第12話

17. 洋上の月 (Ocean Moon)


 リビングにやってきたカズヤは、ただただ6人の話を聞いては笑っていた。クールな指揮官の姿と、少しだけ違う別の顔が垣間見えたような気がする。ナナカはそのテンションに乗じて、少しだけ浮ついた気分になってしまっていたのかもしれない。

「どうして今夜、来てくれたんですか」

 リビングからルーフバルコニーに出たカズヤを追って、ナナカはそう尋ねてみる。

「きみが呼んだんだろう?」

「そう、……ですけど」

「防衛班全員が暮らす宿舎棟とはいえ、同じ屋根の下で生活している。家族のように思ってもらえるのは、有難いことだ。声をかけてもらったことは、素直に嬉しく思った」

 カズヤはそこまで言うと、バルコニーのはるか上方へ目を遣り、洋上に浮かぶ明るい月を見た。

 ──何を考えているのかな……。

 今ひとつ掴みどころのないこのカズヤという人物に、ナナカはここへ初めて来たときから憧れに近い感情を抱いている自覚があった。意を決してここへ彼を呼んだことにも、上官という責務から離れたときの彼を見てみたかったという真意があったのは否めない。

「マリエッタを動かすことには、慣れたか」

「はっ、……はい」

「たしかにきみは、操縦の習得が早いな。武装のほうも、そろそろ実戦で使えているか」

「この前タエちゃんと出撃して、ウイングダガーで初めてD形態を撃破しました」

「確認している。──順調だな」

 そんなやり取りを続けながら、ナナカは自分でもよく分からない物足りなさのような感情を覚えていた。ステーションやドックを離れたときとはいえ、結局指揮官と部隊員としての会話にしかならないのだ、と。

「アイコンブレイバーがどう駆動するかについては、きみももう学んでいるはずだが……覚えているか?」

「まず、内蔵の予備電池で倒置重力旋回体を動かして発電を開始し、得た電力を動作と推進のためのエネルギーにしています。……そしてLAGしたオンボードのインターナルグルーヴが、それをコントロールする……。これで、良かったですか」

 かつて座学で学んだことについて唐突にカズヤが訊いてくるので、ナナカも少し緊張しながら回答する。

「正解だな。そして3機のアイコンブレイバーは、既に知らせているとおりきみたちの専用機だ」

「はい……」

「しかし、何故きみたちでなければアイコンブレイバーに乗れないのか、その理由はまだ話していなかったと思う」

 そう言うと、カズヤは少し黙った。何かを決意するような面持ちでまた洋上の月を見上げると、躊躇いを振り切るかのように言葉を続ける。

「インターナルグルーヴは、人のさまざまな感情によって変化する、いわば心の振幅だ。そして、人のインターナルグルーヴのなかで最もIGFと強く感応共振するのは、恋愛感情に拠るものだと分かっている」

「はい……?」

 これまで説明のなかった、インターナルグルーヴの核心について聞いているにも関わらず、やはりまったく意味がわからない。ナナカが自分より遥かに背の高いカズヤの顔を見上げると、その肩越しの視界に今日の明るい月が覗く。

「アイコンブレイバーを動かせるのは、誰かに対し強く純粋に恋する可能性を秘めた者……基本的には、女性のみだとされる」

「恋……?」ナナカは息をのみ、またカズヤの顔を覗き込んだ。

「そうだ。きみもリオナもタエも、その資質に恵まれている。だから、自分専用の機体を操り戦うことができる」

「恋をすれば、強くなれるんですか」

 そんなことを、目の前の上官に向かって言うつもりではなかった。しかし、言葉を選ぶ余裕もなく咄嗟に口をついてそのひと言が出てしまったのだ。

 カズヤは、目の前の少女の真っ直ぐな問いに一瞬怯むように身体を引いたが、呼吸を整えるような仕草を少し見せてから答える。

「端的に言えば、そうなる。ただ、邪な動機で誰かの心を惑わすような振舞いをするなら、それは純粋に恋をしているとは言えないな」

 満月の柔らかい光が、そう言い終えてフッと微かに笑みを見せたカズヤの表情を照らした。

 月が綺麗だと、彼にひと言伝えたくなる。もちろん、そんなことをこの場で告げる勇気はなかったけれど。




18. 午後 (Afternoon)


 アイコンブレイバーの駆動エネルギーと制御システム、そしてナナカたち3人が持つインターナルグルーヴの本質……。それらに関する講義が、あのあと改めて行われた。トップ=スクワッドの3人は、なぜ自分たちがアイコンブレイバーに乗って戦えているのかを、ようやく知ることとなったわけだ。3者それぞれがその真相にむず痒い心持ちを抱えながらも、LAGの精度や戦闘能力を向上させていっている。


 そして相変わらず、小規模な防衛戦が時々発生する程度の戦局が続いている。その日は、ナナカとリオナ2人での出撃だった。恙無く敵機を撃破した後、戻って更衣室のベンチに腰掛けたリオナがため息をつく。

「恋するって言われてもさー、……あたしみたいな人間は、誰に恋したらいいんだろうね」

「べつに、誰かに恋しないといけないわけじゃないでしょ。恋ができる可能性がある限り、どんどん強くなれるんだよ」

 ナナカは不本意ながら、また無難なフォローの言葉を返してしまう。

「タエちゃんさ、最近出撃するたびスコア上げてってるじゃん? それってさ、やっぱ──」

 リオナは悔しさ半分、笑顔半分といった表情を見せながらそう言う。ナナカはそんな彼女を宥めるように、しかし意外と残酷に真実を言って返してしまう。

「イブキくん、だよね……。タエちゃんに訊いたら、お互い告白もないし付き合ってる自覚もまったくないみたいだけど」

「でも今日だって2人とも非番で、クルーピットでデートしてるんじゃん!? あたしだって、タエちゃんがお土産頼まれてくれたから許してるだけだよ?」

 あれだけ不満を口にしていたにも関わらず、リオナはタエとイブキの仲にも今は意外に肯定的なようだ。イブキと会うようになってから、タエは心身の不安定さを訴える機会が減り、笑顔を見せることが増えたのも一因だろう。

「ユージくんに聞いたけど、全然話さなかったイブキくんが最近ユージくんのこと構うって。それ、ちょっと想像したら笑えない?」

「うん。アイツさ、シュウとはたまに話してたけど、ユージとつるむとか有り得なかったな……。タエちゃん、アイツのどこがいいんだろ」

 リオナがそう言って、少し口を尖らせる。

「タエちゃんがどうっていう以上に、きっとイブキくんがタエちゃんのこと大事なんじゃない? タエちゃんのこと見てる顔、最初のピリピリしてた頃と別人だもん」

 誰より守りたい女に出会ったときっぱり言ったときのイブキの眼を、リオナは思い返していた。

「あたしたちに対する態度は相変わらずだけど、アイツも変わったといえば変わったのかもね」

「これから、もっと変わると思うよ」

 ナナカは笑顔で、凹み気味のリオナの頭をくしゃっと撫でた。


 そういえば、リビングにみんなが集まった満月の夜から、ヌウスと名乗るあの少年が現れていない。27エキップのエンブレムが付けられた特殊な制服を着ていた以上はクルーなのだろうが、彼に関する情報は何らなく、いまだ謎だらけだ。

 でも、このまま会わないことを望んでいる自分にも、ナナカは気づいていた。──また会ってしまったら、きっと彼にどんどん惹かれてしまうだろうと思うからだ。

 アイドルを辞め、失意の中でもここで必要とされている自分を認めることができたのは、カズヤに出会ったお陰だ。今戦っている動機の何割かは、カズヤへ恩返しをしたいという気持ちでもある。

 いまあの少年と再会したら、あっという間にそれをなかったことにしてしまう予感しかしないのだった。


 やがて昼になったが、ナナカとリオナの2人はいい意味で暇だ。ドックポートタワー最上階のカフェで、2人はランチ代わりのバナナパンケーキを頬張っている。

「LAGしてる時ってさ、脳が余計に働くじゃん? 訓練や戦闘が終わったら、糖分が欲しくなるよね」

 この食欲は職業病であると言い聞かせるように、リオナが呟きながらパンケーキに大量のシロップを垂らす。

「部隊服がキツくなったら大ごとだから、ほどほどにしなよリオナちゃん」

「残念でした、子供の頃から食べても太ったことない体質でね。わりと食欲には、従順に生きてきた感じなんだ」

 ナナカは、リオナの首から下を舐めるようにまじまじと見た。文字通りスタイル抜群、自分やかつてのアイドル仲間はまず持っていないプロポーションだ。

「そっか、部隊服の心配するべきなのは私のほうか……」

「部隊服って言えばさぁ」と、リオナが珍しく今の話と関係のない内容の話題を振ろうとする。

「ん? どしたのリオナちゃん」

「前々から不思議だったことだけど、カズヤの幹部スーツってなんで1人だけ黒なんだろ」

 リオナの素朴な疑問に、ナナカもハッとした。27エキップの幹部はみんな、詰襟型の白スーツを着用している。ユージを含めた準幹部は、同じデザインで灰色のスーツ姿だ。カズヤもデザインこそ変わらない幹部スーツを着ているけれど、何故か1人だけ上下とも黒だった。

「でも実際黒が似合うし、他の幹部より断然カッコ良く見えるよね。なんだろ、カッコいいから1人だけ特注で黒、みたいな? ははっ」

 さすがにこのリオナの何も考えていない発言には、ナナカも呆れて失笑する。

「いやいや、それはないでしょ。でも、たしかに不思議だね……なんで、カズヤ1人だけ黒なのかな」

「これ以上考えても分かんない気しかしないから、とりあえずパンケーキ食べよっか、ナナカちゃん」

「そだね」

 ──ユージは知ってるかな。今度会ったら、訊いてみよう。そんなことを考えつつ、ナナカは残りのパンケーキをパクついた。


 快晴の午後、クルーピットは非番のクルーたちで賑わっている。正直、こういう洒落た街中を歩くことには、イブキは不慣れだった。でも今日こそは、いつかしようと思っていたタエへの罪滅ぼしをすると決めている。

「ここで何かを買うにも、結局クルー・タリスマンを行使することになる。その分27エキップの資金が、目減りしていくだけだ」

 タエと買い物をしに来たというのに、イブキはそんなことを口にする。実際それは事実で、クルーたちは生活の一切に自己資金を使うことはない。というより、民間人からクルーになるとき、手持ちの財産のすべては一旦凍結される。クルーになれば、現金もクレジットも必要なくなるためだ。クルー・タリスマン経由で決済をすれば、27エキップの保有する組織維持のための莫大な資金から支払いが行われる。

「イブキは、お買い物とか興味ないもんね」

 タエはこんな時でもマイペースで、イブキの理屈など意に介さず笑顔で受け流してしまう。

「でも、今日は違うんだぞ。きみの服を買いに来た」

 イブキがそんなことを言うとは信じられず、タエは目を丸くする。

「えっ、どうして私に服なんて……?」

「1着、僕がビリビリに破いてしまっただろう?」

「あ……っ」

 タエはクルーピットからの帰路で倒れた夜のことを思い出し、頬を赤らめた。

「綺麗な服だった。あんな風にお洒落をして、また僕に見せてもらいたい」

 イブキが、少し照れながらそう言う。タエも紅潮させた頬をさらに真っ赤に染め、下を向いて小さな声で答える。

「──うん」


 イブキとタエはクルーピットの中にあるブティックを3軒ほど回り、スミレのような花が刺繍されたセットアップを選んで買い求めた。

「やっぱり、きみには紫が似合う。それと、刺繍の柄はヴィオラの花だ。次にこうしてここで会うときには、これを着てほしい」

「……ありがとう」

 タエはまた照れて俯き、戸惑いながらも笑顔を覗かせる。──ただ、タエには1つ気になることがあった。いつぞや、リオナとナナカとの3人で夜中に雑談していたとき、リオナの言ったひと言が心に引っかかっているのだ。

『男が女に服を買うのってね、その服をいつか脱がせたいっていう意思表示なんだよ』

 そんな言葉を思い起こし、複雑な顔つきになりかけたタエの目の前に、整った指先が差し出される。バイザーアウトして気を失ったあの日、夢の中で頬の涙を拭ったあの手に、とてもよく似ていた。

 タエがそっとその手を取り、2人は手を繋いで歩き始める。イブキはタエの耳元に顔を近づけ、小さく言った。

「──僕の手を離すな。できるなら、ずっと」

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