第29話

「いくよ、ヌウス。そろそろ、こっちから攻めに出よ?」

 レディバグS0.5の武装を操っているタエが、少し低い声で言った。このひとは、本気を出すとき声のトーンが幾分下がるのだ。──何故そんなことを知っているのかは、ヌウス自身にもよく経緯が分からないけれど。

「っていうかね、ヌウス。私なんかより、あなたの方が強い力を持ってるはずよ」

「そうは言うけど、力の使い方がわからなくて。──幾つになっても、うまくは使えないんだ」

 ヌウスの表情から、タエはその理由をなんとなく察した。

「あなたの戦う気持ちって、あなた自身の強い思いから生まれているものではないからでしょ? すべて与えられたもの、教えられたものだものね……。何かを思い出したら、少し変われるかもよ」

 タエは、ヌウスに笑顔を向けた。しかし何かを強く思って戦うことは、ときに危険を生む。何もかもを壊しかけたあのA79戦を思い返し、満面の笑みの後で一瞬目を伏せる。

「いえ……まだ、今のあなたはそれで大丈夫なのかも」

 タエはそう言うと、前方のB形態へ最接近して機体側部が先方の正面に向かうよう旋回させる。その先の動きを相手に読ませる隙を与えず、反転圧縮エネルギービームを放った。

「タエちゃん、凄いよ。あの敵の装甲に、やっと傷を付けられた!」

「ううん、今のはあなたの力も借りたの。──でも私たち、まだこんなんじゃないはず」

 敵の装甲が破壊されれば、DEEPの機体が動体としての均衡を保ちきれなくなったときに放つ光が見える。あの七色の光を見てしまったら、……たぶん冷静ではいられないかもしれない。

 A79戦で、A形態の回線に入り込んだときもそうだった。あの七色の光の束が見えてしまったら、引き込まれて正気を失うかも──。

「僕の力を借りた? タエちゃん、僕を操ってるの?」

「違うよ。今このレディバグS0.5は、2人乗りの自転車みたいなものなの。2人で、同じ方向へ向かう動力を生んでる。だから、その一部を少しだけ貰ったんだ。うふふ」

「僕が生んでる推進力の一部を、武装の出力に変換したんだね……。タエちゃん、なんて力を持ってるんだ」

 ヌウスはDEEPの住処で暮らしてきただけに、DEEPが人知を超えた力を使って過酷な深海の環境を生き抜いてきたことを知っている。──でも、タエの持てる力にはおそらくDEEPの幹部クラスも及ばないかもしれない、と思う。

「タエちゃん、……きみ、何者なの」

 そう、口をついて出てしまったひと言に、ヌウスは言い終えてから思わず口を塞いだ。しかし、タエは彼の失言に対する自省を気にさえ留めず、にっこりと笑って答える。

「私? ……愛する人たちを思っていつも生きてる、ただの女だよ」

 タエはやおら、反転圧縮エネルギービームを凄まじい出力でB形態へと数発見舞った。Gバリケードを張って敵の攻撃を封じていたS1のカズヤたちは驚き、本部でタエたちを案じているイブキも息を呑む。

 タエの渾身の攻撃で、B形態の装甲の一部が損傷した。その内部の気配を察知したイブキが、顔色を変えカズヤのS1へと呼びかける。

「カズヤ、敵のパイロットが逃げます! 逃走を図られる前に、どうか確保を。やつはA79戦で、タエを攫った幹部のひとりのように思える」

「わかった、ありがとう。捕捉できる確率は五分五分位だろうが、やってみる。イブキ、やつを捕まえられたらおまえに一発殴らせればいいのか?」

 カズヤがそう答えると、イブキはまた冷笑のような溜め息をフッと零し言った。

「カズヤは僕について、もっと知ってください。──暴力は嫌いです」

「すまない。ありがとう、やつが脱出を図ったらすぐGウェブで捕えられるよう全力を尽くす」

 カズヤは言い終えると通信を一旦止め、後席のふたりを振り返った。

「ナナカ、S1の操縦を任せる。たった今、スーパーレギュレーションを本部に伝えた」

 カズヤの言葉があまりに寝耳に水で、ナナカは返答をする余裕もなく目をぐるぐるさせた。スーパーレギュレーション=超規矩、つまりルール外の行為を例外的に許可することを指す。

「きみのGウェブを操る能力は、特化クルーと同等かそれを凌ぐ。知っているだろうが、S1のGウェブには然程の威力はない。きみのテクニックで非力を補い、敵のパイロットを生存したまま捕捉してもらいたい」

「うそ……。私、自分の機体以外にLAGしたことなんてないのに」

「大丈夫、できる。アイコンブレイバーを動かせるオンボードなら、理論上は確実にIGF戦闘機の回路にも乗れるはずだ」

 諭すカズヤの言葉を未だ信じきれず、ナナカは視線を泳がすことしかできない。過去にIGF戦闘機操縦の模擬訓練は行っているが、前進と後退と静止ぐらいしか操作を覚えていないのだ。

「そんな、無理です」

「Gバリケードを張って、止まったままでいい。好機が訪れたら一瞬防御を解き、重力網を放つだけだ」

 顔を背けようとするナナカの両頬を、カズヤの温かい掌がやにわに包む。ナナカの後ろの座席のリオナは、反射的に両手で眼を覆った。

 そしてナナカの額を、ちいさく柔らかいなにかが撫でるような感触が過ぎった。

「私のことを考えてほしい。ほんの数分でいい、その心持ちのまま強力な接続を維持してくれ。……だが先に、きみと私の気持ちを戦闘のために使うことを心から詫びておく」

 リオナは顔を覆った両手の指の隙間から、こっそりふたりの様子を窺っていた。そして、強く両目を瞑ったナナカの額に、カズヤがそっと口づけたのを見てヒュッと口笛を吹く。ナナカはナナカで、急に発熱したかのように顔全体を紅潮させながらその場で固まってしまった。

「ナナカちゃん良かったね……さあ、行きな!」

 リオナは茫然としたままのナナカに肩を貸し、半ば力ずくでS1のメインシートに着座を促す。カズヤはカズヤで真っ赤になり、明後日の方向を向いていた。

「さ、カズヤも! あたしがナナカちゃんの右に着くから、カズヤは左に着いて」

「リオナ、私が至らぬばかりに世話を焼かせてすまない」

「何言ってんですか。あたし、弓の使い手なんですよ。キューピッドってやつ!」

 リオナにとって、特定の異性のことを胸が潰れるほど想うなど想像の域にも及ばない。しかし、親友とその恋人の関係に嫉妬したり、恋に悩む仲間の姿をここでずっと見てきたりした。人の恋心が図らずも見えてしまう性分のリオナは、ナナカより寧ろカズヤが彼女を想っていることに、先に気づいていた。

 席に着いたナナカは、誰に促されるでもなく自らS1との感応共振を試み、僅か数秒でLAGコンプリートに到達する。あっという間に自分とS1とのLAGが解け、驚いたカズヤも声をあげた。

「速い……!」

 ナナカの指先がGウェブの動作キーに触れ、それを押し込む準備を整える。機内のモニターでは既に、ヌウスとタエが乗るレディバグS0.5と敵のB形態の攻防が佳境を迎えていた。タエが操る武装の威力は、おそらくは通常時の数倍には上る。敵の幹部機の堅牢な装甲も、数分内には破断を来すだろう。DEEP幹部とみられる搭乗者は、その瞬間に脱出を図るはずだ。

「タエ、744、どうか勝ってくれ……」

「負けるわけない。楽勝に決まってんじゃん」

 ナナカの両脇で、カズヤとリオナがモニターを見据えたまま会話する。中央のナナカは虚ろな視線をモニターへ向け、言葉を忘れたかのように無言のままだ。

「ナナカちゃん、大丈夫?」とリオナがフォローの言葉をかけると、ナナカはこくんと首を縦に振る。カズヤはそれを確かめ、安堵の溜め息を漏らした。


 レディバグS0.5の機内では、ヌウスとタエが同期するかのように意思を通わせ、動作と攻撃のリズムを維持している。

「ね、次を最後の一撃にしたいの。レディバグに、敵を突き刺す武装が隠されてるでしょ。私ね、それ使いたい」

 深呼吸をひとつしてから、タエがそう言った。機体と繋がっているとき、それや周囲にいるIGFの構造を見抜く力をタエは身につけている。そのことは、ヌウスも以前イブキから聞いていた。

「よく見破ったね。──ご自由に」

 ヌウスはそう答えて、タエに笑顔を向ける。それを合図にするように、タエはモニターに照準をオンした。

「一撃でやるからね」

 一段低いタエの声が、機内を震わす。ヌウスは躊躇なく、逃げを打とうとするB形態に自機を接近させた。レディバグの前脚部が、格納されていた青く光る金属の槍を抜く。機体の主であるヌウスも初めて目にする、パシフィサイト合金製の武装だ。

「中身を生かして、容器を殺すの。痛くない毒針だよ」 

 タエが、普段の表情からは想像できない不敵で冷ややかな笑みを浮かべながら言った。ヌウスはその表情の凄味に、図らずも幾分戦慄し背筋を冷やす。

 ──ちょっと怖いよ、○○ちゃん、……いや、タエちゃん。でも、○○ちゃん……? って、誰のことだ。

 ヌウスはうっかり心の中で違う誰かを呼ぼうとしたけれど、タエを誰と間違えたかは思い出し切れなかった。民間人として生きていた頃の記憶は一切ないが、その頃のことと何か関わりがあるのだろうか、と思う。

「ヌウス、逆手を使って」タエが言う。

「逆手……?」

 レディバグは人型ではなく、昆虫型ゆえ脚部も6本ある。槍なら前脚部で構えるものだろうが、今ひとつその手順を推し量り切れない。

「こうするの!」待ちかねたタエは、自分で武装を構えた。

「な、なるほどね……」

「いい? ──刺すよ」

 タエはまた、先刻と同じ表情で冷たく微笑んだ。その顔つきに操られるように、ヌウスはレディバグを敵の装甲が脆くなった箇所へ向かい一気に前進させる。タエは不敵な笑みのまま、止めの一撃にひと言を添えた。

「暴れないで。今から、いい子にしてあげる」


 レディバグS0.5がB形態の装甲に風穴を開ける瞬間を、カズヤたちも見ていた。

「砲撃かビームで決着をつけると思っていたが、最後はインファイトか……!」

「あの機体、溶けるみたいに崩れるんだ……。いつもの敵のやられ方とは違うね」

「機体の特性というより、タエが選んだ武装のせいだ。パシフィサイト合金の槍は、レディバグS0.5にしか装備されていない」

 カズヤが言い終えた瞬間、それまで虚ろだったナナカの眼が突如見開いて唇が動く。

「来ます」

 そのひと言を合図にするように、崩壊していくB形態から小型の機体が脱出を図ろうとするのが見えた。

「来たぞ、ナナカ」

「ナナカちゃん、今だよ!」

 カズヤとリオナが、両脇から同時に合図をする。ナナカはGバリケードを解除すると同時に、モニターを見据えGウェブの動作キーを力強く押し込んだ。放たれたGウェブが小型の機体を覆ったのを確かめると、操縦デバイスを一気に前に倒してS1を後退させる。

「捕捉!!」

 カズヤが声を上げると、本部のユージやジョシュアたちの歓声が通信を介して機内に響いた。

「やった……」

 ナナカは呟くように小声で言うと、一瞬立ち上がったがすぐにバランスを崩し、隣のリオナにもたれかかる。

「ナナカちゃん、やったね……。あとはメディック直属の機動救命班に任せて大丈夫だって」

「うん、ありがと……リオナちゃん」

「カズヤにも、あとでお礼言っときな」

 倒れ込んでしまったナナカを支えながら、リオナはカズヤの方を見て目配せする。カズヤは再びS1とLAGして帰還する準備を始めながら、照れくさそうに微笑んだ。


 アイコンブレイバーを稼働させずに敵のB形態を沈めたトップ=スクワッドには、後日報奨があるとの通達がソールマネジメントより下った。同時に、アイコンブレイバー各機およびDスク管理下の機体に備えられていたリンクコードロックを外す、とのリリースを受ける。

「俺らが頑張ってるお陰で、お役所みたいな仕組みが少しずつ排除されていく流れになってるんじゃね? 有難いな」

 諸々の通知を受け取ったユージが、ニヤニヤしながら言う。

「報奨って、なんだろうな。楽しみ」

 タエも屈託なく答え、ユージのクルー・タリスマンを覗き込む。

「詳細は後日、だってさ。タエちゃんは大活躍したから、胸張って受け取っていいと思うぜ」

「ううん。私より、S1のGウェブでDEEP幹部の脱出専用機を捕まえたナナカちゃんの方がずっとすごい。実はあの脱出機がDEEP最速の機体なんだって、ヌウスが言ってたの」

 タエは微笑みながら言い終えると、アイスミルクティーをストローで掻き回す。氷がきろきろと涼し気な音を立て、展望室のカフェに響いた。タエとユージが楽しげに話す様子を黙って見ていたイブキが、徐に口を開く。

「そういう訳、ってわけじゃないが……そうだユージ、きみにも話があった。大事な部下のタエを僕の妻とすることを、どうか許可してほしい」

 イブキはユージの眼をしっかり見ながらそう言い、丁重に頭を下げる。

「おぅ、なんだ? 今日はそういう用があって、俺をここに呼んだのか。なるほど……許可もなにも、俺的には2人はもう夫婦だと思ってるからさ。末永く、仲良く幸せにな」

 ユージの言葉にイブキは感極まった表情になり、黙って再び大きく頭を下げる。タエは満面の笑顔のまま、ユージとイブキの顔を交互に覗き込んだ。

「そういやイブキ、……あいつは、744はどうしてる」

「あの戦闘から2日間、カプセルで眠りっぱなしだそうだ。最近は夜寝て翌朝起きられるくらいまでになったのに、やはり相当消耗したみたいだ。あとでミヅホの所へ、タエと一緒に様子を見に行こうと思ってる」

「おぅ、よろしくな。しかし、同じくらいの消耗度であいつと一緒に戦ったはずなのに、全然いつも通りのタエちゃんが逆にすげえよ」

 ユージは言い終えると、苦笑いしながらタエの顔を見る。タエはユージの顔を覗き込んだまま、ん? と言って再び満面の笑顔をみせた。

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