第12話

舗装された道路から砂利道に入る。


そこを走ること数十分、森と崖の下を流れる川に挟まれた河川敷にたどり着く。


あたりはシンと静まり返り、時おり聞こえる鳥の鳴き声が青い空いっぱいに響いている。


大きなタイヤを履かせる理由がこれかと思った。そこを「キャンプ場」とアッシュは言っていたが人工物は何も無い。


あるのは無数の川の水で削られた丸石とその上に転がる薄茶色の流木ばかりであった。


バイクに揺られること2~3時間だったろうか、ただ座っていただけなのに程良く疲れてしまっていた。


「おい ボケっとするなよ 仕事だ」


「はっ はいっ」


アッシュは大きく背伸びをした後に、荷台から刃物や道具を取り出し何やら準備を始める。


何をすればいいのかわからずにあたりをウロウロしていると今日買ったあのハンマーを手渡される。


数分で準備を終え、この川辺からすぐそこの森の中に足を運ぶ。


(息をつく間がない)


森を進む彼の動きは見事で、早い。本当にそれについていくだけで、全身から汗が滝のように流れ落ちていく。


この森は先日自分1人で入った森よりも植物の生える密度が高いように思えた。


それに伴い、動物たちがかなり居るようだ。


しかしそれらは自分たちを見るや否やすぐに姿をくらませる。


アッシュの背中がせわしなく上下している。あんまりにも早い。


笑いながら踊っているようにも見えてきてしまう。


重いこのハンマーもそれの一因であると思うが、あっという間に息が切れてしまう。


足元がわずかにぬかるんでいる。それに足をとらせまいと、地面にも注意を傾けなければならない。


少しの油断で転んでしまいそうだ。


(おっと ・・・)


目をやるとグレー色の蟹がどうどうと歩いている。動物たちと違って逃げることもなくただ体を横にして目的地へと足を動かしている。


それを踏みつけそうな自分を木の上からリスが笑うかのように手を顔に当てている。


30分ほど森の中を進むとアッシュの走るスピードが緩やかになり、ついには歩き出す。


おそらく自分のことを気にかけてくれたのであろう。


「こんな森は久しぶりです はぁはぁ」


アッシュの顔を覗くと、汗1つかいておらず顔色一つ変えていない。


「何だ 来た事あるのか」


「はい 昔 父と ・・・・」


幼い頃、深い森に父に連れられ来たことがある、それを自分はとても楽しんでいたと思う。


今考えると何故あの時わざわざ森でレジャーをしたのかと疑問に思えてきた。


たしか、1回きりでそれは終わりだった。


何度も、もう一度いきたいとねだったのを思い出し、その事をアッシュに話そうと思った。


その瞬間、アッシュは突然歩みを止め、手で「しずかに」と合図を送る。そして木の陰に背中を丸める。


それを見て自分も彼の背に寄せるように丸くなる。


『音だすなよ』


「はい」と小さく返事をし、アッシュが見ている方角を見る。


( ・・・・・・ でかい)


4足歩行動物のお尻が10メートル程先に見えた。


少し離れているため正確な大きさはわからないが、体高は自分の身長ほどはあるのではないかと思われる。


やや灰色がかった茶色の毛で覆いつくされ、体の割りに細い尻尾が脛の先の長さまで伸び宙に浮いている。


食事中の獣は時おり、尻尾がくいっと動いている。


おそらくあれが、役所の写真の「イボア」であることは間違いないだろう。


まだ、正面からそれを見ることはできないが、その獣の額には大きなコブのような角が生えているはずである。


そして依頼はそいつのイボの回収。つまり、あの大きな巨体の獣の息の根を止めなければならない。


「ゴクリ」


無意識に自身の唾を乾いた喉に流しこんでしまう。


そして、獣からただよう野性の匂いが鼻に入ってくる。


動物園で嗅いだことのある、全身で感じてしまうようなあの匂いだ。


森を勢いよく走ったせいでもあるが、軽くめまいがする。


視線をアッシュに移すとすでに何か準備をしている。


彼の胸元から刃渡り5センチ程度の小さなナイフを取り出し、そしてチューブ状の容器の栓を開けそこからどろっとした液体をナイフに垂らしている。


容器をしまうと、小さく息をする。


「「シュ」」


小さな風切り音とともにナイフがアッシュの元から放たれる。


投げ終わった今、やっとのことで「ナイフが投げられた」という事に気が付く。


手首と指先だけを使った、物凄い芸当を目の当たりにする。


そして、投げられた先である獣のお尻を見るとしっかりと中央やや右のお尻にそれが突き刺さっていた。


獣は刺さったことに気が付いておらず、刺さる前とまったく同じ様子を見せている。


「す すごい ・・・」


そうごく自然に口に出してしまった言葉にアッシュが反応する。


「がば」と胸元を掴まれ、「うるさい」と左手でジェスチャーされてしまう。


数秒の静寂の後、次に耳に飛び込んできた音は「パキパキ」という枝の折れる音と


「「ズシーーーン」」


重量物が地面に接触した音であった。


わぁと音を出さずに口だけ開いてその光景を見る。おそらくあのナイフに塗布した毒により、倒れたのであろう。


「おい とどめ さしてこい」


「えっ?」


「え」じゃねぇよと腹をどつかれる。


他人事のようにその光景を見ていたため、何の心も準備をしていない。


自分の心臓の音と腹部の痛みで吐きそうになる。


「ちょっと待ってください」と言える空気ではなかった。


あんまり急なもんで頭の中が真っ白になりかける。


「ボケっとしてんじゃねぇんだよ ここだ」


彼は額を指さし、そこを叩けと指令を下す。


そしてパーカーをぐいと掴むとあの獣の方角に自分を投げ飛ばす。


(ここで自分の番がまわってくるとは)


されるがままにここまで来て、いざ自分でそれをするとなると、こんなにも腰が重たくなるとは思いもしなかった。


(腹をくくるしかない)


そう言い聞かせ、右手でハンマーの柄を強く握った。


しかし、あの横たわった獣ばかり見てあそこまで進もうとすると草などに足をとられ躓きそうにすらなる。


頭でこれからやる事を考えるほど、自分の動きはゆっくりになってしまう。


(見たくない)


(あの獣の顔を見たくない)


だが、体はあの獣の元に着実に向かっている。


ハンマーの柄が汗ですべりきちんと握れていないような気がする。


(・・・・・・・)


獣は、役所で見たそれと同じ顔であった。


大きさは2メートルほどか、軽自動車ほどの大きさである。


大きく前に突き出した鼻と口、その口元から僅かにのぞかせる牙、そして頭には家庭用炊飯器ほどの大きさの白い楕円球型のイボが付いていた。


何度かそれをぶつけていたであろう、所々に傷がついている。


またそのイボの白さと体毛の淀んだ茶色のコントラストがなんともいえない不気味さを演出している。


幸い目は閉じ、鼻からは「ふがふが」という寝息のようなものが聞こえる。


そして、後ろから見ていた時の匂いとは比べ物にならないほどの刺激臭が鼻に入ってくる。


(んっとぉ ・・・)


ふと視線をアッシュの元へと移す。


頭にグーを乗せ、その下の額を反対の手で指さしている。


口の動きは「早くやれ」だ。


右手で柄を強く握る。握る手の内側がネバっとしていて気持ち悪い。


人差し指の爪が手に食い込んだ。


獣の真正面に立ち、「よし」と独り言ちる。


身を少しかがめ頭上からいっきにハンマーを振り下ろす。


「「がぎぃーーーーん」」


(な ・・・・ )


思ってもいなかった音、謎の金属音が鳴り響き、その振動が体の芯まで届く。


(硬い ・・・ )


もう一度振り下ろそうと身を構えたその時、獣の目が「ぱきっ」と見開き自分を捉える。


そして「ゆさっ」と平然と、タクマシイ脚で軽く自身の巨体を持ち上げる。


体高は先ほど感じた大きさ、おそらく自分と同じ程度の高さ、しかし睨みつけるその目と威圧感により、この獣がよりいっそう大きく感じる。


そしてあの時、あのカラスに襲われた時と同じ感覚が胸の内側から湧いてくる。


(ど どうして俺はこんな目に)



「あ~ぁ ・・・」


アッシュはそんなパインを半分笑って見ていた。


(まぁ そんなもんだよな ・・・)


(思い切りが足りねぇんかね)


彼は胸元から奇妙な形の対になった2本の短剣を取り出す。


持ち手からすぐ直角に折れ、その数センチ先から湾曲した刃がついている。


よく手入れしているであろうそれは森の緑を反射し、あやしく光る。


両手で「ぐ」とそれを強くにぎると猫の捕獲行動の如く背を丸め、地を蹴る。


突風が吹き、落ち葉や土が舞う。アッシュの体が物凄いスピードでイボアに迫る。


そして濡れた地面がイボアの喉元までアッシュを滑りこませるのを助ける。


彼は仰向きのまま両手で2本の短剣を横なぎに振るい目的の箇所を切断するのに成功させる。


そのままパインの横まで滑りこみ、平然と態勢を直立に戻す。



そのときイボアがパインめがけて渾身の力で体当たりしようとしていた。


「もうだめだ」とあのカラスの時のように諦めたその瞬間。


イボアの足元に何かが滑り込んできたのをパインは横目で捉える。


そして、「スタ」と軽い音とともにアッシュが隣に立っている。


(え?)


そしてイボアに視線を戻す。


「「グェエエエエエエ」」


なぜかイボアの目が天を向き、口を大きく開いて苦しんでいる。


そして暖かいどろっとした液体が自分にふりかかってきた。


「わっ」


思わず後ずさりし、それを避けようとする。


(何が起きたんだ?)


「「ズシーーーーーーン」」


再度横たわるイボア、全身を痙攣させ喉元から血液が勢いよく地面に降り注いでいる。


天を向いた目がしだいに力なく下を向き、瞼もそれにともないゆっくりと閉じられていく。


血で濡れてしまった自身の顔を新品のパーカーの袖でぬぐう。


「そのふてぇ腕は飾りか?」


そう言われたが、何も言い返すことができずあたふたしてしまう。


(何もできなかった ・・・)


(また ・・・ 助けられた)

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