第14話

20.  奪還 (The rescue!)


 タエが、DEEPに攫われた。

 全員が一様に衝撃を受けているものの、今は焦ったり悲しんだりしている余裕すらない。

「捕まったら、どうなっちゃうんだろ? タエちゃん……」

「取り戻すしかないよ、できるだけ早く」

 半べそをかくリオナを元気づけながら、ナナカはタエをどう奪い返すかを延々と考えている。

「僕の責任だ。隙が生まれたのにすぐ攻めに出なかったせいで、先にやられた……」

 イブキが嗚咽を漏らして、拳でモニターを叩く。

「彼女がいなくなったら、もう僕もここで戦うことなどできない……!」

「なんだ、あんたもそっか。──あたしも同じなんだけど?」

 その声に顔を上げると、さっきまでの涙で目を充血させたリオナが、何かを吹っ切ったような涼しい表情に変わっている。イブキは、それを映すモニターに目を遣った。

「忘れてない? あたし、あんたのこと信用なんかしてないよ? でもさ、いま絶望的な状況にぶっ潰されそうになってることは、お互い様じゃん。そんなイチかバチかの状況だから、ちょっと託してみよっかなって思いかけちゃってさ」

「どういう意味だ? 2番機」

「あんた、行けば? ──タエちゃんのこと、奪い返しに」

 リオナのその声は震え、堪えていた口惜しさが喉から溢れ出るように響いた。

「だったら俺のS2も、おまえに託す。行けよ、イブキ。おめーが特別機にLAGしたら、多分凄ぇことになるぜ。想像しただけで、今から鳥肌が立つ」

 そう、横槍を刺したのはユージだ。それを聞き、しばらく黙って何かを考えていたシュウが、不意に口を開いた。

「ねえ、僕はイブキについて行きたいんだ。Dスクの中で、1番攻撃が得意なのは僕じゃないかな……って思ったし。仮にどっちかが倒れても、確実にタエちゃんを連れて帰ってくる」

 そのシュウの言葉に、聞き捨てならないといった調子ですかさずユージが突っ込む。

「違うな! どっちも倒れさせてたまるかよ。2人で向かえば、戦力は倍ってことだけだろ。単純に考えろ? 俺は、この仲間のなかで誰かが失われるなんて想定したこともねぇ。──カズヤ、彼ら2人を向かわせていいっスか?」

 黙って5人の様子を伺っていたカズヤだったが、ユージの問いには即答した。

「許可する」

「そう来なきゃな。感謝しますよ、カズヤ! だったら話は早いぜ、さあ来い! 2人とも、俺のS2に乗れ!」


 A形態は一旦かなり離れて行ったものの、依然海上に停泊を続けている。DEEPはタエを捕まえて、何をしようという気なのだろうか。

 シュウとイブキが搭乗したS2がここから出撃するには、洋上に停泊した状態から発進する必要がある。瞬間的に強大な推進力が要求され、相当にハイレベルな操縦スキルを以てしなければ成功は困難だ。

「イブキ、そしてシュウ。分かってんだろうが、そこは滑走路じゃねえぞ。心して飛び立ってくれよな。S2修理に出したら、高ぇからな!!」

 カズヤのS1に移乗したユージが、2人に釘を刺す。あまりに説得力を持ったひと言に、カズヤはつい失笑した。

「ずいぶんと偉くなったな。おまえも、洋上発進の訓練では何度も量産機をリペアドック送りにしただろう」

「うるせぇ!! ……あっ、すみません!」

 あろうことか、チームメイト相手のつもりで反射的に乱暴な言葉を吐いてしまった。ユージは頭を掻き、顔を真っ赤にして頭を下げる。

「無事に戦いに勝てたら、反省文だな」

「勝つのが先です!」

「わかった。勝つためなら、今は忘れていい」

「さっすがカズヤ! 分かってんじゃねえか……って、また! す、すみません……」

 カズヤが、おまえという奴は、と言いたげな顔をして苦笑いする。ユージは両手で顔を覆い、指の隙間から申し訳なさげな視線をカズヤに送った。


「どうする? イブキ。S2の臨時搭乗ライセンスは、僕もきみも持ってるけど」

 特別機ステラドミナは1人乗りの量産機と異なり、緊急搭乗を想定して定員が3名となっている。往路の操縦をどちらが務めるべきか、シュウはイブキに尋ねた。

「僕がやる。僕の一存で出撃するんだからな……。きみの……90番機の負担を、僕のために増やすわけにはいかないだろう」

 イブキが、目を合わせずにそう答える。

「面白いなあ、イブキは。──乗っているのはS2だ。今の僕は『90番機』じゃないぞ」

「じゃあ、どう呼んだらいい?」

「いいよ、名前で呼び捨てにしなよ」

「──呼べるかよ」

 この男が名前で呼び捨てにできるのは、今はきっとただ1人の女だけなのだろう。それを悟っていたシュウは、目の前の男が無性に可愛く思えて不覚にも笑みを零す。

 と、S2のモニターに通信が入り、カズヤの声で指示が出る。

「イブキ、そしてシュウ。先方の体制が整わないうちに、急いでLAGして出撃した方がいい。無論タエの救出作戦にも、一刻も早く取り掛かるべきだ」

「わかりました、LAGを開始します」イブキが即答する。通信を聴いているチーム全員が、息を呑んでモニターに目を遣った。

「アイツ、生意気にも程があるね……。もう、タエちゃんの男です、って顔してんじゃん」

 リオナも、モニターを見て複雑な表情でそう呟きつつ感慨深そうにしている。状況を黙ったまま窺っていたナナカも、やっと口を開いた。

「私も、初めてイブキくんの真剣な眼を見て、ちょっと素敵に思えちゃったかも。でも、タエちゃんのこと見てる眼だからこそ、カッコよく見えるんだろうな」

 ステラドミナS2の機体側面にあるLAGレベライザーが緑色に点灯し、ゲージが上昇を開始する。

「いよいよだな……!」

 ユージが、身を乗り出して呟く。

「カズヤ、ひとつだけ確認しておきますが」

 モニター越しのイブキが、指揮官に尋ねる。

「どうした」

「彼女は、何があっても帰します。ただ……S2は」

「S2は、何だ」

「壊すことに……なるかもしれません」

 そう声を搾り出すイブキの表情が、苦悶に歪んだ。バイザーオンボード=UD適性者は、LAGにともなう心身への負担が適性の都合上、きわめて大きくなる。毎回自機とのサーキットジョインを試みるたび、とんでもない苦痛を強いられるのだ。その様子を初めて目の当たりにしたナナカとリオナの2人は、ぞっとして絶句した。

「イブキくん、……それにタエちゃんも、出撃するたびにあれだけ痛くて苦しい思いをしてるの?」

 しばらく黙って見ていたナナカが、ユージにそう訊く。

「ああそうさ。これでも、少しはましになってるんだ。今もジョシュアが回避策を研究してるけど、まだ完全な方法は見つかんねえ。バイザーの宿命だ」

「宿命……」ナナカはそう言うのが精一杯で、また黙ってしまった。呻き声をあげながら、身を削るようにLAG値を少しずつ上げていくイブキの姿を、ナナカは真っ直ぐ見ることができない。

「よし! LAGコンプリートだ。イブキ、もう大丈夫だろ」

 LAGレベライザーが最大値を指すのを見届け、シュウがそう励ます。

「ありがとう、……見えたぞ」

 苦痛から解放されたイブキは、眼を大きく見開きコントロールデバイスを両手で掴むと、それを勢いよく手前に押し倒した。

「ステラドミナS2。南東方向約120km先、A形態・出現番号7番に向け、発進します」

 機体は夥しい水蒸気を巻き上げながら、鮮やかに洋上から飛び立った。リバースG旋回体が激しく駆動し、周囲の空気を揺らして爆音を奏でる。

「速ぇな……! イブキのやつ、俺より思い切り良く行くじゃん」

 見送るユージが、唖然としながら呟く。敵もその動きを察知したようで、数機のD形態がS2を迎え撃とうと航路に立ちはだかる。ユージがS2を操るときは、敵機やその攻撃を器用に躱しながら前進するのだが、イブキは違った。

「どけーーーーーーーーっ!!!」

 フルパワーで前進しながら、敵が至近距離まで迫るのを待つ。そしてぎりぎり一杯まで近づいたところで、機体側面の火器やビームを不意に放って撃墜する。一発必中、百発百中だ。

 イブキの戦い方を見ていたリオナが、うっかり口に出してしまったのはこんな言葉だ。

「アイツ、何も考えないで撃ってるように見えて無駄弾一切なしだけどさ、なんか危なっかしいなあ。やばいよ、フォローしてる暇ない」

 それを聞いたユージが盛大に笑いながら、リオナの失言を丁寧に拾う。

「そういう男だろ、普段からな! さ、そろそろ俺らも、援軍として協力しないと。頼むぞみんな。ナナカは前に行け!」

「了解!」

 S2に任せっきりにはしておけない。一刻も早くタエを救い出すために、自分たちも動かなければ。

 ナナカはカズヤたちのS1の前に出ると、次から次へと加勢してくるD形態のDEEP機を、順に撃ち落として行く。

 そのたび深海へ帰っていくDEEPのパイロットたちは、すべて人型だった。それが何より気がかりだったし、同じ姿形の者同士で武器を持って戦っていることがナナカには解せない。

 ──撃ちたくないなあ。

 ふと、そう思った瞬間、背後にひと回り大きな一機が迫るのを感じた。たぶん、C形態か。

 ──やられる。

 気の緩みに付け込まれた以上、どうにもならないと思った。自分で言うべきことかは分からないが、絶体絶命……というやつだ。ナナカは背筋が凍るような思いに駆られながらも、なぜか冷静になってしまっていた。

 思えばアイドル生命の危機に立たされたときも、そうだった。自分がイチかバチかの状況にあればあるほど、他人事のような気がしてしまう。

 でも自分が今やられたら、近くにいるS1も巻き添えになるかもしれない。援護するはずだったイブキたちは、そして救助を待っているタエはどうなる。

 ──懸けるしかない。打開できる可能性が、100に1つだったとしても……。

「今は負けられないの!!」

 まだ実戦で使ったことのない攻撃を、ナナカは試すことにした。思い切って背後の敵に向け、Gウェブを後ろ向きに張る。

「届いて!」

 ナナカの願いがどうにか成就したのか、放ったGウェブの先端がC形態のアンテナ状の箇所に辛うじて引っかかる。ナナカはGウェブの重力渦を最強値の回転数まで高め、その中心へとC形態を引き込もうとした。

 ──と。

「おぉっと、そこまでやる必要はもうないよ」

 それは、とても久しぶりに聴く美しい声だった。声の主を載せてどこからか飛来したのは、27エキップのエンブレムを装備してはいるが、初めて見る機体だ。その形状を目にし、ナナカは思わず声に出して言ってしまう。

「……昆虫……?」

 少しユーモラスながら美しい、赤い甲虫のようなスタイルの機体だ。その愛嬌ある見た目に反し、動作は俊敏で武装の数も多い。タエのヴィオラと張り合えるほど、数多くの砲塔や射出口を備えているようだ。

「ここはもう僕に任せてよ、ナナカちゃん」

 聞き覚えのあるその声に、ナナカは反射的に答える。

「あなた、”ヌウス”……」

「優しいなあ、ナナカちゃんは。どんな格好でも、敵は敵なんだよ? そんなに優しかったら、相手の脅威にはなれない。容赦しちゃだめなんだ」

 そう言うと、ヌウスの機体はGウェブに捉えられて抵抗できないC形態に向け、痛烈なまでの砲撃を見舞った。

「仕方ないな……協力してあげるよ。きみのためにね」

 唖然とするナナカの耳の奥を、ヌウスの不敵な笑い声がくすぐった。


「赤い昆虫型の機体? ……レディバグS0.5コンマ5が現れたか」

 戦闘の一部始終を見ていたカズヤが呟く。

「まったくお騒がせしてくれるぜ。あの特別機もオンボードも、当分眠らせておくんじゃなかったのか?」

 隣のユージも、少し忌々しげにそうこぼす。カズヤも訝しい表情になり、独り言のようにそれへ続ける。

「誰が、あいつを起こしたんだ……。ジョシュアがこのタイミングで、わざわざあいつを使うとは思えない。ジョシュアじゃないとすれば、それをできるのはあと1人……」

「ミヅホかぁ? あのおばちゃんも、ときどき何考えてっか分かんねぇことするよな」

 また悪態をつくユージにあまり構わない様子で、カズヤは神妙そうな口調になる。

「いや……。分からなくはないぞ、私には分かるな」

「でしょうね」と、ユージもやっとカズヤの心中を理解したようにそう応じる。

「だってカズヤ、3年もの間オンボード略奪は発生していなかったんでしょ? カズヤが指揮をとるようになって守備が固まったのか、その間に入隊した俺らの出来が悪かったのかは、知りませんけどね」

 ユージは幹部用クルー・タリスマンのカバーを開けると、そこに挟んでいた写真入れをカズヤに手渡す。

「ユージ、これは……」

「あなたの忘れもんですよ。この前あなたが宿舎棟のリビングから帰っていった後、バルコニーで見つけました。今どき紙の写真なんて、驚きましたけど」

 写真には、灰色の準幹部スーツを着たカズヤと、オンボードスーツを身に纏った1人の女性が寄り添って写る。

「彼女の画像データは、すべて消失した。27エキップの登録個体でなくなれば、そうなる規定だからな。だから彼女の姿を写して残しているのは、この1枚だけだった。失くすわけにいかなかったものだ、恩に着る」

 カズヤはそう言うと、ユージに丁寧に頭を下げた。ユージは敢えてカズヤから目を逸らすと、乱れて垂れてきた前髪を掻き上げ、ヘルメットの内側へ仕舞う。

「以前、ミヅホから聞いたことがあります。その女性が、……3年前、戦闘中に失踪したオンボード」

「ああ、その通りだ。彼女はサイファ:YTC、呼び名はユタカ」

「そんな大事なものを忘れるなんて、……あの夜バルコニーで、なんか浮ついた気分になるような出来事でも?」

 何かを突っ込みたげなユージの表情を横目で見つつ、視線を泳がせながらカズヤは一言だけを口にした。

「……いや」

 ──あの満月の夜……か。かつて先輩と後輩として、ともに戦った彼女──ユタカが姿を消した日にも、同じ月が出ていた。まさか、突然部下としてやってきた新人の少女が、あの頃の彼女と同じことを口にするとは。

『恋をすれば、強くなれるんですか』……。

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