第31話

37.  応接室 (a parlour)


「いらっしゃい」

 ドアがセキュア解錠され開くと、いつもの穏やかなミヅホの声が響く。ここへはまだ相談しに来たことのなかったナナカは、幾分緊張しながら入室する。

「ナナカちゃん、珍しいのね。いつでも遠慮なく来てほしいと思っていたから嬉しいけれど、悩みを抱えているのなら心配よ。なんでも言って頂戴」

 ミヅホの言葉に、ナナカは少しほっとした様子でちいさく溜め息をつく。

「私、──プライマルに、……カズヤに告白したの。あなたを好きだって」

「そう。カズヤは、なんだって?」

 ミヅホは落ち着いたトーンの声のまま、ナナカに尋ねる。

「両思い、でした……。私のこと、特別だと思ってくれているって。でも、今はまだその先に踏み切れないという意味合いのことも言われました」

「わかるわ。別れてしまって何年も経つとはいっても、カズヤもユタカちゃんを亡くしたばかりだし……ね」

「それもあるし、踏み切れないのは私もなんです。カズヤは、仲間たちみんなの上官だから。私一人が彼と、みんなとは違う関係になるのは気が引けるっていうか……。告白したけれど、後悔してます」

 かつてアイドルグループを引っ張っていただけに、しっかり者だなと思った。こんなナナカの責任感の強さについては、当のカズヤからも再三聞いている。ミヅホは、感心するように微笑みながら頷いた。

「ナナカちゃんらしい考え方ね。でもイブキくんとタエちゃんだって、仲間として戦いながら結ばれたのよ。深く考え過ぎなくても、いいんじゃない?」

「──そういうものですか」

「27エキップのクルー、なかでも防衛班の子たちに恋愛ごっこで和を乱すような人材は登用しないわ。それにあなたたちは恋すれば、戦うポテンシャルも向上する。遠慮のし過ぎも、良くないものよ」

 確かに、イブキとタエを見ている限り彼らの恋は仲間たちの絆をより深めているように感じる。それは彼らが特別なだけだと思っていたが、ある意味それも穿ちすぎな見方なのかもしれない。

「ここは、好きな人には好きだと言っていい所なの。ヌウスだって、あなたを好きな気持ちを隠していないでしょう?」

 ずっと心に引っかかっていたヌウスのことについて言及され、ナナカは思わず椅子からぴょんと跳んでしまった。ミヅホはクスッと笑い、話をさらに続ける。

「あの子も分かっているのよ、あなたとカズヤのこと。だからあなたと両想いになることは諦めたようだけど、心変わりは考えられないみたい。だから、これからもひっそりあなたを好きでいるつもりですって」


 ミヅホに相談事を持ちかけたのは初めてだったけれど、タエたちが言うように彼女の物腰は何とも穏やかで優しかった。──あのミヅホが、先日の捕虜脱走を手助けしていたという噂を又聞きしたが、俄には信じがたい。その真偽も分からないし、ジョシュアたち幹部も今は敢えてそのことを本人へ追及せずにいるのではないか。

 ナナカはミヅホの部屋を出たあと、なんとはなしに重い足取りで宿舎棟へ向かっていた。

 と、背後から美しい声がナナカを呼び止める。

「ナナカちゃん」

 振り返ると、初めて出会ったあの時のように、廊下の壁にもたれこちらを見つめるヌウスの姿があった。しかしその眼には優しい光が宿り、かつてのいきがったような鋭い眼差しはそこにない。

「プライマルとは、うまくいっているの」

「うまくも何も、……始まりさえしてないけど」

「僕ね、きみが誰を好きでいても、きみのこと想ってるって気持ちを変えないことにしたんだ」

 ナナカは思わず振り返り、ヌウスの顔をまっすぐ見る。そのビー玉のような瞳が、幾分切なく揺れたかに見えた。

「今後、きみとプライマルの邪魔はしない。でも、きみが戦闘中危険な目に巻き込まれるようなことがもしあったら、その時は全力で守ろうと思ってる」

 そう告げるヌウスの表情も態度も、格段に大人びて感じられた。いくら成長期とはいえほんの少しの間で、こんなに頼もしさを身につけられるものだろうか。

 ナナカは、急に大人っぽくなったヌウスに若干戸惑う。そしてそうしつつも、同様に短期間でぐんと変わった仲間のクルーを思い出していた。──そう、イブキもこんな変わり方をしたように思う。タエちゃんと一緒に戦うと、絶妙に庇護欲を唆られてみんな変わるのかな……。そこまでわりと安易に考えてから、ナナカはハッとした。

 ──いや、そんな冗談ではなく、タエの途轍もない力が彼女に寄り添った相手の精神を成長させているのかもしれない。イブキもヌウスもそうだけれど、リオナも考え方や人当たりが格段に大人っぽくなった。

 そして、それに関して心当たりのある人物がもうひとりいる。カズヤも、少女期のタエに相当深く関わってきたはずだ。男女の関係以外は、すべてあったといっても過言ではないほどに。

 ──自分が好きになったカズヤの、実年齢よりずっと大人な態度や振る舞い……。それもタエの力が引き出したものなのかもしれない、とナナカは思った。

「タエちゃんに、ニコニコ笑いながらお説教されちゃった。たとえナナカちゃんが誰を好きでも、僕がきみを好きだと思った気持ちを翻す理由なんてないって」

 ヌウスは、少しはにかみながらそう言う。

「ありがとうヌウス。そして、ごめんなさい……」

「勘違いしないでよ? 諦めたわけじゃない。もしきみが僕に心変わりしたら、そのときは後悔させないつもりでいるからね」

 ナナカはいつものようにヌウスと目線を合わせようとして、合わせきれないことに少し驚く。リオナより低かった彼の身長が、確実に伸びている。おそらくは、数センチくらいか。

 やはりタエと共に戦ったあと、この少年は心だけでなく身体まで急速に成長を遂げているのだろう。少し照れて笑顔を見せたヌウスの顔つきは、何故かタエによく似ている、とナナカは思った。




38.  深海の神 (The God from deep sea)


 先の戦闘で、27エキップが数名のDEEP兵を捕捉したことにより先方の情勢も落ち着かないのか、敵襲は数日停まっている。そんな中、捕えた敵兵たちについて調査した結果が本部戦闘工作室で幹部たちに報告された。

「マリエッタのGウェブで捕捉された人型のDEEP兵=捕捉番号50は雌、つまり女性。種属性は、ハイブリッドDEEP。民間人との照合は現在調査中だが、おそらく元日本国民とのことだ」

 神妙にそう告げるジョシュアに、ユージが挙手を交えて問う。

「その女ハイブリッド、現状で意思疎通は可能なんすか?」

「ああ。意識に問題はなく、手振りで促せば素直に応答する。ただし言語の壁があり、会話は難しい」

「そっすか。あと、この前逃走した雄……男のDEEP幹部って、身元割れてんすか?」

 ジョシュアは頷き、先に逃走した捕虜に関するデータを端末から開いてモニターに映す。

 その民間人名に、ユージはなんとなく聞き覚えがあった。


「キシカワ・ケイジ……?」

 ナナカはローマ字名を読み上げ、その名を記憶の底から引き出そうと顔をしかめる。

「ああ、おまえがこの前必死で捕まえたDEEP幹部の民間人名だ」

 ユージが急に自分をドックポートタワー最上階のカフェに呼び出したのは、この件でだったようだ。名前の聞き覚えはなくもないが、どんな人物だったかなかなか思い出しきれない。

「ごめんユージ、顔写真とか……ある?」

 ユージは黙って自分の端末を取り出し、画面をナナカの目の前に差し出した。そこに映った顔はとても端正な今どきのルックス、俗に言う「イケメン」だ。まさかとは思ったが、ナナカはその顔に憶えがあった。

「あっ、この人! リリコちゃん、……皆見莉々子さんの彼氏だった人じゃない? 岸川くんだ……!」

 その名前に、ユージも即座に反応する。

「皆見莉々子、元アイドルだな。そんで、おまえの最後のマネージャーだったんだろ」

「うん。リリコちゃんは先輩。ソロアイドルだったときに岸川くんと付き合ってることがばれて、引退したけど事務所に残って裏方になった」

「だな。──ま、その辺の事情も含めて、皆見莉々子を俺が知らねえわけねえだろ」

「さすがユージだね。オタクさんの知識ってすごいな」

「俺も、まさかそれがここに来て生かされるとは思ってなかったぜ」

 自分たちがオタクとその推しであったことを急に思い出し、ユージは目を泳がせながら頭を搔く。ナナカも半ば照れ気味になりつつ、アイドル時代の記憶を掘り起こすべく話題を進めようとした。

「岸川くんってね、テレビに出ることは少なかったけど舞台やミュージカルですごく人気のある俳優さんだったの。ルックスも実力も、言うことなしで」

「それは俺も知ってる。でも、急に表舞台で見かける機会がなくなったって話だな」

「うん。リリコちゃんは黙ってたけど、今思うとその時期に岸川くんがDEEPに攫われたのかもしれない」

 ──そしてリリコは岸川が失踪した謎を解明するために、単独でさまざまな手段に出ていたのだろう。ある程度の推測が成り立った時点で27エキップの存在を突き止め、自らそのクルーとなる選択肢に辿り着いた。恋人を取り戻すきっかけを作るには、それしかないと考えるのもわかる。

 しかし、そのとき既にリリコの行った数々の調査はDEEP側に勘づかれていたと思われる。そのために、彼女の身柄が狙われる事態に発展しつつあったとすれば……。自身の身動きが取れなくなったことに対する落とし所として、ナナカにクルーとなることを薦めたのかもしれない。

「リリコちゃんが、オンボードセレクションに私を推薦してくれたの。だけど、そのとき私に『もう二度と会えない』って言ったのよ……」

 そう言って涙ぐむナナカを目の当たりにし、ユージも二本の指を眉間に添え俯く。

「そっか。おそらく皆見莉々子はその直後、自身が危惧していたとおりDEEPに攫われたんだろうな……」

「リリコちゃんも、岸川くんと同じように『DEEP化』を施されてしまったのかも。ジョシュアから聞いた限りだと、今の岸川くんって厳密にはハイブリッドじゃないのよ」

「ああ。人の姿なのにハイブリッドじゃないってことは、つまり人間により近い……のかもな」

 ナナカは、目を伏せて頷く。ユージも眉間に指を当て、俯いたままだ。

「おそらくはタエちゃんみたいに、人間の思考や情緒を失わずにDEEPの能力を備えた存在。リリコちゃんもそうなっていれば、あちら側で要職に就いている可能性はある」

「ああ。当然、タエちゃんたちとは違って洗脳のようなものを施されているはずだ。あちら側で、恋人同士だったことさえ忘れて再会しているかもしれねぇんだな……」

 ユージはそう言うとしばらく黙り、目の前のコーヒーを何度か口に運んだ。そして窓の向こうの外洋へ少し目を遣ったあと、やにわにナナカに向き直って言う。

「ナナカ、俺な……。おまえのこと、ひとりの人間として全力で推してぇって今思ってんだ」

「はい!?」

 ナナカは突然ユージが畏まって言うので驚き、椅子に腰掛けたまま跳び上がる。

 ユージのナナカを見る目が、幾分優しくなった。

「ナナカがここへ初めて来たとき、付き合えるかもって少しだけ思ったことは事実なんだ。でもな、俺とおまえってさ、なんかそーいう柄じゃねんだよ」

「柄じゃない、って……どういうこと?」

「なんかさ、共闘してる感じがいちばんハイバランスっつーか……? むしろそれっぽい関係は似合わないんじゃねーかって、最近気づいた」

 そう言ったあと、ユージは重かった肩の荷を下ろしたような、穏やかな顔つきに変わった。ナナカも、それに釣られて微かに笑みを浮かべる。

「ここで出会う前から、何度も握手しに来てくれたんだもの。信じるよ、ユージのことは」

「おぅ。俺も負けねーぜ、おまえのことは何があっても疑わねぇ自信がある。──改めて言う。ナナカ、俺の最高の相棒になってくれ」

「望むところです」

 2人はその日初めてしっかりと目を合わせると、互いに幾分強気めな視線を絡ませつつ微笑み合った。

「ユージ、もしDEEPとの戦いがこの先も続くなら私、岸川くんの行方を追ってリリコちゃんを探したいの。そして、長い交戦状態に決着をつけたい。協力してくれる?」

「ああ。おまえが攻めて、俺が守る。パーフェクトなコンビネーションでDEEPに立ち向かおうぜ」

 ユージはなぜかお手拭きで手をきちんと拭いてから、ナナカに握手を求める。ナナカはクスッと笑い、やはり手を拭いてから固い握手をした。

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