第27話
結局、ナナカの部屋にタエはそのまま泊まることになった。少し浮世離れしたタエの少女性に、ナナカは以前からこっそり憧れている。そんな彼女と、何でも話し合える友達になれたことが正直に嬉しかった。
「タエちゃんって、カズヤとは相当付き合い長いんだよね?」
タエはカズヤに1番と言って良いほど懐いているし、理想の上司と部下のように見える。しかし、それ以外の要素が何ら感じられないことが不思議だった。
「うん、カズヤは私の何もかもを見てきたの。大怪我をした私の、命を助けてくれたんだ。それが出会い。『背中が抉られて血だらけで、あちこち焦げてた』って今も言われる」
なんとなく察してはいたものの、タエがカズヤを自分の恩人だと言うのは間接的な理由だけではなかったのだ。タエが過去に大事故に遭ったことは知っていたが、カズヤが彼女の救出にあたった張本人だったとは。
「そんなことがあったんだ……。それでタエちゃんが、カズヤを好きにならないのが不思議」
「なったよ。……過去形。うふふ」
ナナカは笑顔でそう言うタエに驚き、その勢いでまた座ったままぴょんと飛び上がった。
「え……付き合ったこと、あるの?」
「ないよ。組織としての責任を取って生涯面倒を見てくれるようなことを言われたけど、その場で断った」
タエは涼しい顔で、かなり辛辣な物言いをすることがある。相手を好きで、その人から事実上のプロポーズをされたのに、彼を振った……ということだろうか。
「タエちゃん、好きだったのにどうして?」
「私といたら、壊れちゃう人だって思ったの。私は愛した人と結ばれたら、その人を変えてしまうってカズヤ本人から聞いてたし」
イブキの眼と髪の色が少しずつ変化していることを、ナナカは思い返していた。彼はタエと愛し合い、心を通わせ合って同じものに変わろうとしているのだ……。
「私がカズヤを漠然と好きになったのって、まだ15の時だった。あっちは大人だったけど、15歳に何かしたら犯罪でしょ」
「そ、そうだけど」
「カズヤはずっと優しいけど、あの頃きっと心の奥で私を怖れてたの。彼は、沢山の人を護ることが生き甲斐だから。私ほどに重い、護るべきものを抱えたらきっと壊れてしまうの。彼に私は要らない、って思ったんだ」
カズヤはタエに振られ、その後同僚のユタカに惹かれていったということか。それをどう思ったかタエに訊きたい好奇心はあったけれど、敢えてナナカは尋ねなかった。
そしてナナカも、その日の出来事で確信していた。カズヤは頼りにはなるけれど、決して強くはないのだと。
「カズヤは私がどん底に落ちたら、安全な所から救いの手を差し伸べる人なの。イブキは、手を繋いで一緒に落ちてくれる。私は、2人で這い上がることを選びたかったのかもなぁ」
タエはもう成人する年齢を迎えたが、両極端な要素を兼ね備えていてそれを感じさせない。外見や振る舞いは少女のような反面、大人以上に達観した心の底の真意を垣間見せることがある。
「そっか。改めてタエちゃん、おめでとう。イブキくんに出会えて、よかったね」
「ありがとう。ナナカちゃんも、いい恋ができるように願ってる」
さらっと無邪気に言うタエに、ナナカは照れる。
「何言ってるの、私なんて全然……」
「ナナカちゃん、今モテ期だと思うけど……。カズヤのこと、幸せにできると思う。彼ってね、きっと1人では幸せになれないんじゃないかな。自分で決められて、選べて、彼を引っ張れる誰かが必要なの」
タエは意味深に目配せをして、ナナカにそう囁いた。リオナが、しきりにタエのことを可愛い、好きだと言う気持ちが痛いほどよく分かる。こういう時のタエの表情は、現世に在らざる何かを思わせるほど綺麗だ。
「ね、タエちゃん、お風呂の時間になったよ。一緒に入る?」
ナナカはタエが他の誰かと入浴する機会がほぼないことを承知で、思い切ってそう訊いてみた。タエは少し目を伏せた後、上目遣いになって訊き返す。
「……私、身体に傷があって。絶対秘密にするように言われてるんだけど、それでもいい?」
大きく縦に首を振って、ナナカはタエの縋るような眼差しに笑顔で応える。
「それも含めて、タエちゃんでしょ。全部好きだもん、秘密は守るよ」
タエはうっすら眼に涙を浮かべ、ナナカに笑いかけた。
「ありがと、いい仲間だな。ナナカちゃんやリオナちゃんと私を出会わせてくれたのって、カズヤだよね? やっぱり、少しはカズヤにも感謝しておこうっと」
「……少しなんだ」
「うん。あくまで少し」
2人はクスッと笑い、その笑みのまま互いの顔を向け合った。
33. 意地 (Willpower)
翌朝、またB形態1機のみという変則的な敵襲があった。ナナカは、部隊のうち自分以外の1〜2機が出撃したのだろうと思い込んでいた。警報は聴いたが、自分のクルー・タリスマンに出撃の要請は届かなかったからだ。
しかし、訓練センターに着くとトップとDスクの面々が全員顔を揃えている。
「おぅナナカ、おはよう」
「あれ? ユージもここにいるの?」
「ああ。警報を聴いたのに、俺は呼ばれなかったからな」
ユージが若干不満げに零すと、隣のシュウも続けて言う。
「僕も呼ばれてない。今週2回の敵襲があったのに1度も出ていないから、そろそろ呼ばれるべきなんだけど」
ベンチに隣同士で座っているイブキとタエも、顔を見合せてからこちらを見て、2人同じように首を横に振った。黙る2人に、ナナカは思わず訊く。
「タエちゃんたちは、敵の気配って察してた?」
「うん。でも、呼ばれてないの」とタエがすぐに答え、イブキもそれに頷く。
「どういうこと……? ねえ、ちょっとカズヤは!?」
リオナが指揮官の不在に気づき、不審に思って声をあげる。ユージもそれを聞き、初めてカズヤがいないことに気づいたようだ。
「言われてみたら今朝、1度もカズヤ見てねぇわ」
「ねえ、……まさか、単独で出撃したんじゃない?」
他の5人は事情を全く飲み込めないのも仕方ないが、ナナカにはなんとなくカズヤがいない理由を推測できた。
「私、コーディに訊いてみるね」
ナナカは訓練センターの通信デスクに着き、モニター班に通信を繋ぐ。
「モニター班? こちら訓練センター、トップ=スクワッドのナナカです。今朝敵襲があったのに、トップとDスクが誰も呼ばれてないの。カズヤだけいないんだけど……」
焦るナナカの問いに、コーディからは意外にあっさりと返答が来る。
「ナナカちゃん、おはよう。ああ、カズヤなら1時間くらい前に出撃したわよ。誰か追っかけるだろうなって思ってたら、そのしばらく後で地下ドックから744が出ていったわ」
「ヌウスが? ──わかった、ありがとう」
ナナカは通信を終えると、訓練センターから海上ドックへつながる階段に向かった。ユージがその背中に向け、慌てて声をかける。
「おいナナカ、出撃許可の下りてない機体に乗ってもリンクコードロックが掛かっててLAGできないだろ」
「うん。IGFには乗れないから、哨戒艇で向かう。操縦は……自動モードでなんとか」
「待てよ、無許可で1人で行くなんて無謀だ。しかも哨戒艇の武装なんてIGFとは比較にならねぇ。B形態に1発やられたら終わるぞ」
「カズヤだって、私たちに一言も伝えずに出て行ったのよ!」
延々と言い争いを続けそうなナナカとユージの背後で、大きな声が響いた。
「ちょっと、水上移動すんの? 波乗りっていったら、あたしじゃない? 無視してもらっちゃ困るんだけどな」
「──リオナちゃん」
「あたしは5番哨戒艇の操縦ライセンス持ちだよ。乗ってくから任しといて」
得意げな表情になるリオナの背後から、さらに声が聞こえた。
「私も……。私なら、ヌウスに協力できるかも。近くに行けば、レディバグの回路に乗れるかもしれないし」
「え、タエちゃんも行きたいの!?」
「うん、大丈夫だよ。私はやられないから」
タエの一言を聞き、思わずイブキが吹き出す。
「じゃ、哨戒艇の操縦はあたしだね。みんな、ちょっと手荒に扱うかもだから、しっかり席に着くんだよ」
景気づけよろしくリオナが言うと、ナナカとタエの2人は頷いて笑顔を見合わせた。
「勝手な行動は慎め、744!」
単機で出撃したS1を追って合流しようとするヌウスを、カズヤが牽制する。
「何言ってるの? 協力しに来たんだよ。生憎僕のレディバグS0.5には、リンクコードロックはないからね。あんた、どうして単独で出てこようとしたんだ。不利なことなんて、目に見えてるじゃん?」
「不意に合流するのが、きみの戦い方なのは知っている。だが、よりによって私のことなど気にかけるな」
「あんたを救いに来たのとは違う。今日僕が来たのは、今日の敵があんたには倒せないからだ。だったら、僕が倒さなきゃダメでしょ?」
ヌウスは相変わらず、煽るような口調でカズヤに突っかかる。
カズヤのステラドミナS1は、ユージのS2以上に護衛に振ったIGF戦闘機だ。B形態を単機で制圧することは、余程のオンボードの能力と幸運が味方しないと難しいだろう。
無論、カズヤもそれを承知している。しかし、ある事情のために今日の敵だけはリスクを採っても自分独りでカタをつけたかった。
「不利なのは承知している。私も覚悟をもって、この現場まで来た」
「覚悟? 意地の間違いじゃないの? なんの意地かなぁ。よく分かんないけど、あんた独りじゃ危険だよ?」
「黙っていろ!」カズヤはS1のリバースG動力弾を、B形態に向けて放つ。しかし、図体の大きなB形態は意外に俊敏で、巧みに弾を回避しながらこちらへ向かってくる。
正面に迫るB形態を目の前にし、やられる、と思った瞬間のことだ。
「勝ち目はないって言ってんだろ!」
ヌウスの声とともにGバリケードを張ったレディバグS0.5が目前に飛来し、B形態からの攻撃を無効化する。
「なぜ邪魔をする!?」
「してなきゃやられてた。優秀な指揮官が、有能な駒であるとは限らないよね? 駒としての能力なら、あんたの部下たちや僕のほうが数倍上さ。あとは任せなよ」
「断る!!」
強引にレディバグS0.5の前に出ようとするS1に、ヌウスは容赦なくGウェブを張った。
「黙っててほしいのはそっちだね」
あっさり言い放つと、ヌウスは敵の姿を視界に入れることなく機体側面の反転圧縮エネルギービームを発射する。それは難なく装甲の接続部を撃ち抜き、B形態の平衡感知デバイスと思しき部品を破壊した。水平保持力を失った敵機は、ふらふらと海面すれすれの空間をなんとか緩やかに飛行している。ヌウスはそれを確かめると、S1を捕捉しているGウェブをすぐに解いた。
「あんたが黙ってた数秒間で、お膳立てしてやった。さあどうぞ? 敵に止めを刺すがいいさ」
そう言ってニヤリと笑うヌウスの背後に覗く、人影らしきものをカズヤは見逃さなかった。B形態の乗降ハッチを開けて銃を構えるハイブリッドに向け、リバースG動力弾を最低出力で放つ。弾は銃を弾き飛ばし、ハイブリッドの搭乗員もその衝撃で海中に落下していった。
「敵に背を向ける余裕がよくあったな。明らかにレディバグの関節可動域が狙われていた。甘いぞ!」
ヌウスは一瞬顔色を変えたが、すぐ元の表情に戻り改めて敵へ注意を向ける。
「借りはあとで返してやるよ!」
レディバグS0.5の特徴的な外観の3基の砲塔が、一斉にB形態に向いた。
しかしヌウスは攻撃に入る前、ある「気配」をふと感じる。それに気づいたヌウスは、カズヤに通信で急遽呼びかけた。
「ちょっとごめん。急で悪いけど、下らない理由でやり合ってる余裕はなくなった! タエちゃんがこっちに向かってるみたいだ。海上を航行中で、おそらく5番哨戒艇に乗ってる。あんたには哨戒艇の護衛を頼みたい! 敵は僕がやる」
「タエが?」
「ああ。僕は彼女の気配しか察知できないけど、おそらく独りじゃない。仲間も一緒のはずだ」
「わかった!」カズヤはすぐ返答すると、バイオソートの緑色を頼りにタエたちの位置を確かめる。確認できるフィードバックは3名分、……タエ、リオナ、ナナカか。
「待っていろ……!」
カズヤは機体にいったんGバリケードを張り、後方の哨戒艇と思しき船に向かった。
一方で、レディバグS0.5がB形態に接近するにつれ、何か不穏な気配がヌウスの知覚をくすぐり始めた。
──あのB形態を操縦しているハイブリッドは、おそらく厳密にはハイブリッドではない気がする。当然人間ではないけれど、どちらかというと……。タエちゃんのような、あるいは僕のような何かとしか思えない。
しかし、ここで怯んだらこの前のマリエッタのように、やり損なってしまう。
ヌウスは3連の砲塔を向け直し、B形態に容赦せず至近距離から砲撃した。その砲撃は敵機の装甲の一部を破壊したが、大きなダメージには至らない。
──ただのB形態じゃないんだ。装甲も硬く、外部の致命的な弱点も見当たらない。おそらくこの機体、……DEEPの幹部クラスが搭乗するものか?
曖昧に混濁したかつての記憶の断片が、ヌウスの頭の中を掻き回す。
──まさか、……まさか。DEEPの幹部には、すでにハイブリッド……いや、僕やタエちゃんのような存在が加わっているっていうのか。
ヌウスは地上で暮らしていた時代の記憶を完全に消され、DEEPに捕われていた頃のことも断片的にしか覚えていない。逃走を図ると海底で見て聞いたすべてを忘れるよう、催眠か暗示に近いプログラミングを施されたと思われる。
しかしいくつか、意識の底に漠然と残留する「DEEPの巣」の記憶の断片があった。
深海で暮らすDEEPたちのなかには、人の姿ではない者と人の姿をした者がいる。人と違う姿のDEEPとは、「気配」で意思疎通を図れた。彼らはみんな心優しく純粋で、ヌウスにも快く接してくれた。
いっぽう、人の姿のハイブリッドDEEPのことを少しだけ思い出せたのは、あのA79戦を終えてからだ。人型のDEEPは、気配と言語の両方でコミュニケーションを図ることができた。ヌウスは彼らの言語を知らないため、専ら気配で意思を伝えていたように思う。
それらの記憶の断片のなかで、一瞬しか憶えていないが強く印象に残る出来事がひとつ在った。
暗鬱とした海底の静けさの中、僅かな光を見つけ笑顔になった自分の頭を撫でた大きな「人の手」……。あれはいったい、誰のものだったのか。
目前のB形態と対峙しながら、ヌウスは意識下に散らばっている記憶の欠片を必死に手繰り寄せようとしていた。
そのとき、ヌウスは自分の意識に何らかの温かくキラキラとした「気配」が流れ込むのを感じる。
『ヌウス、私……分かるかな』その気配は、B形態に手こずって消耗気味だったヌウスの心を癒すように囁いた。
『え、……タエちゃん!?』
『正解。やっぱり私も、あなたのIGFの近くに来たら回路に割り込めたよ。今ね、トップの3人で哨戒艇に乗って海上を航行してるの。私、船のデッキに出るから、そうしたら私を掴まえて』
『掴まえることはできるけど、なぜ? その後、僕はどうすればいいの?』
『私を、あなたの可愛いマシンに乗せて。そのテントウムシみたいな機体に2人でLAGできるなら、倍の威力で操れるんじゃない? 厄介な敵にも、きっと対抗できる』
『うん、わかった。他の2人は?』
『カズヤのS1に乗ってもらうね。そうすれば安心でしょ』
『なるほどね。それじゃS1にも、しっかりきみたちを護衛してもらわないと』
同じ回路に意識を割り込ませているときは、ふたりの「気配」同士で会話することができる。それは、今日初めてわかったことだった。DEEPが一切通信機能を必要としないのは、回路に乗らずとも普段からこれをできるからだろう。
『ねえ、ヌウス』
『なに? タエちゃん』
『私たちって似てる、……元々持っていたものと、私たちの身体に途中から割り込んできたもの。どっちも、似すぎているの。あなたと……私。だからあなたのこと、ひと目で大好きになった。けど、恋とかじゃなくってね』
『うん』
タエは、ふとドックポートへ残してきたイブキのことを思った。──彼は私が異物を齎す存在だと本能的に知りながら、それに惹かれ愛してくれたんだ。
──必ず勝って帰る。イブキ、あなたのところに。
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