第24話

 このことをタエに話すべきなのか、話さない方がいいのか。ユージの部屋を出て自室に向かう途中、イブキは堪らずカズヤへメッセージを送信した。カズヤからの返信には、「自分の部屋へ戻れ、トークオンで話そう」と記されていた。

 自室に帰って、トークオンを開放し防音電磁シールドを最大値まで強めると、イブキは意を決してカズヤにメッセージを返す。程なくトークオンを介し、カズヤがすぐに応答してくれた。

『ユージが全部話したそうだな。大変な話だったろう。根気よく聞いてくれて有難い』

「いえ、……タエに関してはある程度、そんな予測はできていました。ただ、自分の身体のことはまったくの想定外で」

『なら訊く。話を聞いた上で、おまえに迷いはあるか?』

「──無いですね」

 トークオン経由で、ふ、という笑い声が微かに響く。

『おまえは、恐らくは彼女を本能で選んだ。彼女もまた、選ばれた側でありながらおまえに本能で応えた。同時に、互いが互いを選んだということだと思っている』

「カズヤは僕ら2人を止めることだって、できたと思います。何故、そうしなかったのですか」

 トークオンから、幾分深い溜め息が1つ聞こえる。

『野暮なことを訊くものだな、……。タエは、望まずに異種となり人間界に放り出されたようなものだ。例えるなら女王になる運命を課され、巣立った女王蜂という所かな。自分の巣を築くために、独りでまだ見ぬ雄蜂を待つ。見つからないなら、次に生命を繋げず凍えて死ぬだけだ』

 イブキは、タエと東京へ出向いたときのことを思い出していた。理由は特にないけど蜂が好きなんだ、と言いながら、蜜蜂の刺繍が施されたハンカチや靴下をたくさん買い求めていた彼女の姿が頭に浮かぶ。──本能、か。

『幸い、27エキップでは何年もの間、タエの身体を診てきた。おまえの身体が同様に変異したとしても、大概の病気や怪我は治療できる。ハイブリッドではそうは行かない。2人は幸運だ』

 身体の変調が進めば、イブキはタエ以外の女性を本能的に異性と認識しなくなるとユージからも聞いていた。そういえば、昔図鑑で見た女王蜂の生態には「他の雌の生殖行動を抑制する女王物質を発生させる」と書かれていたような……。

『27エキップはクルーに対し全面的に責任を負うものとしているし、いつ何時たりとも生存を最優先する措置をとる。私個人的には、おまえはいずれここでタエと結婚してほしいと思っている。ともに支え合いながら、ミッションを遂行してもらいたい』

「チームで働きながら、結婚……。可能なんですか」

『たしかに新しい形だが、ここならそれができる。私にも、かつてそうしたいと考えた女性がいたが、戦いで失ってしまった』

「え!?」イブキは驚き、手に取った紅茶のスプーンを思わず取り落とす。空のティーカップの中にスプーンが落ち、チリンと音を立てた。

『おまえは、私のときと同じ形で失くしかけた大事な人を奪い返した。誇るべきだろう。おまえとタエは運命で繋がっている2人だ、と』

 かつてカズヤに、共に戦っていた恋人がいたこと。そして、タエのようにDEEPに攫われる形で2人は引き裂かれたこと。どちらも、イブキにとっては寝耳に水のような話だった。

「あ、ありがとうございます。不躾ですみませんが……。過去にあなたの愛した人は、どんな女性だったのですか」

 また野暮なことを訊いてしまうのは承知だったが、どうしてもイブキはそれを知りたかった。

 カズヤはほんの少しだけ黙ったが、ゆっくりと丁寧な言葉で話し始める。

『頭が良く機転が利いたが、可愛らしい女性だった。オンボード適性は然程高くなく、当初は普通のクルーに見えた。だが、いつも私の想像の斜め上を行く行動に出て、仲間や部隊を度々救ってくれた。まだ若くいつも切羽詰まっていた私を、時々その明るさで和ませ楽にしてくれるような……。そういう人だ』

 トップの1番機のような女性だったのだろうか、とイブキは直感で思った。さすがに、敢えて口に出すことはしなかったが。

 カズヤは決して、依怙贔屓をするような上官ではない。しかし、1番機ことナナカのことを見る目は、良い意味で他のクルーと少し違っているように感じる。

「今のあなたにも、そういう人が必要だと僕は思います。こんな若輩者が上から目線な気がして、申し訳ないのですが」

『そう……かもしれないな。まだ時間はかかるかもしれないが、いずれはそう思う日が来るだろう。ありがとう』

 早く1番機に何かを伝えて、もっと距離を縮めたら良いのに……。そんな風に、イブキは考えていた。タエと心を通わすまで、そのようなことにはまるで興味を持っていなかったのだが。

 そして話を終える前、イブキは意を決して最も訊きたかったことをカズヤに尋ねた。

「……僕の身体のことは、タエに伝えるべきですか」

『詳しく知らせなくても、彼女はすべて理解してくれるはずだ。改めて、おまえの気持ちが揺るがないものだと伝えてやるだけでいい』


 窓の外の星が美しい夜だった。カズヤとのトークオンによる会話を終えた後、イブキはドックポート最上階の展望室へ向かった。

 こんな時間に展望室を訪ねるのは、自分しかいないとイブキは思っていた。しかしその日は偶然、少年と思しき小柄なクルーと居合わせることになる。その少年は外国人にも滅多にいないような、透明な色の髪とビー玉を思わせる複雑な色の瞳をしていた。

「きみは、どこに所属するクルーだ?」

 イブキが声をかけると、少年は振り向いて屈託ない表情を見せた。互いの目を見た瞬間、訳もなく2人はそれまで意識的に纏っていた緊張感がさっと解かれるのを感じる。

「僕はさ、……防衛班に時々サポートで加わるだけなんだ。きみも防衛班の部隊服だけど、会うのは初めてだね。僕はサイファ:744。みんなは、ヌウスって呼んでる」

 カズヤやユージとは違い、イブキはこの少年と全く面識がなかった。現に、トップ=スクワッドとDスクの合同チームに初めて彼が合流したのがA79戦だったからだ。それに幹部やリーダー格は彼について既に知らされていたが、一般クルーのイブキは知らなくて当然だった。

「いい名じゃないか。僕のお付き合いしている女性が、気に入りそうな名前だ」

「うわ、きみ、彼女いるんだ!?」

 ヌウスが思春期じみた問いを投げかける。イブキは少し得意げな顔になり、黙って頷いた。

「きみは、──ヌウスは、今日みたいな夜の空を見に来るのは好きか」

「うん。最近眠れない日が増えて、よくここに来ちゃう。ここは、好きな女の子のことを考えるのにぴったりなんだ」

「なるほど。片思いなんだな」

 イブキは少年の背中をそっと叩き、共感の意思を示す。いま彼を悩ますのは、おそらくはイブキ自身も過去に嫌という程経験した夜だ。眠れなくなるのは、大抵想いが届かない誰かのせいなのだから。

「きみの彼女って、どんな子? クルーなの?」

 そう無邪気に訊くヌウスに、イブキは笑顔のつもりで片方の唇の端をぎこちなく吊り上げて答える。

「トップ=スクワッドの、紫のIGFに乗る子だ」

「え!? 紫の……撃墜女王のあの子? もしかして、きみはA79戦であの子を助けに行ったクルーなの? すごい!」

 ヌウスは目を輝かせ、イブキのことをまるで自分のヒーローだと思っているかのように見つめた。

「待て。確かにそうだが、それは決して凄いことじゃない。Dスクワッドに所属している限り、当然のことをやっただけだ」

「そうかもしれないけど、やっぱ凄いなって僕は思う。Dスクってそんなにいい印象じゃなかったけど、きみがいるなら協力したいな。きみと一緒に、戦ってみたいし」

 イブキは元々、他人との会話が下手で誤解を招きやすいほうだ。こんなことを初対面の相手に言って貰えるなど、初めてのことだった。

「あ、ありがとう。サポートしてもらえる機会があるのなら、僕も頼もしい」

 ヌウスは潤みがちな瞳を余計にキラキラとさせ、笑顔になってイブキを見た。

「ねえ、きみの名前。……なんていうの」

「サイファは『IBK』、呼び名はイブキだ。入隊したのは2年前、──昔の本当の名は、『中薗 維吹』」

「教えてくれてありがとう、イブキ。初めて、友達ができた気がする。イブキのほうが歳は上だろうけど、クルーとして先輩なのは僕だから、悪いけどタメ口だよ。でもたった1人の友達だから、大事にするね」

 別れ際にヌウスは、機会があるならタエに会ってみたいと言った。顔と名前と撃墜女王であることしか知らないけれど、彼女も自分のことを腫れ物扱いしない気がするのだそうだ。対等の目線で接してくれる人が、母ミヅホを含めこの組織ではなかなか見つからない。イブキは自分の立ち位置を物言わず察してくれた数少ない1人だ、とも。

 自室に帰ったイブキは、ヌウスのひと言をなんとなく復唱してみる。

「たった1人の、友達……」

 思わず笑みがこぼれると同時に、安堵からか眠気が一気にやってきた。──笑顔を作れたかどうか、自信はないけれど。

 その夜イブキは、かつての親友の夢を久しぶりに見た。珍しく、それは悪夢ではなかった。2人で仕事帰りに、揃いで名入りのボールペンを作りに行った日の夢だ。互いに大切にすることを約束し合い、笑顔で握手をした。

 イブキは今も、自分の民間人名が刻まれたボールペンと、親友の名の入った形見のボールペンを、2本大切に持っている。




30. 邂逅 (encounter)


 イブキとタエは、2人だけで戦闘にあたった経験がまだなかった。それは単なる偶然だったが、次の戦闘の機会が訪れたなら、未来の夫婦のパートナーワークを試してみたい。カズヤは、かねてそう思っていた。

 そしてその機会は、存外早期に訪れることとなった。イブキがユージやカズヤとこの先について話し合ったあの夜から、4日後の早朝だ。

「たいへん、訓練に遅れちゃう!!」と、慌ててエレベーターのボタンを連打するナナカの姿を見つけ、タエが声をかける。

「おはよ。そっか、ナナカちゃんは今朝、訓練のリーダーだもんね。頑張って。私たちは、カズヤと3機で現場なの」

「え? 急じゃない? ──もう1機って、彼?」

「うふふ、そうなの」タエはこくりと可愛らしく頷き、満面の笑顔を見せる。

「いいね。タエちゃん、またスコア更新しちゃうじゃん! イブキくんも調子上げてるし、何かと楽しみだよ」

「やだ、そんなんじゃないもん。でも、みんなとお昼ご飯食べられるように、なるべく早く帰ってくるね。午前中の完全掃討を目標にするよ。じゃ、行ってくる」

「うん。気をつけて。行ってらっしゃい」

 ナナカはタエを見送り、エレベーターに乗ると小さく溜め息をつく。かく言う自分のスコアも、あのA79戦後からは信じられない勢いで上がっているのだ。本来喜ばしいことなのだが、素直に嬉しく思えないのは何故だろう。

 恋しているのに、そしてあの人に想いは通じたのに、──恋人同士にはなれない日々が、まだまだ続くのだ。


「偵察機か? B形態1機だけとは異例だな」

 外洋に目を遣り、イブキが呟く。彼もまた、まだ姿を現していない敵機の気配を容易く見抜くようになっていた。

「うん。私が確かめた限りでも、今回はそれ1機だけだね……。でも、武装は整備されてるから注意して」

 タエは、敵機の武装がフレッシュか否かに至るまで気配で察してしまう。流石にイブキは、そこまでを読むことはできない。

「あとね、航続可能時間を短めに設定して来てるみたい。だから、早めに叩きにくるかもしれないよ。すぐ迎え撃てるよう準備しておこう」

「タエ、凄いな。そんなことまで分かるのか」

「A79戦で敵機と接続してからなの……ここまで、見えるようになったのって。ただね、嗅ぎつけすぎると少し負担が重くて、身体に堪えちゃう。背中の傷がまた痛まないよう、程々にするね」

「うん。無理をするな」

 イブキがタエを気遣うようにその肩を抱こうとした瞬間、ドックポートのエレベーターデッキからカズヤが下りてきた。イブキは慌てて手を引っ込めると、頬を赤らめ明後日の方角に顔を向けてみせる。

「2人とも、今日の調子はどうだ?」

 そう言って、カズヤは2人に笑顔を向ける。イブキは明後日の方角を見たまま、口を尖らせて答えた。

「普通ですよ」


 IGFとのLAG時にかかる身体的負担の大きさは、UD=バイザーオンボードの弱点の1つだ。暫くの間、頭の中を強く締め上げられるような痛みと戦わなければならない。しかしイブキは自分の身体の変調を自覚し始めてから、その辛さが少しずつ軽くなっていることに気づいていた。内心は、毎回LAGすることに恐怖を憶えていたものだったが、今はかなり楽だ。

「イブキ、どうだ。相変わらずLAGはしんどいか」

 カズヤがそう尋ねる。イブキは、今は少し楽です、と答えた。

「カズヤ、私には訊かないの?」と、タエがニヤついて会話に加わる。カズヤは、長い付き合いだ、きみのことは隅まで知り尽くしている、と返した。その一言にイブキがむくれた表情に変わるのをモニター越しに見ながら、カズヤがふっと笑う。

 タエは、単にLAG時の苦痛をあまり苦痛と認識していないにすぎない。即死しても不思議ではない程の負傷を経験し、長年傷の痛みと辛い治療を経てきたのだ。LAGの苦痛など、痛みのうちに入らないということだろう。

 タエは涼しい顔のままLAGコンプリートまでをスムーズに完了させ、鈴の音のように美しい声を通信に載せる。

「LAGコンプリート。アイコンブレイバー3番機ヴィオラ、発進準備完了!」

 少し遅れ、イブキも多少手こずりながらLAGを完了させた。

「待たせた! LAGコンプリート。IGF-MSP TYPE97、発進準備完了!」

 カズヤはモニター越しに、ユージやシュウが「やばい」と表現していたイブキの表情を注視する。

 前方を見据える両眼が、機体との感応共振と時を同じくして見開く。──あの瞳の奥の、瞳孔の光だろうか。僅かに紅色が差し、確かにタエのそれに近づいていることが見て取れた。

「やばいな……」カズヤは通信を切り、声に出して独り言を零す。おそらく、この男もあと半年も経てば目や髪の色が別人のように変わり、人ならざる雰囲気を漂わすようになるのだろう。

 ──あの子が、……タエが、本気で誰かを愛する時が訪れることを、正直危惧していた。あの子に憧れる男性クルーを探そうと思えば、おそらくはいくらでも見つかる。しかし、殆どの男たちは彼女の身体中に刻まれた凄惨な傷痕と、それが物語る複雑な生い立ちに怯んでしまうだろう。恋をすればする程、彼女が悲しむことになるのではと思っていた。

 彼女が、誰もを惑わす神秘の香りを纏った女王蜂なのだとしたら。覚悟を決めて女王の肉体へと分け入り、身を沈めた男があいつで良かったのだろう。──私ではなく。

 カズヤは、彼女の負傷の治癒と身体の成長にずっと立ち会ってきた。あの飛行機事故で機内へ救出に向かって、タエを発見し本部まで搬送した夏の日から。

 ランデブー飛行のように寄り添い、敢然と敵の掃討に向かうヴィオラと97番機の姿を、カズヤは遠い目で見つめた。

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