第30話

36.  1-0 (une-zero)


 ヌウスが眠りから覚めたと報告を受け、カズヤはミヅホの部屋を訪ねた。

「あら、カズヤまで来てくれたの。別にあの子、お見舞いする程の体調じゃないのよ。元気だし、ただ良く眠ったからぼうっとしているだけ」

 ミヅホは、そう言ってカズヤにお茶を出す。そしてすぐに、女子クルーの相談を受ける時間だからと言って隣の応接室に行ってしまった。

 カズヤはヌウスに何を話しかけて良いか少し悩みつつも、カプセルの中でぼうっと薄目を開けている彼に声をかける。

「具合はどうだ、744」

「……プライマル?」半ば夢現といった風情で、ヌウスは開ききらない目のままカズヤを見上げた。

「タエと一緒に戦った気分は、どうだった」

「あの子、DEEPより凄いと思った。あんな小さくて非力な子に、天地を揺るがすほどの能力をいったい何が与えているんだろう……」

 少し虚ろな目で遠くを見ながら問うヌウスに、カズヤは穏やかな口調で答える。

「オンボードの能力を引き出すきっかけの一つに、恋愛感情がある。そして、その力を倍掛けし続け得るもう一つの感情が、憎悪だ」

「タエちゃんの強さは、愛の強さとDEEPに対する憎しみの強さ……なのか?」

 ヌウスがそう問うと、カズヤは俯いて首を縦に振った。

「憎しみを戦いの原動力にすることは、27エキップの理念に反する。ジョシュアは既にその原理を解明していたが、クルーの教育プログラムでは習得させていない」

 ヌウスは珍しくカズヤの目を真っ直ぐ見て、素直に納得するような表情を見せた。

「そっか、……。クルーはみんな、DEEPとの戦いを最終的には平和解決したいと思ってるよね。でも、タエちゃんだけは、心の深いところでそう思っていないのかな」

 カズヤは頷く代わりに、ヌウスの目を見返す。

「タエは聡明でとても心優しいが、少しだけ強情だ。いつも周りのことを思いやりながら、厳しく自身を律して立ち回っている。ゆえに心の奥でDEEPを激しく憎んでいることも、おそらく本人は認めていないのだろう」

 ヌウスは、カズヤの話を黙って頷きながら聞いていた。自分がなぜ今日に限ってこの男に対しイライラすることなく素直になってしまうのか、不思議だ。

「ねえプライマル、今日の僕……変かな。あんたに、腹が立たないんだ」俯き気味にヌウスがそう言うと、カズヤは堪らずクスッと笑った。

「──彼女のせいだな。タエが戦闘中、ずっときみを頼っていたんだろう。あの子の誰かを頼る心の力は、頼られた者の精神年齢を引き上げるほど強い。つまり彼女の能力も手助けして、きみはもう子供ではないものになったということだ」

 カズヤが、微笑んでヌウスの顔を見る。ばつが悪そうな表情のまま苦笑いしたヌウスはしばらく逡巡したあと、思い切って口を開いた。

「ナナカちゃんは、……元気にしてるの」

「疲れてはいるが、休養すればすぐ復帰できる。──今回も彼女の機転で、事が大きく動いた。タエやユージの高い能力が注目されがちだが、最近は彼らの力を活かすため、ナナカが殆どのきっかけを作っている」

「あんたは、彼女を好きなの」ヌウスがそう唐突に訊く。その言い方にも、かつてより大人びた雰囲気が漂っている。

「──難しい感情だが、そうだと思う」

「それじゃ、僕は負けちゃうな。僕だってナナカちゃんを好きだけど、……両想いにはかなわない」

 少しだけ沈んだ顔つきになるヌウスの頭に、カズヤは無言で片手をぽんと置いた。

「僕だって、ナナカちゃんを護って彼女のために戦いたい。でも、……僕、自分が誰かも分からないのにそんな感情を持つなんて変だよね」

 少し涙声になったヌウスの頭の上に手を置いたまま、カズヤはその頭をくしゃくしゃっと撫でる。

「気にするな。彼女をこれからも想い続けることだって、きみの自由意志だ。最終的には、彼女が答えを出す」

「──ほら。思ってた通りのことを、やっぱりあんたは言うんだ。大人すぎて、違う生き物みたいだ」

 ヌウスは堪えていた涙を一筋零し、カプセルから起き上がる。そして、行き場の分からなくなった感情をただ静かにぶつけるかのようにカズヤに縋った。

 DEEPの船から救出された時も、こんな風にこの男の胸に縋った気がする。その温かさも匂いも同じなのに、違うことが一つだけあった。

「ねえプライマル、なぜ……今は黒い服なの」

 カズヤはその問いに少し口を噤んだあと、穏やかな表情になって言う。

「若いきみたちが、戦うことで齎され続ける無念を私はすべて引き受け、身に纏っている──。私がいつもきみたちの為に戦っているという、意思の表れだ。戦いで失った仲間たちも、すべて」

 ヌウスはカズヤの顔を見上げ、涙を拭うことなく言った。

「不思議だね。ひどく懐かしい匂いがするんだ、──カズヤ」

「744。初めて、私の名を……」

 感極まったカズヤは、思わず声を震わせた。


「起きてたのか? ──そんな格好のまま、何を見てた」

 眠りから目覚めたイブキが、裸のまま窓の前に立つタエへと歩み寄り、その肩を抱く。

「この窓、外から中は見えないし大丈夫だよ」

「でも、風邪でもひいてしまったら」

「──イブキが暖めてよ」

 タエはじゃれるように、イブキの身体に甘えて抱きついた。イブキは頭ひとつ下に見えているタエの額を撫でながら、よしよし、と囁く。

「あのね、海を見てたの」

「毎日のようにあそこで戦っているのに、それでも見てしまうんだな。理由は……分からなくはない」

「私の父や母や弟は、──あの海になったんだもの」

 イブキは、タエを抱きしめる腕に力を込めた。タエはイブキの胸に顔を埋めながら、ちいさな声でぽつぽつと話を続ける。

「ね、あなたも見たことあるでしょ。……戦闘を終えるときに、沈んでいく敵の機体から放たれる光の色」

「ああ。とても不思議で、敵なのになんとなく心惹かれるような……。言葉を選ぶべきかもしれないが、綺麗な光だ」

「昨日の戦闘でも、少しだけ見ることができたの。あの、七色の光」

「そうか」イブキが微笑んでそう答えると、タエは窓の外の明るくなり始めた海を再び見つめ、独り言のように呟く。

「私ね、あの光に包まれたら、もうなにも要らないって思っちゃいそうになる。それぐらい、強く鮮やかに美しく光るんだもの。私、どうしてもあの光をまた見たいの。次はもっと強くて、もっと激しくて、綺麗な」

「……タエ?」

 海を見つめるタエの表情は、これまでイブキが目にしたことのないものだった、……いや。A79戦で、A形態の艦内を照らしたあの紫の灯りのように、美しくも妖しい光をその眼に宿している。日頃は見せることのないタエの妖艶な表情に、イブキは幾分戸惑った。

 やがてタエの唇の端が微かに吊り上がり、真冬の外洋のように冷たい微笑みを形作った。ほんの少しだけ、イブキの背筋にひやりとした感覚が過ぎる。

「きみのほうが綺麗だ」

 イブキはそう囁き、再び小さな身体をきつく抱いた。自身から目を逸らし、遠くを見てしまいそうなタエを引き留めるかのように。

 タエは冷たい笑みを浮かべたまま、その視線をイブキではなく窓の外の海面に向ける。

 そして、一段低い声で呟いた。

「──もっかい見たいなぁ」


 27エキップ本部・防衛班戦闘工作室。静まった室内に、通信を介したジョシュアの甲高い声が響く。

「カズヤ、そこにいるんだろ!」

 班員たちの戦闘スコアをチェックしに独りで訪れていたカズヤは、気乗りしない返事を返す。

「いますけど、──どうかしたんです?」

「すぐそっちへ行く。捕捉したB形態のパイロットが、一時保護室から姿を消している」

「なに、──本当に!?」

「けさ僕が体調を確認しに行ったら、姿が見えなくなっていた。簡単に逃げ出せる場所じゃないはずだ」

 さすがのカズヤも、想定外の事態に顔色を変える。敵の幹部と思しき、あのB形態の操縦者は捕捉後も装甲服を纏ったままの姿でいた。実際のところカズヤも、まだ顔すら見ていない状況だ。

 戦闘工作室に着いたジョシュアは、額に滲む冷や汗を拭きながら部屋に入り、自身のデスクに収まる。

「見た目はそのまま人間の姿、──紛うことなきハイブリッドDEEPに見えるが、実際どうだか」

 ジョシュアは、自分の端末で撮影した捕捉者の写真をカズヤに見せた。たしかに、人間の男性の顔をしている。しかも、そうとうに端正で整った顔立ちだ。

「あの一時保護室は、ロケーションも設備も万全なはず。捕捉した者が、単独で簡単に逃げるのもおそらくは不可能だ」

 ジョシュアは言い終えると、滅多に嗜まない旧式の紙巻煙草に火を灯してひと口吸い込んだ。青みがかった神秘的な色の煙と、強い香りが立ち上る。

「屋内で吸うのは、良くありませんよ」

「わかっているさ。少し昔は仕事場も全面禁煙! なんて言っていたが、今は吸う人間が絶滅を危惧されてる。あと、独りのとき以外はきみの前でしか吸っていないぞ」

「鬼ですか」

 カズヤが眉間を指で押さえながら、呆れて言う。ジョシュアは表情を変え、話題を戻すように姿勢を正した。

「話が横に逸れて悪いな。ところで、あの敵幹部の逃走……。単独では無理と考えるなら、別の誰かが手助けしたと想定するしかない。おそらくは、我々側の人間が」

「27エキップ側の? 造反者がいる、ということですか」

 カズヤは驚いて顔を上げ、ジョシュアの顔をまじまじと見た。ジョシュアは首こそ縦には振らなかったものの、俯いて話を繋ぐ。

「その人物が我々と反目しているとは言いきれない。しかし、それを実行する人物がいるなら一人しか思い浮かばないんだよ。私の口から言うのは気持ち的に難しいが、……こういうことだ」

 ジョシュアはクルー・タリスマンのカバーを開き、個体情報の画像を白壁に投影する。カズヤはそれを見てさらに目を見開くと、一瞬息を飲み込む。

「……ミヅホ?」

「彼女は我々27エキップの創立に大きく関わった。当然、その当時から僕も彼女のことを見てきた訳だが……」

 ジョシュアは青白い煙を吐きながら、端末で地下ドックのさらに下層にあるB2ドックの映像を映し出す。各班の幹部クラス以外は立入りを制限されている、機密案件ばかりを格納した施設だ。


 B2ドックに現在格納されている防衛班の機体は、今後供用される予定のないただ1機だけだった。

「1-0ですか……。久しぶりに見た気がします。この機体と、何か関わりがあると?」と、カズヤが尋ねるとジョシュアは黙って頷いた。

 1-0。そのように表記し、ユヌ-ゼロと読む。27エキップ創設者やミヅホたちがあらゆる試行錯誤を経て初めて造り上げた、アイコンブレイバーの初回試作機だ。

「この機体にミヅホは何度も搭乗し、あいつの研究開発に協力して1-0の性能を高めていった。現在のアイコンブレイバーがあれだけの活躍を見せられるのは、あの頃のふたりの頑張りの賜物だ」

 ジョシュアはそう言うと、いつもそうするように白衣の端っこで眼鏡を拭く。

「あいつ、って……27エキップを創設した人物?」

「ああ。創設者に関することが今じゃほぼ禁句だなんて、ある意味素っ頓狂な組織だな、ここは。事実上のトップであるソールマネジメントも、未だ代行の肩書きが外れていない」

「私も、名前だけは存じています。27エキップを立ち上げたメンバーの一人でミヅホの夫でもあった、サイファ:TOR……」

「そのサイファですら後付けだ。本名は『大楠塔琉』、当時はクルーも民間人扱いだったから、その名で立ち回っていた。便宜上サイファを付与したのは、あいつの行方が知れなくなってからだ」

 ミヅホは27エキップ黎明期からアイコンブレイバーの開発を手伝っていたというが、まさか搭乗する役目だったとは。そこまでの知識を持たなかったカズヤは、今更ながらに驚く。

「それじゃ、ミヅホもIGFとLAGできるレベルのオンボード適性を持ち合わせているということですか」

 カズヤが問うと、ジョシュアは首を横に振った。

「いや。かつてはそうだった、と言うべきだろう。あいつ、……大楠がここから姿を消して以降、彼女はIGFとLAGする能力を失ってしまった。ただ、後でどう調べたところでその原因はわからない」

「本当ですか。IGFに関することで、ジョシュアにも解明できない何かがあるなんて信じられません」

「考えられるとすれば、……彼女自身が強い意志でその力を封じてしまった、という仮説は成り立つかもな」

 IGFとLAGし得る人間のインターナルグルーヴの中でも、性質的に最も強力とされるのが恋愛感情だ。ミヅホにとって恋慕の対象である大楠が、仮にIGFの研究開発上の要因で姿を消したのだとすれば、──。

「もしそうならば、ミヅホは民間人の社会で言うところの『出家者』のような存在となったのかもしれませんね……」

 カズヤの言葉に、ジョシュアは黙ってB2ドックに眠る1-0の美しい機体に目を遣った。

「……それに、DEEPが人類を敵視するに至る過程において、ミヅホにも何らかの関与があるのではないかと思うんだ」

「どういう意味ですか」

 カズヤがそう尋ねると、大きく蒼白い煙を吐きながらジョシュアは一呼吸置き、ゆっくりとした口調に変わる。

「大楠塔琉の失踪は、DEEPの生態系の変異を人為的に起こすことが目的だったのではないか……。と、私は踏んでいる」

「つまりミヅホと大楠は、DEEP側の人間だと言いたいんですか」

「いや、大楠がそうなった可能性は高いが、ミヅホはあくまで27エキップの幹部として、今もここにいるのだと思う。ただ、──今も大楠のことを忘れてはいないし、愛しているのだろう。

 おそらく彼女は単純に、……彼がまだどこかで生きていることを信じているんだろうな。そして願わくはもう一度、何らかの関わりを持ちたいだけだ」

 ジョシュアは目を伏せ、これまで見せたことのない寂しい顔つきになった。

 カズヤも、そんな気はしていた。この人は……ジョシュアは長い長い間、──おそらくは大楠たちとこの組織の始祖を築こうとしていた頃から。ひっそりと、ミヅホのことを想っていたに違いない。

「ジョシュア、あなたはもしかして……ミヅホに彼のことを忘れてほしかった?」

「そんなこと思っちゃないさ。僕は、ミヅホがここで自分らしく生きていくことの手助けさえできればいいと思ってやってきた。彼女に認めてもらったり振り向いてもらったりしようだなんて、望むべくもなかったよ。僕の近くで笑顔を見せてくれていれば、それで……」

 この人もそうだ、とカズヤは思った。けっして応えてはもらえない想いを捨てずに、ずっと傍で影のように寄り添いその人を守り続けている。

「逃走したハイブリッドを、追跡しますか」

「いや、──間に合わないだろう。ただ、我々が不殺の大原則を捨ておき、DEEPに攻め入る機会はじき訪れるかもしれないが」

「私たちが、先制攻撃を? 有り得ません」

「いや、きみらじゃない。──危ないのは、あの子だよ」

 ジョシュアは、視線を戦闘工作室内の対面の壁へ向けた。トップ=スクワッドが先日報奨を受けたときの、一人ひとりの顔写真が飾られている。

「まさか、……タエのことですか」

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