第19話

 アイコンブレイバーは、基本的には1名搭乗の機体だ。救出活動などを想定してエマージェンシーシートが設けられ最大3名まで乗れるが、基本的に機内は狭い。

 ナナカの背後のシートに搭乗したヌウスは、あろうことか悉く積極的に距離を詰め、何かと囁きかけて来ようとする。

「なんでそんなに近いのよ! カズヤから許可を得る間もなく、出撃してるんだから。少し行動を慎んで」

「──そうだね。指揮官がこんなところを見たら、なんて言うかな……。だって、きみはあの指揮官のこと、好きだよね?」

「えっ、……」言葉に詰まるナナカの耳元に、ヌウスはさらに顔を近づけ囁きかけようとする。彼の呼吸音がはっきりと感じ取れ、図らずも背すじがびくついた。

「嫌だな、僕は。だって、大人すぎる。きみが彼と大人の恋をするなんて、想像するだけで妬けちゃうんだ」

「ちょっと、何言ってるの」

「きみは、僕の好きな甘くて白いケーキみたいに可愛らしいのに。大人にならなくっても、いいじゃない。お伽話みたいな恋を、いつまでもしていようよ」

「もうよして。集中できなくなる」

「そうかな? ご覧よ、この機体の出力限界に迫るくらい今日のきみはパワフルだよ。さ、行くよ。今までのどんな戦いよりも、今日のきみは強いみたいじゃない?」

 ──確かにそうだった。湧き上がってくる、このモチベーションはなんなのだろう。初めてマリエッタとLAGしたときも、身体に込めた力がマシンで何倍、何十倍にも増幅される爽快感が忘れられなかった。でも今日は、たぶんそれ以上のパワーをこの機体に伝えられそうだ。

「だったら、とにかくやってみる。……あなたは、あんまり余計なちょっかい出さないでね」

「わかったよ。時と場合によるけどね」

「……もう!」


 このA形態の基幹ユニットと動力系をつないでいるのは、夥しい本数のケーブルだという。そしてカバーに覆われたケーブルの束が、外部から確認できる部分は1箇所のみとのことだ。ヌウスはすぐにそれを見つけ、マリエッタを向かわせる。

「あの硬いカバーを破壊して、膨大な数のケーブルを一気にすべて切断するんだよ。もちろん少しずつでもいいけど、時間が足りないかもしれない。なるべく、ひと息に終わらせよう。わかったね、ナナカちゃん」

「うん、やってみる」

「DEEPめ、ここが弱点だなどと思ってすらいないだろ……!」

 ヌウスはニヤリと笑い、勝ちを確信した表情になった。マリエッタはウイングダガーを連投し、まずはケーブル群のカバーに風穴を開ける。露出したケーブル群の姿を目の当たりにし、ナナカは思わず呟いた。

「これ、ほんとうに光ってるんだ。光の束みたい」

「ほら、見とれていないで。時間が、もうあんまりないよ」

 海面に、濃い藍色に見える箇所が増えてきた。そろそろ、海溝の真上に近づいているのだろう。この状況で船が自爆したら、自分たちどころかここにいるメンバーはひとたまりもない。そして、救助されたタエとイブキも精神的に無事では済まないだろう。

 マリエッタは何発かビームを放ち、ケーブルを覆う結束帯のようなものをあらかじめ傷つけておく。そうしたうえで、出力を最大レベルまで上げたウイングダガーを8発見舞った。ナナカの狙い通り、ウイングダガーは狭い隙間にも確実に進入し、ケーブル群に立て続けにダメージを与えている。ケーブルたちは、千切れる瞬間に何とも言えない虹色の閃光を放ち、2人の眼を次々と幻惑した。

「きれい、だけど……ちょっとこの光、怖い」

「ナナカちゃん、あんまり見つめちゃだめだ。持っていかれる!」

 ヌウスのほうを見ると、彼は目を閉じていた。バイザーオンボードは、この船とLAGできる力を持っている。彼はおそらく、ケーブルの切断時に洩れる強い光に同調してしまわないよう、自身を守っているのだ。

「ナナカちゃん、油断しちゃだめ! きみは今、これまででもっとも高い能力で戦えている。おそらくは、バイザーオンボードに相当する力を出せているんだ。安易に光に近づくと、回路の断末魔に飛び込んでしまうよ! 絶対に、あの光を見るんじゃない。きみも引き込まれて、そのまま消される!!」

 茫然とするナナカの目が忽ち虚ろになり、その腰がふわりと浮く。

「行かせない!!」

 ヌウスはナナカを背後から両手で強く抱きかかえ、持っていかれようとする身体を必死で支えた。


 幾許かの時間が、経過したのだと思う。やがて光は弱まっていき、完全にケーブルの切断が完了したことを2人に教えた。

「──終わったよ」

 ヌウスの声にナナカが目を開けると、光はすっかり止んでいた。

「……船を、止められたの……?」

「そう。あとは、みんなを脱出させるだけだ。船がすべての機能を停止したから、27エキップの通信も使えるだろう。ナナカちゃん、みんなに声をかけて!」

「わかった!」

 ナナカは通信をオンにし、急いで全員に呼びかけた。

「完全制圧、完全制圧しました! このA形態は、じき沈みます。トップ=スクワッド及びDスクワッドのメンバーは可及的速やかに艦内から離脱し、ドックポートへ帰還してください!」

 

 長い長い戦闘が、とりあえずは収束した。

 一旦DEEPに捕えられたタエと、A形態の艦内で長時間過ごしたイブキの2人は、メディカルチェックを受けるため本部メディカルセンターに入院している。他のメンバーもかなり疲労しているため、翌日1日は暫定的に待機込みの非番となった。

 ──が、指揮官のカズヤに呼ばれ、幹部ステーション内の個室に赴いているメンバーが1人いる。

 ナナカだった。

「さしあたり、あのA形態の回路切断までの経緯を、聞かせてもらいたい」

 部屋を訪ねたナナカに、カズヤはそう言った。仕方なかったとはいえ、指揮官の許可を得ずメンバー外のクルーと作業をしたため、説明を求められていたのだ。

 ナナカは包み隠さず事の一部始終をカズヤに話したが、さすがにヌウスがやたらと自分に接近してきたことは黙っていた。

「なるほど……。敵機のケーブルを物理的に切り離したクルーは、これまで誰もいなかった。前例はないものの、……攻撃のレベルとしては相当に高い、な」

「──そうなんですか?」

「ああ。きみも、強くなったんだな」

 カズヤは笑みを浮かべ、ナナカの顔を見る。ナナカは照れるしかなくなり、こんな顔は見られたくないと思いつつ頬を真っ赤にした。

「初めて、カズヤに褒めて貰えた気がします」

「ん? そうか? 言葉にしていなくても、表情や視線できみのことはいつも評価しているつもりだ」

 ナナカは思った。──この人は「人たらし」だな、と。カズヤという男は下心などまるでなく、他人に分け隔てなく優しくできる人物であることは間違いない。しかし、その優しさが悉く「特別扱い」なのだ。

 おそらくは、誰に対しても。

 ゆえに、カズヤと接する大半の人が、「この人は自分を特別な存在として見てくれている」と、勘違いしてしまう。

 この人に片思いしてしまったら、1人で苦しむことになるかもしれない。以前から、薄々そうは感じていた。──でも、その気持ちが自分自身で止められないところまで来てしまったのかもしれない。

 ナナカは、カズヤの微笑みと自分に対する眼差しの優しさに、一瞬正常な判断能力を奪われてしまったのだと思った。

 ──こんな言葉を、この人に言ってしまうなんて。

「本当ですか? そんな事言われたら私、簡単に本気にしますよ」




25.  さよなら (Sayonara)


「あなたが指揮官だから、……あ、あの、こ、恋して、強くなれたんじゃないかって思ってます」

 ナナカのその言葉に、カズヤは一瞬怯むような表情を見せたが、そのあとフッと微かに笑った。

「ありがとう。内心かなり驚いたが、きみにそう言って貰えるのは光栄だ。けれど、ちょっと急だな。それに返答をするまでには、少しだけ考える時間がほしい」

 そうカズヤが言い終えたタイミングで、もう1人部屋に客人がやってきたようだ。ナナカとカズヤが同時に振り返ると、訪ねてきたのはジョシュアだった。

「カズヤ、例のC形態のパイロットを見に来てくれ」

 Gウェブで捕捉しナナカの手で止めを刺した、あのC形態のことだろう。乗員は重傷を負い、27エキップが調査と治療のために連れ帰っていたはずだ。負傷しているとはいえ、人型のDEEPを27エキップで捕捉した例はおそらく初めてだろう。

 カズヤは部屋を出るとき、ナナカにもこう声をかけた。

「ナナカ、きみも来るか」

 ナナカは返事の代わりに首を縦に振り、共にメディカルセンターへ向かった。


「ジョシュア、そのパイロット……DEEPなのに、地上の気圧で平気なんですか」

 高速エレベーターで気圧の差を感じながら、ナナカはふと疑問に思ったことを訊いてみる。

「今回捕捉した敵は、以前座学で教えた『ハイブリッドDEEP』というやつだよ。ハイブリッドの連中は何故か、深海の水圧下でも地上の気圧下でも生存でき、『耐圧種』とも呼ばれる」

 要は、かつては人間だったがDEEPのジャックにより「人の形をしたDEEP」と化した生き物たちのことだ。その姿を、この目で初めて見ようとしている。ナナカは背中の遠くの方で、微かにぞくりとする感覚を覚えた。

「顔や身体の見た目は、人間だった頃と同じ……なんですか」

「もちろん。今回の捕捉番号:49は、人間として見た場合の価値観で表現するのなら、とても美しい女性だ」

 そうナナカの問いに答えると、ジョシュアは白衣のポケットから無造作に何かを取り出し、カズヤの手に握らせる。その感触を確かめ、握らされた手を開いて「何か」を見たカズヤの表情が、瞬時に凍りついた。

「──ジョシュア、これは!!」

「早まるなカズヤ、処置室に到着するまでは黙っていろ。ナナカも同行しているんだ、指揮官として平常心を保て」

 ジョシュアは、何が起こっているかまったく把握できていないナナカを気遣うようにチラリと見たあと、そうカズヤを諭した。エレベーターは本部棟の最下層に着き、次の言葉を切り出せずにいる3人を事務的に吐き出して上層へと去った。


「捕捉番号:49は、重傷のため本部で集中的に処置を受けていた。しかし、人間と同じ治療が可能かの判断が難しくて……ね。初めて捕捉したハイブリッドだけに、我々も然るべきノウハウを持っていない。ゆえに手は尽くしたが、助かる見込みはもうないそうだ」

 入室する前に、ジョシュアはそう前置きする。ナナカは、見たことのないような表情と顔色のまま声を出せずにいるカズヤのほうをちらりと見た。──この動揺ぶりは、いったいなんなのだろう。

 解錠して室内へ入るジョシュアに続いて、ナナカとカズヤも緊張の中入室する。中央のベッドに横たわる女性は、夥しい数の包帯やガーゼを身体と手足に巻かれていたが、顔の負傷はなかった。ナナカはその顔を覗き込み、思わずびくっとして半歩ほど後退してしまう。

「──きれい……」そう、つい声が出た。覗き込んだその顔は、ジョシュアから既に聞かされていたにせよ、それでも驚くほど美しい。

「今にも、人間の言葉を話し出しそうに見えるだろう。我々も話しかけるなどしたが、やはり人間の言葉は忘れてしまっているようだ。意味不明な、低く呻くような言語を繰り返すだけだった。もう……おそらくは、声を出す力も残されていな」

 い、とジョシュアが説明を終えないうちに、その横をすり抜けカズヤが女性に駆け寄った。顔を覗き込んで何かを確かめた後、言葉は通じないことを承知しながらも、カズヤは彼女にこう声をかける。

「ユタカ」

 カズヤは目を伏せたままの彼女の顔を見つめ、おそらくはもう力の込められていない彼女の右手を、強く握って自分の頬に当てる。

 その頬に流れる大粒の涙が、忽ち彼女の右手を濡らした。

「ユタカ、私が分かるか……。よく戻ってきた」

 カズヤが泣くことなど想像すらしていなかったし、ナナカは正直まったく事情を呑み込めない。しかし、目の前でカズヤが取っている行動は、訓練で教わった限り相当に危険なものだ。それを思い出し、こう声をかけてしまう。

「カズヤ、敵性生物との接触は寄生や感染の恐れがあるから避けて──」

 そこまで言ったナナカを制止し、ジョシュアが再び説明を始めた。

「この捕捉番号:49という敵兵……。かつて我が27エキップ防衛班でオンボードとして戦い、3年前に突如行方不明となった隊員と思われる」

「え……」

 ジョシュアは、自身のクルー・タリスマンを彼女の顔にかざし、読み取らせると室内のモニターをオンにする。そこに、かつて彼女が27エキップに所属していた当時のものと思われる個人データが映し出された。

「これは組織内から抹消されたデータだが、行方不明のクルーに関しては万一を想定し、僕の所にだけ残してあった。彼女はやはり、3年前の戦闘で行方が分からなくなった、サイファ:YTCで間違いないようだ」

「クルーがDEEPに捕まったら、寄生による洗脳と体質の変異でDEEPの戦闘員にされるって噂も……本当だったのね」

 自分が対決して撃墜した敵機を操っていたのが元クルーの女性で、しかもカズヤと何らかの関わりがあった人物らしい。さしあたり、そこまではナナカにも理解できた。

「それじゃジョシュア、あの捕捉番号:49はカズヤと一緒に、同じ部隊で戦っていた……ってこと?」

「ああそうさ。カズヤの恋人でもあり、行方不明になっていなければ、たぶん初めてクルー同士で結婚した2人になっていただろう」

 ──えっ。

 その先のジョシュアの言葉は、ほとんどナナカの耳には入らなかった。

 ──自分が撃墜した敵機に、かつてカズヤの婚約者だった女性が乗っていたなんて……!

「なんなの……それ……」

 もう、その言葉を吐き出すのが精一杯だった。血の気が引いていく感覚が全身を支配し、1歩を踏み出すことすらできそうにない。

「カズヤ、そろそろ彼女から離れたほうがいい。彼女は、じきに……」

 ジョシュアがそこまで言った瞬間に、3人は捕捉番号:49=ユタカが大きく息を吸う音を聴く。彼女は何度か深く呼吸をし、次にゆっくりと目を薄く開けた。

「……なんだって!?」さすがのジョシュアも驚き、その光景を見守ることしかできないようだ。

「──ユタカ」と、カズヤがもう一度呼びかける。ユタカはそれに呼応するように、動かない唇を残された力でどうにか開こうとしている。

「……カ……ズ……ヤ」

 ユタカは確かに、そう唇を動かし声を出したのだ。

 ナナカは息を呑み、ジョシュアは目の前で展開される奇跡のような事態に、何かを察したように呟いた。

「そうか。DEEPに寄生されハイブリッドとなった人間が死を迎えるとき、DEEPとしての意思や特性は先に消失する……。そして、本来の人格を一瞬だけ蘇らせる、そういうことか……」

 カズヤはユタカの右手を両手で握り、なおも呼びかけ続ける。

「ユタカ……。私を分かってくれたか」

「カズヤなの……。元気……?」

「ああ」

 カズヤが、涙に濡れた顔をなんとか笑顔に変えてそう答えると、ユタカの口元も微かに綻んだ。

「そう……。……良……かっ……」

 そこまで言い終えるとその唇は閉じ、忽ち色を失ってゆく。やがてゆっくりと目を伏せ、ユタカは静かにその命を終えた。

 力尽きた彼女が目を閉じる瞬間、目尻に満たされた微かな光が頬を伝い、一瞬だけ煌めく流星のように零れて消えていった。

 カズヤは立ち上がって、上衣のポケットから先刻ジョシュアに手渡された「何か」を取り出し、室内の灯光にかざした。それは、大切に金属のケースに仕舞われ、美しく光る宝石のルースだった。

「DEEPの兵士となっても、ずっと持っていてくれたのか……。ありがとう」

 もう息のない恋人の頬をそっと撫でながら、カズヤはゆっくりと話しかける。

「3年前のあの戦いのあと、この石とパシフィサイト合金で婚約指輪を作るつもりだった。指輪1つも用意できずに、婚約も何もなかったのかもしれないな……」

 そう独り言のように言うと、カズヤはユタカの両手を胸の上に組ませ、ルースが収められたケースを握らせる。そして、あまりに穏やかな眼差しを亡き恋人へ向けつつ優しい声で、しかし決然と言った。

「さよなら」

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