第11話
16.つかの間 (ephemeral)
あれ以来、DEEPが民間区への大規模な侵攻を企てる予兆はない。トップ=スクワッドとDスクも訓練と休養を繰り返しつつ、時々2〜3名の限定的なメンバーで出撃するといった日々が続いている。
おそらく束の間にはなるのだろうが、6人のオンボードにもそこそこに平和で安全な日々が訪れていた。
「や、お疲れ様。相変わらず、リオナちゃんとタエちゃんの連携は最強だね」
訓練を終え、連れ立って歩くリオナとタエに追いついて声をかけてきたのは、常に愛想の良いシュウだ。
「あんたが言うとさ、お世辞もお世辞に聞こえないんだよね。危険だよ。ねぇタエちゃん?」
リオナは訝しげな表情を取り繕ってタエに同意を求めるが、満更でもないことがあからさまに見え見えだ。
「うふふ、シュウくんはお世辞なんか言わないよ。そこは、きちんと喜んでお礼を言わなくちゃ」
そう言って微笑むタエの表情は、ここのところやけに明るい。穏やかなテンションは変わらないが、少し以前と較べて瞳の色に垣間見えていた不安定さがなくなった。
「しょうがないな。ありがとね、シュウ。でもさ、あたしはいつもタエちゃんに助けられてるだけだから」
「そうかなぁ? きみ、どうしていつも戦うときだけ自信をなくしちゃうんだろうね。それ以外じゃ、根拠のあるなしに関わらず自信満々なのに」
「なにそれ! ちょっとシュウ、さりげにあたしのこと貶してない? 酷いなあもう」
リオナとシュウが言い合う傍で、並んで歩いていたタエが突然1歩引き、不意に口を開いた。
「ね、リオナちゃんとシュウくんはそのまま一緒に帰って。私は少しだけ、寄り道してから帰るから」
「え? 珍しいじゃん。わかった、先帰るからご飯のときまた声かけて」
リオナは、タエの「らしくない」振る舞いに少し戸惑いながら、あっと言う間に逆方向のエレベーターへ乗り込むタエを茫然と見送った。
「タエちゃん、ほっぺ……赤かったね」
シュウも、タエのいつもとは違う様子に少し驚いているようだった。
彼女がこれから出向く場所で、誰が待っているのかは口惜しいがなんとなく想像できる。リオナは忸怩たる思いを顔に出してしまわないよう、努めて明るくシュウに話しかけた。
「ナナカちゃんもこれから着替えて戻ってくるだろうし、みんなで共有リビングに集まろうよ。あたし、お茶入れるからさ」
「へえ、そりゃ楽しみだな。リオナちゃんがお茶入れてくれるなんて、何十年ぶりだろ」
「あのう、あんたとあたし、最初に会ってから半年しか経ってませんけど!?」
27エキップ・ドックポートタワーの最上階には、展望台を兼ねた小さなカフェスペースがある。そこに着いて約束のカウンターに座ると、開口一番でタエは言った。
「お待たせしました。今日の訓練も、私の後ろを任せちゃってごめんなさい」
「終わったあとも、まだ訓練のことを考えてるのか? 忘れた方がいい。切り替えが下手だと、疲れる」
初対面の頃は刺があるように感じられたイブキの声だが、聴き慣れて幾分の温かみを汲み取れるようになった気がする。そう思いながら、タエはほっとひと息をついた。
「優しいんだね。本当は、みんなにも」
「は? 僕が、か」
今度はイブキが溜息なのか、冷笑なのか判別しがたい種類の息を、フッとひとつ吐いた。そのとき少しだけ、彼が口元に笑みを浮かべたように、タエには見えなくもなかった。
2人は、景色を望める窓に面したカウンターの席に、隣同士で座っている。1つのテーブルで向き合って席に着くより、なんとなくそのほうがしっくり来るのだ。可能な限り互いの身を寄せ合って、でも静かにただ過ごしていたい。そんな気分だった。
衝動的に関係を深めてしまいそうになった一件はあれど、あの出来事が逆に2人を落ち着かせるきっかけになったような気もする。
とりとめない話題で繋ぐほど、余所余所しい間柄でもなくなった。そんな互いのテンションを見計らうように、タエは以前から気になっていたことをイブキに訊いてみる。
「ね、点検棟で私を見つけたとき、なんで気にかけてくれたの。ほら、私がバイザーの調整をお願いしに行ったとき」
「──僕も同じ用で、点検棟にいたからだ」
予想外の返答だった。タエは、表情をまるで変えずにそう言ったイブキの顔を、まじまじと見る。
「あなた、バイザーなの……」
「そういうことだ。90番機にも、もう隠すなと言われた。いずれ分かることだったろうし、今のうちに言っておく」
イブキは窓の向こうの外洋の景色に少しだけ目を遣り、このことにはこれ以上触れてほしくないという意思表示のように話題を変える。
「タエ、身体の具合は……もう大丈夫なのか」
「うん。心配かけちゃったね。本当に、いろいろ助けてくれてありがとう」
「大したことはしていない。Dスクにいる以上、当然だ」
タエはその言葉を聞いて、パッと笑顔を覗かせる。それは、イブキがこれまでに見たことのない、人懐っこく無邪気な表情に見えた。
鼓動が早まり、体温が頬に集中するのを感じる。それは、クルーピットからの帰り道の途中、苦悶する彼女をなんとか救いたいと思った気持ちとも違う。そして彼女の部屋で、素肌の匂いと感触に突き動かされるまま男と女になりたいと感じた、あの衝動とも違っていた。
「きみのその顔を見たかったのかな、──僕は」
イブキがついそう口にしてしまうと、タエは笑顔のまま照れて下を向き、アイスミルクティーを無言でかき回し始める。そのタエの表情に、イブキも彼女に見られないよう、こっそりと口元を綻ばせた。
クルー・タリスマンに、リオナとシュウがリビングで待っているとの連絡が入った。ナナカは自室に一旦戻り、お菓子の袋を持ち出して廊下に出る。大好きなチョコレートを部屋から持って行って、みんなで食べながら久しぶりにたわいの無い話でもしよう。
「ナナカちゃん」
透き通るような美しい声が、ナナカを背後から呼び止める。振り返ると、この間の戦闘の直前に出会ったあの少年の姿があった。
「あなた、……」
「どうしたの? もう、僕を忘れてしまった?」
「そんなことない。あなた、確か”ヌウス”って言った?……あのときの子でしょ。けど、いったい何者なの」
「──そのうち分かるよ。そんなに急がなくっても」
おそらくは未だ10代半ばくらいの男の子なのに、その笑みには年代を超越したような、不敵な余裕が見て取れる。
「ここは防衛班宿舎の、女性だけが暮らすフロアなの。こんな所まで立ち入るなんて、たとえ禁止されていなくてもデリカシーに欠けると思わないの?」
お菓子を抱え、いそいそと部屋を出た所を見られたことが、ナナカには正直恥ずかしかった。その勢いで、幾分キツい口調になっていたかもしれない。
「別に。だって、何もやましい気持ちでここに来たんじゃないよ。僕は、ナナカちゃん、きみの顔を見たくて来ただけだもの」
「えっ」
「気になるんだよね……、きみのこと。あの日、ひと目見たときから、ずっとね」
あの日と同じ眼で、少年はナナカを見つめた。心の奥に隠した何かまで奪われそうな気がしてしまう、あの瞳だった。
「あなたもしかして、私がここへ来る前に何してたか、知ってて……」
「知らないよ、そんなの」
この少年は、ナナカがかつてアイドルだったことを承知の上で、ここに来たわけではないようだ。
「ここで初めて君のことを見て、知ったんだ。オンボードとして戦うきみのこと以外は、何も知らない。──ねえナナカちゃん、きみこそいったい何者なの。僕の目にはきみが、ただものじゃない何かにしか見えないんだ」
それは、初めて言われた言葉だった。ナナカは新人だし、オンボードとしても現状未知数でしかないペーペーだ。タエやユージに較べれば、まだまだ単なる凡人以外の何者でもない。
「そんなはずない。私なんて、オンボードとしてはまだまだ平均以下だし」
「これからのことさ。きみはあの紫の子みたいに、戦う相手にとっての圧倒的脅威になるよ」
紫の子……。──タエのことだろう。彼女に及ぶほどの力を持つなんて、自分にとって有り得ない。そう思った。
「揶揄わないでちょうだい」
ナナカは踵を返し、リビングへ早足で向かった。
「ねえナナカちゃん。僕の望みどおり、強く大きくなってよ。そうしたら──僕が、迎えに行ってあげる」
ナナカの背に、少年のよく透る声が刺さる。
「ナナカ、ずいぶん遅かったな。イブキとタエちゃんも、もう来てるぞ」
リビングに着いたナナカを迎えたのは、やはり後から合流したユージだった。
「あ、ごめん……ちょっと、捜し物してたら遅くなっちゃった」
「ま、いい。こんなに平和で静かなときに、チームの全員がプライベートで集まれるなんて、そんなにあることじゃねえ。早く来いよ」
リビングでユージやリオナ、シュウがくつろいでいる姿は日頃よく見かける。しかし、イブキやタエが自室に戻らずここに来ることは滅多にない。ここへ1度に全員がやってくるなんて、たしかに異例だ。
「みんな、仲良くしなくちゃね。これからも、トップとDスクは防衛班最強じゃなきゃいけないし。そんな気持ちを込めて、今日はあたしがお茶を入れましたーッ!!」
音頭を取るようにそう言うと、リオナがお茶を振舞い始める。
「ほら、タエちゃんには、大好きなアイスミルクティー!」
「え、私、それはもうさっき……」
遠慮気味に苦笑いするタエの横から手が出て、リオナの持ってきたグラスをサッと奪い取った。
「わるいな、2番機。僕が貰う」
アイスミルクティーを手にしたイブキが、少し得意げな表情になった。目下冷戦中の2人だけに、リオナも苦々しい顔をしながら悪態をついてしまう。
「うわ、この男がアイスミルクティーとか、まじ似合わない」
「拗ねるなよリオナちゃん。じゃ僕は、コーヒーを貰うね。きみはもう休んでいいからこっちに来なよ。あとは僕がやる」
その場が険悪になる前に、必ず助け舟を出してくれるのはシュウだ。リオナも渋々その場から離れ、タエはリオナに目配せして「ゴメンね」という表情になる。
「シュウくんって、マメだよね。モテたんじゃない? どうして、27エキップになんて来たの?」
ナナカは、ついそう言う。無理もない、タレントの顔色を伺って愛想を振りまきまくる人間たちだらけのあの世界……芸能界をよく知っているのだ。下心しかない彼らに較べて、シュウの邪気のない振舞いのなんと爽やかなことか。そんな感慨も込めつつ尋ねてみる。
「残念ながら、具体的なきっかけらしいものはなくて……。スポーツ一筋で、浮いた話にも避けられるような暮らしだったし」
「ふーん。なるほどね、簡単には言えないこともあるってことか。了解!」
ナナカのその言葉に、シュウは席に着くメンバーたちへ目を遣る。満面の笑顔で話を聞いていたタエと、ふと目が合った。その笑顔にシュウが少しだけ「可愛いなぁ」と思った瞬間、その横でなんとも言えない表情のイブキが、シュウをじっと睨んでいることに気づく。
「な、何? イブキ。3番機ちゃんは、取らないよ?」
これまで見たことのない2人の静かな攻防に、ユージが思わず吹き出して笑った。
ナナカも釣られて笑いながら、ふと思う。
──リオナは所謂ハーフの超美形だし、タエはお人形のように可憐で愛らしい。そして自分は、至って普通だ。ただアイドルだったというだけで、本当は本当に普通だ。ある意味、ちょうど良い3人なんだ。
「なんだかんだ言ってバランス取れてるわぁ、私たち6人……」
そう呟いたナナカの独り言を、ちゃっかりリオナは聞いていたみたいで、さっそく横槍が入る。
「ジョシュアとカズヤの、人を見る目のお陰じゃないの?」
「そういえば、カズヤもここに呼べば良かったんじゃないかな」
「来ないでしょカズヤは……。孤独を愛してそうだし、プライベートとか謎っぽいしなぁ。あはは」
リオナはそう言ってカラッと笑ったが、ナナカは割と本気でカズヤを呼ばなかったことを残念に思っていた。
「せっかくだから、色んなこと訊いてみたかったな、カズヤに」
こんなふうに、戦闘や訓練の現場ではないところで私たちがどう笑い、喜び、楽しんでいるかを1度カズヤに見せたかった。相変わらずリオナとイブキは反目し合っているけれど、イブキがタエに向けるあんな優しげな目は初めて見る。ナナカとしては、そんな自分たちの変化も指揮官に気づいてもらいたかったのだ。
ナナカはこっそり、クルー・タリスマンでカズヤにメッセージを送ってみる。
その返事は意外にも、3分ほど経ってすぐ届いた。それを見たナナカは、思わず声を上げる。
「ねえ、みんな大変! ──これから、カズヤがここに来るって……」
「うっそだろ……」と、ユージ。
「何それ!?」と、シュウ。
「それは……たしかに大変だな」と、イブキ。
「有り得ない!!」と、リオナ。
「え?……なんだか、面白そうじゃない?」
ニコニコしながらそう言ったタエに、周囲の視線が集中する。
「出た、タエちゃんの独特の世界観……」
ユージが額を押さえながら、半ば呆れ気味に呟く。
「ね、楽しいと思うよ。だって、みんなカズヤのこと嫌い? そんなことないよね。私は、カズヤ好きだよ」
あっけらかんと無邪気にそう言うタエの横で、それを聞いたイブキがものすごい顔になっている。
「そっか、タエちゃんの恩人ってやつか……」
タエの過去の事情を少し把握しているリオナが、ため息混じりにしみじみと言う。そんなリオナの振りを受けるように、タエは話し始めた。
「私ね、突然お家もなくなって、家族も居なくなったから。ずっと、1人で生活してたんだ。私の適性を見つけて、オンボードにならないかって声掛けてくれたカズヤのお陰で、今ここでみんなと暮らせてるの」
タエのその言葉と時を同じくして、セキュア解錠の電子音が鳴り響く。
「なんだ、タエの思い出話か?」
そう言いながらリビングに入ってきた指揮官の姿に、ユージとシュウが慌てて座る間隔を詰め、場所を空ける。
今日の平和な夜がまだまだ続きそうで、ナナカは嬉しかった。そして、何とか指揮官の隣に隙間を見つけて自分が収まれないかと考えてしまっていることに、少し戸惑っていた。
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