第20話

 ナナカは、目の前で展開されるその光景を、現実のものとは信じたくなかった。止まらない涙を拭うこともできず、茫然と立ち尽くしている。

「ジョシュア。捕捉番号:49の諸調査が済んだら、戦闘で死亡したクルーと同じように葬ってやってください。──頼みます」

 カズヤがそう言うと、ジョシュアは複雑な表情のまま黙って頷いた。それを見届けるとカズヤはナナカへと視線を移し、幾分申し訳なさげに声をかける。

「きみが悔やんだり、泣いたりする必要はない。敵となった彼女より、きみのほうが強かった。だから、勝てた。それだけのことだ。──戦いというのは、そういうものだろう」

 ナナカ自身は涙を止めたいのだが、泣き止まない子供のように泣くのをやめることができない。本来、涙声でしたい話ではなかったが、止むを得ずに口を開く。

「カズヤ、──あの人で、何人目だったの……」

 それは、DEEPに捕えられ戻ってこなかった仲間をカズヤは何人見送ったの、という意味だった。カズヤもその言葉の意味を瞬時に理解し、こう答える。

「彼女で、5人目だった。だから、タエが6人目にならなくて本当に良かった」

 もうすでにほぼ勘づいていたことだったが、ナナカは意を決してカズヤにこう尋ねる。

「あの……。カズヤの、そのスーツ……」

 そう言って自分の顔を見上げてくるナナカを優しく見つめ返すと、カズヤは大きな手をナナカの額に置く。

「そうか。私の黒い服の意味が、きみには分かってしまうんだな……」

 黒の幹部スーツは、既に5人の部下を見送り、新たな部下たちをも見送るかもしれないことへの、カズヤの覚悟の象徴だった。そして、適性を見出し才を生かす上官でありながら、時に育てた部下を地獄へ送る死神ともなり得る……。そんな責務に対する、慎みの表れでもあったのだ。

「額が熱いな……高熱が出ているようだし、ひとりで歩いて戻れそうにないだろう。ナナカ、肩に寄りかかっていいぞ」

 カズヤは遠慮するナナカの手を取り、自分の肩に回させる。そして、彼女の危うい足取りに歩調を合わせ、廊下へと出た。

「あと数日は、緊急出撃の可能性も限りなく低い。きみにも過労の症状が出ているのだし、少し休養したらいい。しばらくは、他の部隊に任せて大丈夫だ」

 そのひと言に、緊張の糸がぷつりと切れてしまった。ナナカは肩を貸されながら、そのまま眠ってしまう。結局、カズヤはぐっすり眠ったナナカを背負って、宿舎棟へ戻ることにした。

 ナナカは眠りに落ちる瞬間、涙を零す間もなく少しだけ、こんなことを思った。

 ──ああ、この人は与えられた責務と宿命に身を捧げる決心をしてしまったんだ。もう、生涯を懸けて1人の女を愛することなど、金輪際できないんだろうな……。

「遅かった……。私、遅かったんだ……」

 何度も耳元でそう譫言を言うナナカに、カズヤは小さな声でそっと答えた。

「なんの夢を見ている? ずいぶんと悲しいことを言うな」

 後ろを黙ってニヤニヤしながら歩いていたジョシュアが、カズヤの背中へ向かって釘を刺すように言う。

「おいおい。ナナカちゃんを、どこへ連れて行くつもりだ」

「発熱していますし、いったん休ませます」

「ふーん……」

「何を考えてるんですか……。負担をかけたのは私なんで、責任をもって看るだけです」

 目を合わせることなくそう答えるカズヤに対し、ジョシュアは軽く煽るような口調になる。

「発熱を伴う症状があれば、その旨メディックへ申し送りするのが本筋だな。まあ、急に倒れたとなると、きみがメディックに代わる役割を務める他ないという言い分も通用する……か。なるほど、じゃあ協力してやってもいい」

 言い終えたジョシュアは、思い出したようにもうひと言を付け加えた。

「きみと僕の大事な部下だ。よろしく頼んだぞ」




26.  夢 (The dream)


 夢など見る余裕もなく、ただただ眠ることに集中していたように思う。目覚めると、いつもより幾分開放的な空間がそこにあることを、全身の皮膚が瞬時に感じとった。そして、窓の外に目を遣る。宿舎棟の窓から見えるいつもの景色はそこにあるけれど、自分の居室とは景観の位置と角度が違っていた。

 クルー・タリスマンは、いつも通り頭の左横に置かれている。自分のインターナルグルーヴを、もっとも強く感知できる場所で、今日も寄り添ってくれていた。時刻は、7時45分。──ただ、時刻表示の隣の日付を確認し、ナナカは驚いた勢いで、上半身を弾かれたように少し背後へ引いてしまう。

 ──うそ、確実に寝すぎてる……。

「目が覚めたか。……いや、意識が戻ったか、と言っていいくらい長く眠っていたな」

 聞き慣れた声だった。その声のする方角に目を遣ると、初めて見る私服姿の指揮官の姿が視界に入ってくる。

「なんで私、寝てたんだろ……そして、ここは何なの」

 まだ夢でも見ているような浮遊感が抜けず、ナナカはつい独り言を口にする。

「何なの、とか言うな。私の居室だ」

「えええ!!」

 今度は、驚きのあまりベッドの上で飛び上がってしまう。他意はなかったが、両手を身体の手前でクロスさせながら、つい着衣の状態を確認してしまった。部隊服──ローズピンクのブレザーと、27エキップチェック柄のプリーツミニスカート──は、ベッド脇にハンガーで掛けられている。

 と、いうことは……。

「勝手に、着ていた服を緩めさせてもらった。年頃なのに、恥ずかしい思いをさせて申し訳ない。しかしきみはあの場で急に倒れたこともあって、介助や監督なしに1人で休ませることは危険だった。だからあまり動かさないよう、近くのここへ連れてきたまでだ」

 ナナカは、アンダーウェア1枚でベッドに横たえられていた。普通ならば、眠っている間に何があったのか疑わしく思ってしまうだろう。しかし、カズヤはその程度の介助など当然という風情で、疚しさの欠片もない顔つきだった。

「戦闘で負傷したりパニックに陥ったりした部下を、何度もこうやって看てきた。私を含めた防衛班幹部は全員、救急救命措置に関する技術を身に着け、資格も所持している」

「は、はあ……」

 でも、メディックに一声かける方法もあるのに……と、言おうとしてその言葉を呑み込んだ。実際ナナカ自身も、過労程度でメディカル棟に入院するのは息が詰まる。正直、うっかりこの部屋に来れたことの方が嬉しかった。

「丸1日近く、眠っていたんだ。身体の汗や埃を、流したいだろう? シャワーを浴びてくるといい。下着やブラウスも、その間に洗濯乾燥して構わない」

「カズヤは、……昨夜、どこで寝ていたんですか」

「ん? 当然ここだ。たまに水を飲ませ、汗を拭いてやらなければならなかったからな」

「えええええ!」

「いったいなにを想像している……そんな場合か。急病人に対して変な気を起こすやつこそ、人でなしで薄情だ」

 個人の裁量で自分をここへ連れてきたにも関わらず、あくまで上官と部下の関係性を維持できるメンタリティはさすがだと、ナナカは少しだけ思う。

 幹部ステーションの個室に呼び出されたとき、気分が高揚した勢いで好きだと告白したことを思い起こす。現在のカズヤの態度とも相まって、余計に自分の未熟さと不安定さが露見してしまったようだ。カズヤはそんなナナカを幾分宥めるような表情になり、もうひと言付け加える。

「それと、蛇足かもしれないが……。捕捉番号:49の負傷は、Gウェブによる拘束を避けようとして操縦を誤ったことによる、周辺構造物への衝突が直接要因だ。先刻、モニター班のコーディが調査結果を連絡してくれた。彼女はきみの攻撃で、命を落としたのではない。安心しろ」

「そうですか、……。無論、それでホッとする訳にはいかないとは思っています。でも、伝えてくださって……そして、ここで私を休ませてくださって、……ありがとうございます」

「感謝されるために、急病人を看るわけじゃない。礼などされるに及ばないことをしたまでだが、熱が下がって良かったな。シャワーと言わずバスタブにでも浸かりながら、疲れを取ってもいいだろう。──早く行け」

 投げ渡されたバスローブを受け取って羽織ると、ナナカは逃げるようにカズヤの部屋のバスルームへ向かった。その背中に向け、カズヤがもうひと言を付け加える。

「クルー・タリスマンのトークオン機能を開放しておけ。湯にでも浸かって気持ちを落ち着けながら、聞いてほしい話がある」


 バスタブにお湯を張って身体を沈めると、固く緊張した関節という関節がとろけるように柔軟に戻っていった。丸2日近く食事をとっていないナナカを気遣って、カズヤが渡してくれたクルー向けの非常時用糧食を口にする。いつもは、1番美味しいと感じるはずの紅茶味のニュートリションジェルが、今朝は幾分ほろ苦く感じた。

 と、クルー・タリスマンのトークオンランプが点灯し、浴室内に指揮官の声が響く。

「そろそろ落ち着いたか」

「はい……。お陰様で、どうにか」

「昨日の、返事をしたい。現状の最大限の誠意を以て、答えさせてもらう」

 たぶん、2日前にナナカが「勢いで告ってしまった」ことに対する、何らかの返答だろう。職務に関係のない、そんな面倒な話ですらこの人は有耶無耶にしようとはしない。

「きみから、あのように言って貰えたことは、今も変わらず光栄に感じる。ただ、同時にきみが部下としてさらに優秀に、有能に育ってもらいたいという気持ちも強い」

「えっ……。でも私は、ユージやタエちゃんみたいにIGFとのエンパッシブスコアが優れているわけじゃない。ろくな仕事ができていない分、焦っていたかもしれません。あなたの、──カズヤの力を借りて、強くなれるなら……なんて、そんな邪念がなかった訳じゃないと思ってます。──ごめんなさい」

 ナナカのクルー・タリスマンから、フッと微かに笑う指揮官の声が聴こえた。

「謝罪には及ばない。なぜなら、そういう考え方も別段不健全ではないからだ。アイコンブレイバーを操る女性オンボードが、他者への恋愛感情を磨き整備することで、その能力を高めていくのは事実だ。……ゆえに、27エキップでは組織としてもクルー同士の恋愛や結婚を、禁じてはいない」

「でも、カズヤにとって私なんて、単なる一部下でしかないはず。それは、承知しているつもりです」

「いや。……きみはチームの作業のなかで、きみが思っているよりは私の心を強く動かしているぞ」

 ナナカはまた驚き、バスタブの中で身体をぴょんと飛びあがらせた。

「えええええ!! うそ……」

「プライマルが、その部下に嘘をわざわざ教えると思うか。……きみが、あの捕捉番号:49のC形態と戦っていたときのマリエッタの動きと攻めは、とても斬新で実効的で美しかった。私も、つい大きな声できみに檄を飛ばしてしまったのを憶えている」

 ナナカも、あの戦いの一部始終を思い返した。Gウェブを張って、C形態を追い詰めた瞬間に聞こえた「そいつを、そのまま刺せ」という声──。

「あれを言ってくださったのは、カズヤだったんですか……」

「まだ新人で真っ白だったきみが、不意に付けられた微かな汚れに対し、全力で拒絶と怒りの心を解放しているように、私には見えた」

 ポカンとして返答のしようがないナナカの様子を察したように、カズヤはさらに続けた。

「真っ白いものは、いつか汚れる。その染みをどこまで容認し、どの一線から拒否するかで、その人の人生における戦い方が決まる。きみは……、オンボードとして理想に適う素質を持っているように思えるぞ」

「待ってください、何を言ってるんですか。まさか非番だから朝から酔ってるとか、そんなことありませんよね」

 それは、明らかに自分が望んでいた答えだったかもしれないのに、不思議とナナカは躊躇してしまう。

「最後まで聞いてほしい。それだけに、きみを今すぐ私だけの手の内に収めてしまうのは惜しい。いや、……ナナカ、きみがその程度の居場所に早々と収まってしまう器だとは、到底思えない」

 このカズヤの言葉は、少し前にヌウスが言ったあの言葉と同じだ、と思った。「ねえナナカちゃん、きみっていったい何者なの」……。

 しかし、自分が何者かであると思えるような心当たりなど、まったくないことは今でも変わっていない。

「そんな……。私は何者でもないし、何かになりたいなんて2度と思えるような立場でもありません」

「そうか? 確かにきみは、大きな失望を経験してここに来た。初めは、よく居るタイプのオンボードだと思っていたんだ。しかし初出撃のとき、敵を撃つことを敢えて先達に任せ、仲間を助けるために慣れない武装を使いこなした判断は、冷静で新人とは思えなかった」

 カナリヤが敵に飛行を阻まれ、Gウェブを張ってなんとかリオナを落水から守ったあの時のことだろうか。ナナカは、その意外な指摘に幾分恥じらった。

「必死だっただけです。あの日のこと、私は何もできなかった不甲斐なさしか、記憶していないのに……」

「きみは心優しく、それでいてしたたかだ。そのどちらが欠けていても、オンボードとしては戦えない。誇っていいことだし、そういうきみのことを……私は、ときに眩しく感じていた」

 このひと言には、ナナカもさすがに不意を突かれて頬を紅く染めてしまった。驚いて身体をびくつかせた為に、一杯に張ったバスタブのお湯がザッと少量流れ落ちる。その音が響き、それを聞き取ったカズヤはまたフッと笑って続けた。

「ただ、今はすぐにきみの気持ちに応えるのは難しい。無論、ユタカの喪に服したい気持ちがあるというのも理由のひとつだ。──それに、きみはここでもっと自由にやるべきだろう。自らの居場所で存分にやりきったきみが、いつか私の元へひらりと舞い降りてくるのを、私は待っていようと思う」

 そのカズヤの言葉を聞き、ナナカは思った。この人は、かつての婚約者を目の前で失ったばかり……。部下の告白になど、すぐ応じられる精神状態ではなくて当然だ。それにもかかわらず、この人は現状でおそらくは最大限誠実な回答をしてくれているんだ、と。

「身勝手かもしれないことは、承知している。しかし私は、──誰のものにもならないきみが輝いていくさまを、もう少し見ていたい」


 これは、夢かな?

 そう思いながら、現実味のないふわふわとした心持ちで、ナナカはカズヤの部屋を出た。

 カズヤによると、医師でもあるジョシュアが何度か部屋を訪ね、寝ている間に点滴を打ってくれるなどしたそうだ。1度、こっそり礼をしに行かなければ。

 そんなことを漠然と考えながらエレベーターを待っていると、クルー・タリスマンがメッセージを受信した。

 ユージからだ。

『過労で寝込んでいたって、大丈夫だったか』

『うん、大丈夫』

『時間が取れるなら、クルーピットでランチにしないか』

『いいよ』

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