第32話

「タエちゃん、本部のメディックになんて独りで行けるだろ。なんで僕を連れていくの」

 タエに手を引かれながら、ヌウスが尋ねる。

「お客さまに会いに行きたいの。独りで会って、危ないことが起こったら困るでしょ。あなたが隣にいれば、大丈夫かなって」

「お客さま? この前ナナカちゃんが捕まえた捕捉番号:50の、女ハイブリッドのこと?」

「うん。カズヤから聞いたんだけど、言葉が通じない割に意思疎通しやすい相手だって言うの。私たちだったら、気配を感知できれば話せるかなって思って」

「そっか、なるほどね。だったら、僕も話せるかも」

 メディックのチェックゲートを通って構内へ入り、廊下をなおも歩きながらヌウスは思った。──何年もここに世話になっているとはいえ、タエちゃんは余程に本部メディックとの深い信頼関係があるんだな。『捕虜に面会したいの』、のひと言でスルーとは……。本人に自覚がまったくないのは玉に瑕だが、組織のエース級戦闘員とはこういうものなのか。

 しばらく廊下を歩くと、ヌウス自身も匿われていた経験のある一時保護室のドアの前に着いた。タエがセキュアに右手を翳すと、ドアは難なく開き面会スペースが現れる。──タエちゃん、通行制限のセキュアレベルもほぼ幹部級なのか……。

 面会スペースに入り、クリアシールドの覗き窓から居室に目を遣る。捕捉番号:50の女は眠っているようで、毛布で顔を隠している。タエはクリアシールドに歩み寄り、黙って彼女を見つめた。その「気配」を感じようとしているのだろう。

「(ね、起きて)」

 タエの「気配」が発する言葉を、ヌウスも聴いた。

「(ね、敵じゃないよ。あなたも人間だったはず)」

 女は目覚めたらしく、身体を起こして神妙にこちらを窺った。タエは微笑み、彼女を見つめ続ける。ヌウスは、女の警戒心が少しずつ解けると同時に彼女の「気配」を感じ始めた。女は毛布から顔を出し、こちらをじっと見ている。──なんて綺麗な顔なんだろう。ヌウスはその美しさに気圧され、思わず一歩引いてしまう。

 そして女はシールドに歩み寄り、タエの顔を見つめながら片手をシールドに添えて言った。

「(あなたが、ここの……神様、なの)」

 そのひと言に、ヌウスは一つだけ思い出したことがあった。DEEPの世界には、神の概念がある。無論その神がどのようなものであったかまでは、思い出せないが。

「(うふふ。違うよ)」タエはにっこり笑って答える。

「(でもあなた、神様みたいに優しい顔だわ)」

「(ありがと。でも私、普通のただの女なの。あのね、私からも訊かせて。あなたの知ってる神様って、どんな神様なの?)」

 そう訊くタエの紅い瞳孔が、深い紫色を帯びて女を見据える。ヌウスは彼女の視線から、ともに戦ったとき感じたあの戦慄を再び背中に憶えていた。


「DEEPに神がいる?」カズヤはタエの報告に、幾分声のトーンを上ずらせながら訊き返す。

「うん。50番の女の子から、聞き出して来ちゃった」

「そういうことか。急に私の部屋を訪ねてきて、何を言うのかと思ったら」

「それと、結婚する前に少しだけ甘えたくって。──『お兄ちゃん』に、ね」

 カズヤは少女期のタエを「妹」とし、保護者の役割を数年務めていたことがあった。若かったカズヤが、赤の他人である思春期の少女を血縁者のように世話することの大変さは推して知れる。無論、妹を女と思わぬよう強く自制するということも含めてだ。

 現在は上官と部下だが、職務を離れれば今も兄妹同然に振る舞える。ナナカたちは知らないが、こうしてタエがカズヤの居室を訪ねることも度々あった。

 ただし、カズヤと民間人だったタエが、兄妹として保護被保護の関係にあった事実は今なお表向きには秘匿されている。

「やだカズヤ、盗み撮りするなんて趣味悪いな」

 タエは机に飾られた3Dフォトを目敏く見つけ、悪戯っぽく微笑む。フィギュアのように見えるその立体映像は、マリエッタの前に立ち敬礼するナナカの姿だ。

「盗撮したわけじゃないぞ。機体のシェイクダウンのときに、記念に撮らせてもらったものだ」

「ふーん。さては、ずっと気にかけてたんでしょ。ナナカちゃんのこと」

「悪いのか?」

「そんな気はしてたけど。もうすぐ私も結婚するし、妹離れしてもらういいタイミングかも」

 カズヤはタエの辛辣なひと言にフッと笑うと、横に逸れてしまった話を本筋に戻す。

「で、DEEPの神……って、一体どういう存在だ?」

「うん、どうやらDEEPの社会の統治者を、民衆たちは神と看做しているみたい。人型のハイブリッドではない、いわゆる起源種のDEEPたちに政治を行う能力はないの」

「ってことは、神は起源種のDEEPに代わって社会を治めている者か……おそらくは、ハイブリッド」

 政治で統べられる社会という概念を持たない生き物にそれを刷り込むには、「神」の存在を意識させることは有効だ。現在DEEPの世を治めているハイブリッドは、敵としてもそうとうに手強い相手なのだろうとカズヤは思う。

「あんまり思い出したくないけど、私がA79戦でDEEPに捕捉されていたときに聴いたあの声、あの気配。あれが……神様だったのかな」

 幾分声を震わせながらタエが振り絞るように言うと、カズヤはタエの隣に腰掛けてそっとその手を握った。

「無理に思い出すな。DEEPへの憎しみに堕ちたら、おまえは二度と微笑まなくなる」

 タエは黙ったまま、何かをこらえるように目を瞑って頷く。

「なあ、タエ。もう、進んで孤独になろうとするな。親父さんやお袋さん、弟さんはいなくても……兄貴がいるんだぞ。ここに」

「うん……。それに、イブキもいるからね」

「そうか。あいつが私の弟みたいになるんだな。面白いような、御免蒙るような、複雑な気持ちだ」

 言い終えるとカズヤは、タエの手に軽く添えるよう握っていた右手に、幾分強い力を込めた。

「……思ったよりも辛いな。タエ、きみを手放すことが」

 うふふ、と笑うとタエは上目遣いになり、ひそひそ話のような口調で言う。

「お兄ちゃんだったカズヤ、あの頃の私にとっては優しくてかっこよくて理想だったんだけどな……今となっては、もう過去の話だなって」

 タエはふっと微笑むと、握られていた手を握り返す振りをしながら、少し強くカズヤの手の甲を抓った。

「痛いな!」

「うふふ、ごめぇん。──ありがとう。突然兄妹同士になった私のこと、ずっと大切にしてくれて」

「当然だろ。幸せになってくれ、きみは私の妹だからな」


 リオナは数か月ぶりにミヅホへの相談を予約し、彼女の部屋へ向かっていた。

「おいおい、僕が一緒に行くってなんでだよ。噂じゃ男子禁制の相談室だって聞いてるぞ」

 なぜか同行させられているシュウが、ただただ困惑気味にリオナへ訊く。リオナは軽くウインクをすると、

「レギュレーションに、そうは書いてない。シュウ、今日は万一に備えて、あんたに護衛を務めてもらおうと思って。あんた、アスリートだったんでしょ」

「え、……うん。もう忘れそうだけど、そうだった」

「ならついて来て!」

 ドアが解錠されて開き、応接のソファの横に立って待っているミヅホの姿が見える。

「ミヅホ、ご無沙汰……お疲れ様です」

「いらっしゃい。リオナちゃん、今日はどんな相談?」

 リオナは自分の前にシュウを立たせるや否や、単刀直入に言い放つ。

「捕捉番号:51の敵幹部……。ミヅホが逃走を手助けしたって噂なの。それ、本当?」

 ミヅホは少し黙ったが、口調を乱さずに答える。

「ええ。そうよ……、弁解する余地などないわ」

「それじゃ、あなたはDEEP側の人間なのか」

 聞くや否や、毅然と訊き返したのはシュウだった。ミヅホは首を横に振り、違うわ、と言ってなお続ける。

「気付かれたのなら、隠すつもりはない。──私の夫だった人が、DEEPの社会で生きているんじゃないかって、ずっと思っていたの。あの人の情報を、少しでも知っていたら聞かせてって51番に頼んだのよ。逃がすことを条件に」

「え。捕捉番号:51は、僕らの言葉が分かるのか?」

 シュウがそう問う。ミヅホは、神妙な顔で首を縦に振った。つまり捕捉番号:51はハイブリッドではなく、DEEPによる完全な寄生にも至っていない存在らしい。

「私の夫は、やはりDEEPの巣にいた。もちろん詳細までは聞き出せなかったけれど、同じ場所で暮らしていることだけは教えてくれた」

 ミヅホは言い終えると、涙を零しながら下を向く。リオナは動揺しながらも本部戦闘工作室へ連絡を取り、ほどなくジョシュアが駆けつけた。

「ミヅホ!」ジョシュアは血相を変え、項垂れるミヅホへ駆け寄るとその身体を支えた。

「ジョシュア……。すぐに相談できなくて、ごめんなさい」

「27エキップを創設した大楠塔琉が、DEEPの巣にいたのか。道理で向こうも、IGFと同じ原理で稼働する機体ばかり用意しているわけだ」

「ジョシュア、上層部に伝えて私を裁いてちょうだい。どんな処分でも受けるわ」

「いや、その必要はない。向こうにも、敵に開示しうる情報の限界線があるだろうに……。ぎりぎりの所まで聞き出せたことは、寧ろきみの大手柄だ」

 ジョシュアが声を震わせて言うと、ミヅホは少し醒めた微笑みをみせる。

「手柄なんて狙ってたんじゃないのよ。ただ、私はあの人が生きているのか、元気なのか……確かめたかっただけ」

 ジョシュアは、かつての盟友であった大楠に関する記憶を辿りながら考えていた。──あの頃から、異彩すら感じる才気に溢れた男だった。彼が次々と繰り出す発想の数々を形にしていくことが、自分も楽しくて仕方なかったものだ。その才能と、一筋縄ではいかない人間性。そして、いざ行動に出たときの切れ味の鋭敏さ……。すべてが、彼の魅力だった。

 ──そんな男に罪深さがさらに加わったら、その魅力はいったい何倍増しになるのだろう。

 逃走したあの幹部は、大楠にミヅホの存在をもう伝えているかもしれない。大楠がミヅホを奪いに来たとして、自分はどうするだろう。敵となり戦って、それを阻止できるのだろうか。

 もはや記憶の中の大楠の姿しか見えていないと思しきミヅホの虚ろな眼差しは、少女のように可憐だ。そしてその眼で自分を見つめることは、決してないとわかっている。それでもジョシュアはミヅホを渡したくない、護りたいという思いを振り払うことはできなかった。


 27エキップ黎明期、まだ埋め立てたばかりの更地が目立つ島に築かれた地下ドック。パシフィサイト採掘を目的とする、武装を備えた人型重機の開発が極秘裏に進められていた。

「夜乃森さん、動かせそう……ですか。頭が痛んだり、身体が疲れたりするなら無理をせずに」

「大丈夫よ、大楠くん。マシンの手足を自由自在にというわけにはいかないけれど、立って歩かせるくらいまでなら何とか」

 重機に搭乗する小柄な10代の女性と、それに指示を出すスマートな物腰の青年──それが若かりし頃の夜乃森瑞帆と、大楠塔琉だった。

 瑞帆が乗る人型の重機はゆっくりと立ち上がり、バランスを崩してふらつくこともなく真っ直ぐ歩く。

「本当だな。さすが夜乃森さんだ、きみをテスターに選んで正解だった」

「そんな……。大楠くんとジョシュアが作ったこの機体がいいからだと思います、うふふ」

 パシフィサイトの磁性を、動力の供給に活かせると最初に見出したのは大楠だ。そして、実は当初IGFは「IGG(I-Groovematic Gear)」と仮称し、大型採掘機器としての開発が為されていた。その動作試験のためクルーの中から操縦適性を見い出され、テスターに登用されたのが瑞帆だった。

 日夜試行錯誤を繰り返しながら、その苦楽を共有し続けた大楠と瑞帆は自ずと親密になってゆく。しかしそれと時期を同じくして、採掘調査のため大楠は深海へ潜る機会が何度となくあった。おそらくこの頃に彼は、起源種のDEEPの存在を海底でいち早く知ったのだろう。彼は人知れず、DEEPに関する調査を実施した。おそらくは、その生態やパシフィサイトの磁性との親和性に驚きを憶えたに違いない。

 そしてこの暫く後で、大楠は27エキップから突如去りそのまま行方不明となる。結婚を決めたばかりの瑞帆にも、何ひとつ告げることなく──。


 大楠が姿を消して数年が経過したのち、突如DEEPは人類への攻撃を始める。この影響で、パシフィサイト採掘の大規模化も見送られた。それにより、IGGは「IGF」と名称を変えて主要機能を対DEEPの武装に特化する。ジョシュアの手により、人型兵器のほか戦闘機や艦船など、多くの軍用移動体が再開発を経て生み出された。

 そして、27エキップの採掘部門であった作業班が再編され、新たに防衛班が分岐する形で発足。組織随一の精鋭を集めた部署となり、現在に至るまでDEEPの攻撃から組織とわが国を護っている──。


 おそらくミヅホは、大楠がDEEPの巣にいるであろうことを直感で悟っていたに違いない。できるなら、彼が姿を消す前にどんなことを話し、何を思っていたのか聞き出したかった。しかしジョシュアには、今のミヅホにとりつく島などないように思えた。何より、大楠との再会に思いを馳せている彼女の表情は、それまでのどんな姿よりも魅力的に見えたからだ。

 ──他の誰かを想うきみが、誰よりも綺麗に見えるだとか……。笑わせるにも程がある。

 科学者としての冷静な表情を崩していないか気にかけつつ、ジョシュアは心のなかで唇をぐっと噛んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る