第22話

 ジョシュアとカズヤ、ユージの幹部3人は午後から休日返上で、A79戦後の緊急会議を行っていた。おもな議題は、タエとイブキの2人が起こしたと思われる「奇跡」に関することだ。

 2人のオンボードが互いへの愛情を募らせたことで、自機を遠隔から操れるほど強力なインターナルグルーヴを発した。当事者のゴーストを呼び寄せ、それに操縦を任せられるほど強い感応共振──それは、ジョシュアが予め立てていた仮説通りの事象だった。

 しかし、あの「奇跡」はおそらく再現性を伴うものではないだろうとジョシュアは結論付けた。IGFと強力に感応共振できるインターナルグルーヴを秘めた、バイザーオンボード同士が愛し合ったこと。そして、タエが隠し続けてきた自らの破壊衝動を発現させ、イブキがそれを命懸けで阻止するという極限状況のなかで2人が心を通わせたこと。それらの複雑な事象が絡み合って起きた本当の「奇跡」だけに、2度これが起こることはないだろう──とのことだった。

「ただ、同じことは2度起きないにせよ、おそらくあの2人の心と身体のなかで『奇跡』は、形を変えながらまだ続くだろうね」

 体調を考えてごくたまにしか嗜まないという旧式の紙巻きたばこに火を灯しつつ、ジョシュアは珍しく神妙に言った。カズヤはその言葉尻を捉えるように、即座に訊き返す。

「待ってください、それはいったい?」

「そうだね。……少し込み入った話になってしまうが、きみたちには言っておくか。特にユージくんは彼らの友人として、聞くのが辛い話になるかもしれないが、ね」

 独特の強い香りを放つ煙を吐き出しながら、ジョシュアは重い口を開いた。




28.  絶白 (Absolute white)


 翌日。

 カズヤは「多大な負担を考慮し、休養が急務」という理由で、イブキとタエの2人に3日間の完全休暇を命じた。とはいえ民間居住区へ遊びに行くわけでもなく、そのまま普通に宿舎棟で過ごしそうな2人ではある。

 イブキとタエがお互いの部屋を行き来しても、さすがにもう誰も何も言わない。イブキは相変わらずメンバーに対してはいつもの素っ気ない態度で接しているけれど、気がついたらタエの部屋によく来るようになっていた。とはいっても、ただただ黙って彼女の部屋で過ごしているだけだ。そして、眠くなるとふらりと自室に戻っていく。

 休暇が始まる前日もそんな調子で、イブキがタエの部屋を徒然に訪ねてきた。

「いらっしゃい。何か飲む?」

 イブキはタエの問いに軽く首を横に振ると、そのまま部屋へ入りソファーに腰掛けた。

「来るなら、ひとこと言ってくれたらいいのに。お休みだっていうから、何しようかって思っててちょっと散らかしちゃった」

「明日、どこかに行かないか」

「えっ!?」あまりに意外なひと言がイブキの口から出てきたせいで、タエは手に持っていた本を落としそうになる。

「きみと2人きりで、過ごしてみたくなった」

「……はい」

 意外すぎる提案に、タエも思わず敬語が戻ってしまう。あの戦いを経て、2人の絆は段違いに深まった。けれど、具体的な関係はあのGバリケードを解除してしたキス以来、なにも進展していないのだ。そんななかで、いきなり旅の誘いである。

 心の高まりが、胸の奥を軽くつつく。

「ここにいても、どうせ喧しいのが2人来るだろう?」と、イブキは少し遠慮気味に言った。ここで言うところの「喧しいの」とは、「1番機」と「2番機」のことで間違いないだろう。タエはちょっと申し訳ない気持ちになって、下を向く。

 そんな具合で、2人の民間居住区への旅の予定が急遽決まった。休暇を命じたカズヤが、おそらくこのタイミングで2人の関係を進展させるつもりだったのかもしれない。というか、99%そうにちがいない。


「びっくり。イブキって、運転免許持ってたんだ。うふふ」

「──何がおかしい?」

「可笑しいに決まってる。みんなに話したら、きっと大笑いされるよ」

 2人で、東京の街を……そもそも民間居住区を訪ねるのは、もちろん初めてだ。しかも、ドライブデートというまさかの付加価値が付いてきた。

「間違っても話さないでくれよ。あいつら絶対、僕を面白がって足に使うに決まってる」

 27エキップのクルーに関する民間人時代の個人情報は、すべて個々のクルー・タリスマンに格納されている。民間人だった頃に何らかの免許や資格を取得していれば、クルー・タリスマンを介して民間居住区での行使や更新が可能になっているというわけだ。

 クルーの自家用車も、民間区に戻った時のために本部東京ブランチで一括管理される。専用の管理センターで、漏れなくメンテナンスを受け続けられるのだ。

 2人は車に乗り込み、イブキがスタートスイッチをオンにする。27エキップ構内を走る自動運転車とは、まるで趣の違うノイズと給排気音が2人を包んだ。

 驚いたタエが、運転席のイブキに話しかける。

「いつも構内で乗る車と、全然違う……。リバースGの音じゃない」

「燃料を直接燃やして走る車のほうが好きなんだ」

「燃料……なんだか懐かしいね。燃やすのは何?」

「水素だ」

 少し得意げな眼差しを隣にちらりと向けると、イブキは強くアクセルを踏んだ。

 あっという間に窓の景色が流れ去り、さっきまでそこにあったはずの世界が一瞬で過去に変わっていくかのようだ。

「凄いね。バイザーを脱いでIGFに乗ったときみたい」

「内燃機関──、旧式の原動機のお陰だ。倒置重力機構と比較すれば煩いし、荒っぽくてスムーズじゃない。けど、パワーが違うだろう。これじゃないとダメだ、と思わせる魅力がある」

 珍しく雄弁になるイブキの横顔を、タエは微笑みながら見つめた。この人の好きなものを日々新たに知れる今は、たぶん過去のいつよりも幸福だ。

「話してることの意味はよく分からないけど、聞いてると嬉しくなる。イブキが、楽しそうだから」

「ああ、分からなくていい。満足げに話すなぁ、コイツ……って思いながら、笑って聞いてくれれば十分だ」

 24時間、極彩色に染められたままのネオンサインやビルボードたち。ここで暮らす人たちは、明日が来ないかもしれないなどと想像することさえ、一瞬たりともないのだろう。そして自分たちは、本当は危うい彼らの明日への確信を奪わせないために、己の日常を封印して戦う。

「どこに行きたい?」イブキが訊く。──そんなの、一緒に行けるところなら、どこにでも連れて行ってほしいに決まってる。でも、2人一緒にたどり着きたいと心から思う場所は、1つしかなかった。タエはそのひと言を、イチかバチかのような心持ちを喉に掠らせながら声にする。

「明日……かな」

 ガンメタリックの2ドアクーペを、首都高のゲートが呑み込む。灯りから影、影から灯りと真っ白な照明が連続し、疾走する夜が容赦なく切り抜かれていく。未来へ逃げ切ろうとする2人の運命の往く先を知る、巨大な飴色の渦がその先には待つのかもしれない。

「明日、か……」

 独り言のように、イブキがそう復唱する。その後、隣りのタエを一瞥して、安堵と冷笑の中間のような溜息をフッと洩らす。

 タエは思う。──私たちが人知れず戦い、衛っているこの街は……この夜は、今も本当に美しいですか。

 一瞬、一瞬を絶え間なく切り取り続け、後方へと流れる絶白の光を浴びながら、私の愛しい人は少し困惑したように言うのだ。

「明日は、──どっちだろうな」


 東京都内にある27エキップのクルー専用宿舎に、2人は泊まることにしていた。部屋は、幾分落ち着いた照明が気持ちをホッとさせる綺麗なところだった。

「ほら、わたしね、身体に傷がいっぱいあるでしょ。1人きりで入れる大きなお風呂があって、嬉しかったの。気持ちよかったし、ここなら何度でも来たいなあ。ね、イブキもそう思う?」

「たしかに良いところだ。クルーは全員、命懸けで現場を張ってるわけだし、職務中に重大な負傷を経験する者も居ないわけじゃない。そこは、ウチの組織のマネジメントも分かっていての計らいなんだろう」

 普段、身体に数多くの傷痕を残すタエが公衆の入浴施設を利用することは、ほとんどない。ここの客室すべてに、数人が同時に入れるくらい広々としたバスルームがあり、それを独占できることが彼女はそうとう気に入ったようだ。部屋に用意された可愛らしいバスローブをずいぶんと嬉しそうに羽織り、腕や脚にクリームを塗って手入れをしている。その匂いなのか、タエがいつも纏うあの香りが次第に室内を満たしていく。それを感じとったイブキは、たちまち自身の気持ちと身体が、タエの部屋を初めて訪ねたあの夜へと返っていくのを、もう止められなくなっていた。

「タエ」

 背後から突然そう呼ばれたのでタエは少し驚き、イブキを振り返って見た。

「どうしたの、急に」

 イブキはベッドに腰掛け、戸惑うタエの瞳を真っ直ぐ見つめながら、自分の隣を指す。

「──来るか」

「えっ、……はい」

 タエは頬を染め、少し迷いを見せながらもおずおずと歩み寄り、目を伏せて隣にそっと腰掛けた。その細い身体を長い腕が強く抱き、深いキスが始まる。華奢な背中をそっと這う右手がバスローブをするりと払って落とし、羽根のように軽くしなやかな上半身をゆっくりとベッドに倒した。


 イブキが目覚めると、窓の外は夜明けの少し前だった。仮想ユートピアのように整然とした街並みの27エキップで過ごす日常に、気づいたらもう慣れてしまっていた。しかし、洗練と悪趣味が猥雑に交錯しながら築かれている東京の街並も、なぜか懐かしい。

 眠っていた間もずっと固く抱き留めていた、温かく柔らかな愛しいひとの裸身を確かめ、右の手でそっとその髪に触れる。

 ──夢ではなかったんだ、昨夜のことは……。無我夢中で確かめた、熱くも清らかな肌の感触。そして、真っ白な閃光に身を貫かれるようだったあの絶頂と一体感。

 イブキは安堵し、小さく溜め息を洩らす。ふと隣にもう一度目を遣ると、タエもぼんやりと横たわったまま目を少し開きかけていた。

 想いが深くなりすぎて、どう彼女に伝えるべきかわからない。あんなに愛しい気持ちを速めるまま抱いたのに、まだ彼女──タエという女のすべてを知ったとは、到底思えないのだ。

 昨夜、2人に起こった出来事たちの確証を得たくなり、今思っている正直な心持ちをタエの耳元でそっと囁いてみる。

「──きみは、何者だ?」

 彼女は、まだ半分眠っているかのような気だるく小さな声で、恥じらうように背を向けこう答えた。

「……ただの女です」

 押し寄せる波のように愛しさが胸の奥から込み上げ、イブキはタエのか細い背中を後ろからきつく抱いた。

「もう離したくない」

 タエは深く息を吐き、腕の中で少し身体を震わせた。そして、思いがけないことを口にする。

「でも、もし私がどこかへ行ってしまったら? 一緒に戦っている限り、有り得るよ。この前も、あなたが来てくれなかったら、そうなっていたんだよ」

「毎日のように、泣いてしまうかもしれない」

「──うふふ。なあに? それ。本当に、そう思ってる?」

 タエは手を伸ばし、上段窓のブラインドだけを開けた。明るくなり始めた空に、都市の空虚な白さを映した月が上っている。深い藍色に透明を混ぜたような色を見せ始めた四角い朝を見上げながら、イブキはその背中に呼びかけた。

「タエ?」

 タエは、振り返らずに答える。

「なあに?」

「きみが話す言葉は、ぜんぶ溜め息みたいだ」

 そして、彼女を抱きしめる腕に、さらに力を込めた。

「何があっても、僕を置いていくな」

「心配しないで。どこにいたって、あなたを守れるから」

 タエはそう言って、少し切なく笑うのだ。──こんなに綺麗だったろうか。少女のままだと思っていたのに、大人の顔になった。

「違うんだ、約束してほしい。決して僕のそばを離れることはないって」

「……そうしたいと思ってる」

 タエは遠い視線を、窓の外の街並みへと移す。イブキが求める約束に、応じることはなかった。

 もう、自分たちがこの街で普通に暮らせる普通の人間として戻ってこれることは、きっとないだろう。それでも、ここで暮らす人達が決して知り得ない『記号』同士で構わないから、ここで結ばれたかった。

 そう願っていたから、2人でここへ辿り着いたのだと思う。

 初めて知った。

 愛が強くなるほど、幸福なのに悲しくなることを。


 朝の日が、少し高く昇った。ふわふわのルームウェアを着てシャワールームから出てきたタエをベッドにちょこんと座らせ、イブキは目を細めてその頬をそっと撫でる。ひゃっ、という声をあげて嬉しそうに笑うタエを優しく見つめながら、イブキは話し始めた。

「僕の昔の話だ。少しだけ聞いてほしい。生涯でたった1人、親友と呼んでもいい友達がいた」

「え、あなたに友達なんて本当にいたの?」

「なんだか、酷い言われようだな……。中学生のころ、そいつが転校してきて仲良くなった。でも高校で別々になって、僕にはまた友達なんかいなくなったけど」

 そして数年が経ち、就職したその場所で図らずも親友と再会する。イブキはメーカーの研究員研修生として、内勤の部署で働くことになった。親友の彼は、激務といわれる総合職の看板部署で配属直後から世界中への出張を繰り返す仕事に就く。

「あいつ、身体も心もぼろぼろになりながら寝ないで働いてて……。少しでも気を休めてやりたくて、一緒に出勤したり帰りは寄り道に誘ったり、何かと面倒を見てやっていた……つもりでいた。あの頃の僕は、それであいつを救えると思った。救えたと、思ってしまっていたんだ」

 ──今でも夢を見る。笑顔が戻ったと思っていた親友が、微笑みながら握った手を離して自分のもとから走り去る夢。

「でもな。少し良くなった時が、逆に危険だってことを僕は知らなかった。帰りに誘ったらあいつニコニコしながら『ちょっと寄り道する』って言うから、やばいって思って咄嗟に腕を握った。でも」

 その手は、優しい目をした彼に解かれた。そして、

「あいつさ、そのまま──」

 自分の目の前で、地上15階の屋上から飛び降りた。

 その出来事の大きなショックで心身に不調を来し、イブキは仕事を辞めた。そして気づいたら流れ着くように、ここ27エキップにやって来ていたのだ。

「みんな、僕の手を離して遠くに行ってしまう。……家族、親友、そしてきみもあの時去りかけた。今度こそ、本当に終わりだと思ってしまいそうになった」

 タエは悲しげな目になり、黙ったまま両手でイブキの右手を包み込むように握った。

「そんな顔をするな。きみを取り戻せただけで十分だ。去る者を追ったなんて、初めてだったから」

 イブキの言葉に、タエは黙って微笑むと自分のクルー・タリスマンのカバーを開き、待機画面を見せる。

「ね、それじゃ、わたしのこれも見て。父さんと母さん、そして弟。その隣が、わたし」

 わたし、と指した人物の出で立ちに、イブキは驚く。長い黒髪に、焦茶色の瞳の少女が立っている。しかしその顔立ちは今とほぼ変わらず、可憐で愛らしかった。

「これは、……きみなのか」

「うん。髪と目の色はね、15歳になるくらいまでの間に徐々に変わってね、今みたいになった」

 あるはずのないことが、この写真を撮った後に起こったということか──。今のタエの、瞳の桃色の虹彩や淡いグレージュの髪、そしてその身に悉く纏わりつく、さまざまで不思議な事象や心身の様子の変化。

 おそらくはこの写真の直後、この子の身に何かがあったのだ。あのA形態の艦内で、あそこまで激しくDEEPへの憎悪を顕にすることになる程の何かが。

 今は彼女自身に、それを訊くつもりはなかった。そのうち、嫌でも知る日を迎えるだろうことだ。


 愛するこのひとは、もう人間の女ではないのかもしれない。

 いや。

 たとえそうだったとしても──構うものか。

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