第15話
21. パシフィサイト (Pacificite)
タエが戦闘中に連れ去られる事態となった、その数日ほど前のことだ。
その日は、ナナカ1人が早起きをして座学の補講を受けることになっていた。ナナカはイレギュラーな入隊だったため、現在交戦状態にある敵の「DEEP」に関することを追加で教わる必要があるのだという。
比較的話しやすい相手であるジョシュアが講師だったので、ナナカは割と安心して講義の席に着いた。しかし、補講の内容は思いのほかかなりハードだった。ざっと学んだことを振り返るだけでも、つい気が滅入りそうになる。
DEEPの体組織を構成する細胞は通称「ジャッキングセル」と呼ばれ、それが人間の体内に侵入し根付いてしまうと、DEEPに身体も心も「乗っ取られる」可能性があること。しかも、ジャッキングセルは傷口などから容易に侵入するため、オンボードが外傷を負った際にも十二分に気をつける必要があること。
そして、過去に特定のオンボードがDEEPに連れ去られる事案が数件発生していること。彼らはいまだ戻っては来ないが、現在すでに「本人ではなくなっている」可能性が高いと推測されていること──。
「ジョシュア、戦闘中に何かあって『あっ、やばい、ジャックされるかも!』って思ったら、最初に何をすべきなんですか?」
我ながら素っ頓狂な質問だとは思ったが、こうとしか言葉で表現の仕様がないのだから仕方ない。
「動ける状態なら、まずは上官……きみの場合はカズヤにすぐ事情を伝えて戦列を離れ、本部メディカルセンターへ直行だね。仮にジャッキングセルが体内に侵入しても、負傷から36時間以内に適切な処置をすればオンボードがその餌食となる可能性は下げられる」
殺し合う戦争ではないといっても、防衛班はそんなリスクを孕んだ戦いに身を投じている──そんなの、十分恐ろしいじゃん!
「もし人がジャックされてしまったら、外見も変化するんですか?」
「基本的には変わらない。DEEPにジャックされ元の人格ではなくなっても、見た目が変化することはごく稀だ。時々、目や髪の色が変わることはあるが、容貌は大抵そのままだよ」
「えっ、それじゃ見分けがつかない……」
「左様だ。ちなみに、DEEPにジャックされた人間は『ハイブリッドDEEP』と呼ばれる。民間区で存在を確認された例はまだないが、DEEPの棲息圏……つまり深海には既にかなりの数がいるという予測もされている」
本部のメディックがいつも夜遅くまで何をしているのかと思えば、そんな物騒な事態への対応策を講じていたのか……。
「通常の戦闘時に、ジャックされてしまったオンボードは過去にいるんですか」
「さすがに、現状では居ないね。万にひとつの可能性としてこうして学ぶ機会を設けてはいるけど、確率は限りなく低いと思っていいだろう。寧ろ怖いのは、オンボードがDEEPに連れ去られる事態のほうだ」
ジョシュアは言葉を一旦止め、耐静電白衣の端っこで指紋のついた眼鏡を拭く。
「無差別に人間を連れ去るようなことを、DEEPはするんですか」
「どうやら、無差別というわけではないようだよ。戦闘に関するポテンシャルの高い個体や、IQの高い個体……そして、外見の非常に美しい個体。主にそれらが、過去の事案において被害に遭っている」
「──つまり、DEEPはそれらを調べてもいるってことでしょうか?」
「多分ね。時折、数週間ほど敵襲がパタリと止むタイミングがある。その間におそらく、目を付けたオンボードに関する調査を実施しているんだろうね」
自分たちの立場に置き換えて考えれば、準幹部でディフェンスリーダーのユージや、撃墜女王のタエが狙われる可能性もゼロではないということだ。もしくは、誰もが振り返るような美貌の持ち主であるリオナも……。
しばらくは背筋がぞわっとする感覚を払拭できないまま、ナナカはその日の訓練をなんとか乗り切った。
* * *
日が傾きかけ、満月が姿を見せ始める頃に、イブキたちのS2はタエがいると思われるA形態にようやく追い着いた。
「イブキ、あれが緊急脱出口じゃないかな。あいつを壊せば、たぶん侵入できる」
シュウが指差す向こうに、おそらくは小規模な砲撃かビームで破壊できそうな扉がある。
「よし、行くか……S2にはGバリケードを張っておく。これでもし無人のS2に停泊中何かあっても、無事で済むかもしれない」
「うん、僕らは二手に分かれよう」
シュウのその提案に、イブキは力強く頷いた。
「わかった。──頼むぞ」
ロック部分をリバースGハンドガンで数発撃つと、難なく扉は開いた。あまりに簡単に侵入を果たせたことに、正直拍子抜けしてしまう。敵は、機体と機体同士の撃墜ありきの戦闘しか想定していないのか。あるいは、DEEP機は物理面でのセキュリティに関してあまり意識されていないのかもしれない。
そもそも、DEEPと27エキップが何年も交戦を続けているなかで暗黙のうちに掲げられてきたのは、不殺の大原則だ。不慮の事態での死亡や遭難はあれど、攻撃そのもので相手の命を奪うことは、互いに想定していない。
だから、捕まっているタエもおそらくは殺されるようなことにはならないのだろう。……でも。
──彼女があの微笑みと優しい心を奪われ、DEEPの駒にされることなど絶対許さない。
人に対してのDEEPによる寄生行為が、どのように実行されるのかは知らない。おそらくは、体組織の針による注入や傷口への接種といった方法なのだろう。でも、どんな形であろうと、タエとDEEPを繋がらせてなるものか。
シュウと別れ1人になったイブキは、さしあたって艦内を丹念に巡り、タエに関する手掛かりを捜した。リバースGハンドガンの出力は、対人で数時間気を失うレベルに相手の装甲強度を考慮のうえ調整してある。DEEPの姿形を見たことはないが、装甲服から想定できる背格好は人と変わらない。容赦せず撃って問題ないだろう。
整然とした艦内に、初めて敵兵の気配を感じる。予測通り、通路で鉢合わせした装甲服姿のDEEPにリバースG弾1発を見舞う。
ゆっくりと床へ倒れるその姿を確かめ、──もう一度確かめる。イブキは、背すじが凍り付く思いに駆られた。
今日このときまで、DEEPの本来の姿を見たものは誰1人としていない。それは、深海底と地上との圧力差に備え、彼らが分厚い装甲服で全身を覆っているからだ。万一装甲が破損し、地上の圧力差でDEEPが死亡することがあっても、原型を留めることはないため実体は確認できない。おそらくは深海生物のように、高圧に耐えうる柔軟性の高い形状なのであろうと予測されていた。
──はずだった。
そのはずだというのに。
「なぜ……!? なぜ、この船の中に人がいるんだ!!」
声をあげて叫んだイブキの足下に倒れているのは、紛れもなく人の形をした装甲服姿の敵兵だった。
タエが目覚めると、そこは自発光する明るい床と壁に囲まれた、暖かく居心地の良い部屋の中だった。
──眠らされていたのに、いつもの悪夢を見ないなんて……。余程、安心できる環境に置かれていたんだろう。
しかし、それがDEEPの船の中であることが今ひとつ釈然としないのも事実だ。
「誰か、いないの」
試しに、タエはそう声を出して呼びかけてみる。室内には、誰もいないようだ。しかし、誰もいないというのに敵の気配だけは感じられる。たまに戦闘のときリオナに笑われていた、“DEEPの気配”というやつだ。
その、「気配」が、突如タエに話しかけた。厳密に言うと、言葉を使って話しかけられたわけではない。言葉ではなくやはり「気配」で、タエの心に意思を伝えようとしてくる。
“あなたを何故ここへ連れて来たか、お分かりですか”
先方の意思疎通はとても丁寧で、礼儀を重んじる態度に思えた。自分のような小娘1人に対しても、その立場は尊重してくれているのだろう。タエはそう感じ、自身も毅然と応じることに決めた。
「分からない。けれど、……これだけは伝えておきます。私はやられない」
実体の見えない相手に向け、どう視線を送って良いかは分からない。しかし、タエは彼らのような意思伝達の手段が使えないので、壁の一点を見据え声に出して伝えるしかなかった。
“あなた自身が、地上の人間たち──他の人と少し違っていることに対し、本能的な自覚をお持ちのようですね……”
「私が他の人と、違う? そう……なのかもしれない。でも、違いを説明もできないし、ずっとみんなと同じ心で生きてきたの。いまさら違うと言われても、すぐに認めるのはむずかしい」
“あなたの身体は、とても不思議です。内包した精神を、分厚い霧で護っているようだ……。心を読むことができないし、容易く奪い取ることもできそうにありません”
先方が言っていることの意味は、依然よく分からない。でも、さっきも言ったあのひと言を繰り返すしかないとタエは思った。
「私はやられない。死んだ父が、……いえ、あなたたちに命を奪われた父が、私をいつでも、今も護っているの。だから、何度でも言います。──私はやられない!」
“パシフィサイトの磁性のことを、あなたはそう仰っているのですか……。なるほど”
「パシフィサイト……?」
その言葉をオンボード研修以外で聞いたのは、もう数年ぶりくらいだった。それを引鉄にするように、思い返さないようにしていたあの記憶がタエの脳裏で容赦なく展開されていく。
* * *
中一の、あの夏休み。
とある小さな島にあった、父の勤め先の研究所へ見学に行った日のことだった。父がずっと研究していた新種の「青い鉱物」を、初めて目にしたのは。
『ねえ父さん、きれいな石……。青くて、吸い込まれそう』
『石? うーん、石かなあ。どっちかと言えば、鉄や銀みたいなものかな。性質は、金属に近いんだ。熱で溶かせば、指輪やスプーンに混ぜることだって出来るんだぞ』
父は笑いながら、何度も頭を撫でてくれる。思春期に入ろうという年頃だというのに、父のことを鬱陶しいなどと思うことすらない。目下の仕事であった、新種の鉱物を研究する父の姿は、娘として見ていても惚れ惚れとした。
『銀の指輪に混ぜたら、青くなるの? それ、
『わかった、約束する。父さんの研究が落ち着いて、この“パシフィサイト”を使った発電所が建ったらな。無限のエネルギーを生み出す、夢の鉱物だ。プラチナ合金にすれば、美しいブルーになる。それを指輪に……
まっさらの白衣の腕を捲った、長身の父の広い背中。そこから振り返って見せてくれる、優しい笑顔。
父は、疑いようもなく理想の男性だった。
『父さん、発電所ができたらノーベル賞いけちゃう? 日本中のみんなから羽佐間博士って呼ばれて、舵瑛もご令嬢って言われちゃうの』
『あはは、これ以上忙しくなるのは勘弁だよ。さあ、そろそろ帰りの飛行機がこの島に来る。東京へ戻って、みんなで美味しいものでも食べて家に帰ろう』
だめ。その飛行機には乗らないで……。
* * *
「私はやられない、おまえたちなんかに!!」
ひた隠しにしてきた、DEEPに対する怒りと憎しみ。そして、家族との幸せな日々を奪われた絶望と、当たり前の日常を過ごす人達に対する疎外感。
それらが、あの夏の記憶とともに再び心になだれ込んで来るのを、タエは感じた。そして、その怒りはDEEPが「普通の人間とは違う身体を持つ」と形容するタエの外見にも、ある変化をもたらしてゆく。
“何と恐ろしい姿に……あまり逆上なさるのは、おすすめしかねます。可愛らしいお顔が、台無しですよ”
──そんなこと、これっぽっちも思っていないくせに……。
タエは目の前に相手がいないことを承知しながらも、リバースGハンドガンを両手で構えていた。もしここにコノヤロウの実体が現れたなら、最大出力で蜂の巣にしてやってもいい。
「怒りで醜くなったっていうの!? そうしたのも、所詮おまえたちの癖に……! だれが許してなどやるものか」
“そうですか……まあ、お怒りになるのも無理はありません。しかし、その罪滅ぼしといっては何ですが……私達はそんな小さく憐れなあなたに対しても、ここで過分の待遇を用意して待っていました。いつかここへ来ることがあれば、あなたが心豊かに暮らせるようにと”
昂る感情を隠しきれなくなったタエを遇うようなひと言に、さすがにもう怒りを抑えている理由もなくなった。
「何を言っているの!? 待っていた、って何様なの……。人を攫って、私の仲間たちの心を抉るようなことをして、おまえたちの罪がなきものになるとでも──!? 虫が好すぎるのか、気でも狂っているのか、一体どっちなの!!」
“そう仰るのも、仕方ないでしょう。しかしそんなことより、私たちはあなたを切実に必要としていますので……。お望みのことなら、何でも致します”
まるで聞く耳を持たないとは、こういうことなのだろうか。DEEPの正体がこんな、調弄しの天才だとは思ってもみなかった。
「望むこと? ──おまえたちの滅亡以外に、何があるの」
言い放つタエの目前に、──正確には、おそらく意識下と視覚がリンクした状態のもと──このA形態のものと思われる動力伝達回路を示す、“光の河”が現れた。
この船にはおそらく、操縦席やモニターは存在しない。制御とモニタリングに関しては、操る者の知覚に完全に依存しているのだろう。タエは、バイザーオンボードが持つ超過敏な感覚ゆえに、“光の河”を偶然感知してしまったと考えると説明もつく。
──このA形態は、27エキップのIGFとほぼ同一の機構を用いて駆動している……。おそらく間違いない。パシフィサイトの特異な磁性で重力を制御して旋回体を動作させ、原動力を得ているのだろう。
そうだった。パシフィサイトの有用性を、彼らも知っている。そもそも、それを巡って戦っているのだし。
なにも、驚くべきことではなかったのだ。
「こういうことだったの……!」
父が生涯を懸けて生み出した技術をDEEPは盗んだうえに、人類に対し挑戦状を突きつけてきたのだとしたら……。
もうタエの頭の中は、DEEPを如何に完膚なきまでに潰し滅ぼすかという思考に、完全に支配され尽くしてしまっていた。
──今の私になら、容易く奪うことができる……この船を。
タエの瞳の無垢な煌めきが瞬時に失われ、忽ち怪しく濁った光で満たされていった。やがてA形態の回路に合流したタエは、深海深くのDEEPが棲息する街を捜し出し目的地に設定する。その闇深くに光る都市の姿を確かめながら、声に出し呟いた。
「待っておいで、いますぐ地獄にしてあげる」
イブキは現れる敵兵をどうにか躱し、ときには倒しながら艦内を奥に向かって進んでいく。タエの居所は、依然分かっていない。
光の届かない深海を往く船らしく、A形態の艦内ではすべての設備が自発光することで光源を確保しているようだった。しかしその薄ぼんやりとした周囲の明かりが、突如としてクリアな紫の光に変化した。
紫の不思議な光に包まれたイブキはあることを予感し、それは程なく確信へと変わる。
「──タエか!?」
「妙なことになった」
ステラドミナS1でナナカたちの戦闘の指揮をとっていたカズヤが、ふと呟く。隣のユージが、カズヤのシートを覗き込んでバイオソートのモニターに目を遣った。
「A形態方面ですか?」
「ああ。あのA形態、さっきまで動力系統で機体の駆動を示す強い青色フィードバックを発していたんだが……。見てみろ、緑色に変わってる。どういうことか、分かるか」
そう訊くカズヤに、ユージは無言で頷く。
「モニター班!」カズヤは本部に通信を繋ぎ、コーディが指揮するモニター班に呼びかけた。
「こちらモニター班。なあにカズヤ、珍しく慌ててどうしたの」
「珍しく慌てていて申し訳ない。──異例の事態が起こってる。ジョシュアを呼んでくれ!」
ナナカたちは、次々と飛来するB形態やC形態のDEEP機に手こずりながらも、ヌウスの参戦に助けられどうにか侵攻を食い止めている。
「ナナカちゃん、あの子いったい誰なの」
ヌウスとその戦いぶりを初めて目にしたリオナが、怪訝そうに訊く。
「あの昆虫みたいなマシンのオンボードを務めてるクルーなのは確かだけど、私も詳しいことは分からないの」
「そうなんだ。強いし素早いし、味方だけどライバル心をくすぐられる感じ、悪くないね。……あたし、少しだけ思ったんだけどさ、彼の戦い方ね」
リオナはそこまで言うと少し黙り、背後から迫ったC形態1機をノールックで鮮やかに撃墜した後、次の言葉を続けた。
「こういう感じでしょ、わかる? ──タエちゃんの戦い方に、ちょっと似てる気がするんだ」
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