第26話
ミヅホの部屋には、日々何人もの女性クルーが相談に訪れる。今は表立った幹部業務に就いていないミヅホだが、まだ少数である女性クルーの相談窓口を務めているのだ。仕事や心身の悩みを抱えた女性クルーたちに対する、あらゆるサポートがミヅホの役目だ。
ヌウスがミヅホのもとで育てられ始めたころは、ユタカが頻繁にミヅホを訪ねてきた。ヌウスはそのことを、今もよく覚えている。相談の内容は、ほぼカズヤとの交際に関することだった。たわいない世間話から将来の結婚の可能性まで、実に多くのことをユタカはここで話した。カプセルの中でそれを見聞きしていたヌウスには、彼女の愛嬌ある声が子守唄のように聴こえたものだ。ヌウスが27エキップにやってきて、初めて憧れに似た感情を抱いた女性は、彼女……ユタカだったかもしれない。
そんなユタカが、ある日を境にぱたりと訪ねてこなくなった。母へ遠回しにそのことを訊くと、あの子はもう来ない、とだけ告げられた。しばらく経ち、ユタカが敵に攫われ行方不明になったことをヌウスは知る。その戦いのチームリーダーで護衛を務めていたのが、ユタカの恋人だったカズヤだ。
ヌウスがカズヤに対する不信を拭えなくなったのは、そのときからのようにも思う。
もう、カプセルの中で眠る時間は普通の人とほぼ変わらなくなっている。もしこの先、酸素と栄養の補給が不要になりベッドで眠れるようになったら、母のもとを離れ宿舎棟で暮らそう。長いこと世話になっているカプセルの中に身を収めながら、ヌウスは思った。
と、部屋に来客があるようだ。ミヅホが室外からの呼び掛けに応答し、扉を解錠する。訪ねてきたのは、タエだった。ヌウスは声をかけたい気持ちをぐっと抑えて、カプセルに身を隠し様子を窺った。
「タエちゃん、最近は身体の具合はいいの?」
ミヅホが尋ねると、タエは笑顔になって頷く。
「うん、傷も最近はほとんど痛まないんだ。今日はね、私たちのこれからのことを相談したくって」
「私たち、か。──彼とは、うまくいってるのね」
「うふふ」タエは微笑みを満面の笑顔に変え、大きくもう一度頷いた。
タエが幸せそうにしている様子を見ると、ヌウスもなんとなく安心してしまう。安堵の気持ちに引っ張られるように、カプセルの中でそのまま眠りに落ちてしまった。
「カズヤにも結婚を奨められてて、私たちもいずれそうするってもう決めてるの。でも、……オンボードとして戦ってるうちは、赤ちゃんって無理でしょ。そのことで」
声をひそめ気味にタエが言うと、ミヅホは驚く様子もなく嬉しそうに笑った。
「あら、ご婚約おめでとう。オンボードは全員、念のため確実な避妊をしてるから大丈夫なはずでしょう? 半年ごとのメディカルチェックでも確認しているんだし」
「でも、……私、みんなと身体が少し違うんだよね? 同じことが通用しなかったら、困るなって」
「心配ないわよ。メディックはタエちゃんの身体のこともきちんと把握した上で、みんなと同じ措置をとってるから。第一、あなただって来るものは毎月来るでしょう? そこは、みんなと変わりないところよ」
タエは頷いて安堵の溜め息を大きくつくと、控えめな涙を1粒零しながら微笑んだ。
「えっ? タエちゃん、どうして泣くの?」
「イブキがね、それでも万一何かあったら私が壊れちゃうし、そうなったら自分の責任だって言うの。……優しいんだ。それで、なんだか涙が出ちゃって」
タエがこんな話を出来る相手は、ナナカやリオナのような同世代以外ではミヅホ1人だろう。ミヅホは、こんなに幸せそうなクルーの涙を見るのはユタカの婚約報告のとき以来だ、としみじみ思った。
「本当の意味で優しい、いい彼ね。ずっと一緒にいるべきよ」
ミヅホは、バイザーアウトして気を失ったタエを目覚めるまで静かに見舞っていたイブキの表情を思い返す。それまでは、オンボードなのに戦う意欲も人を守る気概も感じられない、スカした青年だと思い込んでいた。でも、言葉や行動の端々からはタエを心から想う気持ちが汲み取れた。
「ありがと、ミヅホ。私の身体のことやイブキとのこと、沢山相談に乗ってくれて。結婚したらもっと自立したいけど、時々は話を聞いて」
「いつでもいらっしゃい。お話しに来てくれなきゃ、私の商売が上がったりよ」
ミヅホも、イブキの身体の変調のことはジョシュアから聞いていた。やがてイブキがタエと同じ身体に変わってゆけば、彼らの子供の誕生も現実的になってくる。そしてそれは、人間ともDEEPとも異なる新しい「種」による、遺伝子の継承が始まることをも意味するのだ。
タエが部屋から出ていった後、ミヅホは窓の外の海を眺めながら独り言を口にした。
「ねえ、──『あなた』……。私たちの望んだことを、素敵な若いふたりが現実にするのよ」
32. 俺のアイドル (You're my IDOL)
その日の戦闘にはユージ、ナナカ、そしてカズヤの3名が出動していた。
「俺にぴったり着いてくるじゃねえか。マリエッタ、また速くなったな」ユージが感心した様子で言う。
「ユージ、敵にもだが1番機にも油断するなよ。おまえ、そのまま追い抜かれる気しかしないぞ」
カズヤも、スコアを急上昇させているナナカを意識してユージに釘を刺す。
「いい? 追い越しても」と、ナナカも珍しく調子よさげに冗談で返した。
「よせよナナカ、イブキがタエちゃんのスピードを一瞬とはいえ超えたばかりなんだし、わざわざ真似すんな」
特化クルーとして27エキップに迎え入れられた経緯を持つユージは、元々極めて優秀なオンボードだ。UD(バイザー)ではない、定型適性を持つクルーの中では最も高い適性指数を誇る。それに殊更ユージの場合は攻撃より、仲間の護衛や被弾の回避に長けている。名実共に、ディフェンスリーダーとして活躍できる逸材なのだ。それゆえ、ナナカとユージは攻撃と防御の完全分業でいいコンビネーションを築くことができる。
ユージのステラドミナS2が前線に張り、巧みにGバリケードで敵の攻撃を無効化する。その隙をついてナナカのマリエッタが相手の嫌な所へ攻め込むのだ。
「遅ぇよDEEP、弾が間に合ってねえぞ!」
ユージが景気付けのように声をあげる。相手が弾を放った後でもGバリケードでその攻めを無効化できるのは、ユージとタエだけだ。そしてGバリケードの設定と解除をここまで素早く切り替えられるのは、ユージの特技のようなものでもある。
「ナナカ、敵がそろそろ疲弊してきてる。ぼちぼちいいだろう、止めの刺しどきだ」
ユージがそう指示を出す。しかし、あの敵機たちに乗るDEEPの搭乗員も多分人の形をしているのだろう。そう思うと、容赦せず止めを刺すことに対して気が引けてしまう。
──でも、その一瞬の気の緩みを突かれそうになったこともある。ナナカは迷うことなくGウェブを張り巡らし、迫る2機のD形態を1度に捕捉しようとした。うち1機は目論見通り捕まえることができたが、見落としていた重力網の綻びからもう1機を取り逃してしまう。
「なんだと? マリエッタのGウェブに捕まらない機体がいるのか!?」
思わずカズヤも、驚いて声を上げてしまう。そしてナナカは動揺しながらも、カズヤに思うところを伝える。
「カズヤ、捕捉した機体の搭乗員は返さずに一旦確保しましょう。本当はそんなことをしたくはないけれど……。死んでしまった49番ハイブリッドのように、元は人間として地上で暮らしていたのかもしれない」
カズヤはしばらく何かを考えるように黙ったが、了解だ、とひと言だけを返した。
「奴らも、腕か性能のどっちかを上げてるな。マリエッタに捕まらねぇなんて前代未聞だ」と、ユージが口惜しげに呟く。そのすぐ後に、しゃあねぇ、と独り言ちてから、ステラドミナS2の機首を逃げ切ろうとするD形態に向けた。
「ユージ、撃つの?」と、ナナカが訊く。
「仕方ねぇだろ」
滅多に単独攻撃に出ることはないユージだったが、普段は余程でなければ出さないスピードで敵機に追い縋る。
「27エキップ最強IGFのマリエッタから逃げ仰せようなんざ、100年早えっての!」
ユージは迷うことなく、S2の機首に備わる反転圧縮エネルギービームを前方のD形態に見舞った。敵機は一瞬で原形を失い、人型の搭乗員が海上に落下して深海へと戻っていく。
「あの機体を操っていたのも、ハイブリッド……」
「なあナナカ、俺はたぶんDEEPの社会全体を構成する個体の大半が、もうハイブリッドに取って代わっているんじゃないかって思ってんだ。永い間少数個体を保って静かに暮らしていた元のDEEPに、ある意味人の血が入ってこうなった、ってな」
「たぶん、知能だけじゃなくて情緒も人間と変わらないでしょうね。互いの言葉だって、学べばきっと身に付く。……戦う必要なんて、あるのかな」
「俺も、ないと思いたいけど……人間同士だって、民族や宗教で闘争が起こるんだぜ」
ユージが少し寂しそうにそう呟くのを聞き、ナナカは思わず俯いてしまう。ユージは、もしナナカが隣にいたなら肩に手を添えてやるのに、と、つい空想する。しかしそんな役回りは自分には訪れないだろうと、うっかり思い描いたその光景を振り切った。
そして戦闘は収束し、捉えたD形態のパイロットは防護服を着たメディックたちに引き渡された。ナナカはその様子を遠巻きに見ながら、罪悪感に苛まれ複雑な表情になっている。背後で見ていたユージは彼女を慰めたくなり、駆け寄ろうとした。が、一瞬の迷いがその足を途中で止めてしまう。立ち止まったまま、ユージはただただ逡巡を続けた。
そうこうしているうちにカズヤがナナカへすっと歩み寄り、ごく自然に片手を彼女の肩へとそっと置く。
「苦しいか。疲れが顔色に出ているように見える」
「大丈夫です。でも、防衛戦ってやっぱタフだな。カズヤは、そんなに長く戦っていて辛くならないんですか?」
「正直に言うなら、辛くない訳が無いさ。初めて戦線に放り出されてから10年にはなるが、ずっと辛い」
ナナカがカズヤに対し、敬語を一部排して会話していることにユージは気づいてしまった。いつの間に、あの2人はそこまで親密になったのだろう。それすら察することができないまま、自分は呑気に過ごし続けてしまっていたのだ。
──俺のアイドルは、とっくにアイドルを辞めていた。いつ誰のものになっても、文句を言えない存在になったんだ。
ユージは2人に何も言わず背を向け、駆け足でドックポートへ戻って行った。
「ナナカ」と、カズヤが改めて呼ぶ。
「何か、思い詰めていませんか?」ナナカはカズヤの口調に、いつもの余裕が失われていることに気づきそう尋ねた。
カズヤは少しの間、俯いて何かに思いを巡らしたあと立ち上がり、ナナカを見つめ微笑むと、ほんの一瞬だけその手を握る。
突然のことに、ナナカは息を呑んだ。──些細かもしれないが、初めて自分という個人に対して愛情を行動で示してくれたのだ。
「ありがとう。今日は少し駄目なところを見せてしまったが、きみと想い合えていることは戦う私のお守りだ」
そう囁いてカズヤが去った後、ナナカは憶えのある香りを微かに彼の着衣から嗅ぎ取ったことに気づいた。カズヤの香りではなく、他の誰かの残り香だ。夏休みの太陽みたいに温かく明るいのに、胸を締めつけるような切なさもある……。この香りを、自分は以前も強く感じたことがあるはずだ。
瞬時に、廊下ですれ違ったときその香りに惹かれて思わず振り返った、あの出会いが脳裏に蘇った。
──ヌウス……。
カズヤの心を乱しているのは、おそらく彼なのだろう。事情をよくは知らないナナカだったが、あの2人の常に余所余所しい接し方から容易に察せた。
カズヤと同じように、ナナカも矛盾に押しつぶされそうなのだ。色恋に現を抜かしている場合ではないのに、誰かを想えば想うほど確実に戦う力は伸びてゆくのだから。
楽しい話でもしないと、このまま眠れる気がしない。その日の夜は、久しぶりにリオナを誘ってクルーピットで食事をすることにした。
クルーピットは今日も賑やかで、その中に紛れていれば気も落ち着く。そしてリオナのいつも通り明るい表情も、ナナカを助けてくれる。
「丁度連絡もらったから、タエちゃんも連れてきたよ」
悪戯っ子のようにニヤニヤ笑いながら、リオナが言う。タエはスイーツスタンドのカウンターに、はちみつパフェを注文しに行っていた。
「タエちゃん、今日は1人で来ていていいの?」
レジから戻ったタエに、ナナカが訊く。ここしばらく、タエはずっとイブキの部屋の掃除を手伝いに行っていたので誘うのも憚られていたのだ。タエはにっこり笑って頷き、堰を切るように話を始める。
「うん、やっと昨日お掃除と模様替えが終わったの。家具をぜんぶ入れ替えて貰ってね、シンプルでカッコよくした」
部隊の中で、いま1番明るく幸せそうなのはタエだろう。イブキと結婚することがほぼ内定のような状態になり、体調を診ながらスケジュールを考えている真っ最中だ。クルーも結婚が決まれば本来は、民間区へ出向き家族へ挨拶に行くなどするだろう。しかし防衛班に所属するクルーの殆どは、何らかの事情で家族との繋がりを絶たれた経緯を持つ。イブキとタエも同様で、このまま宿舎棟に居を構え組織とともに暮らすことになるはずだ。
加えて彼らは「新たな種」として初めて番となるふたりでもある。仮にDEEPとの戦いが終わっても、27エキップは組織単位で彼らを見守らなければならないだろう。
「27エキップが、パシフィサイトに関わるすべてのためにある組織なのは知ってる。けど、戦わなくなったら防衛班ってどうなるんだろ」
リオナがプレートのライスに乗ったステーキを頬張りながら、怪しい滑舌で切り出す。タエはそれを見て、ニコニコ笑いながら答える。
「私たちが戦わなくなったら何するか……って、実はもう決まってるんだよ」
「マジで!?」と、リオナが食いつき気味に訊く。
「そうなの。まだ何かは教えてもらえないけど、私たち全員に次のポストが設けられてるんだって。終戦や休戦になれば即希望を取って、嫌なら民間に戻ることもできる。私とイブキはたぶん戻れないけど、……2人は考えておいたらいいと思うよ」
ナナカは自分の選択を差し置いて、周囲のみんながどう決断するかを考えてしまう。組織内で長く過ごし多くを知りすぎているカズヤやジョシュアは、おそらく残るだろう。ヌウスは、ある意味タエやイブキによく似た境遇にあると考えられる。それを思うと、民間で暮らすことは難しいはずだ。
「どうしたらいいんだろうね。私は、……民間に戻っても、アイドルはもういいな」
ナナカがそう嘯くと、2人の盟友は大きく笑った。思えば彼女たちは、自分とカズヤとのことも、ヌウスとのことも知らない。何でも話せるはずの2人に、切り出すことすら難しい秘密を作ってしまったのだ。しかし今更その状況を切り抜ける術すら思いつかないナナカは、そのことを苦々しく思う他になかった。
やがて、ユージとシュウがクルーピットへやってきた。2人は夜ボウリングをするらしく、リオナは彼らに合流すると言う。ナナカとタエは、宿舎棟に戻ってのんびり積もる話でもしようということになった。
「ねえナナカちゃん、私ってそういうの察しがいい方だと思うから訊くけど」
タエが、帰り道を歩きながら突如切り出す。
「え。急にどうしたのタエちゃん」
「ナナカちゃんって、カズヤのこと好きじゃない?」
「──え!!」
ナナカは思わずぴょんと飛び上がった。
「ほら、跳んだ。ナナカちゃんって意表をついて痛いとこ指摘されるとね、必ずそうなるんだから」
「なによ、タエちゃん……びっくりしたな、もう」
「なんだか、そんな気がした途端にすごく納得がいったから、間違いないなって思っちゃって」
タエはその鈴の音のような声を、うふふ、といういつもの含み笑いにして響かせる。
「知ってると思うけど、ヌウスもナナカちゃんのことが好きよ。たぶん、ユージくんもね。そしてカズヤも、間違いなく悪くは思ってない。ドラマの相関図だと、ナナカちゃんに赤い矢印3つも向いちゃうやつ。……モテてるね」
タエがまっすぐナナカのほうを見て、そんなことを言う。ナナカは照れくさくなり、苦笑いしながらタエから目を逸らした。
「そんな風に人から想われたこと、なくて……。正直、戦いに来てるのにそんな場合じゃないとも思っちゃう。芸能界で100万人の彼女を演じることはできてたとしても、現実って上手くいかないの」
「うふふ、カッコいいね。私、ナナカちゃんのそういうとこ大好きだよ」
タエは戯けて、ナナカをぎゅうっと抱きしめる。
「やだ、そういうのはイブキくん1人にしてあげて。……でも、タエちゃんからそう思ってもらえてて嬉しい」
ナナカは照れながら、タエを抱きしめ返した。
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