者の仲間を牽制できると思ったのでしょう」
ヴァンダは机の下で山刀の柄を強く握りしめた。
「反乱が起こり、民衆に滅ぼされる前に王家は私を処理しようとしたそうです。心の臓を一突き。私は確かに死んだはずでした」
「じゃあ、何で生きてる」
「貴方と同じですよ」
エレンシアは胸元のリボンを外し、服の襟を押し下げた。血管が透けるほど白い左胸には、赤く輝く複雑な紋様が浮かび上がっていた。
「≪勇者の欠片≫か!」
「乙女の肌を見てそれだけですか。枯れていますね」
「悪かったな。お前は孫でもおかしくねえ年なんだよ」
ヴァンダは眉間に皺を寄せて息を吐く。店員が巨大なハンバーガーを乗せた皿をふたつ運んできた。
エレンシアは受け取って、バーガーを留めていた剣の形のピンを抜く。
「私は≪勇者の心臓≫を移植されて蘇りました」
「……誰がお前を蘇らせた」
「それがわからないんです。私の元にはエレンシアという名前と経緯を記した手紙だけが残されていました。勇者の末裔ならいくらでも利用できたでしょうに」
エレンシアは眉を下げる。
「成長した私はしばらく殺し屋稼業を転々としてお金を貯めながら、真相を探っていました。そのとき、貴方の噂を聞いた」
「俺の?」
「ええ。≪勇者の欠片≫を片っ端から奪い取り、私利私欲に使うことなく、保管を求める伝説の暗殺者。私のすべきことはこれだと思いました」
エレンシアはナプキンで手を拭い、折りたたみ式の携帯電話を取り出した。
「随分進んだもの持ってるな」
「魔族が念動力で通信する技術を応用したものですよ。そして、これは私の設立した組織です」
彼女が開いて見せた画面には赤々とした字で「保勇機関」と書かれていた。
「何だ?」
「ホームページですよ」
「それはわかる。保勇機関ってのは具体的に何をするところなんだ」
「理念のひとつは他の殺し屋と同じ、魔王禍の根絶です。もうひとつは各地に散らばった、合計で百八個あるという≪勇者の欠片≫を保管することです」
「保管……」
「魔王禍を根絶するまでは保勇機関に所属する殺し屋に限って≪勇者の欠片≫の使用を許可するつもりです。でも、最終的には人間にも魔族にも悪用されずに安らかに眠らせる。それが私の望みです」
ヴァンダはしばしの沈黙の後言った。
「勇者の墓って訳か」
「そうとも言えます」
「そういうことなら、協力するぜ」
エレンシアは破顔した。
「よかった。貴方に拒否権はないのですけど」
「何だって?」
「≪勇者の欠片≫を持つ者は魔族と殺し屋両方から狙われます。独りでは到底立ち向かえませんよ。彼らの保護も機関の目的のひとつですから」
「守ってやる代わりに協力しろってか」
「そうとも言えます」
「勇者はこういう悪どい交渉はしなかったぞ」
「私は父ではありませんから」
ヴァンダは天井を仰いだ。
「食事が冷めてしまいますよ」
エレンシアは豪快にハンバーガーにかぶりつく。旅の途中、寂れた宿の酒場で勇者と囲んだ卓が蘇った。ヴァンダはバーガーをちぎりながら口に運んだ。
エレンシアは干し葡萄入りの乗ったサラダをつつく。
「保勇機関は新設の小さな組織です。今はまだ注目されなくてもそのうちに敵も増えるでしょう。今は魔族だけが敵ではありませんから」
ヴァンダは頷いた。
「目下警戒すべきなのは四騎士だな。あらゆる殺し屋の中で最強の実力者の同盟だ。生半可な組織よりもあの四人のが怖えよ」
「ヴァンダ、貴方の活動暦は長いでしょう。ツテはないのですか?」
「ひとり知り合いがいたが最近リストラされたらしい」
「タイミングの悪い」
「元から問題児ではあったからな。まあ四騎士は頭のおかしい連中しかいないが」
エレンシアはバーガーを片手に携帯電話を開く。
「個人で警戒すべきなのは二つ名持ちの殺し屋ですね。"錆斬り"トツカ、"謳われる"フレイアン、"黄一閃""キーダ、常夜"ルーシオ……組織では、最近勢力を増している『戦士の巣』や『掃除夫』などです」
「魔族と戦いながら人間も警戒するって訳か」
「ええ、それから政府が樹立した聖騎士庁が厄介です。何せ殺し屋の排斥を狙ってますから」
「面倒な時代になったな。魔王を殺すことだけ考えてりゃよかった頃は楽だった」
「頑張りましょうね」
エレンシアは微笑んで手を伸ばす。ヴァンダがその手を取ろうとすると、慌てて引っ込めた。
「ちゃんと油は拭きました?」
「拭いたよ」
ヴァンダは呆れながら軽く手を握って離す。
バーガーを平らげたエレンシアは口元を拭った。
「いつか≪勇者の欠片≫を全て集めたら……」
「何だ?」
「父が蘇ったりしないでしょうか」
ヴァンダは彼女を見つめた。殺し屋を集めて、魔族と人間両方と渡り合っているとはいえ、エレンシアは親の愛を知らない子どものままだ。
ヴァンダはかぶりを振った。
「どうだかな。もしそうなったとき、叱られないよう良い子にしてな」
「殺し屋界一の優等生の自負がありますが」
「掃き溜めの一位でもしょうがねえだろ」
ヴァンダは干し葡萄入りのサラダを彼女に押し付けた。
「俺の分も食いなよ」
「野菜を食べないと認知症のリスクが高まるそうですよ」
「いつまでジジイ扱いしてんだ」
エレンシアが勇者と同じ顔で笑う。ジュークボックスから静かな音楽が流れ出した。
***
ダイナーの外に一台のバイクが停まった。
マフラーを増やした黒い改造バイクから、男が降りる。
男はヘルメットもなしに長い金髪を馬の尾のようにまとめ上げていた。
ネオンと同じ色をしたサングラスを下げ、彼はダイナーを眺める。
「……標的は爺さんだって聞きてたんだがな。まあ、年寄りを殺すより罪悪感がなくていい。」
彼は臍までボタンを開けたシャツの下から携帯電話を取り出した。
「≪勇者の血≫を見つけた。標的の生死は問わないんだったな?」
電話の向こうから短い返答が漏れた。
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