第9話
3番機ヴィオラの回収とオンボードの救出を終え、シュウとイブキの2人は意識のないタエを27エキップ本部のメディカルセンターに送り届けた。
「本部でよかったの? メディカル棟まで送るつもりだったのに」
怪訝そうなシュウに、イブキは詳細をとりあえずすっ飛ばしつつ簡単に説明する。
「あっちじゃ駄目なんだと。体質の問題か何かで、処置や治療のできる医者が限られてるらしい。ま、こんなときも特別扱いせざるを得ないってことか。……面倒かけてくれるひとだな」
「なにそれ、随分よく知ってんじゃん」
シュウはイブキの意外な一面を垣間見たかのように、興味深げに訊いてくる。
「偶々、カズヤから聞く機会があっただけだ」
「ふうん……」
シュウは、目を逸らし少しはにかんだような表情になるイブキを横目で見ながら、こっそりほくそ笑んだ。
──やっと、ひと息ついたという感じだ。1人のクルーを、連日にわたって2度も本部に移動させる羽目になるとは……。
「タエちゃん凄いな……。あんな戦い方のできる子だったなんて、知らなかった」
シュウがそう言ったそのタイミングで、背後から女性の声が2人を呼び止める。
「あら、2人とももう帰るの? タエちゃんの意識はじき戻るはずだから、それまでは付き添ってあげてくれない?」
27エキップ幹部で、今は女性クルーの指導やケアを中心に行っているミヅホという妙齢の女性だった。詳細を知るクルーは少ないが、27エキップの黎明期を知るジョシュアたちとは27エキップ創始時以前からIGF開発の面で協力し合ってきた仲間だという。
「そのつもりです」と、イブキが即答する。
「あなたがはっきり答えるなんて、珍しいわね。彼女に何かあるの?」
「無いですよ。ただ今日の出撃で偶々、僕は彼女の護衛に着いていましたから、責任をもって回復までは」
ばつが悪そうに目を合わせずそう言うイブキを見て、ミヅホは笑顔でひと言だけ言った。
「そう。──感心ね」
結局、シュウとイブキの2人はタエに付き添って一時救護室で彼女が目覚めるのを待っている。
「負傷したクルーの救護中に言うことじゃないかもしれないけど、──タエちゃんって可愛いよね」
シュウが突然そんな話を振ってくるものだから、イブキは飲んでいた水で盛大に噎せた。
「止せよ。急になんだ」
「別に。トップスクワッドはみんな可愛いし、仲間として好きってことだよ」そう言ってニヤリと笑ったシュウを、イブキは黙って片肘で小突いた。
「──ふん」
「僕は、きみがUD適性者……バイザーだってことを、彼女に隠さなくてもいいと思うんだ」
目を合わせずに会話をしていた2人だったが、シュウから唐突にそう言われて初めて、イブキは彼のほうを振り返った。
「本当に、今日は一体どうしたんだ。さっきから、突飛なことばかり言うが」
「言ったとおりさ。タエちゃんはあのバイザーのせいで心を閉ざすことがあるし、自身の能力の高さにもたぶん納得できていないんだ。そこを理解できるのは僕らじゃなくて、同じ立場で戦ってるきみだろ」
「やめてくれ。──ばかばかしい」
イブキはまたシュウから目を逸らし、小さくため息をついた。
「それじゃ、僕はドクターとカズヤに話を聞きに行ってくる。それまでにタエちゃんの意識が戻ったら、クルー・タリスマンで連絡してよ」
そう言ってシュウが救護室を出ていき、いよいよイブキは取り残される格好になった。もしタエの意識が戻ったところで、どう本人に声をかけてやってよいものか、わかったものではない。
おそるおそる、眠っているタエの様子を遠巻きに窺ってみる。
戦績は優秀で、性格も温厚且つ優しい。27エキップをあげてその将来を期待され、抜きん出た戦闘能力をもつオンボードの少女……か。
──顔も身体も、想像以上に小さい。こんなに小さく華奢な女の子が、あのアイコンブレイバーを操っている。しかも、DEEP機のなかでも2番目に大きなB形態を倒置重力銛一本、それも一撃でやれるとは……。
表情が見て取れるところまで、少し距離を縮めてみる。少し顔を歪めた彼女の瞼に、イブキは微かに光るものを見た。
──涙? なぜ……。
そうする理由は自身でもわからなかったが、イブキはつい手を伸ばして指先でその涙を拭った。この子のこういう顔は、見てはいけない気がしたのだ。
が。
その次の瞬間、いかにも状況に配慮していない感じのがさつな音を立ててドアが開く。
「はいはいはーい、リーダーちゃんが代表して見舞いに来たよ。タエちゃん大丈夫?……ってか、イブキ!? お前、何やってんの?」
救護室にやってきた途端、ここに入って来て良かったのか否か微妙な空気を察して目が点になっているのは、ご存知リーダーのユージだ。
「ちょっと、なにお前、これってどういう状況?」
「別にどうでもない! 護衛に着いていたのに、彼女を無事帰せなかった。その責任があるからここにいるだけだ。ユージだって僕の立場になったら、そうするだろう」
「そりゃ俺は当然そうするけどさ、まさかてめーが同じことをするとは思ってなかったぜ」
「うるさい」
2人があまり次元の高くないやり合いを続けている間に、どうやらタエの意識が戻っていたらしい。
「──あっ、起きた。よかった、タエちゃん! 気分は悪くない?」
ユージは嬉しそうに、タエに様子を尋ねた。
「えっ、……私、どうしたの?」
「戦闘中に、意識をなくしたんだよ。でも大丈夫、何も心配はないって」
ユージとタエが言葉を交わしているうちに、冷蔵庫から水のペットボトルを持ってきたイブキが、タエにそれを手渡す。
「3番機、水くらい飲め。どうやら発熱しているようだし」
「あっ、そうなんだ、熱……ありがとう」
「ガードに着いたのに、無事に帰せなくて悪かった。実際、きみがDEEPを撃つところまでは、完璧な戦いだった」
その言葉に、タエも意識を失くすまでの出来事を少しずつ思い返せるようになったようだ。
「い、いえ、違います、私が指示を聞かずにバイザーを脱いだせいで……。ごめんなさい」
神妙になってしまったタエに、ユージが助け舟を出す。
「ま、大丈夫さ。あんまり気にすんな。バイザーアウトが無闇に使える手じゃないことは確かだけどさ、あのリバースGハープーンの一撃はみごとだった。結果オーライだ、カズヤたちもそうそう強く言ってはこないだろ」
「ありがと、ユージくん……。なんかみんな、本当に心配ばかりかけてゴメンね」
「いいってこと。もう少し休んだら、ナナカやリオナの所に戻ろう、な?」
その言葉にようやく安心したのか、いつもの穏やかな表情に戻ってタエはうなずいた。
「きみの処分はなし。タエちゃんには、バイザーアウトに関する注意喚起のみだって」
シュウが戻ってきて、一時救護室の外の通路でイブキにそう告げた。
「それでいいのか? まあ、敵をみすみす逃がしたとかではないから……ってことか」
あの「お嬢さま」を危ない目に遭わせただけに、怒られる覚悟をしていたイブキはつい拍子抜けしたような表情になる。その様子を見て、シュウは少し苦笑交じりの顔になった。
「そりゃ敵機を数分で撃破できたわけだし、ね。きみはどうせ謙遜するだろうけど、ヴィオラを援護するために放った97番機の1発も、完璧だったよ」
シュウの忌憚ない褒め言葉に、柄にもないとは思いながらイブキもつい照れてしまう。
「褒めるな、慣れてないんだ。……わざわざ聞いてきてもらって、悪かったな」
「イブキが自己判断でDEEPを攻撃するところなんて、初めて見たよ。今日起こったことは、きみにとって『よほどのこと』……だったんじゃないの?」
シュウはいつも穏やかだけれど、ときどき不意を突くようなことを訊いてくる。イブキは少し口ごもりながら、それでも真面目に答えようとした。
「UD適性者がバイザーを除却して戦えば、場合によっては命に係わる事態にもなる。彼女のガードに着いた以上、絶対に回避すべきことだろう」
それを聞いたシュウは、期待通りの回答が返ってきたという感じで、至極満足げな笑顔になった。
「うん、それでこそDスクだよね。素っ気なかったきみの中に、そんな騎士感情が生まれたことにもきっと理由があるんじゃない?」
「は? なんの事か、さっぱり分からないぞ」
「ま、いい。きみは、タエちゃんを宿舎棟まで送ってやりなよ。ガードとして務めを果たす意志がそこまで強いんなら、そうしたらいいさ」
「勘弁だね。僕が『お嬢さま』の大勢の取り巻きの1人になるつもりなんか更々ない」
目を逸らして、露骨に嫌そうな顔を取り繕いながらそう言うイブキの姿を横目に見ながら、シュウはまたニヤリと笑った。
宿舎棟の自室に戻ったタエは、戦闘から気を失うまでの一部始終や、救護室で目覚めるまで見ていた夢のことを思い返していた。
──たぶん、眠っていたときにはまた、悲しい夢を見ていたように思う。いつも近くにいて、私がとても大事に思っていた人たちが、突然目の前から消えてしまう……何度も見る、あの夢だ。
その日から、長い長い孤独が訪れるのだ。涙があふれても、拭いてくれる誰かは傍にはいない。
──でも、さっきまで見ていた夢の最後は、またいつもとは違っていて。……これまで知らなかった誰かが、涙を拭ってくれたような気がした。
とても、優しい手だった。誰だろう……。熱っぽい中で見た夢だけに、魘されていたようでよく憶えていない。
熱──?
『発熱しているみたいだった』
水のペットボトルを手渡されたときの、彼の言葉を思い出す。
眠っている間、私に触れたのは……。
こんな気持ちになるつもりなど、ないはずだった。それなのに、胸の中が曇った日の外洋のようにざわついて止まらない。
タエはクルー・タリスマンを取り出し、やにわにメッセージを打刻して「彼」へと送信した。
”今すぐ、ここに来て”
13. Loveの振幅、あるいは溝 (Groove of love)
27エキップ・本部戦闘工作室。
フルメンバーで初めて臨んだ戦闘のデータをチェックしていたカズヤは、あることに気づいた。
──3番機ヴィオラの動力曲線と感応共振位相に、微弱ではあるが変動がある。3番機はオンボードであるタエの共振コントロールが非常に安定しており、急激にスコアを上下させないところが長所だと考えていた。
それが、若干ながら変化している。
本来、戦闘中も精神面での均衡を保つ能力が高いことがタエの良いところだ。──そんな彼女の心を乱す、何らかの出来事があったのだろうか?
「3番機のスコア変動、ジョシュアはどう考えますか?」
しばらく今日の戦闘のスコア・レコードを見ていたカズヤは、居合わせたジョシュアにそう声をかけてみる。
「そう心配する必要はないよ。最強のトップ=スクワッドとはいえ、実態は20歳前後の女の子さ。みんな、恋や人間関係に悩む普通の少女たちだと思っておけ」
「恋に、悩む……ねぇ」
困惑するカズヤに、ジョシュアは戯けてウインクをしてみせる。
「ああ。多少の心の揺れ動きがあっても、別に驚くことじゃない。それに今回、3番機の総合的な戦闘力は著しく向上していたし、現場においては明らかにプラス要素だよ」
「そうですか。正直、2番機などはこの程度のスコアのブレなど日常茶飯事なんです。……今回のケースは安定している3番機だけに、必要以上に神経質になりすぎたかもしれませんね」
そう言ってため息をつくカズヤの顔を意味ありげに見ながら、ジョシュアは更に付け加えた。
「でも、このスコア。僕にも、ちょっと気になることはあるんだよ」
「何か、気づいたんですか」
「勘違いかもしれないくらいの話だが、……この種のスコアの微弱な変動。もしかすると、オンボードの恋愛感情に紐づいたインターナルグルーヴの発振要因が影響してるかも」
指紋だらけの眼鏡の奥で、ジョシュアの眼が好奇心スイッチのオンを示すかのようにキラリと光る。
「しかもその対象が、本人の目の届く範囲内に存在する可能性が高いかもしれないよ」
「どういうことですか?」
「3番機のオンボード、つまりタエちゃんのことだが……いま、別のオンボードの誰かのことが気になっているんじゃないかな」
ジョシュアはそう言って、おそろしく意味深な笑顔でニヤっと笑ってみせた。
「面白がってる場合ですか。オンボード同士が惹かれ合って互いに恋愛感情を持てば、奇跡のようなことが起こるかもしれないと聞いてはいますけど」
「そりゃ、これに興味を持たずして何に興味を持つってくらいの話だよ、カズヤ。同じ現場で戦うオンボード同士が恋したとき、戦闘に及ぼす影響……。何百の事例に1つぐらいの確率で、凄いことが起こる可能性が理論上ながら指摘されてる。多少不謹慎ではあるが、我々としちゃ刮目して待ちたいところだ」
あまりに勿体ぶってジョシュアがそんなことを言うので、カズヤもつい食いつき気味に訊いてしまう。
「お言葉ですが、不謹慎極まりないですよ。一体、なにが起こるっていうんですか!?」
カズヤがそう尋ねると、ジョシュアはまたニヤっと笑顔になる。そして、ワンクッション置いてから愉快そうに言った。
「おしえない!!」
「ええぇ……」
彼女たちには、まだ知らせていないことだった。IGFの駆動に必要なインターナルグルーヴとは、人の意識の状態や思考の波がもたらす感情曲線のようなものだ。なかでも、最上位機種であるアイコンブレイバーは、純粋な恋愛感情を秘めた者──基本的には女性とされている──のインターナルグルーヴでしか動かせない。
無論、搭乗者は誰かと恋愛していなければならないという意味ではない。いま恋しているかではなく、仮に恋愛において、その相手を思いやれる気持ちがどれだけ純粋であるかが重要になる。
ただ、実際に誰かと恋愛関係になれば、当然戦う上でのポテンシャルも向上するだろう。
ジョシュアが一條ナナカを連れて来たいと言ったのは、ナナカ本人が1番機の操縦に適格だったことが最大の理由だろう。しかし、ここへ来て恋をする可能性についても、きっと考慮されていたのかもしれない。
──だとすれば、アイツか……。
カズヤは、切れ者だが少しおっちょこちょいな長身の部下がゲラゲラと笑う姿を思い浮かべ、つい苦笑する。
その一方で3番機のタエは、……。まさか、この前構内で倒れて救護されたことで、97番機のイブキに心を揺らしているのだろうか。
──正直、タエとイブキの2人に関しては想定外だ。この先どうなるのか、まったく見当すらつかない。
カズヤは、いつかイブキに忠告しなければならないかもしれない言葉を、独り言のように口に出してしまう。
「覚悟できるか……。あの子は、背負ってるものが違うぞ」
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