第28話

「タエちゃん、準備できた?」と、フルスピードで哨戒艇を走らせているリオナが訊く。うん、とタエが答えると、くれぐれも振り落とされないでよ、とリオナが返す。

「じゃ、ゲートを開けるよ。タエちゃん、外は風が強いから気をつけて」

 ナナカがそう言って、ゲートの開放ボタンを押す。強風が船内に吹き込みナナカは一瞬たじろぐが、リオナは平然と操舵を続けている。

「行ってくる!」タエは大きな声を上げ、狭い甲板上に出た。すぐにレディバグS0.5が飛来し、脚部を伸ばしてタエの身体を捕捉する。タエは難なく、開いた搭乗ハッチから機内に入っていった。

「あのふたりのコンビネーションって、初めてなのにさすがだね。お兄ちゃんと妹みたい」

 ナナカが何気なく言うと、

「年齢じゃ、逆だと思うけど……。ま、そう見えるのも仕方ないか」

 リオナは訂正を入れつつ、妙に納得して笑った。

「それじゃリオナちゃん、私たちもやる?」

 ナナカが目配せしたのを合図に、リオナは哨戒艇の推進力を最大まで上げ、通信をS1のカズヤに繋ぐ。

「カズヤ! S1をこの船の直上にぴったり寄せたら、速度を船に合わせて保持していて。私たちはデッキに出て、S1がぎりぎりまで下降したタイミングで乗り込むから!」

「了解。可能な限り慎重にやる。きみたちも、うまくやってくれ」

 やがて哨戒艇の背後からS1が飛来し、船のすぐ上にぴったりと着いた。それと同時に哨戒艇の操縦モードを自動操舵へ切り替え、船体にGバリケードを張る。そしてナナカとリオナの2人も、忘れず自分たちにGバリケードを張った。

「カズヤ、高度をじわじわ落として」

 リオナの呼び掛けに応えるように、S1の機影が次第に近づいてくる。そして機体の底部が目前に見えたタイミングで、搭乗ハッチの扉がガキンと音を立てて開いた。

「いい? 乗るよ!」リオナが叫ぶ。

「うん!」ナナカがそれに応える。

「いっせーの、せ!」

 2人はデッキから跳び上がり、S1の搭乗ハッチのステップに立つ。そして先刻タエがしたように安全帯を装着して、内部へ乗り込んだ。

 主を失った哨戒艇は程なく自動操舵モードに切り替わり、そのまま海上ドックに戻っていくだろう。S1に無事乗ったナナカとリオナは、海上を突き進む無人の5番哨戒艇を愛おしげに見下ろした。

「ありがとね……」リオナがしみじみと呟く。

「むちゃくちゃだな」そう言うと、カズヤは半ば呆れ気味にふっと笑った。その他人事加減に、つい憤ってしまったのはナナカだ。

「むちゃくちゃなのはあなたです! 今日のスクランブルだって、最初からカズヤとヌウス2人で出る予定だったって言うじゃない。それなのに黙って単独出撃するなんて、どんな意地の張り合いなの!?」

「744にも、同じことを言われた。意地もあったにはあったのかもしれないが、本当のことを話そうか。今日来ているあのDEEPのB形態、……あれが幹部機だったからだ」

「幹部機!?」思いがけないカズヤの答えに、ナナカとリオナは口を揃えて復唱してしまう。

「だから不用意に744を接近させるわけには行かなかった。744はかつてDEEPの捕虜だっただけに、居所を知られればまた攫われるリスクが高い」

「それならもう大丈夫。ヌウスの機体には、タエちゃんが乗りました。彼らが2人揃ったら、強いはず……。簡単には攫われないでしょうし、負けないと思う」

 ナナカの言葉にカズヤは、普段はなかなか見せることのない笑顔になった。

「そうか、いよいよ来たか……、あいつとタエが共闘する日が」

「カズヤ、あたしたちも追いかけよう! 彼らを護って、力になってあげないと」

 リオナも、毅然とそう言った。カズヤは大きく頷き、答える。

「そうだな……。よし、彼らを追うぞ」

 リオナとナナカは、敬礼を交え声を揃えた。

「了解!!」




34.  エンパッシブ (Empassive)


 訓練センターからモニター班の監視・管制ステーションに移動したユージとシュウ、そしてイブキ。3人とも、言葉を交わすいとまもなく画面を注視している。無論、モニターが映すのはカズヤたちの戦いだ。

「みんな、トップのあの子たちが一気に成長して驚いてるんじゃない?」

 コーディが席を外し、3人にそう呼びかける。

「コーディ、管制業務をほっといていいのかよ」

 普段からコーディと親しく、タメ口上等で答えたのはユージだ。

「後輩に任せられる時間も、最近少しできたのよ。あなたたちも同じでしょ、そんなに心配しないでトップのあの子たちを見守ってあげていいと思うわ」

「そうですね。それじゃ僕、みんなのお茶入れてきます」

 シュウがそう言って立ち上がり、給湯室へと向かった。コーディはその背中を微笑みながら見遣り、モニターの画面記録から今回襲来したB形態の外観を静止画表示する。

「この機体、過去の敵襲でも5回ほど姿を現しているの。いつも隊列のいちばん後方で、監視するように戦闘状況を見守っているわ。自分から攻撃に参加したことって、まだ1度もなかったはず」

 モニターに映し出された敵機の姿をじっと見ていたイブキが、言葉を発せぬまま息を呑んでいる。

「イブキ、どうした!?」その様子を見たユージが、慌てて声をかけた。

「わからない。でも、……この機体を見ていると、威厳と脅威のような『気配』を感じて心がざわつくんだ。ちょっと他とは違う」

 そう答えたイブキの髪の色はもう、かつてのような漆黒ではなくなっていた。根元から3分の1くらいは、既にインクを薄めたようなブルーグレイに変わっている。瞳も、深い海の底のような藍色にほぼ変化を遂げていた。その中心に、鮮やかなショックピンクの瞳孔が光る。

 この男は伴侶となるあの彼女のような、揺るぎない強さと高貴さを手にしたのだろう。ユージはそう思うととともに、その存在感の儚さが無性に気掛かりになり始めていた。

 給湯室に行ったシュウを追いかけ、ユージはその背中に話しかける。

「なあ、シュウ」

「ん?」

「あいつ……イブキのことなんだけど、ちょっと心配にならねぇか」

 不安げに尋ねるユージに、シュウは笑顔を崩さず答える。

「大丈夫だよ。あいつは多分、心根まで変わってしまったりしないし、どこかへ行ってしまったりもしない。僕はチームメイトの彼を、いつだって信じてるよ。リーダーのきみが、心を乱してはだめだ」

 ユージは頷くと、焦っていた自分を少し恥じるかのように下りてきた前髪を勢いよくかきあげた。

「……わかったよ。こんな心配、するだけ無駄だったって思える時を待つさ」

「ユージ、きみって意外に優しいよね。でも、たまに優しすぎるところは、きみのアイドルのあの子にちょっと似てるよ」

 シュウはユージを振り返って軽くウインクをすると、また背を向けお茶の盆を持って席に戻っていく。その背中を見つめながら、ユージは思った。

 ──自分の優しさを信じれば、意表を突く展開を招き寄せることができるかもしれない。そう、ナナカが戦いでいつもそうするように。信じよう、そして俺はいつでも、疑わない俺でいよう。


 ヌウスのレディバグS0.5はタエを乗せたあと、平衡を取り戻して逃げを打とうとするB形態を追いかけている。

「平衡検知デバイスは破壊したはずなのに……。あのB形態、自己修復する機能を持ってるのか」

 ヌウスが口惜しげに呟くが、タエは意外と呑気に笑顔で隣の席に座っていた。

「ね、2人で同時にLAGすることを試せる、いいチャンスじゃない?」

「そんな前例もないのに、……僕らで本当にそんなことできるのかな」

「──私ね、A79戦でイブキと2人でゴーストを生んでヴィオラを呼んだでしょ。私には、そういう人の知を超えられるような力があるんだよって、ジョシュアに言われたの。ヌウス、あなたの力になれるのなら、同じくらい大きな奇跡をもう一度起こしてみたい」

 まるで邪気などない、清廉な笑顔でタエは言った。

「タエちゃんのその笑顔、なんだか懐かしいよ。きみとは、ここで初めて会ったのに変な話だけどね」

 そう言って、ヌウスも微笑み返す。

「そうだね、不思議だね。だって、あなたとこんな狭い所で2人くっ付いてたって、まるで変な気持ちにならないの」

「僕もだ。タエちゃんといればすごく楽な気持ちになるのに、……好きな子に対してとは、てんで別の感情なんだ」

 そう囁くヌウスの横顔を、タエは家族へ向けるような愛情の込もった微笑みで見つめた。

「それじゃヌウス、私、この機体の回路に割り込んでそのままLAGしてみるね」

 タエが覗いたレディバグS0.5の回路は、ヌウスが接続していることで彼の瞳のような色に光っている。タエはその中へ意識を割り込ませ、回路の巡りに混淆を試みた。

 ふと、真夏の日差しを浴びた生地のような、懐しい香りを強く感じる。その後すぐに、タエは基幹ユニットとの感応共振を遂げた。

「ね、入れたよ、LAGコンプリートできた! ヌウス、あなたは引き続き動作を受け持って。私は、武装を操ってみるから」

 ヌウスは頷き、タエと声をそろえ再度戦う準備ができたことを通信に乗せて合図する。

「レディバグS0.5、コンディションオールファイン!」


「ジョシュア、大変なことが!」

 戦闘中は大抵モニター班のステーション別室で戦況を追っているはずのジョシュアに、カズヤは慌てて通信経由で呼びかけた。

「慌てるな。ちゃんと見てたぞ、744とタエちゃんのことだろ?」

「ジョシュア、これも彼らが起こした奇跡だと考えていいんですか」

 カズヤの問いに、ジョシュアは少し黙ってから、

「……いや、その逆だ。彼ら2人が1機のIGFで同時にLAGできることは、おそらく『当たり前』なんだと思う」

「『当たり前』……? とてもそうは見えませんけれど」

「そうか、きみは知らんのか。744ことヌウスもまた、パシフィサイトに護られてDEEPの乗っ取りから逃れた個体だということを」

 カズヤは、ヌウスの出で立ちを思い返してみる。淡く透明で青い輝きを放つ髪の色や蒼白の肌、そしてビー玉のように複雑に光る瞳。

 言われれば確かにそうだ。人間やハイブリッドにはない、危ういバランスで存在を保っているかのような外見の彩り──。それはタエがあの事故を契機に身につけたものと同じであり、彼女と肉体を交えたイブキもそうなった。

「そうですか……。私はずっと、あいつはDEEPによって彼らの能力を移植された人間だとばかり」

「きみはDEEPの潜水艦から744を救出したが、彼はすぐに本部メディックの厳重な管理下に置かれてしまったからな。民間人だったタエちゃんとは事情も違う。確かに、その後のことを知らなくても仕方ない」

「しかし、あいつは一体どういう経緯で身体の中にパシフィサイト鉱石を……?」

「744は、DEEPに捕われる以前の記憶を完全に消されてる。だから、僕らにもはっきりしたことは解っていない。──ただ、彼の右脚膝上に大きな傷痕があって、そこに鉱石が埋め込まれていたことは確認されている」

 ジョシュアの言葉に、カズヤは安堵とも茫然自失の心情とも違った種類の溜め息をひとつ吐く。

 ──744……。ヌウスが、タエやイブキと同じ種の個体だったとは。そしておそらく本人も、自身がもう人間ではなくなったことを既に悟っているのだろう。

 あの陰のある寂しげな眼差しや、彼を救助した自分に対する疑念を含んだ言動。そして、カズヤはヌウスが自分に辛く当たる理由に、もうひとつの心当たりがあった。

 嫉妬だ。

 おそらく彼にとって自分は、ただの恋敵ではない。何よりも、同じ人間同士として彼女──ナナカと接しているのだ。人ならざるヌウスが強烈なコンプレックスを抱いていても、不思議はないだろう。

 カズヤは、痛ましい運命を意思に関わらず負わされたヌウスを案じた。しかし、それでもナナカへの想いを置きに行くことはできなかった。

 ──彼女を諦める訳にはいかない。今度こそ、ともに喜びを分け合って生きて行きたい相手が目の前に現れたのだから。今すぐに彼女を自分のものにはできなくても、譲るつもりはないと強く思ったのだ。

「ナナカ、リオナ」

 一時的に機内の護送室で待機していた2人に、カズヤは呼びかける。

「2人ともコクピットに来い。──勝って戻るぞ」

「了解!!」




35.  一撃 (a blow)


 全力で逃げるB形態を追い、タエとヌウスはレディバグS0.5をフルスピードで駆る。その最中、しきりに後ろを気にする素振りを見せるヌウスのことが、タエは気になった。

「ね、あなたの好きな子って、私たちの仲間でしょ?」不意にタエがそう話しかけると、ヌウスはその青白い頬を少しだけ染めた。

「タエちゃんには、何でも分かっちゃうんだね。僕、ナナカちゃんが好きだよ。初めて見たとき、この子だって思った。お互い振り返って目を合わせた1秒にも満たない時間が、そのまま止まったみたいに感じたんだ」

「そう……。一目惚れしたんだね。ナナカちゃんの気持ちは確かめたの?」

 ヌウスは、タエが予想したとおり浮かない表情になり、首を縦に振る。

「うん。たぶん、だけど。ナナカちゃんはきっと、僕じゃなくてプライマルのことが……」

「そっか。私もね、正直に言うとナナカちゃんはカズヤと両想いだと思うし、それがお似合いだと思ってるよ」

 タエはヌウスに、精一杯の愛情を込めて優しくそう言い聞かせた。ヌウスは少し残念そうに俯いて苦笑いし、

「残酷なこと言うんだね」と、ぽつりと言った。

「残酷だとは思ってないよ。愛して愛されることってね、巡り合わせでしかないの。あなたのどこかがダメだから、想いがかなわないんじゃない。必ず、素敵な何かに巡り会う日は来る」

「うん、……そうだといい。でも、初めて女の子のことを好きになったんだ。簡単に失恋だなんて認めるのはむずかしいよ」

 困惑気味に言うヌウスに、タエは満面の笑みを向けた。

「しばらくは、認めなくていいんじゃない? ナナカちゃんが誰を好きでも、あなたが変わらず想い続けることは自由だよ」

 タエはそう言い終え、うふふ、と笑った。

 ヌウスは思う。こんなに庇護欲をかきたてる表情や外見を持ち合わせているのに、この人の内面はどこまでも軽やかだ。

 いつだろうか。よく似た人に、弱かった自分を護ってもらったことがあるように思う。風のようにしなやかで、優しいけれど芯の強い人だった。菫の花のように可憐な出で立ちの中に、その周りを舞う蜂のような賢さと強かさを秘めている人──。

「ありがとうタエちゃん。少しだけ、気分が楽になったよ。さあ、敵を追って攻めに行こう」

「そうだね。私も、一緒に戦えて嬉しい。ね、勝ちにいくよ!」

「了解!!」


「凄い……。DEEPのA形態の比じゃない、そして明るくて温かい。こんなに眩しくて、力強い気配を感じたのは初めてだ」

 モニター班のステーションで戦況を見守っていたイブキが、驚きの声を上げる。隣に腰掛けていたユージが、すかさず声をかけた。

「なるほど。それはDEEPの気配じゃねぇんだな、イブキ」

「そうだ。タエとヌウスの2人が、凄まじいエネルギーを生んでる。リバースGの推進力が、2人にちゃんとついていけてるのかわからない感じだ」

「お前さ、──今から追いつけねぇか? 加わりたいだろ、あの2人に」

「──いや。やめておく」イブキの意外な返答に、ユージは拍子抜けした顔になる。

「へ!? 珍しいな。お前スカしてるように見えて、意外とこういう場面じゃ前のめりになるだろ」

「いいんだ。タエが戦いを終えて、笑顔で戻ってくる場所がなかったら寂しいだろ。今日の僕の役目は、ここで彼女を迎えることだ」

 イブキは穏やかに笑って、ユージの方を見ながら続ける。

「今までにタエが必要とした助け舟は、もう出し尽くした。次に僕が本当に彼女を護るべきときは、もう少し先に来るはずなんだ」

 ユージは、視線や物腰に険があり近寄り難かった、かつてのイブキの面影を思い返す。そして今、彼の瞳の奥に垣間見えるその超然とした佇まいに少し気圧されていた。

「おめーさ、……強い男になったな」

「いや、変わってない。きみたちや彼女が、そうさせてくれているだけだ」

「なぁ、イブキ」

「──なんだ?」

「遠くに行ったりすんじゃねぇぞ」

 ユージが縋るような表情になって言うと、イブキは冷笑じみた溜め息をフッと吐いてから言葉を返した。

「僕はやられないよ」

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