第23話

29.  女王蜂 (Queen-bee is alone)


 巨大なA形態を1機沈めたところで、DEEPとの戦いが簡単に終結するわけではない。27エキップ防衛班は、程なく新たな戦いに臨む日々に突入してゆく。


「おはよう、ナナカ」と、声をかけられ振り返ると、ナナカは驚いてぴょんと跳ね上がった。

「か、カズヤ!……おはようございます」

「その、跳ぶのは、……癖なのか」

「い、いえ、意識はしてませんでしたが、……私、よく跳びますか?」

 カズヤはその問いには答えず、ただクスッと笑う。そして回答の代わりに、小声でこう言うのだ。

「──いい顔してたぞ」

 騙されない、と思う。きっと挨拶のように、この人は疚しさも下心もなく誰にだってこれを言えるんだ。ナナカは、無理につっけんどんな表情を作り、通り過ぎようとする。その耳元を、ふ、と微かに笑う声がくすぐった。

 これを何年続けたら、自分はこの人と足並みを揃えて歩けるんだろう。片思いではなくなったのかもしれないが、イブキとタエのような2人には当面なれないのだろう、とも思う。

 そんなタイミングで、その2人──イブキとタエが対面から歩いてきた。いまや彼らは、防衛班のなかで憧れのカップル扱いされつつもある。

「ナナカちゃん、おはよ!」と、タエが元気に声をかけてくる。

「おはようタエちゃん。今日の海はどう?」

「うーん、……小さいのが来る、かも」

 タエは首を傾げながら、戯けて答える。一方のイブキは少し焦点の定まらない目で、遠くを眺めていた。

「イブキくんはなんだかボーッとしてるけど、寝不足か何か?」と、ナナカが尋ねる。

「いや、……そういう訳じゃない。ただ、外洋の匂いがいつもと違うな」

「なぁにそれ、タエちゃんの真似してるみたい。いくら仲良しだからって、ちょっと当て付けがましいな」

 ナナカはそう言ってイブキをからかったが、正直なところ最近の2人は見ていて羨ましくなるのだ。タエなどはA79戦後、見違えるように肌や瞳に潤みが感じられ、目元の表情も妙に色っぽく思える。たぶん、彼とも大人の恋をするようになったのだろう。

「近くに居るんだろうか。来たら速い……気がするな」

 イブキが譫言のように、ぽつりと言う。タエの真似をしているというより、彼もまた彼女の知覚を纏っているかのようだ。水平線を見つめるイブキの眼差しの奥で、その虹彩に静かな意志の光が差すのを、ナナカは感じ取っていた。


 タエが予測した通り、久しぶりに海上での戦闘に向かうこととなった。今日の最大敵機はB形態、その手前にCやDが毎度の通り露払いのように控えているという。

「なあ、タエ」と、イブキが3番機に声をかける。

「なあに? 今日は、それほど厳しいガードは必要なさそうな隊列に見えるよ」

「なら、……少し攻めに出てみたい。今日だけは、僕がちょっと前線を張っていてもいいか」

 正直、珍しいこともあるものだとタエは思った。

「いいよ。けど、守りの97番機を手荒に扱おうなんて、思い切ったことするね。ねえイブキ、そんなことしたら明日は雪かもよ」

 イブキは躊躇なく97番機を前進させ、チーム全員に向けて伝える。

「こちら97番機。只今からガードモードより、掃討体制へ移行。周辺の機体は、影響の可能性を極力回避願います」

「わかった! ──珍しい、やる気だな?」と、ユージが応答する。

 97番機は、量産IGF戦闘機にUD(バイザーオンボード)向けの架装および武装を施した機体だ。与えられているのも、扱えるのもイブキ1人だけである。実質、ステラドミナのような特別機と同等のスペックを有するといってもよい。

 実は、イブキは数日ほど前の訓練時から、LAGや敵性感知時の感覚に変化を憶えつつあった。実戦でその感覚がどう生きるか、試したい意図があったのだ。

 機体の回路に割り込んだ意識の一部を捩って2重に絡めるイメージで、もう1段階接続強度を上げる。バイザーオンボードにしかできない、LAG状態の強化手段だ。タエなどは、日頃から自由にそれを使いこなしているらしい。しかし、UD適性指数がタエほど高くないイブキがそれを試みるのは、初めての事だった。

「──TYPE97、オーバーラップ」

 視界の角度が数十度は開け、五感から得る情報の嵩が数倍くらいにはなったように思える。だが、それを頭の中で処理して行動に出すまでのスピードも段違いだ。

「──いける!」思わず、イブキは声に出していた。

 敢えて指示をせずその様子を伺っていたカズヤは、驚いてジョシュアに通信を繋ぐ。

「ジョシュア、最近97番機の改良やメンテナンスは行いましたか」

「いや。別に何もしていない。……あれはIGFの性能が変化したんじゃなく、オンボード本人のセンシングが変化したことに拠るものじゃないかね?」

 ジョシュアはわざととぼけた様子で、焦るカズヤに向け鎌をかけるようにそう答えた。

「ということは、この前緊急会議で聞いた、……あの話が現実になったと?」

「まだそうは言い切れないが、可能性は高いとだけ言っておくか」

 イブキの97番機は、量産IGFの性能の限界を遥かに超えた動きをみせている。最小限の武装を最大限に駆使し、気づいたら単機でC形態とD形態のほぼ全数を事実上制圧していた。

 その様子を見ていたシュウが、ユージに声をかける。

「イブキのやつ、オーバーラップ・エンパッシブを身につけた? ユージには、どう見えた」

「間違いねぇな。ありゃオーバーラップだ。基本的には、適性指数のすげぇ高いUDにしか使えないハイレベルな小技……。イブキはUDの中じゃ、適性指数は大して高くない方なのにな」

「オーバーラップを自由自在に使えてるのってさ、このチームじゃタエちゃん1人ってところじゃない?」

 そのシュウのひと言で、とんでもなく良くない予感が脳裏を横切り、ユージの心をざわつかせた。ユージは思わず通信を切り、独り言を声に出して言う。

「イブキ、──お前……やばいことになってるかもしれねぇぜ」

 その言葉の直後、ユージの目の前でヴィオラのリバースGハープーンが放たれ、遥か最後方のB形態に一撃で止めを刺していた。

「ほとんど97番機とヴィオラでやっちまったって感じだ……。他の機体の消耗が少ないのは有難いが、イブキのあの戦い方と顔つき……。気になるな」

 ユージのその言葉に、シュウも頷く。

「戦ってるイブキを見て、僕も思い出したことがある。──あいつだよ。レディバグS0.5のヌウス……。イブキの眼が、あいつのように少し虚ろで不敵な感じに見えて、さ」


 その日の夜、イブキは急にユージに呼び出され、彼の部屋を訪ねた。ユージとイブキは、以前こそほぼ接点がなかった。しかしタエとのことがあり、イブキが仲間たちと若干の歩み寄りを見せて以来は、よく会話を交わしている。

 イブキが部屋にやってくると、ユージは内鍵をかけてトークオンを一斉にオフにした。そして、さらに室内の防音電磁シールドを最大値にまで上げる。

「なぁイブキ。俺がここまで用心して、お前に何の話をしようとしてるか分かるか」

「唐突すぎるな。……急になんの用だ」

 イブキが疑念の眼をユージに向けると、

「単刀直入に訊く。気分のいい話じゃないと思うが、今後のために答えてほしい。

 ──お前、彼女と……タエちゃんと、どこまで行ってる!?」

 ユージはイブキの部隊服の襟を両手で掴んで問い詰めた。

「なぜお前にそんなことを訊かれる必要がある? 僕らの問題だ。答える余地などあるはずないだろう」

「最後まで行ったのか!?」

「……」

 イブキは襟首を掴まれたまま目を逸らし、黙って顔を背ける。

「……ま、仕方ねえな。これから俺がお前に話すことは、お前が彼女と……もうそういう関係だってことを前提にしてる。そうじゃないなら聞き流すか、きっぱり否定して構わねぇ。座れよ」

 ユージはイブキの部隊服の襟から手を離すと、イブキをソファに座らせて自分も対面に腰掛けた。

「イブキ、お前さ……今すぐ本部のメディックに駆け込むべきかもしんねぇぞ」

「は?」

「お前、人の身体じゃなくなる、……かもしんねぇ」

「──何を言っている?」

「こっからは『第8条』の話になる、つまり口外厳禁だ。防衛班の準幹部以上の班員は、タエちゃんの過去と27エキップ入隊の経緯に関して、予め聞かされてる。それを、これから話す。急ですまねぇが、覚悟して聞いてくれ」

 ユージは普段は見せない神妙な表情になり、その話を始めた。


 タエの民間人時代の氏名は「羽佐間舵瑛はざまたえ」と言う。父親は倒置重力(リバースG)機構の実用化に関する研究の第一人者だった。元々電機メーカーの研究員だった父の羽佐間博士は、電力会社やパシフィサイトの採掘に携わっている27エキップとも、密にコンタクトしていた。

 そして舵瑛が12歳、中1の夏休みのときだった。博士は初めて、チャーターされた小型機で家族を自身の研究所に招く。ちょうどその頃、研究所のある島を再三偵察する様子をみせていたのが謎に満ちた未知の生命、DEEPによる飛行体だった。研究所の見学を終え、本土へ向かう小型機に乗った博士とその家族を、DEEPの飛行体が襲ったのだ。その事故は当時、大きなニュースにもなった。無論、DEEPの存在が世に明かされることはなかったが。

 舵瑛の父である羽佐間博士と、母は死亡。長男の絢哉じゅんやは行方不明となり、未だ発見されていない。そして長女の舵瑛1人が奇跡的に生存し、DEEPに関する調査を進めていた27エキップのメディカルセンターに収容される。


「タエが羽佐間博士の長女で、あの事故の生き残りだったのか……。当時僕は学生で、次世代エネルギーの研究者をめざしていたからな。事故のニュースも、よく憶えている」

 イブキは神妙な顔でそう言うと、溜め息をひとつつく。

「つまりタエちゃんと27エキップは、7年前からすでに接点があった。しかも負傷の治療に伴い、彼女のおそろしく高いオンボード適性もとっくに見い出されていたんだ」

「でもユージ、タエはずっと1人で暮らしてきたと話していたが……。27エキップとの関わりを拒絶したい、何かがあったのか?」

「彼女は退院後自立にこだわって、27エキップからは最小限の経済的援助を受けるにとどまった。ここは基本的には、自由意志を尊重する組織だ。彼女にも『来る気になったら、いつでも来てほしい』と、本人の意思に任せていたらしい。拒絶っていうよりは、タエちゃん、『人』で居たかったんだろうと思うぜ……」

 ユージは2本の指を眉間に遣りながら、険しい表情のまま続ける。

「タエちゃんの状況は、ウチの組織も逐一窺っていた。本来守るべき所を、守りきれなかった結果の事故だからな。彼女は生涯にわたり責任を負う対象であるとともに、喉から手が出るほど欲しい逸材だった訳だ。組織は彼女の住まいの最寄りにかかりつけの名目で医師を派遣し、体調の変化を診ていた」

「そんなことを……」イブキは、明らかに普通の少女とは違った境遇に置かれ、一生その業を負わされることとなったタエを案じて目を伏せた。

「人体にDEEPの体組織が取り込まれると、DEEPのジャックを受けることは既に解明されてた。要はDEEPの襲撃で負傷したタエちゃんが、その影響を受けていないか調査することも必要だったんだ」


 結果、羽佐間舵瑛はDEEPのジャックの餌食になることはなかったと分かる。ただし、彼女の体内にDEEPの体細胞が侵入し、若干の変異が発生していることは確認された。

 事故当時、舵瑛はシャツの胸元のポケットに0.7グラムほどのパシフィサイトの鉱石を仕舞っていた。舵瑛が研究所でとても気に入る様子を見せたため、父が帰り際にこっそり持たせたらしい。そのとき彼女は、精製された青く美しい金属塊を欲しがった。けれど、大人になったら指輪を作ることを約束して鉱石片で納得してもらったようだ。

 そして舵瑛が事故により身体中に大小の夥しい傷を負った中、小さな敵機の破片が胸元に刺さっていることが確認された。その負傷の弾みで、おそらくポケットのパシフィサイト鉱石が舵瑛の体内に埋め込まれたのだ。やがてその金属成分がイオン化して溶出し、あらゆる体組織に取り込まれた。

 つまり舵瑛の身体は、パシフィサイトの磁性に守られてDEEPのジャックを免れた、と考えられる。


「博士が最後に娘を守り抜いた結果が、胸元のあの傷なのか……」思わず、イブキはそう声に出した。

 初めて、彼女の部屋を訪ねた夜。そして、互いの愛情を確かめ合って、彼女を強く抱きしめた東京の夜。いつもその小さい傷痕が無性に眩しく見え、愛しさを感じたことを思い出す。

「その傷をお前は知ってんのか、イブキ。……そういうことなんだな」

「……想像に任せる」

 ユージは目の前の男の未来を案じつつも、何故か頼もしいとも思い始めていた。

「そういう経緯でタエちゃんはハイブリッドにはならず、DEEPの能力で人間のために戦える女の子になった。『女の子』と呼んでるのは、……とてもとても申し訳ないけれど、『人』ではなくなった、ってことだ」

「女性ではあるが人間の女ではない、ということか」

「限りなく人に近いけれど、人ではない何か……かな」

 ユージはそこまで言うとひと息をつき、真剣な表情になる。

「さ、おめぇにとっちゃ、こっからが本題だ。聞きたくないかもしれねえが、よく聞いてほしい」


 羽佐間舵瑛の目と髪の色が、事故後2年ほどで完全に変化した。それは、実はハイブリッドDEEPには起こらない現象だ。詳しいことは未だ解明されていないが、パシフィサイトがDEEPの寄生を抑制する働きと関連があるらしい。そうして羽佐間舵瑛は、グレージュの髪とシルバーグレイの瞳、ルビーレッドの瞳孔を持つ少女となる。それを機に自慢だった長い髪を切り落とし、染毛とカラーコンタクトで高校生活を乗り切った。

 彼女はとても聡明で、大学へも推薦で半ば請われるように進学した。しかしその頃から、DEEPによる民間区を狙った攻撃が多発するようになる。27エキップは、どうしても舵瑛が秘める強大なその力を借りたかった。組織は舵瑛の大学へ無期限の休学措置を採ってもらい、彼女にひたすら頭を下げて入隊を懇願したという。何度も彼女のもとへ出向いて説得し、人のために能力を活かすことの意義を彼女に問うたのは、あのカズヤだった。孤独だった自分に仲間と居場所を与えてくれたカズヤのことを、今でもタエは恩人だという。


「で、タエちゃんの体の変化に話を戻すか。DEEPの体細胞が寄生性を持ってることは承知のとおりだ。彼女はハイブリッドDEEPと化すことはなかったけれど、その影響で自身の身体に幾分の変異を来たしてる。人に近いが人ではない彼女は、同時にDEEPではないけれどDEEPにも近い。つまり……」

「つまり彼女の体細胞が、誰かの身体を変えてしまう可能性があるとでも……?」

「あるとしたら、そんで誰なのかとしたら、……唯一、彼女と性的に接触したお前だ」

 言葉に詰まったイブキの眼を逸らさせる隙を与えず、ユージは続けた。

「お前は程なくDEEPの力を手にして、人のために戦える存在になる。タエちゃんと同様に心は人のまま、な」

「待て、そんなはずは……。彼女の身体を傷つける結果を招いてはいけないと、然るべき対処はした」

「接触したのはそこだけか!? 違うだろ。あの子を好きで、可愛いと思うのなら、……いろんな愛し方をしたんじゃないのか」

 DEEPの細胞は人体にほんの少数侵入しただけでも、ジャックを試みようとするという。タエのそれも、同様の特性を持っているとしたら……。

「まあ真実を言うと、現時点じゃ2人は異種だ。今のお前がどう愛しても、彼女がお前の子を身篭る可能性はゼロだからその辺は安心しろ……ってのも、変かもしれないがな。

 ただ、お前がそのまま今の身体の変調に何の対処もしなければ、お前とタエちゃんはやがて同種の存在になる。そうなれば愛し合って次の世代を生み、育てられるようになるってことだ」

「そうなのか……。なら僕は迷わないつもりだ。彼女と生きていく以外の選択肢など、思いつかない」

 半ば前のめりになって即答するイブキに、ユージは左手で制止するような手振りを見せる。

「ちょっと待て、一旦冷静に考えてくれ。それは、お前が人間じゃなくなるってことなんだぞ。そうなってしまったら、もう他の生き方は選べない。お前にとってタエちゃんが最初で最後の女、彼女にとってもお前が最初で最後の男になる」

 その忠告も意に介さないといった風情で、イブキはユージの目を真剣な表情で見つめる。

「わかってる。でも迷う理由はない。この世で独りきりの存在として生きていく彼女を、僕は独りきりのままになどさせない。なれるなら、僕がふたり目になる」

「そっか、……そう言うと思ってたけどな。個人的にはそう言ってくれて、ほっとした。でもな、先の長い一生の問題だぞ。念のためよく考えろ。

 ジョシュアに聞いた限り、タイムリミットは明日だ。気が変わったら、本部のメディックかジョシュアの所へ行け。──お前のことだ、行かねえだろうけどな」




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